内部被ばくについて、自主的に学習し、周りの方々に広めていくための会
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2019年3月

鎌田實氏の内部被ばくに関する認識の問題点(2)

日本チェルノブイリ連帯基金の設立者であり、JIM-NET(ジムネット)の代表でもある、鎌田實氏が、大熊町でも住める、というコラムを毎日新聞に掲載しました。2019年3月17日毎日新聞朝刊8面。「さぁ、これからだ 鎌田實」  たった数ヶ所の、それも数値を低くいじられているモニタリングポストの数値だけで、「大熊町でも人が住める」とは、チェルノブイリやイラクの人々を支援してきた実績は一体、何のためなのかと疑われます。しかし、鎌田實氏の放射線防護の知識は、山下俊一氏からの受け売り。以下、2011年4月19日発行の週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談に、鎌田實氏の放射線防護の致命的な問題が浮かび上がっています。 週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談 毎日新聞に掲載された、鎌田實氏のコラム「さぁ、これからだ」は以下。 さぁ、これからだ 8年たっても復興の道険しく   鎌田實 毎日新聞 2019年3月17日 朝刊8面た 人影がない大熊町のかつての繁華街=今年2月(鎌田さん提供)  2月末、福島第1原発の立地自治体である福島県大熊町の人が集団で避難している同県会津若松市の復興住宅を訪ねた。  中学生と小学生の男の子を育てている34歳のシングルマザーAさんと出会った。震災の直後は福島県内の避難所に身を寄せ、その後は東京の親戚の家、同県喜多方市を経て、現在の会津若松市と転々としながら生きてきた。その避難の日々の中、離婚もした。つらい8年だったのではないかと想像する。  3人とも明るい顔をしている。どこの学校でも、良いことも悪いこともあったという。人生に負けていないように見えた。今の住居も受け入れて、愚痴を言わず、前を向いて楽しく生きようとしているようだった。  雪が多くて大変と言う。同じ福島県でも全然気候が違うのだ。大熊町には新築に近い家があったのに、小さな復興住宅で暮らす。つらいだろうなと思った。    Aさんと中学生の長男が震災前に住んでいた大熊町の家へ一時帰宅すると言うので、一緒に訪ねた。  大熊町は、福島第1原発がある町だ。震災と原発事故後は立ち入りが禁止された。何度か許可を得て一時帰宅したことはあるそうだが、久しぶりに対面する我が家は、とんでもなく荒れていた。靴箱や椅子は、地震で倒れたときのまま。さらに2人を驚かせたのは、部屋の真ん中に衣類が乱雑に放り出されている光景だった。  誰かが勝手に侵入したみたいだ。がくぜんとするAさん。震災と原発事故で家に帰れなくなった人の心を、文字どおり土足で踏み荒らす行為に、こちらも胸が痛くなった。  長男がキッチンで何かを発見した。冷蔵庫のドアに、学校の便りがマグネットでとめられたままになっていたのだ。日付を見ると、震災の1週間前。彼はなつかしそうに見つめていた。  じっくりと家のなかを見渡すと、かつての生活がうかがえた。ピンクの壁紙やピンクのカーテン、吹き抜けのモダンなリビング。二つのすてきな子ども部屋。夫と共働きをしながら2人の子どもを育てる幸せな生活がここにあったのだ。失ったものを目の当たりにして、「寂しくなる」とAさんは言った。  そんなAさん親子だが、この春、大きな決断をした。長男の高校進学を機に、大熊町に戻って来ることにしたのだ。元の家には戻れない。除染の済んだ地域に新設された公営住宅だけが6月から居住許可が出る。  長男が進学するのは県立ふたば未来学園高校。復興のカギは人材教育にあるとして、2015年に開校した。「原子力災害からの復興を果たすグローバルリーダーの育成」を掲げる未来創造型教育を展開する高校。特色あるカリキュラムを組み、たくさんの著名人も、応援団として名を連ねている。  4月から、弟は隣の富岡町の小学校に通う。Aさんは、自分も2人の子どもも夢を持って生きていきたいと願っている。会津では希望の仕事がなかなか見つからなかった。大熊町では見つかりそうだという。  今年1月、大熊町が避難した町民全5176世帯を対象に行ったアンケートでは、回答した1863世帯のうち、大熊町に戻りたいと考えている人が14・3%、まだ判断がつかない人が28・4%、戻らないと決めている人が55%という結果になった。戻りたい人も、戻らないと決めた人も、苦渋の選択なのだと思う。  大熊町では、原発から7・5キロ離れた大川原地区を中心にして、復興をすすめてきた。この地区はすでに除染が済み、毎時0・23マイクロシーベルト以下の比較的放射線量が低い所が多い。これは、年間約1ミリシーベルト以下に相当する。ぼくはチェルノブイリの汚染地域の子どもたちの医療支援を続けてきたが、この年間1ミリシーベルト以下というのは人が生活できるかどうかの大切な目安になっていた。  この地区に50戸の公営住宅や役場の新庁舎ができる。来年春を目標に、町内のJR大野駅が再開し、常磐線も全線開通するという。  8年たっても復興の道のりは険しく、苦渋の選択をしながら生きざるを得ない人たちがいることを忘れないようにしたい。(医師・作家)

鎌田實氏の内部被ばくに関する認識の問題点(1)

