広島、長崎の被爆者に放射線の遺伝的影響は果たしてなかったのか?ABCCー予防衛生研究所の犯罪を追及する(1)

[第1稿] 2019年9月11日記

<はじめに>

 日本の放射線生物学では、「広島・長崎の長期に渡る疫学調査の結果、放射線の遺伝的影響はなかった」ことになっています。多くの場合、その対象となった被爆者の人数が「妊娠登録を行った被爆者15,410例、同じく妊娠登録を行った非被爆者55,870例、計71,280例」の他に比類を見ない疫学調査の結果である、とされます。

 果たして、「放射線によりショウジョウバエには遺伝的影響が出るが、人間には出ない。少なくとも広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない。」は正しいのでしょうか。

 アメリカは1945年8月6日広島市に、8月9日に長崎市に原爆攻撃をしました。笹本征男『米軍占領下の原爆調査~原爆加害国になった日本~』新刊社,1995年をよれば広島、長崎の原爆攻撃をうけた直後から大本営調査団、陸海空軍、政府、大学の調査団が結成され、広島、長崎の調査に入っています。しかし、この調査団の目的は、原子爆弾の破壊的影響ー物的、人的、社会的影響ーの調査であり、被ばく者援護を目的としていませんでした。来るべき核戦争時代に次は勝利するための、作戦研究に役立てるためでした。

 1945年8月15日に天皇の「終戦の詔勅」、8月21日にマッカーサー連合国最高司令官から降伏文書の受領、8月28日連合国軍先遣隊が厚木空港に到着、翌日8月29日には日本陸軍軍医学校を中心とする東京帝国大学医学部、理化学研究所の合同調査団が東京を出発、広島に向かっています。同日8月29日に広島衛生課の要請により、東京帝国大学伝染病研究所調査班が広島に到着、8月30日厚生省と九州総監府の委嘱による九州帝国大学医学部調査団が長崎に到着しています。この日、8月30日にマッカーサー連合国最高司令官が厚木に到着しています。

 すなわち、敗戦後の日本側の広島、長崎の原爆被害調査(被爆者救護のためではなく)は、アメリカ占領軍の本土進駐に合わせて準備、実行されたものでした。

 さらに1946年11月18日、アメリカ海軍長官ジェームス・フォレスタルが、アメリカ大統領トルーマンに、「原子爆弾傷害の後遺症を継続調査」するように進言。11月26日、アメリカ大統領トルーマンは、この進言を採択して、ABCC(原子爆弾傷害調査委員会)の設置を指令しました。しかし、この時点ですでに、ABCCは活動を開始していました。11月25日の時点でABCC予備調査団が東京に到着、東京大学、都築正男教授に面会をしています。この時点で、都築正男は、学術研究会議の原爆調査研究予算に30,000円(現在の円に換算すると12億円)が割り当てられたと説明しています。敗戦直後の日本で12億円もの国家予算が原爆調査研究のために、予防衛生研究所に使われたのです。それも、被ばく者の治療のための調査・研究が目的ではなく、原子爆弾の破壊的影響ー物的・人的・社会的影響ーの解明のために。これはまさに、日本が原爆被害国ではなく、アメリカとともに原爆加害国になった瞬間である、と笹本征男氏は同書で指摘しています。

 日本政府は、アメリカのABCC(原子爆弾傷害調査委員会)とともに、予防衛生研究所を設立して、広島、長崎の原爆の破壊的影響を調査・研究しました。

 以下が1949年5月から1951年9月までのABCC(原子爆弾傷害調査委員会)の年度別の人数表です。同書pp.207~209

年度 1949年5月 1949年10月 1950年2月 1950年5月 1951年9月

連合国人   50     80     105      117      143

日本人    150      400     600      687      920

1951年9月に至っては、1063人のABCC(原子爆弾影響研究所…予防衛生研究所支所)のうち、実に92%は日本人職員であり、この給料は日本政府の厚生省が負担していたのです。

 また、国立予防衛生研究所は1947年に設立されましたが、その予算のうちの「原子爆弾影響費」は年々増えていき、1947年度~1951年度のたった5年間で3035万円、現在の円価格にして12億円もの費用を支出していました。これは、将来の核戦争に備えるための調査・研究費だった、ととらえることができます。同書pp.206

