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東京第一原発の現状

1号機建屋カバー6枚全部撤去。2015年10月5日。風に舞い散る放射能は?

 作業日程から目を離して数日経つと知らないうちに、原発の危険な作業が行われてしまいます。2015年10月5日、東京電力福島第一原子力発電所の1号機の建屋カバー6枚のうち、最後の1枚、北1屋根パネルが撤去されました。これで1号機の屋上のがれき全部が4年半ぶりに空気にさらされることになりました。 【出典】1号機原子炉建屋カバー解体作業 東京電力 東京電力>廃炉プロジェクト>実施作業と計画>燃料取り出し>原子炉建屋カバー解体    上記の2つの資料によれば、2015年10月5日の最後の建屋カバーの作業は午前7時7分に始まり、13時50分に終わったことになっています。特にラスト1枚となった、北1屋根パネルの撤去そのものは7時7分から7時40分までの間に行われたことが分かります。  1号機の屋上が全面的に解放され、放射性物質は飛散しなかったのでしょうか?  この1号機建屋カバー撤去は、2014年10月22日に開始されましたが、飛散防止剤を注入、散布するクレーンが突風で揺れ、カバーを破いた際に作業を一時中断しています。その際、楢葉町上繁岡地区集会所モニタリング・ポストでの空間線量率は一時的に下がっています。作業時には一貫して目的意識的に放射性物質を建屋外に放出している、と考えられます。 参考:『1号機建屋カバーの撤去作業開始ー使用済み核燃料プール内の核燃料を取りだすため』  双葉郡の各地に設置されたモニタリングポストでは異常は感知されませんでした。というより、異常値が削除された可能性があります。双葉町の上羽鳥モニタリングポストの1時間ごとのデータでは、2015年10月5日の11時から14時までのデータが飛んでいるのです。  上記は川根が原子力規制員会のデータからグラフ化したものです。ここで2015年10月5日の11時から14時までのデータが飛んでいて、確認できません。1週間分なので2015年10月11日の10時までなら、みなさんご自身で確認できます。原子力規制員会>放射線モニタリング情報>全国及び福島県の空間線量率測定結果Top>福島:双葉>双葉町モニタリングポスト>上羽鳥>時系列データ>一週間分 から見ることができます。 原子力規制員会>放射線モニタリング情報>全国及び福島県の空間線量率測定結果Top>  この上羽鳥はかつて2011年3月12日の1号機の爆発の直前に4600マイクロシーベルト/時を観測していたモニタリングポストです。福島県がこの上羽鳥モニタリングポストの1年と6か月隠し持っていたデータを公表しましたが、当初は1590マイクロシーベルト/時と言っていました。しかし、原発事故3年後の2014年3月11日になって、実は20秒間データも存在し、上羽鳥モニタリングポストの最高値は4600マイクロシーベルト/時だったとNHKが公表した、あのモニタリングポストです(最後にそのNHKニュース、福島民報の記事を掲載)。  この双葉町上羽鳥のモニタリングポストの数値は10月5日に向けて、一貫して上昇しているように読み取れます。データが欠損している、10月5日11時~14時にあったかもしれないピークを隠したようにも見えます。  また、大熊町夫沢のモニタリングポストのグラフが以下です。大熊町夫沢はセシウム137の土地汚染で、夫沢字北台 494万ベクレル/m2、夫沢字東台 326.8万ベクレル/m2、夫沢字長者原 238.9万ベクレル/m2と、チェルノブイリでの即時退去基準480万ベクレル/m2の放射能に汚染された地域です。 参考:『大熊町の土壌汚染はチェルノブイリを超えている 』  こちらも10月5日に向けて、一貫して線量率が上昇している傾向が読み取れます。ただし、10月1日~10月2日かけての奇妙な線量の急減少が見られます。これは10月2日未明の土砂降りの影響でしょうかもしれません。  以前より、原発の廃炉作業による放射性物質の飛散があるのか、ないのかを確かめるために、注目してきた、楢葉町上繁岡地区集会所のモニタリングポストはもう、まともに機能していないように見えます。2015年9月29日5時~10月6日4時の楢葉町上繁岡地区集会所のモニタリングポストの空間線量率の変化は以下の通りです。一見して機械的な、予定調和的なグラフであると読めます。  この楢葉町上繁岡地区集会所のモニタリングポストは今年の4月はこのように数値が変化していました。明らかに違う傾向であると断じざるを得ません。  2014年5月28日21時~6月4日20時の楢葉町上繁岡地区集会所のモニタリングポストでも以下のようです。今回のグラフが以下に奇妙かがわかります。  今回の1号機建屋カバーの撤去作業で、ある程度の放射性物質が飛散したのではないでしょうか。原子力規制委員会は2015年10月5日11時~14時までの空間線量率のデータを隠すことなく、公表すべきです。事実は事実として市民に明らかにして、廃炉作業を進めるべきである、と考えます。 原発事故 克明な放射線量データ判明 2014年3月11日19時32分NHK NEWS WEB  東京電力福島第一原子力発電所の敷地の外にある観測点で、事故直後の詳細な放射線量のデータが記録され、震災発生の翌日、1号機が水素爆発する1時間以上前から、数値が急上昇する様子を克明にとらえていたことが分かりました。 3年がたって初めて明らかになったデータで、専門家は「放射性物質放出の真相を検証するうえで、非常に重要だ」と話しています。 放射線量の詳細なデータが記録されていたのは、福島第一原発の周辺に設置された福島県が管理するモニタリングポストです。 