日本チェルノブイリ連帯基金の設立者であり、JIM-NET(ジムネット)の代表でもある、鎌田實氏が、大熊町でも住める、というコラムを毎日新聞に掲載しました。2019年3月17日毎日新聞朝刊8面。「さぁ、これからだ 鎌田實」  たった数ヶ所の、それも数値を低くいじられているモニタリングポストの数値だけで、「大熊町でも人が住める」とは、チェルノブイリやイラクの人々を支援してきた実績は一体、何のためなのかと疑われます。しかし、鎌田實氏の放射線防護の知識は、山下俊一氏からの受け売り。以下、2011年4月19日発行の週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談に、鎌田實氏の放射線防護の致命的な問題が浮かび上がっています。 チェルノブイリと福島原発、同じ病巣と相違点 2011/4/19 週刊朝日 鎌田實さんと山下俊一教授が緊急対談  国連の放射線影響科学委員会のワイス委員長は4月6日に「福島第一原発の事故はチェルノブイリより被害は小さいがスリーマイルより深刻」と発言した。チェルノブイリに何回も行っている『がんばらないけどあきらめない』の鎌田實さんと被ばく医療の第一人者、長崎大学の山下俊一教授にチェルノブイリの教訓などについて話し合ってもらった。 鎌田:僕は放射能問題でわからないところがあると、山下先生に毎日のように電話で聞きました。たいへん心強いアドバイザーでした。 山下:いまは福島県のアドバイザーになりました。鎌田:僕は山下先生を人間として信頼しています。山下先生は東京電力から研究費はもらっていませんよね。 山下:もらっていませんが、欲しいですね。(笑)鎌田:こういう点が大事だと思うんです。山下先生は科学的に健康に大丈夫な範囲とか明確にしようと必死ですが、先日のNHKテレビで山下先生が出演したのを見て少しがっかりしました。大丈夫と繰り返されましたが、なぜ大丈夫なのか、時間をかけて説明していただきたかった。山下:私は1991年にチェルノブイリに初めて入ってから20年間仕事をしてきました。チェルノブイリ周辺はもう100回以上行きました。見えないものへの恐怖心を払拭することがどんなに難しいか痛感しました。鎌田先生と最初に会ったのもチェルノブイリでした。鎌田:はい。最初の1991年です。僕もこれまで9回行きました。山下:チェルノブイリを歩いていてよく現地のおかあさんに「この子は大丈夫だろうか。結婚できますか」と質問されます。汚染地域に500万人近い人が住んでいますし、汚染食物も食べている。しかし、僕は答えを持たない。そんなときに「私は長崎から来ました。被爆2世です」と言うと、会場の暗い雰囲気が変わる。広島・長崎は反核ということだけではなく、聞く相手に安心感を持たせます。現場を歩くことが私のモットーです。私はWHO(世界保健機関)にも2年間行って、放射線事故の国際対応もしました。鎌田:正式にはジュネーブにどんな職名で行かれていたのですか。山下:放射線プログラム専門科学官として世界の安全防護と緊急対応のシステムづくりをしました。2007年に長崎に戻りましたが、今回の福島原発の情報が入ってきたのは大震災翌日の3月12日。すべてマスコミからでした。鎌田:専門家の山下先生のところに一報も入ってこないのですか。山下:屋内退避から避難。最初は3キロから10キロ。これはマニュアルどおりだったと思います。そのあと20キロにした。安全なところに避難したのだから大丈夫なはずなんですね。ところが20キロから30キロ圏内が屋内退避になった。これを聞いて僕はおかしいなと思いました。長崎大学のスタッフには14日に福島に入ってもらっていました。福島のスタッフからは「福島市はいま雪が降っています。計測器が雪にガーガー音を立てています。放射性物質が降り注いでいる」と報告がありました。鎌田:20キロから30キロの屋内退避の指示が出されたのは15日です。山下:問題は医療関係者も行政も放射能や放射線の知識が乏しくパニックになったこと。僕は要請がなければ現地支援に入れない。福島県立医科大学の理事長が僕に電話してきたので、18日の朝一番で飛びました。入ってびっくりしたのは、みんな浮足立っている。これだけ原発があるのに事故があると想定していない。専門家もいない。全くの安全神話の中にいたのです。それで原子力災害の現地対策本部であるオフサイトセンターのある県庁にも行きました。保安院や経産省、厚労省、自衛隊など人数がたくさんいて、はじめは調整がうまくついてない。原子力災害の場合、中央官庁と直結です。県はわからんからぜんぶ聞く。中央では諮問委員会に質問を出す。答えはなかなか返ってこない。現場は困ってるのに、情報が途中でマスコミに先に出ちゃって、現場に対する説明がない。これはまずかった。佐藤(雄平)知事も非常に懸念されて私をアドバイザーにして、20日から、いわき市、福島市、郡山、田村、いろんな町をまわりました。鎌田:そのまわってる間にも僕は何度も電話しましたが。(笑)山下:チェルノブイリのときもそうですが、現場を歩かないとわからない。鎌田先生から電話があったときはうれしかった。鎌田先生には南相馬にぜひ入ってほしかった。チェルノブイリと同じで、汚染と聞いただけで医師も入りたがらない。とくに屋内退避の20キロから30キロゾーンには誰も行きたがらないし、物も運ばれない。まさに最初の1、2週間は現地への支援は空白でした。 ◆あわてた官邸と保安院、情報開示に失敗した◆鎌田:ある病院では、院長が、ぜひ残ってほしいが、自主判断でいいと言ったら、半分ぐらいのスタッフがいなくなった。医療用酸素がないとか、医薬品がない、残った医者はもうへとへとだというのを聞いて、諏訪中央病院の院長にお願いして医師や看護師と南相馬に入りました。いままた諏訪中央病院のチームが南相馬に3日間入っています。山下:拠点となるべき福島医大には、現場の作業者が運ばれてくる可能性がありました。水素爆発もありましたし、足もある程度汚染した人もいたから。そういう人たちを迎えるときの除染、緊急時の対応を福島医大・自衛隊といっしょにつくりあげた。福島医大は巡回医療も7チームつくった。立派です。いまは中長期にわたる地域医療戦略を練っています。鎌田:そういう状況のなかで、この日本を壊さないためにどうしたらいいのか。誰だって余分な放射能を浴びるべきではないと思う。その前提で、避難問題を聞きたいのですが、3月11日にまず3キロ圏避難と、その後20キロから30キロ圏内の屋内退避。その時点では妥当だったんですね。山下:間違いなくそうです。鎌田:12日の朝に、その3キロ圏をやめて10キロ、さらに20キロ圏にした。このときに、僕は、チェルノブイリをずっと見てきたので、やっぱり何度も移動するということ自体、国民の信頼を失うことだと思った。避難所を移るというのは、過酷です。動かすとすれば勇気をもって30キロ圏じゃないかと思いました。山下:20キロと倍にした根拠はいろいろと後付けになるかもしれませんが、ここまで逃げれば大丈夫だろうと踏んだと思います。屋内退避にした理由は、前日に水素爆発が起こったからです。泡をくったと思います。しかし、3週間も屋内退避を解除できないとは普通は考えられない。屋内退避のあとは避難です。ただ、1号から4号機まで問題が次々と起きて戦場と化しました。その証拠が官邸のあわてた対応でした。混乱の中では迅速に情報が開示できず、説明責任を国内外に対しうまく果たせなかったと思います。鎌田:僕は、官邸はドジだなあと思った。山下先生だったら、世界にメッセージを出せるわけじゃないですか、日本がやっていることを。