 国立予防衛生研究所 年度別歳出予算(円) 【出典】国立予防衛生研究所 1951年5周年記念特集 pp.202-203

年度  予防衛生研究所 血清其他検定費  原子爆弾調査費          計

1947    9,812,960      13,395,000              756,000     23,963,960

1948     33,602,200     14,907,000       3,833,000            52,342,200

1949     32,371,745     68,206,902            7,033,142          107,611,789

1950     27,172,000     122,784,000       8,612,000      158,568,000

1951     35,855,000     141,920,000       10,118,000      187,893,000

  計    138,813,905     361,212,902       30,352,142     530,378,949

                               (予研歳出総額

                             の17.5%)

 アメリカ軍の研究機関ABCCと一体となった予防衛生研究所の原子爆弾影響の調査の結論が、「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められなかった。」でした。果たして、本当に事実なのでしょうか?もし、これが虚偽であるとするならば、どのようにして、放射線被ばくによる遺伝的影響はなかった、という結論が導きされたのでしょうか?

 続編(2)では、予防衛生研究所の原子爆弾の影響に関する医学調査の計画書全文を掲載し、当初、被ばく者の遺伝的影響を調査するための対照群として、広島市に対しては呉市が、長崎市に対しては佐世保市が選ばれ、その4市の被爆者および非被爆者とその子どもたちを対象とする健康調査や奇形、成長・発育調査が計画されていたことを明らかにします。

 アメリカABCC(原子爆弾傷害調査委員会)は、計画の途中で、呉市と佐世保市の対照群の非被爆者とその子どもたちを調べることを放棄し、広島市や長崎市に原爆投下後に入市し居住・生活した人々およびその子どもたちを「非被爆者」とするように計画を変更します。広島市や長崎市に入市し居住・生活した人々も、原爆のまき散らした放射能に汚染された野菜を食べ、放射能に汚染された川の水を飲み、内部被ばくをしています。この原爆の放射線を直接浴び(外部被ばく)した被爆者(内部被ばくもしている)と、放射能で汚染された食べ物や水を飲んだ(内部被ばく)した市民とを比べた結果が「遺伝的影響の有意な増加は認められなかった」です。

 本来は、被爆者と非被爆者とを比べ、被爆者の子どもと非被爆者の子どもとを比べるべき調査でした。直接原爆の放射線を浴びた被爆者と、内部被ばくをしている被爆者とを比べることになりました。どちらも放射線ににより、がんを発症し、子どもたちが流産、死産したり、奇形で産まれてきています。それが被爆者と非被爆者とを比べるのではなく、被爆者と被爆者を比べているのですから「有意な増加が見られなくなる」という仕掛けです。極めて巧妙な詐欺というべき、調査研究ではないでしょうか。

 以下が、「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められなかった。」とされる研究論文ですが、誰が作成したのかをご確認下さい。1957年ABCC(原子爆弾傷害調査委員会)とはっきり書かれています。すなわち、アメリカがこれからも核兵器を保有し、世界の憲兵であることを自認するためには、原子爆弾が遺伝的影響を引き起こすことがあってはならない、のです。国際法で化学兵器(サリン、マスタードガスなど)が兵器として使用が禁じられているのは、神経毒であると同時に、遺伝的影響があるからです。核兵器に遺伝的影響があるならば、それは人道に反する罪を引き起こす武器として、国際法上禁止されなければなりません。それを避けるために、1946年当時からアメリカが日本の広島と長崎で調査・研究してきたこと。そして、敗戦直後は大本営や軍部、政府、大学が、1947年以降は厚生省と日本の学術会議が全面的に協力して行われた広島・長崎の原爆調査が、そのアメリカの落とした原爆には遺伝的影響はない、と結論を出しているのです。日米合作の原爆による遺伝的影響の否定は、この論文にすべて発しています。この英語論文の日本語訳を作成したいと考えています。

James V.Neel W.J.Schull Effect of Exposure to the Atomic Bombs on Pregnancy Termination in Hiroshima and Nagasaki ABCC 1956年