特集ワイド

原発列島、僕らは当事者 詩人アーサー・ビナードさん 「原爆の図」を紙芝居に 生身の人間が演じてこそ伝わる

毎日新聞 2019年5月20日 夕刊 2面

詩人のアーサー・ビナードさん=根岸基弘撮影詩人のアーサー・ビナードさん=根岸基弘撮影

 絵の中に吸い込まれ、炎に包まれるような衝撃を受けた--。米国生まれで広島市に暮らす詩人、アーサー・ビナードさん(51)は、画家の丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻による連作「原爆の図」に出合ったときのことをそう表現した。そして、原爆の図をもとに独自の物語をつむいだ紙芝居「ちっちゃい こえ」を7年かけて完成させた。伝えようとするメッセージは何なのか。ビナードさんによる紙芝居が始まった。【小国綾子、写真・根岸基弘】

 <はじめまして。ぼくの なまえは クロという>。東京都内の出版社。声のよく響く広い部屋で、ビナードさんは演じ始めた。伸びやかに、歌うように。

 絵の中で黒ネコの瞳が二つこちらを見つめている。<きみは……ニンゲンだな。ぼくの ことば わかるかい?>。私は思わずうなずきながらも、ふと考えた。原爆の図に黒ネコなんて、いたっけ?

 原爆の図は丸木夫妻が被爆後の広島などを描いた全15部の大連作。それぞれ縦1・8メートル、横7・2メートルのびょうぶ仕立てで、肌を焼かれた人々や川辺で折り重なる遺体が描かれている。

 丸木美術館(埼玉県東松山市)でビナードさんが初めてこの作品と出合ったのは約20年前。絵の前に立った瞬間、自分が絵の中に吸い込まれ、炎に包まれるような衝撃を受けた。「傍観者を当事者に変えてしまう。まるで巨大な紙芝居だ!」と。

 来日して間もなく、23歳のとき東京の図書館で日本独自の文化である「紙芝居」の存在を知った。絵が引き抜かれ場面が切り替わるたびに、ぐいぐいと引き込まれる力強さに夢中になった。

 7年前、「原爆の図は巨大な紙芝居のようだ」という感想を出版社の人に熱く語ると、「ぜひ作って」と依頼された。それが出発点だった。

 何度も丸木美術館に通った。16場面で構成する紙芝居にどの絵を選ぶか。紙芝居は通常、先に物語を考えてから、それに合わせて絵を描いて作るという。今回は逆。「まず原爆の図と向き合い、絵が語り出すことに耳を傾けるしかなかった」

 丸木夫妻の遺族の許可を得て、絵の一部を抜き出したり、大胆に反転させたり、色を変えたりもした。試しにいろんな登場人物を選び、プリントアウトしたものを厚紙に貼り付け、紙芝居の形にして、保育園や集会で演じてみた。そして観客の反応を見ては作り直した。試作した絵は1000枚を軽く超える。

 試行錯誤の末、物語の語り部に選んだのは、第9部「焼津」の中で人々の足元にちょこんと座る黒ネコ。「原爆の図には人間だけでなく、牛、馬、犬、猫などの動物も植物も等しく描かれた。それが原爆の本質。人間だけが放射性物質を浴びたわけじゃない。みな無差別に殺された」

 黒ネコは物語の中で問いかける。<ニンゲンだけだな、爆弾を つくって おとすのは。どうして だろう?>

 大学4年のとき、日本語に興味を持ち、1990年の卒業と同時に来日した。詩作の傍ら、第五福竜丸事件や原爆を題材にした絵本も作った。戦後70年の節目にはラジオ番組で戦争体験者50人の話に耳を傾けた。

 さらに東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後の2012年には「さよなら原発ヒロシマの会」を設立した。「福島の問題はヒロシマの眼鏡をかけないと見えない」と。