山下:いや、逆だと思いますよ。僕は、福島の現場に入らなかったら、こんなことは言えなかった。官邸にいれば、下から上がってくる情報だけで判断しますから。原子力安全委員会は情報不足だったと思います。非常時に平常時のマニュアルどおりにしようとするから、こうなっちゃう。まずは現場を見て、現場で判断して、的確な情報発信をすることです。遅ればせながら国もそういう放射線リスク管理アドバイザーをつくったり、外部からの原子力災害医療専門家チームをつくったりしています。 ◆3週間以上も屋内退避、理由がわからない◆鎌田:僕が南相馬に入った以前から、屋内退避、そのあと自主避難要請ということになるわけですけども、決定が非常に曖昧です。あれは短期間の処置ですよね。長期間やるのなら、人と物をしっかり外から入れるということが大事。そのことを官邸はやれなかったなあと思って。山下:まさにそうです。屋内退避させたら、退避した人たちを支援しなくちゃいけない。それは24時間です、ふつうは。24時間たったら避難か安全宣言するのが原則です。それをいずれもしなかった。理由があるんでしょうね。よくわかりませんが。チェルノブイリのあの土壌汚染のマップを見てわかるように、汚染は風向きでまだらに飛ぶから同心円では広がらない。あくまでも行政区分です。僕はずっと30キロ外でも必要に応じて避難させんとだめだということを言ってるんです。そういう話をちらっとしたら、4月5日、飯舘村の菅野典雄村長は、「わしはがんばる」とはっきり言いました。村を再生して、世界の放射線安全宣言のモデルになると言っています。感銘しました。政府は6日、妊婦さんと3歳までの子どもたちは外に出して、経済的保障をすると言ってきました。現場の声が届いたと思います。しかし、村の苦難は続きます。鎌田:マスコミにあんまり大きく取り上げられませんでしたが、あれは大ヒットです。低線量被ばくについては、意見がいろいろ分かれていて、まあその質問を先生には一回電話でしつこく聞きましたが、たとえば100ミリシーベルトの被ばくを受けると、0・5%ぐらいがんになる率が高くなるという研究論文も出てます。山下:いま議論していることは、少ない量を1年間飲み続けたり、食べ続けたり、そこに住むと、自然界の数倍、あるいは10ミリシーベルトを超える。だからいまは障害は起こらないけども、将来はわからないという表現をしているわけです。僕はそれにあえて「大丈夫だ」と言うわけですよ。理由は、1回、100ミリシーベルト浴びると、細胞に傷が100個できます。1ミリシーベルト受けると細胞の傷が1個できます。1個の傷は体はすぐ治します。100個の傷はときどきエラーが起こる。遺伝子は傷がついても治るんだということが大前提です。チェルノブイリでも、一般住民の低線量被ばくが問題ですが、唯一起きた病気は、子どもの甲状腺がんです。世界中で、内部被ばくのデータがあるのはチェルノブイリだけです。だからチェルノブイリの経験が福島に生かされるんです。日本政府はすぐに、汚染やそのときの吸入を防ぐだけでなく、口から入る食物連鎖をストップさせたわけです。暫定基準をつくって。このやり方は、チェルノブイリの教訓が生かされたと思います。鎌田:じゃあ、食べることに関して、つまり内部被ばくを防ぐことに関しては、かなり慎重に神経質になってもいいということですか。山下:日本人そのものが食の安全に対してセンシティブです。ハエがたかっても食べないでしょう。そういう文化に育ってますから、日本人はパニックにこそなれ、放射能汚染物質を食べ続けることはないですよ。鎌田:1ミリシーベルトと100ミリシーベルトでは、100ミリシーベルトはもしかしたら何か起きるかもしれないというのを、先生も認めていて、1ミリシーベルトだったら、先生は、まず問題がないと思われるんですね。 ◆福島に日本の英知結集、被ばく対策の拠点作り◆山下:僕の「大丈夫」という話を聞くと、山下に騙されると言う人がよくいます。放射線自体が大丈夫というわけでは、ありません(笑)。でも、結局、誰かが現状の安全や安心を正しく言い続け、放射線を理解させないといけない。そうしなければ、大事な単位をわかろうとしなくなる。いまは天気図みたいに、ニュースで地区ごとに1時間あたり0・5マイクロシーベルトとか出てくるんです。正しく怖がるために、その安全域を示すのがわれわれの責任です。花粉症や紫外線の数値のようなものです。鎌田:僕は哲学がだいじじゃないかなと思っています。哲学がこの国になくなったから、こういうことが起きてしまった。自己批判してるんですけども、チェルノブイリに僕は20年通って、原発の持っている危険をわかっていながら、日本のいま置かれている状況や若者の雇用を増やすために、原発はやっぱりしょうがないかなあとかって思ってしまった。これ以上原発を増やさせなければいいと考えていた。この国に漂っている空気に負けた自分に問題があったんじゃないかと考えたりします。いまは中長期という言葉の具体的な期間についてを住民はいちばん知りたいと思いますが。山下:放射性降下物の影響から考えると何年も続かないでしょうね。広島・長崎の原爆のことを思い出してもらえればいいと思います。あのあと、草木も生えないと言われた。でも、3カ月目からもうすぐにみんな戻ってきて、復興しました。そのひとつの理由は、日本は恵みの雨の国なんですよ。放射性降下物は、だいたい雨に洗い流されます。セシウム137は30年の半減期だから、けっこう土壌に残るんですが、じゃあ30年かというと、おそらくその半分、あるいはもっと短いと思いますよ。日本のハイテクはすごい。土壌の改善とか改良技術を最大限に生かすと思います。問題は、長期の健康影響です。いまの子どもたちががん年齢になったとき、本当にこの被ばくの影響がないのか。私は福島に日本の英知を結集してそういう拠点をつくるべきだと主張しています。鎌田:放射性降下物の量で比べると、僕は日本もチェルノブイリの50分の1ぐらいの被害を受けてるんじゃないかなあと思ってるんですけど、違いますか。山下:私はチェルノブイリの100分の1ぐらいと聞いています。それは、かなりの量が出たということです。鎌田:僕は南相馬の後に、少し時間を置いて石巻、女川などに入りました。石巻とか、女川では3週間たってもお風呂に入ってない人たちがかなりいます。阪神大震災とか中越地震のときは、まあ10日目ぐらいには多くの人は1回はお風呂に入ってました。医師の立場から言うと、お風呂に入ると、感染症対策にもなるし、精神的なダメージを克服できる。それがずいぶん遅れてると思いました。東北の人のがんばりはすごい。立派なもんだと思う。だから、その人たちがくじけない間に、物も人もカネも、僕たちがしっかり投入するということがだいじで、投入することによって新しい日本が生まれてくるはずです。     *やました・しゅんいち 1952年、長崎県生まれ。長崎大学大学院の医歯薬学総合研究科長。91年からチェルノブイリ原発事故後の国際医療協力を主導。2005年から2年間、世界保健機関(WHO)ジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めた    *かまた・みのる 1948年、東京都生まれ。諏訪中央病院名誉院長。91年に日本チェルノブイリ連帯基金を設立し、ベラルーシに18年間で医師団を91回派遣し、約14億円の医薬品を支援してきた。著書に『がんばらない』『あきらめない』『なげださない』など。ホームページhttp://www.kamataminoru.com 週刊朝日 

