2019年3月12日、原発事故賠償訴訟が名古屋地裁で結審されました。同日の口頭弁論で2人の方の原告意見陳述がありました。うち、Aさんの意見陳述全文を紹介します。

「管理区域」は人が生活できる場所ですか? 

原告 A 2019年3月12日

 「『管理区域』は、放射線のレベルが法令に定められた値を超えるおそれのある場所で、放射線業務従事者以外の者が立ち入らないような措置の講じられた場所である。

① 外部放射線に係る線量については、3月間につき1.3ミリシーベルトを超え、

② 空気中の放射性同位元素の濃度については、3月間の平均濃度が空気中濃度限度の1/10を超え、

③ 放射性同位元素によって汚染される物の放射性同位元素の濃度が、表面密度限度の1/10を超える

おそれのある場所をいう」

 即ち管理区域は

① 空間線量で言えば年間5.2mSv

② 空気中の放射性物質の濃度は1/100万Bq/cm3

③ 表面汚染密度で言えば4Bq/cm2

 これはご存知のように放射線障害防止法で規定の規則です。

 冒頭の部分には放射線業務従事者以外の者がみだりに立ち入るべきでないのが管理区域であると謳っています。

 私たち一般公衆もこれまで、この概念で放射線から守られてきたはずです。

 放射線業務従事者は自らの職業選択等の自由判断によって管理区域に入ります。

 しかも彼らはそこでの労働の対価として利益を得ることが出来ます。

 しかし、私たち一般公衆については、それらの利益も無ければ放射線業務従事者のように線量計を帯同する、全面マスクをする、作業時間を管理する等の放射線防護措置を取る事も出来ません。

 24時間365日、身体の内外から被曝させられ続ける現状が目の前にあります。

 18歳に満たない者は放射線業務従事者になる事が出来ません。

 原発等の管理区域では飲食禁止ではないですか?

 8年という時間が過ぎても、私たちの住んでいたところは管理区域と同等以上の環境のままです。

 国が管理区域と同等以上の環境下に18歳未満の子供たちを放置する事は法令、規則違反になると言えませんか?

 憲法には国は国民を守る義務と責任があると明記していますが、被災し困窮している国民の現状を知らぬふりをし続ける事は、私たちに保障されている様々な権利を剥奪しているものではないでしょうか?

 一般公衆被曝限度の年間1mSvも無視し、20mSvというとんでもない環境下で住めるなどというのは、人としての尊厳をあまりにも軽視しているものといえます。

 だからこそ私たちは被災者として避難を選択し、避難し続けているのだと言えます。

 国が決めた区域区分は被災者の為に決められた境界ではありません。

 放射性物質は県を越えない、町を越えない、道路を越えない。そんなおかしな行政的都合で、考え方で切り捨てられ苦しめられているのが避難者であり被災者であると言えます。

 今、帰還できない環境作りが各地で進められています。

 爆発により放出された放射性物質で国土が汚染されたからといって、フレコンバックに詰め、集約されたはずの汚染土壌を再び開封して園芸用作物の土壌材として使う。高速道路の拡張工事の基盤材として汚染土壌を使う、トリチュウム汚染水の海洋投棄等々。

 帰還を勧めながらも汚染物質の拡散ばかりを推し進め、住めない環境ばかりを産み続けている事実を直視して下さい。

 線量が下がったからといって帰還を促している福島県や、この裁判の本人尋問の中でも被告の国や東京電力が、空間線量が下がった根拠として取り上げて来た、各所のモニタリングポストの測定値は、単にその一地点のみでの観測結果でしかありません。

 測定値は必ずしも原告らが暮らしていた個々の場所での測定値ではないことは留意されるべきでだと思います。

 また、私たちは空間線量が低下した事だけで、避難の権利が否定されるべきではない証拠として、避難元の土壌を採取し分析依頼し、その結果を裁判所に提出しています。

 その分析結果は先程の管理区域の基準値をはるかに凌駕する地点が多数存在することを示しています。

 あるいはこの事実は、福島県で子供たちに甲状腺がんが増えている事の証左になるのかもしれません。

 予防原則という立ち位置こそ、このような事故に対しては認められるべきだと思います。

 帰りたくても帰れない。その状況を産んだのは国であり、東京電力であります。

 国と東京電力は、事故原因を作った責任を認め、完全なる損害賠償を果すべき義務があります。

 一つの企業の、一つの国の論理ではなく、人を人として認める社会倫理こそが、求められ問われているのがこの裁判だと思います。

 そしてまたこの裁判は、日本という国が誰の為の国家であるのかについても世界中が注目している裁判であることを忘れないで頂きたいと思います。

2019年3月13日 中日新聞 27面