 インタビューの最中、ビナードさんは原爆の図の画集を開くと、丸木夫妻の書き残した文章の一節を指さした。<平和になった時、原子爆弾は原子力発電所に化けて出ました>

 「ね? 当たってるでしょ。核開発と原発は同じ流れ。原爆でも原発でもヒバクさせられる残酷さは共通していると、丸木夫妻は雄弁に簡潔に語っていたんです」

 ビナードさんが紙芝居で伝えようとした本質はそこにある。「原爆の図は原爆を直接体験していない人に体験を手渡す絵です。原爆は終わっていない。原発がこれほどあるこの国で生きる僕らは当事者なんです。それなのに、そうじゃないという錯覚の中で暮らしている」。だから紙芝居という表現法を選んだのだ。肌で感じてもらうために。「政治的なプロパガンダには賞味期限がある。教科書の知識は頭にしか残らない。でも、本質に根づいた“物語”に賞味期限はない」はずだから。

 紙芝居の脚本で、ビナードさんは原爆についてこう書いた。

 <原子爆弾は あたらしい ころしかた。じりじり じりじり あとから あとから ころされる。サイボウを こわすものが そらから ふって、つちに もぐって、からだの なかまで もぐりこむ。たすかっても つぎの日 つぎの日>

 この春、国は令和ブームに沸いた。「共同幻想に酔って楽しむのも構わないけど」と前置きしつつ、ビナードさんは苦言を呈する。「現実に何かが本当に新しくなったと思っていたら痛い目にあうよ。日本国民が『昭和』というものにどれほど踊らされて、酔って、すべてを失ったか。だから令和に酔うのはちょっと注意したほうがいいんじゃないかな」

 詩人の目には、この国は今も「昭和のまま」に映る。「今の政権は昭和の政治家の孫たちだらけで、大日本帝国憲法に戻そうとしています」

 ビナードさんは5月、できたてホヤホヤの紙芝居を広島市現代美術館や丸木美術館で演じた。試作品を含めると、これまで100回以上も演じてきた。

 「大人よりも子どもたちの方が敏感に受け止めてくれる」という。沈黙する子、「いのちってすごい」とつぶやく子、泣き出す子……。炎や骸骨など見た目に怖い場面ではなく、体内の「サイボウ」を放射性物質に壊されながら家族を必死で捜すイヌの場面で、泣く子がいたそうだ。

 「おしまい」。取材に来た私のために紙芝居を演じてくれたビナードさんが、そんな一言で物語を終えたとき、なぜだろう、自分も物語の登場人物になったような気がした。

 <きみの サイボウたちは みんな げんきかい?>。物語の中の言葉が耳の奥で響いている。

 語り部は黒ネコだが、紙芝居の主人公は「サイボウ」だった。原爆で死んだ生き物たちも、紙芝居の観客である私たちも、みんなサイボウでできている。地続きの存在なのだ。取材前に紙芝居を黙読した時にはなかった感覚。ビナードさんに演じてもらうと、こんなにも心に響くなんて。

 ビナードさんはこう言ってほほえんだ。「紙芝居は生身の人間が演じて初めて立ち上がるメディアなんです。演じる者は物語を自分の体を通して表現するし、それが伝わるから、聞き手も引き込まれるんだよね」

 それから表情を引き締め、「それこそが原爆の図の本質なので、そこを伝えられなかったら、僕にはこの絵を使わせてもらう資格がない」と言った。

 「広島、長崎、ビキニ環礁、ニューメキシコ、カザフスタン、スリーマイル島、チェルノブイリ、そして原発列島となった日本のどこでも……」。紙芝居の中の言葉に、あらためてどきりとした。<じりじり あとから ころされる>。今を生きる私たちは、傍観者ではなく当事者なのだ。


 ■人物略歴

Arthur Binard

 1967年、米ミシガン州生まれ。2001年、詩集「釣り上げては」で中原中也賞、05年に「日本語ぽこりぽこり」で講談社エッセイ賞。紙芝居「ちっちゃい こえ」(童心社)は20日発売。