原告Aさんの意見陳述 「管理区域」は人が生活できる場所ですか? 原発事故賠償訴訟名古屋地裁で結審 2019年3月12日名古屋地裁

 2019年3月12日、原発事故賠償訴訟が名古屋地裁で結審されました。同日の口頭弁論で2人の方の原告意見陳述がありました。うち、Aさんの意見陳述全文を紹介します。 「管理区域」は人が生活できる場所ですか?  原告 A 2019年3月12日  「『管理区域』は、放射線のレベルが法令に定められた値を超えるおそれのある場所で、放射線業務従事者以外の者が立ち入らないような措置の講じられた場所である。 ① 外部放射線に係る線量については、3月間につき1.3ミリシーベルトを超え、 ② 空気中の放射性同位元素の濃度については、3月間の平均濃度が空気中濃度限度の1/10を超え、 ③ 放射性同位元素によって汚染される物の放射性同位元素の濃度が、表面密度限度の1/10を超える おそれのある場所をいう」  即ち管理区域は ① 空間線量で言えば年間5.2mSv ② 空気中の放射性物質の濃度は1/100万Bq/cm3 ③ 表面汚染密度で言えば4Bq/cm2  これはご存知のように放射線障害防止法で規定の規則です。  冒頭の部分には放射線業務従事者以外の者がみだりに立ち入るべきでないのが管理区域であると謳っています。  私たち一般公衆もこれまで、この概念で放射線から守られてきたはずです。  放射線業務従事者は自らの職業選択等の自由判断によって管理区域に入ります。  しかも彼らはそこでの労働の対価として利益を得ることが出来ます。  しかし、私たち一般公衆については、それらの利益も無ければ放射線業務従事者のように線量計を帯同する、全面マスクをする、作業時間を管理する等の放射線防護措置を取る事も出来ません。  24時間365日、身体の内外から被曝させられ続ける現状が目の前にあります。  18歳に満たない者は放射線業務従事者になる事が出来ません。  原発等の管理区域では飲食禁止ではないですか?  8年という時間が過ぎても、私たちの住んでいたところは管理区域と同等以上の環境のままです。  国が管理区域と同等以上の環境下に18歳未満の子供たちを放置する事は法令、規則違反になると言えませんか?  憲法には国は国民を守る義務と責任があると明記していますが、被災し困窮している国民の現状を知らぬふりをし続ける事は、私たちに保障されている様々な権利を剥奪しているものではないでしょうか?  一般公衆被曝限度の年間1mSvも無視し、20mSvというとんでもない環境下で住めるなどというのは、人としての尊厳をあまりにも軽視しているものといえます。  だからこそ私たちは被災者として避難を選択し、避難し続けているのだと言えます。  国が決めた区域区分は被災者の為に決められた境界ではありません。  放射性物質は県を越えない、町を越えない、道路を越えない。そんなおかしな行政的都合で、考え方で切り捨てられ苦しめられているのが避難者であり被災者であると言えます。  今、帰還できない環境作りが各地で進められています。  爆発により放出された放射性物質で国土が汚染されたからといって、フレコンバックに詰め、集約されたはずの汚染土壌を再び開封して園芸用作物の土壌材として使う。高速道路の拡張工事の基盤材として汚染土壌を使う、トリチュウム汚染水の海洋投棄等々。  帰還を勧めながらも汚染物質の拡散ばかりを推し進め、住めない環境ばかりを産み続けている事実を直視して下さい。  線量が下がったからといって帰還を促している福島県や、この裁判の本人尋問の中でも被告の国や東京電力が、空間線量が下がった根拠として取り上げて来た、各所のモニタリングポストの測定値は、単にその一地点のみでの観測結果でしかありません。  測定値は必ずしも原告らが暮らしていた個々の場所での測定値ではないことは留意されるべきでだと思います。  また、私たちは空間線量が低下した事だけで、避難の権利が否定されるべきではない証拠として、避難元の土壌を採取し分析依頼し、その結果を裁判所に提出しています。  その分析結果は先程の管理区域の基準値をはるかに凌駕する地点が多数存在することを示しています。  あるいはこの事実は、福島県で子供たちに甲状腺がんが増えている事の証左になるのかもしれません。  予防原則という立ち位置こそ、このような事故に対しては認められるべきだと思います。  帰りたくても帰れない。その状況を産んだのは国であり、東京電力であります。  国と東京電力は、事故原因を作った責任を認め、完全なる損害賠償を果すべき義務があります。  一つの企業の、一つの国の論理ではなく、人を人として認める社会倫理こそが、求められ問われているのがこの裁判だと思います。  そしてまたこの裁判は、日本という国が誰の為の国家であるのかについても世界中が注目している裁判であることを忘れないで頂きたいと思います。 2019年3月13日 中日新聞 27面