その14か所で、事故後数日の20秒ごとの放射線量の値が記録されていたことが、NHKの取材で分かりました。 このうち、福島第一原発の北西5.6キロにある双葉町上羽鳥のモニタリングポストでは、震災発生の翌日(3月12日)の午後2時10分以降、放射線量が急上昇していました。 午後2時40分40秒には、1時間当たり4.6ミリシーベルト(=4600マイクロシーベルト/時 編者注)と、午後3時36分に起きた1号機の水素爆発のおよそ1時間前にこの日の最大の値を記録しました。  データの推移から、最大値を記録した前後およそ20分で、積算の被ばく線量が一般人の年間の被ばく限度の1ミリシーベルトに達するとみられます。 放射性物質の拡散に詳しい日本原子力研究開発機構の茅野政道部門長は、WSPEEDIと呼ばれるコンピューターシミュレーションで、今回のデータと当時の風向きなどを分析しました。 その結果、午後2時ごろから1号機で行われたベントと呼ばれる緊急の作業が影響したとみています。ベントは、格納容器が壊れないよう高まった圧力を下げるため、放射性物質を含む気体を放出します。途中、水の中に通すことで、放射性セシウムなどの放出量を1000分の1程度に抑えるとされていましたが、今回のデータから、それほどの効果は得られず、かなりの量が出たとみられます。 茅野部門長は、「放射性物質の放出の真相を検証するうえで、非常に重要なデータだ。ベントでどういうことが起きるかや、どれくらいの効果があるかを検証しなければならない。多くの研究者が3年たった今も事故の解析をしているので、思わぬところで新たな発見がある可能性もあり、できるだけ多くのデータが欲しい」と話しています。   【埋もれたデータはほかにも?】 福島県によりますと、事故直後の詳しい放射線量のデータは電源が失われるまで自動観測が行われたモニタリングポストのメモリーに記録されていました。 公開するには、データを変換し、時系列が分かるように取りまとめる必要があります。 しかし、事故のあとは停電で、各地の放射線量は職員が回って計測しなければならず、集めた毎日のデータを住民に提供するのが精一杯だったということです。 このため、メモリーに記録された事故直後のデータまで手が回らず、これまでは1時間ごとの値をおととし9月に公表するにとどまっていました。 事故後の混乱で埋もれたデータはほかにもあると考えられ、十分な検証のためにも、早急な掘り起こしが必要です。 【「放出量はチェルノブイリ原発事故の17%余」】 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、原発から外部に放出された放射性物質の量について、東京電力は、チェルノブイリ原発事故の17%余りで、大半は閉じ込め機能を失った格納容器から直接放出されたと分析しています。 東京電力は、コンピューターによる解析や原発の周辺で計測された放射線量のデータなどから、震災発生の翌日の3月12日から3月末までに放出された放射性物質の量を試算し、おととし5月に公表しました。 それによりますと、ヨウ素131とセシウム137の放出は合わせて90京ベクレルで、チェルノブイリ原発事故の520京ベクレルの17%余りとなっています。 「京」は1兆の1万倍です。 当時の原子力安全委員会が公表した57京ベクレル、当時の原子力安全・保安院が公表した77京ベクレルより多くなっています。 放出量の推移と事故の経過から、どのように放出されたかを分析したところ、建屋の水素爆発に伴う放出は合わせて0.5京ベクレル、ベントに伴う放出は0.1京ベクレルで、大半は閉じ込め機能を失った格納容器から直接放出されたとみています。 1号機から3号機の格納容器はメルトダウンによって内部の温度や圧力が高まり、継ぎ目や配管の貫通部などが壊れたとみられています。 各号機ごとでは、2号機と3号機がそれぞれ全体の4割、1号機が残りの2割で、4号機からの放出はなかったとしています。 時系列では、3月16日午前10時からの3時間に3号機から18京ベクレルと、最も多くの放射性物質が放出され、3月15日には冷却やベントの対応が遅れ、メルトダウンが進んだとみられる2号機から同じく18京ベクレルが放出されたとしています。 平成23年4月以降は放出量は大幅に少なくなり、先月の放射性セシウムの放出量は、1時間当たり1000万ベクレルと発表しています。 海に放出された放射性物質の量については、海水中の濃度などからデータのある平成23年3月下旬から半年間で15京ベクレルと推定しています。 爆発前から放射能漏れ? 双葉の上羽鳥毎時1590マイクロシーベルト            2012年9月22日 11:33 福島民報  東京電力福島第一原発事故で1号機が水素爆発を起こす直前の昨年3月12日午後3時に、福島県双葉町上羽鳥で空間放射線量が毎時1590マイクロシーベルトだったことが20日、分かった。福島県によると、原発敷地外では過去最大値。当時、現地にはまだ住民が残っていた可能性もあり、福島県は福島医大などと連携し健康への影響などを調べる参考にする。 福島県が2012年9月20日、東日本大震災が発生した2011年3月11日から31日までの間に東京電力福島第一原発、第二原発周辺のモニタリングポストなどで測定した結果を公表した。 双葉町上羽鳥は第一原発から北西に5.6キロの地点。毎時1590マイクロシーベルトは一般人の被ばく線量限度である年間1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を超える数値。上羽鳥のモニタリングポストは停電で14日正午で計測が途絶えた。この期間の平均値は毎時58.5マイクロシーベルトだった。 政府は2011年3月12日午前に第一、第二原発から半径10キロ圏の避難指示を出した。

