[解説]
「小児甲状腺がんにかかっても、甲状腺がんは死なないがんだから。」とか「甲状腺がんにかかっても、手術すれば大丈夫。」などという福島県立医大の医師がいるそうです。
そもそも原発事故がなかったら、子どもたちは甲状腺がんにかかりません。本来、甲状腺がんは大人がかかるもの。また、大人がこれまでかかっていた甲状腺がんは一般に進行が遅く、手術が必要がないものもありますが、「死の灰」由来の小児甲状腺がんは、転移が早く悪性です。これまでの甲状腺がんと、原発事故の甲状腺がんとを同列に扱い、「手術すれば大丈夫」だの「死なないがん」だの言うのは止めていただきたい、です。子どもたちは10代の若いうちから、ホルモンを作る甲状腺を失い、一生、がんの転移の不安におびえる生活を送ることになるのです。だいたい3~4ヵ月に1回は定期健診を受け、甲状腺がんが他の器官に転移していないか、調べると言います。
繰り返します。原発事故がなかったら、このような子どもたちの患者は出なかったはずです。以下は2013年の聞き取り、10年前に発症なの事例です。東電福島第一原発事故が原因ではありません。1999年9月30日の東海村JCO臨界事故によるヨウ素131放出の犠牲者である、可能性があります。
ちなみに、韓国では、原発の通常運転でも、甲状腺がんに罹ったとして、被害者が裁判に勝訴しています。古里原発の周囲10km圏内に20年間住んでいた住民の訴えでした。原発は通常運転中でもセシウム137、ストロンチウム90などを放出するのです。がんを引き起こす原発はすべて廃炉にすべきです。
<参考>
「『甲状腺がんは、原発のせいだ』韓国 イ・ジンソプ裁判釜山判決 2014年10月17日」
10 年前に小児甲状腺がんになった少女の闘病体験記
2013 年 聞き取りチェルノブイリへのかけはし
1.14 歳女児、疲れがひどく受診するもなかなか甲状腺がんだということに医師も気づかず、転院を繰り返す。15 歳のとき、甲状腺専門病院にて診断がつき即座に手術をすることに。
2.首には横に大きな傷が残り、思春期の女子には心にも負担が大きかった。
3.手術後は毎日投薬(詳しい名前は忘れました)。一日も飲むのを忘れることができないので負担だと言っていました。
4.定期的に甲状腺がんや転移がないか検査。
5.検査のアイソトープを使ってのため、高額でからだへの負担が大きい。
※ 甲状腺は、一度に全摘出だったが、細かいものが残っているということでしたので、アイソトープということになった。転移は肺に細かいものの疑いがありました。19 歳のとき。
6.大学病院で検査をした際は、遠いので当時病院の近くの親戚の家に滞在し、ヨード除去食を1 週間行った。
7.ヨード除去食はかなり厳しく、ダシ、魚、アクエリアスなど、海草はもちろん食べられるものの方が少ないといってよいくらい大変だった。
8.検査の結果、放射性ヨウ素カプセルを飲んで、甲状腺自体を不機能にする必要があり、それを飲み、1 週間だったと思うが大学の特別な病院に入院。
9.その病室は放射能漏れを防ぐために設備されており、看護師、医師さえ入室できない。
10.食事はまるで囚人のように小窓から渡されるそうだ。
11.その病室で使ったものは着衣、CD、DVD、ケーター本体、あらゆるものを処分される。観葉植物を差し入れたがそれももちろん。
12.本人は吐き気や頭痛がひどく、しかも隔離されているので大変苦しかったと言っている。このとき20 歳。
13.現在結婚し、別の大学病院で管理してもらっている。
14.出産も無事できたが、やはり大学病院で。今も彼女は子育てをしながら転移の心配をし、家業を休んで大学病院まで行かなければならないなど、お姑さんなどに気を遣うそうです。
小児甲状腺がんをわずらった少女の親戚のかたから、闘病について語っていただきました。
(注) 10 年前とは、2013 年時の10 年前