広島原爆「黒い雨」裁判  次回は2019年5月29日(水)11:00広島地方裁判所

 広島原爆の「黒い雨」は、宇田氏が調査した範囲(宇田雨域、と呼ばれます)を遥かに超えて、爆心地から北北西約45km、東西36kmに渡って降りました(増田善信,1989年,※)。こうした広範囲に生活していた住民は、黒い雨、あるいは白い雨を浴び、また、放射能で汚染された川や井戸の水を飲み、放射能の雨で汚染された野菜を食べました。これは原爆が産み出した放射能を皮膚から呼吸や水・食べ物から取り入れた内部被ばくです。「被爆者援護法」では、3号被爆者(※)に当たります。  原爆攻撃を受けたときに、0歳から20歳だった住民は原爆攻撃から74年。74歳~94歳になっています。実に4割が、原爆症認定の対象となっている11疾患の、さまざまながん、疾病(※)にかかっています。  しかし、現在、広島市と国(厚生労働省)は、広島原爆の黒い雨大雨地域(宇田雨域の大雨地域)のみを健康診断特別地域に指定しています(上図一番右の網掛けで囲まれた地域,豪雨とある)。「黒い雨」を浴びながらも国の指定した地域にいなかった88名の被爆者は、狭い宇田雨域だけではなく「黒い雨」の降った、爆心地から北北西約45km、東西36kmで雨を浴びた者すべてを被爆者として認定し、健康管理手当(※)の支給を広島市と国、厚生労働省を相手に求めています。これが「黒い雨」裁判です。  広島地裁での裁判の傍聴に参加してください。また、広島原爆「黒い雨」裁判を支援する会に参加してください。 「黒い雨」訴訟を支援する会 【次回裁判期日】2019年5月29日(水)11:00開廷 広島地方裁判所(市電 縮景園前 下車、徒歩5分) 「黒い雨」被爆者健康手帳交付請求事件 黒い雨訴訟支援募金 郵便振替 01330ー3ー91477 原爆「黒い雨」訴訟を支援する会どうぞよろしくお願いします。 ※ 3号被爆者とは 西日本新聞 word box 2009年3月26日 より  被爆者援護法第1条3号で定める被爆者。直接被爆者(1号)や原爆投下後2週間以内に広島、長崎に入市した人(2号)以外で「投下の際、またはその後に身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」を指す。被爆者の救護や搬送に携わったり、放射性降下物「黒い雨」を浴びたりしたケースなどがある。2008年3月現在で約2万5000人おり、1、2号や胎内被爆者(4号)とともに被爆者健康手帳が交付されている。 ※ 被爆者の健康管理手当の対象となる11種類の疾患とは 解説:健康管理手当の対象となる11種類の障害と支給期限 東友会(東京都原爆被害者協議会) ※ 被爆者の健康管理手当とは 東友会ホームページより 健康管理手当 毎月34,430円 指定された病気にかかって医師の管理下にある人  健康管理手当は、被爆者の9割が受けている手当です。この手当の条件は、被爆者健康手帳を受けている人が、指定された11の障害をともなう病気にかかっていて、治療や経過観察を受けていることだけです。被爆の状況や、被爆した距離は、この手当の条件ではありません。  病気の原因が明らかに原爆以外にある場合(遺伝・生まれつき・伝染病・中毒・事故・天災など)は、受給できません。医療特別手当、原爆小頭症手当、特別手当、保健手当と一緒には受給できません。  健康管理手当を受けている人のほとんどの更新手続きが撤廃され、終身支給になりました。しかし、申請病名や診断書の書き方によっては、更新が必要になります。健康管理手当をいつまで受けられるかは、「健康管理手当証書」に記入されていますので、確認してみましょう。  終身支給になっている病名で治療を受けている場合は、終身支給に変更できます。変更の申請は、その人の健康管理手当の更新申請のときとされています。  健康管理手当の更新手続きが必要な人には、期限の2カ月くらい前に、東京都から本人に通知書と更新用の申請用紙が郵送されます。このとき、指定された病気が治っている人、指定された病気にかかっていても治療を続けていない人は、手当を継続できない場合があります。 ※ 広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか 増田善信 1989年2月 より  図2(上図の一番左)は全体の雨域を示したものである。ただし、爆心地付近は概略図である。この図で実線は今回の調査によって決定した「小雨域」と「大雨域」で、点線は宇田らが決定した「小雨域」と「大雨域」である。今回の調査によって、少しでも雨が降った地域は爆心から北北西約45キロメートルの広島県と島根県の県境近くまで及び、東西方向の最大幅は36キロメートルにまで達していた。その面積は約1,250平方キロメートルで、宇田らの雨域の約4倍に相当する。またその形は宇田らの雨域のような単純な長卵型ではなく、やや複雑な形をしている。特に大雨域は、宇田らの小雨域と匹敵する位の広がりをもっていたことが推定された。ただし、この調査でも小雨域の周辺部の資料の数は極めて少ないので、今後の調査によって変更される可能性がある。  今回の調査でいま一つ明らかになったのは、今まで雨がなかったと考えられていた爆心の南側でも弱い雨があったことである。すなわちこの図の海田市や仁保のほか、この図に入らない、呉、江田島向側部落、倉橋島袋内部落でも弱い雨が降ったことが報告されている。倉橋島袋は爆心から南南東約30キロメートル離れている。 広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか 増田善信 1989年2月 ※ 「黒い雨 内部被曝の告発」 広島県「黒い雨原爆被害者の会連絡協議会 2012年7月30日 600円  「黒い雨」を浴び、または、汚染された川・井戸の水を飲み、川遊びをして、のちに健康を害した、58人の証言が載っています。増田善信氏、矢ヶ崎克馬氏、沢田昭二氏の論文も掲載されています。

いのちはたからもの 3/16 野呂美加さん&川根眞也先生のトーク 2019年3月16日(土)14時 大阪府高槻

[ 2019年3月16日; 2:00 PM to 5:00 PM. ] 「いのちはたからもの 3/16 野呂美加さん&川根眞也先生のトーク   〜3.11から8年、私たちの進む道は?〜」 八年目の三月。。。私達の願いとは逆方向に進んでいる日本の今を、複雑な思いで迎え ておられる方も多いかと思います。 どんなに思わぬ方向に進んでいるとしても、次の世代のことを思えば、あきらめきれる ものではありません。 「チェルノブイリへのかけはし」代表として、長年ベラルーシの子ども達の夏休み保養 に取り組まれ、2011年からは日本の子ども達・お母さんたちのために活動しつつけてく ださっている野呂美加さんと、内部被ばくを考える市民研究会 http://www.radiationexposuresociety.com/の代表として、活動してこられた川根眞也先生のお二人に 日本の今をどう考 えるか、何をしたらいいのか、お話いただきます。 その後、お二人のトークと会場からの質問にもお答えいただきながら、私たちがこれ から何をするべきか、深めていければと願って企画しました。 <会場> クロスパル高槻(総合市民交流センター)視聴覚室(五階) 大阪府高槻市紺屋町1-2 JR高槻駅すぐ 阪急高槻市駅 徒歩10分(JR高槻駅と阪急高槻市駅は別の駅で徒歩10分くらいかかります)会場地図 ↓ https://www.its-mo.com/detail/DIDX_DKE-8288097/access/ <日時> 2019年3月16日(土)                  13時30分 開場       14時開会        避難者の思い        野呂美加さんのお話         川根先生のお話        お二人のトークと会場からの質問に答えて       17時閉会(予定) <参加費> 一般1500円 会員1000円 高校生以下無料 <保育> 預かりの保育はありませんが、保育マットと、別に保育室はあります。    お子さん連れでも周りの迷惑などは気にせずにおいてください。 ※ 終了後、別会場で避難者対象の相談会&夕食会を行います。お話し会申し込みの際に「避難者対象の相談会&夕食会参加希望」とお書き 下さい。人数を限らせていただきます。お断わりすることがありますのでその旨ご了承下さい。 <申し込み先> inochitakara@gmail.com お名前と連絡先を書いて、お申込みくださ い。 <主催> 内部被ばくを考える市民研究会・関西 <共催>ドーン避難者ピアサポートの会 ◇万一、急な変更があるときは、内部被ばくを考える市民研究会のHPでお知らせしますの で、お出かけ前にご確認ください。