1号機建屋カバー撤去開始

屋根部分を試験撤去 第一原発1号機建屋カバー 2014年11月1日 10:54 福島民報  東京電力は2014年10月31日、福島第一原発1号機の原子炉建屋カバー解体に向け、カバー内部に散布した放射性物質の飛散防止剤の効果を確認するため、屋根部分のパネル6枚のうち1枚を試験的に取り外した。放射性物質の飛散がないことが確認できれば、外したパネルを戻し、来年3月に本格的なカバー解体を始める。  屋根は幅約7メートル、長さ約42メートルのパネルを6枚並べた構造。このうち、1枚をクレーンで取り外すと、がれきの散乱する建屋上部が、カバー設置から約3年ぶりに姿をのぞかせた。東電は2014年11月7日にさらに1枚取り外す。内部にカメラを入れ、2014年12月初旬までに建屋内部のがれきや放射線の状況を調べる。  東電によると、取り外し後、敷地境界付近の放射線量に変化はないという。  建屋カバーの解体は使用済み核燃料プールから燃料を取り出すための準備作業。解体後に建屋上部のがれきを撤去し、燃料取り出し用のクレーンを設置する。プールからの燃料取り出しは早ければ平成31年度前半の見通し。 パネルの取り外しは当初10月30日を予定していたが、10月28日に飛散防止剤を散布する機器が強風で揺れて建屋カバーが破れるトラブルが発生、作業がずれ込んだ。1号機建屋カバーは放射性物質の飛散を防ぐための応急処置として2011年10月に設置された。 <川根コメント>  「東電によると、取り外し後、敷地境界付近の放射線量に変化はない」という東電発表を新聞各紙を垂れ流しています。下記資料で、この「敷地境界付近の放射線量」の有意な変動とは何か、調べてみました。 1号機原子炉建屋カバー解体作業http://www.tepco.co.jp/decommision/planaction/removal-reactor-j.html  上記資料によれば、「敷地境界のモニタリングポストでの有意な変動」とは、+2マイクロシーベルト/時以上の変動、とあります。   果たして、11月1日、午前7時18分、6枚ある原子炉建屋カバー屋根パネル(南3,北3)のうちの1枚(南3)を外した影響によって、放射性物質の拡散はないのでしょうか?  東京第一原発の南南西約13kmにある、楢葉町上繁岡地区集会所での空間線量率の推移です。   10月29日、30日は朝8時に放射線量率が上がり、夕方17時に向かって下がっていきます。これは原発で作業しながら、建屋内の放射性物質を放出しているからだと考えられます。  10月28日午前8時23分、突風(瞬間風速18m/s)が吹き、飛散防止剤を注入していた先端ノズルが揺れて、カバーを約1m×約2m破く事故が起きました。  そのため、一時作業をこの日の中断し、翌日10月29日から作業を再開しました。  楢葉町上繁岡地区集会所の空間線量は、10月28日の11時すぎにはすとーんと下がり、その後上昇することはありませんでした。また、10月29日朝8時から空間線量率が8時~17時にかけて上昇しています。これは作業再開とぴったり一致します。作業で放射性物質が拡散していることは否定できません。  11月1日は雨が降っていたために、放射性物質の飛散状況はわかりませんでした。問題はこれから晴れて、大気中の放射性物資の状況が反映されるようになると、実態がわかる可能性があります。11月7日に、2枚目のパネルが取り外されます。    

4号機使用済み核燃料プール 健全ではない燃料はあるのか?

 4号機使用済み核燃料プールの核燃料集合体は、2011年3月11日原発事故発生当時1535体(新燃料204体、使用済み燃料1331体)ありました。試験的に2012年7月18日、19日に新燃料2体(未照射体)を取り出し、1533体に。  この時にたった2体の燃料集合体取り出しの作業にあたった原発労働者が被ばくした線量は最大0.62ミリシーベルト。一般人の年間被ばく許容線量(がまん値)の6割をたった3時間の作業で浴びてしまいました。 東京電力「4号機使用済燃料プール内新燃料(未照射燃料)の健全性調査新燃料の取り出し状況について(平成24年7月18、19日実施)」2013年7月30日 pp.2  原発で使用されている燃料は、天然ウランに0.7%しか含まれていないウラン235 を2~3%に遠心分離機等で濃縮したものです。これを直径1.24cmのタブレット状のセラミックに焼き固めたものをペレットと言います。ジルコニウムという金属の被覆管で覆われた、長さ4mの燃料棒には、このペレットが約300~500 個入っています。この燃料棒が集まって、燃料集合体を作っています。4号機の燃料集合体は、「高燃焼度8×8型」と呼ばれるもので、1つの燃料集合体に60本の核燃料棒が入っています。 日本原子力技術協会 福島第一原子力発電所の基本仕様(設置許可申請書本文より)  ですから、事故当時、4号機の使用済み核燃料プールにあっとされる1535体とは、核燃料棒の数ではなく、この燃料集合体の数です。  つまり、核燃料棒としては1535×60=92100本存在したことになります。  また、本当にすべての燃料集合体が、使用済核燃料プールに存在したのかは疑わしいです。何体かの新燃料集合体が4号機の原子炉に入っていたのではないか、指摘する学者もいます。  2013年11月18日から1533体の燃料集合体の取り出しを開始していますが、2014年10月19日東京電力の発表によれば、使用済み燃料集合体1320体(当初は1331体あった)、新燃料集合体22体(当初は202体あった)を取り出して、供用プールに移したとのことです。 東京電力「燃料取り出し 4号機」2014年10月19日  しかし、問題なのは、まだ使用済み核燃料プールに残っている使用済み燃料集合体の中に、破損燃料(変形燃料と彼らは言う)1体、漏えい燃料2体があることです。新燃料ですら3時間の作業で、0.62ミリシーベルト被ばくするのに、これら、破損燃料、漏えい燃料を取り出すのに、原発労働者は何ミリシーベルト被ばくしなくてはいけないのでしょうか? 2013年11月16日 付け河北新報は、「損傷した核燃料を取り出す技術はない、 福島第1原発1号機 燃料震災前破損70体、全体の4分の1 」と報じています。              また、4号機使用済み(SFP)核燃料を地面に落下させてしまった場合、 ヨウ素131や希ガスが放出されることを東京電力は認めています。    東北・関東では、万が一の原子力災害時の防災対策を立て、住民に周知徹底すべきです。2011年3月14日夜19:20pmの時点では、2号機はメルトダウンして、爆発するのは時間の問題であることを、吉田昌朗所長、東京電力、政府原子力安全保安院、自衛隊は知っていました。(以下、参照pp.10)しかし、政府は国民に何の屋内退避の指示すら出さず、福島県副知事 内堀雅雄氏は県民への安定ヨウ素剤の服用指示も出しませんでした。同じことを繰り返してはなりません。 池田 元久 元経済産業副大臣 20120209 事故対応全般について聴取者 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会事務局 齊藤修啓 pp.10参照  