大熊町、避難指示一部解除へ 4月にも、立地自治体で初 2019年2月20日朝日新聞

[解説]これは、緩慢な殺人ではないでしょうか?「放射能は健康にただちに影響はありません」。いずれ心筋梗塞、脳梗塞、発ガンのリスクが高まります。しかし、その前に、足腰などの関節に痛みが出ます。高齢者にとり、関節の痛みは拷問ではないでしょうか?   大熊町、避難指示一部解除へ 4月にも、立地自治体で初 2019年2月20日   朝日新聞  東京電力福島第一原発が立地し、原発事故で全町避難が続く福島県大熊町で、避難指示の一部が2019年4月にも解除される見通しとなった。町は2019年2月19日の町議会全員協議会で放射線量の低下など解除の条件が整いつつあると報告。今後、住民の意見を聴きながら、国と解除日程の協議に入る。事故から8年で、初めて第一原発立地自治体の避難指示が解除される。  解除の対象は町の西側にある大川原地区と中屋敷地区。町面積の約4割を占め、町民の約4%、140世帯374人(1月末時点)が住民登録している。  両地区では昨年2018年4月から帰還に向けた準備宿泊が始まっており、7日時点で20世帯46人が生活している。大川原地区には特例として東電の社員寮が建設され、廃炉作業にあたる社員ら約700人が暮らす。  2019年2月19日の協議会では「線量は十分低減化している」とする町除染検証委員会の検討結果が報告され、3月にも住民説明会を開き、国と解除日程の協議に入ることが確認された。渡辺利綱町長は「納得できるような形で町民に説明していきたい」と話した。町は大川原地区で新庁舎を建設中で、庁舎が開所する4月に合わせた避難指示解除を念頭に置いている。同地区で帰還住民約1千人、町外からの住民約2千人が居住する計画を描く。  また、帰還困難区域の一部、JR大野駅を含む中心部を特定復興再生拠点として集中的に除染し、町民らの居住地とする事業が進んでいる。拠点は22年春までの避難指示解除を目指す。  ただ、町内には廃炉作業が続く第一原発のほか、除染で出た汚染土を保管する中間貯蔵施設がある。町などが昨年実施した住民意向調査(速報版)では「戻りたい」が約1割、「戻らない」が約6割だった。  大熊町は原発事故で全住民約1万1500人が県内外に避難。町は約100キロ離れた同県会津若松市に仮庁舎を設け、業務を続けてきた。第一原発が立地する双葉町は20年春ごろに町内の一部、22年春ごろに特定復興再生拠点で避難指示の解除を目指している。(三浦英之、石塚大樹) 大熊町、避難指示一部解除へ 4月にも、立地自治体で初  2019年3月9日  福島 NEWS WEB   福島第一原発の立地自治体としては初めて、来月2019年4月、一部の地域で避難指示が解除される見通しの大熊町は、9日から住民説明会を開き、住民からは解除後も避難を続ける住民を含め引き続き、生活への支援を求める意見が出されました。  大熊町は、今も全域に避難指示が出されていますが、来月、町の南西部の大川原地区と中屋敷地区で立地自治体としては初めて避難指示が解除される見通しです。  これに向けて大熊町は2019年3月9日から住民への説明会を開き、避難先になっている会津若松市の仮庁舎に住民およそ20人が集まりました。説明会では、町や国の担当者がことし6月には、大川原地区にコンビニエンスストアや電化製品を扱う店がオープンするなど生活環境の整備が進んでいることを説明しました。  そのうえで、予定通り2つの地区の避難指示を解除する方針を伝えましたが、具体的な日にちについては住民からの意見を聞いたうえで今後、国と検討するとして示されませんでした。このあとの質疑応答では、住民から「無人になった住宅がいのししに荒らされているので対策をとってほしい」とか「解除後も避難を続ける住民を含め生活支援を継続してほしい」といった意見が出されました。   住民説明会は10日にかけて、郡山市といわき市でも開かれます。  9日、会津若松市で行われた住民説明会のあと、大川原地区に自宅がある60代の男性は「震災から8年となるなか、ようやく解除の日が近づいてきたと実感しています。わたしは家族の介護などがあり、まだ帰ることができませんが、もう少し病院などの生活環境が整ったら、いつかは帰りたいです」と話していました。  また、帰還困難区域にあり、避難指示が続く下野上地区の70代の男性は「いままでと同じ説明で何も進歩が感じられない。解除されるからといって、生活支援のサポートが保証できなければ戻ることはできない」と話していました。