海に流出するトリチウム、ストロンチウム90ー原子炉の冷却水がだだ漏れ

 東京電力は2014年1月30日、東京電力福島第一原子力発電所1号機が格納容器下部の水漏れ個所から、最小0.89m3/時~最大3.35m3/時漏れている、と発表しました。また、この日の発表で、「今回調査で確認された流水箇所の合計では炉注水量(4.4m3/h)に満たないことから、外れていないサンドクッションドレン管を含め、他からも流水があることが想定される」と発表しています。 東京電力 福島第一原子力発電所1号機ベント管下部周辺- 流水箇所の流量評価について- 20140130  東京電力が国際原子力機関(IAEA)に報告したレポート ChpterⅢ Efforts to bring the accident under stable control には、すでに、原子炉圧力容器、格納容器から冷却水が漏れ、それをタービン建屋に溜め、その汚染水を浄化して、また、冷却水として使う計画が書かれています。  ChapterⅢ Efforts to bring the accident under stable control  つまり、原子炉建屋に流入していると言われ続けてきた「地下水」の正体とは単に、原子炉圧力容器や格納容器がぼろぼろに壊れていて、核燃料デブリを冷やすために1日400トンもの水が上から注がれているものが汚染水となって、床にそして、タービン建屋に溜っているものではないでしょうか。  2014年1月30日、東京電力は1号機から3号機の原子炉圧力容器および格納容器への注水量を発表しています。  東京電力 福島第一原子力発電所の状況 平成26年1月30日  1m3の水の質量は1トンです。  1号機には2.0 m3/時+2.5m3/時=4.5m3/時、つまり1時間あたり4.5トンの水が注水されています。同様に、2号機には2.3 m3/時+2.0m3/時=4.3m3/時、つまり1時間あたり4.3トンの水が注水されています。  3号機は2014年1年14日から、炉心スプレイ系の流量をそれまで3.5m3/時入れていましたが、これを上の表のように0.0m3/時にしています。これは3号機原子炉建屋内での障害物の撤去作業を無人重機で行うため、と東京電力は説明しています。3号機には0.0 m3/時+5.4m3/時=5.4m3/時、つまり1時間あたり5.4トンの水が注水されています。  この1号機4.5トン/時、2号機4.3トン/時、3号機4.3トン/時、合計 14.2トン/時。1日は24時間ですから、24倍して、1日340.8トン。  2014年1月14日までは3号機の炉心スプレイ系に3.5m3/時入れていたのですから、その時までは合計 17.7トン/時。24倍して、1日424.8トンです。  この1日424.8トンという数字は、「1日の地下水の流入量400トン」と奇妙に一致します。  東京電力は2013年8月23日、福島第1原発の1~4号機建屋周囲を通って海に流れる地下水の総量について、従来の日量約600トンから同約400トンに修正しました。同日開かれた経済産業省の汚染水処理対策委員会に報告しています。これは単に、地下水の量が変わったのではなく、この1~3号機への炉心スプレイ系と給水系への合計の注入量が1時間あたり25トン/時から17.7トン/時に3分の2に減少させたからではないでしょうか?  この核燃料デブリを冷やすために注入された汚染水が「地下水」と呼ばれ、それが1日400トン海に流出している、のではないでしょうか?大量のトリチウム、ストロンチウム90などのベータ線核種をこの汚染水は含んでいます。  原発事故はまったく収束していません。宮城県沖から千葉県一体沖までの魚類のトリチウム濃度、ストロンチウム90の濃度を徹底的に測定し、市民に公表すべきです。                      

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