3・11から8年 100ミリシーベルトを神話にするな 東京新聞社説 2019年3月9日朝刊5面

3・11から8年 100ミリシーベルトを神話にするな 2019年3月9日  東京新聞  社説  朝刊5面     福島第一原発事故を招いたのは、安全神話に依存した結果だった。今また、一〇〇ミリシーベルトという新たな神話が原子力ムラを徘徊(はいかい)しているようだ。  原発事故の影響についてよくいわれる言葉がある。  「一〇〇ミリシーベルト以上被ばくした住民はいない。一〇〇ミリシーベルト未満なら放射線の影響は考えにくい」  だが、その説明が揺らいでいる。  1号機が爆発した二〇一一年三月十二日午後三時半すぎ。福島県双葉町で十一歳の少女が友だちと屋外で遊んでいた。放射線医学総合研究所が少女の被ばく線量を一〇〇ミリシーベルト程度と推計していた。本紙が今年一月に報じた。 ◆避難開始は早く  旧ソ連のチェルノブイリ事故では未成年者の甲状腺がんが多発した。原因は主に放射性ヨウ素131だが、半減期が八日と短い。国が行った調査は一一年三月下旬で、対象は三十キロ圏外にいた十五歳以下の千八十人。避難が遅れた人の存在は無視された。旧ソ連はチェルノブイリ原発事故で数十万人を調べたという。  実測だけではない。被ばく線量の推定も難しかった。東大や国立環境研究所などの研究チームが福島県などに設置された浮遊粒子状物質(SPM)計に使われていたテープ濾紙(ろし)を百一カ所から集め、精緻な方法でヨウ素131の挙動を調べることに成功し、発表した。  研究では同県内全市町村と、十八通りの避難ルートについて、一歳児の被ばく線量を推定した。呼吸だけで、食事や飲料水による摂取は含まれていない。爆発が起きた十二日に双葉町の屋外にいて、同日夜、避難を始めたケースは、最大八六ミリシーベルトだった。避難開始時間や避難ルートによって被ばく線量は変わるが、少女や友だちが大量被ばくした可能性は高い。  双葉町は国や東京電力からの情報がなく、避難が遅れた。井戸川克隆町長(当時)は町民の避難を進めている最中に爆発が起きたと本紙に語っていた。一〇〇ミリシーベルト以上の被ばくをした住民がいるかもしれない、と考えるべきである。 ◆少量でもリスク  健康への影響はどうだろうか。  米国立がん研究所は一昨年、小児甲状腺がんに関しては被ばく線量が一〇〇ミリシーベルト以下でもリスクがある、という論文を出した。五〇ミリシーベルトの被ばくでは、被ばくしていない人に比べるとリスクが一・五倍になる。  医療被ばくは近年、世界的な関心事である。被ばくのマイナスより早期発見など、医療上のプラスの方が大きいとして制限は設けられていない。  厚生労働省は一昨年、「医療放射線の適正管理に関する検討会」を設置した。海外の研究を基に(1)被ばくの影響は年齢によって多少、差があるが、相対的リスクは二十歳未満が高い(2)皮膚がん、乳がん、脳腫瘍、甲状腺がんは影響が強い-という。  医療機器による被ばく量は結構、大きい。コンピューター断層撮影(CT)検査は一回で一〇ミリシーベルト程度被ばくする。低線量でもがんになるリスクがあることを前提に議論している。  原子力規制委員会は昨年十月、原発事故後一週間の被ばく線量の目安を決めた。自治体が作る住民の避難計画に生かすためだが、その数値は一〇〇ミリシーベルトだった。  更田豊志委員長は記者会見で「福島の事故で多くの人命が損なわれたのは、十分に計画されていなかった避難を強行した」からとして「高齢な方であれば、無理な移動の方が数百ミリシーベルトの被ばくより危険です」と語っている。  たとえ高齢者や入院患者には避難よりも屋内退避の方が良くてもスタッフはどうなのか。病院を支えるのは医師、看護師だけではない。福島では派遣会社がスタッフの派遣をやめ、調理や清掃に苦労した病院もあった。  東大などの研究では、事故後、原発立地自治体の大熊町や双葉町に滞在し続ければ、最大一〇〇〇ミリシーベルトを超える被ばくをしていた。屋内退避で防ぐのは難しい。今回の目安は、規制委と医学界との間には認識のズレがあるのではないか、と疑わざるをえない。 ◆適正管理はない  厚労省が検討しているのは、適正管理。つまり、メリット、良いこととデメリット、悪いことの比較だ。  立地自治体や周辺自治体の住民にとって、再稼働後、事故で被ばくするリスクに見合うメリットはあるのだろうか。メリットがなければ、受容できる被ばく量などはないはずだ。一〇〇ミリシーベルトの目安は、原子力ムラにとって都合がよいだけではないか。そうなら、原発が人と共存できないことを端的に示しているのだろう。

赤旗が暴いた役員報酬43億円! 「清水建設」下請け除染会社 週刊新潮 2019年3月8日

赤旗が暴いた役員報酬43億円! 「清水建設」下請け除染会社 週刊新潮   2018年3月8日号   掲載 除染事業は儲かる?(写真はイメージ)  福島第一原発の事故から7年経つ今でも、故郷に戻れず心身ともに苦難を強いられている人々は少なくない。その一方で、“被災地”福島県内には我が世の春を謳歌している企業があるという。 〈除染食い物 癒着で巨利〉。しんぶん赤旗(日曜版)に、こんなタイトルの記事が掲載されたのは2月18日のことだった。記事は、大手ゼネコンの清水建設が“独占受注”する福島県大熊町の除染事業で、一次下請けの企業がボロ儲けしているという内容だ。中堅ゼネコンの社員によれば、 「その下請け企業は、福島県いわき市内にある相双(そうそう)リテックです。東日本大震災後の2012年に設立され、除染事業を請け負っている。従業員数180人ほどの下請け企業ながら、設立3年で売り上げが100億円規模に拡大しています」  除染費用は福島県や県内の市町村だけでなく、国も負担している。所管庁は環境省。一般競争入札を経て業者を選定しているが、落札業者はほぼゼネコンで地元企業は“下請け”として除染作業に参加している。  除染作業は必要だ。当初、環境省は除染完了までの費用を約2兆5000億円と見込んでいた。しかし、一昨年の段階で3兆7600億円に上り、最終的には5兆円以上必要との試算さえある。  相双リテックは除染作業を担う多くの企業の1つに過ぎないが、経済誌の建設業界担当記者が指摘するには、 「あの会社の決算は、普通では考えられない内容なのです。売上高の半分以上が利益で、その75%以上に当たる43億円を7人の役員に報酬として支払っている。17年3月期決算で、トヨタ自動車の役員報酬が総額16億8400万円でしたから、それを大きく上回ります」 パーティー券100万円  この相双リテックは、無名に近い会社だが、これまで何度か話題になった過去がある。  本誌(「週刊新潮」)は昨年3月23日号でヤクルトスワローズの真中満監督(当時)が、総額1000万円を下らないフランク ミュラーとロレックスの腕時計を“タニマチ”の除染業者から受け取ったと報じた。その“タニマチ”こそが、相双リテックの会長なのだ。  また、昨年末に清水建設の執行役員が“下請け企業”の社員を使って、実家の雪下ろしをさせていたと報じられたが、この下請け企業も相双リテックだった。 「実は、永田町でも相双リテックの社名が話題になったことがありました」  こう囁くのは、自民党のベテラン秘書だ。 「震災から2年後の13年5月13日、安倍総理の“出身派閥”清和会が東京プリンスホテルで政治資金パーティーを開きました。その時、相双リテックが大量のパーティー券を買ったので話題になったのです」  確かに、清和会の政治資金収支報告書平成25年分には、相双リテックがパーティー券を100万円分購入したことが記されている。  通常では考え難い程の利益を上げ、巨額の役員報酬を得て、タニマチを気取り、清和会のパーティー券を買う。これは普通の除染業者ができることではないとも思えるが。発注元である環境省に聞くと、 「民間企業の売上高や利益などについては、コメントを差し控えさせていただきます」(除染チーム)  また、元請けの清水建設は、 「個々の取引先の業績についてはコメントを差し控えさせていただきますが、今後、同社への発注は取り止める所存です」(コーポレート・コミュニケーション部)  相双リテックからの回答はなかったが、彼らの“春”は長く続きそうもない。

「原発延命」断食で反対 中嶌さん、工事中止求め 福井新聞 2019年3月1日

「原発延命」断食で反対 中嶌さん、工事中止求め   福井新聞  2019年3月1日 40年超運転に向けた対策工事の中止などを求め断食すると発表する中嶌氏=25日、県庁  原発反対県民会議の中嶌哲演代表委員(77)=写真=は2月26日、原則40年の運転を延長し再稼働を目指す関西電力高浜原発1、2号機と美浜原発3号機の安全対策工事の中止などを求め断食を始めた。27、28日は上京し国会議員らに訴えた。  県庁で25日に会見した中嶌氏は「延命工事は安全面、経営面でもリスク。原発の恩恵を受けている関西地域などでアピールしたい」と強調した。対策工事中止のほか、立憲民主、共産、自由、社民の野党4党が2018年に衆院に共同提出した「原発ゼロ基本法案」の審議開始を求めるとしている。  3月4日には、大阪市の関電本店に申し入れる予定。中嶌氏は「工期が延長されたこのタイミングで声を上げたい。断食終了は未定」とした。(牧野将寛)    

福井県内原発3基 40年超運転、年内断念 関電工程見直し 最大9カ月遅れ 福井新聞 2019年2月5日

県内原発3基 40年超運転、年内断念 関電工程見直し 最大9カ月遅れ 福井新聞  2019年2月5日  朝刊1面関西電力は2019年2月4日、原則40年の運転を延長し再稼働を目指す高浜原発1、2号機と美浜原発3号機の安全対策工事の工程を見直し、2019年内の再稼働を断念した。当初の工程より約6~9カ月延長する。2017年1月に高浜原発で起きた大型クレーン倒壊事故で約3カ月工事を中断したことや、工事が並行し、必要な資機材を置くスペースなどを再調整したため。同日、関電の森中郁雄・原子力事業本部長代理が県庁を訪れ、清水英男安全環境部長に報告した。(牧野将寛)  高浜1、2号機は2016年6月、美浜3号機は同年11月に原子力規制委員会が40年超運転を認可した。見直しでは、工事完了時期を高浜1号機は今年8月から2020年5月、高浜2号機は2020年3月から21年1月、美浜3号機は2020年1月から同年7月に変更する。 高浜原発では、工事の進行に伴い、スペースの確保や輸送ルートなどの見直しが必要になった。美浜原発では、使用済み燃料プールの耐震補強で地盤をより深く掘削する必要があることなどが判明した。 森中本部長代理は清水部長に、安全対策工事の実施状況について説明した。森中本部長代理は「当社としては今後も引き続き安全の確保を最優先に、緊張感を持って地元に軸足を置いた原子力運営に取り組んでいく」と理解を求めた。 これに対し、清水部長は「この工事は関電の責任と判断で進められていると認識している」と指摘。安全対策工事を行っている同じ敷地内で高浜は3、4号機が運転中で、美浜は1、2号機の廃炉措置を行っている。「対策工事に伴う協力会社の労災もいくつか発生している。地元の安全安心のためには、協力会社の社員を含め、原発の敷地内で土木工事を施工しているんだという再度しっかり認識してほしい」とくぎを刺した。  関電は2019年2月中に、原子炉設置変更許可の工事工程変更を原子力規制委員会に申請するとしている。  40年超運転を目指す原発1基が再稼働すれば関電の収益が月約45億円改善する。3基の再稼働が最大9カ月遅れることで計約1080億円分が失われる計算になる。 敷地限られ工事集中 再稼働難しさ浮き彫り 関電40年超運転年内断念 福井新聞  2019年2月5日  朝刊2面 安全対策工事が進む高浜1、2号機。工期の遅れで年内の再稼働は見送りとなった=2019年1月29日、高浜町音海(小柳慶祥撮影) 安全対策工事の遅れについて清水英男県安全環境部長(左)に説明する関西電力の森中郁雄原子力事業本部長代理=2019年2月4日、県庁 見直した主な安全対策工事の工程  40年超運転を目指す関西電力高浜原発1、2号機と美浜原発3号機は、限られた敷地の中で大規模な安全対策工事をいくつも実施せざるを得ない状況が再稼働の遅れを招いた。東京電力福島第1原発事故後、新規制基準の要求通りに原発を再稼働させる難しさが改めて浮き彫りになった形だ。(坂下享、牧野将寛)  高浜1、2号機の遅れは、建屋の裏手と山の斜面の間にある限られたスペースで大規模工事が輻輳(ふくそう)したのが主な原因。コンクリート製ドーム屋根を原子炉格納容器上部に設置するためのクレーンが配置されているほか、水や油のタンク類設置、取り換え工事が集中している。全てを一気に行うことができないという。  「実施する工事を途中で入れ替える形で工程を組んでいるが、作業が進むに従って小さな遅れが交通渋滞のように積み重なった」(関電担当者)。“交通整理”の結果、半年もの遅れが出ることが分かったという。2017年1月の大型クレーン倒壊事故で工事が一時中断した約3カ月分を加え、計約9カ月の遅れとなる。  一方、美浜3号機は使用済み燃料プールの補強と高台の崩壊対策で実施している掘削工事が遅れにつながった。十分な強度を持った岩盤が予想以上に深かったことや、掘削方法をより安全なものに切り替えたことが原因とした。これらの工事エリアは後に取り換える炉内構造物の搬入ルートと重なっており、ルート変更もできない。並行して工事ができないことが結果的に約半年の遅れを生んだ。  3基の工事では労災が複数発生している。2018年10月には、福井県が滋賀県と協定を結んだドクターヘリを初出動させるに至った。県幹部との面談後、森中郁雄原子力事業本部長代理は記者団に、「工事の輻輳などで工程を検討してきたが、遅れることになった。われわれが一番大事だと考えているのは、工程を優先することではない」と、見通しの甘さや労災との因果関係を否定。作業員の安全確保を最優先にしたものであることを繰り返し強調した。  一方、40年超運転を目指し先陣を切るのは高浜1号機。工事完了は2020年5月で、同6月の再稼働を目指す。使用済み燃料の中間貯蔵施設の県外立地について、関電は「20年を年頭にできるだけ早く確定」と県と約束しており、重要案件の時期が重なることになる。これについては、「時期が重なったのはたまたま。両方、全力で取り組んでいく」と述べるにとどめた。

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