日本政府、福島県、各自治体の放射線防護モデルは出所はすべて放射線医学総合研究所(千葉県千葉市)です。そして、この放射線医学総合研究所(NIRS)は悪名高きABCC(アメリカ原爆障害調査委員会)と放射線影響研究所(RERF)の流れを組む、被ばくの調査はするけれども、治療せず、の機関。ヒバクシャをモルモットのように調査・研究し、ひどい場合は発がんしてから死ぬまで、または、妊娠してから奇形児が生まれるまでを調査・研究する機関です。放射線医学総合研究所は、市民に「これくらいの放射線は安全だ」というデマを吹き込む機関であり、放射線影響研究所(RERF)は日本の原発労働者の被ばくと健康被害のデータを収集し、アメリカの渡すための機関です。

 千葉市の放射線医学総合研究所は、第五福竜丸が米水爆実験で被曝(ひばく)したビキニ事件をきっかけに1957年に設立されました。毎年1回、第五福竜丸の元乗組員の健康診断をしています。しかし、元乗組員の大石又七氏が証言しているように、放射線医学総合研究所は、元乗組員の健康データを取り続けながら、肝臓がんであることを把握し、それを本人には伝えず、がんがからだを蝕み、死んでいくようすを調査・研究していたのでした。

大石又七『ビキニ事件の真実』みすず書房 2003年7月24日 2600円 pp.95~112 より

ビキニ事件被災で東大病院、国立東京第一病院に入院)退院後から、放医研は国の予算で俺たち(第五福竜丸乗組員)の被ばく記録を取りつづけただが発病しても治療しない。入院直後は(放医研は)みんな俺たちの味方で、親身になって治療に取り組み、加害国アメリカに対しても厳しく対応してくれていたのに。放医研がこれまでに出した論文や年報の中には俺たち第五福竜丸乗組員の検査結果が報告されている。しかし、個人個人には何も教えてくれなかった。この記録を見ると、放医研は早い時期から俺たち(第五福竜丸乗組員)の肝機能障害を把握していた。また年報には書かれていないが、血液検査で染色体に異常があったことも分かっていた。染色体に異常があれば奇形児が生まれる。だが、放医研の(年報等を見ると)それらのことも基本的に被ばくと関係ないと決めつけているように見える。

亡くなった(第五福竜丸乗組員の)仲間たち

久保山愛吉 40歳 肝機能障害(急性放射能症) 1954年9月23日死亡   水爆実験遭遇から約7ヵ月後(編集者注,以下同じ)

川島正義  40歳  肝硬変 肝機能障害     1975年死亡          同    21年後

増田三次郎 54歳 肝臓がん(原発性) 肺血栓等1979年死亡          同    25年後

鈴木鎮三  50歳 肝硬変 交通事故      1982年死亡           同    28年後

増田祐一  50歳  肝硬変(脳出血)      1985年死亡            同    31年後

山本忠司  59歳 肝臓がん(多発性)肺がん・結腸がん 1987年死亡       同    33年後

鈴木隆   59歳 肝臓がん(原発性)     1989年死亡            同    35年後

高木兼重  66歳 肝臓がん(原発性)     1989年死亡            同    35年後

久保山志郎 65歳 肝臓がん(原発性)     1996年死亡            同    43年後

服部竹冶  66歳 肝臓がん(心不全)     1997年死亡            同    53年後

安藤三郎  71歳 肝臓がん(原発性)     1997年死亡            同    53年後

                大石又七『ビキニ事件の真実』pp.103~104 一部抜粋

(編集者注)この後も、2人の乗組員の方が亡くなられています。

平井勇   71歳 肝臓がん(原発性)   2003年死亡            同   59年後   

見崎吉男  90歳 肺炎          2016年死亡           同   62年後

以上、転載終わり。

 大石又七さんは、2011年の著書『矛盾』(武蔵野書房)の中で、自分を生存者として、こう記載しています。

大石又七 冷凍士 肝臓がん(原発性) 臭覚消滅・肺過誤腫・気管支炎・不整脈  生存

 大石又七さんも、他の乗組員も、毎年1回、放医研の定期健康診断を受けていました。全身の健康診断をしていました。1992年に、大石又七さんが放医研の健康診断を受けたとき、医者の顔に暗い影がさっと走ります。大石さん「先生、どうしたのですか?」と。医師「いや、少し胃に白い影が」。心配になった大石さん、他の病院へ行って、胃の精密検査を受けます。しかし、胃は何の異常もない。そこで、全身をくまなく調べてもらうと、見つかったのが肝臓がん。放医研が1992年までの検査で肝臓がんを見逃すわけがない。つまり、放医研は、第5福竜丸の乗組員のからだを毎年調べ、どんながんになって、どのように死んでいくのかを調べていたのです。

 1992年10月25日、毎日新聞大阪本社は1面トップで、第五福竜丸の乗組員の健康診断を毎年行いながら、放射線医学総合研究所が乗り組み員の肝臓がんを見つけたにもかかわず、本人に伝えていなかったことを報じました。

「(第5福竜丸の乗組員のうち)生存している15人のうち、少なくとも12人が、肝臓障害につながる危険性の高いとされる、C型肝炎ウィルスに感染していることが1992年10月10日まで、科学技術庁放射線医学総合研究所(放医研、千葉市)の『定期健康診断』で明らかになった。しかし、放医研は、この事実を具体的に告げていなかった。

(中略)

関係者によると、放医研は1991年から乗組員の採血でC型肝炎ウィルスの有無を調べ始めた。その結果、診察に訪れていない2人を除く13人中、12人について感染を確認した。しかし、放医研は感染した乗組員に対して通常の医療機関が行うウィルスの種類や特徴などを知らせていなかった。毎日新聞の調べでは、別の医療機関で初めて感染を告げられた乗組員が多く、感染者のうち7人が肝臓障害を持っていた。このうち、肝臓がんになった乗組員の1人は、別の医療機関でC型肝炎ウィルスが原因と診断された。

(中略)

一方、既に8人の乗組員が死亡しているが、被曝から約7か月後に急性放射能症で亡くなった久保山愛吉無線長(当時40歳)以外の6人が、肝臓がんや肝硬変などが死因。

(中略)

医療関係者によるとC型が確認されたのは、1988年。ウィルスによる肝臓病の75%はC型とされる。輸血感染の場合、約20年で肝硬変になり肝臓がんに進むケースも多いが、治療法は確立されつつある。

赤沼篤夫・放医研障害臨床研究部長の話『放医研の仕事は乗組員の障害がどのような状態か調べることにある。』」

 これが放医研の実態です。放医研の「放射線被ばくの早見表」などを信じて、「飛行機やCTスキャン1回分などと比べて、これくらいの放射能は安全」と思っていたら放射能に殺されます。国立がん研究センターも同じ系列の調査・研究をやっているので、その伝えようとしている内容を吟味することが必要です。こと放射線に関してはうそが多い機関です。(編集者:川根眞也)

 この放射線医学総合研究所(NIRS)は、国際放射線防護委員会(ICRP)の下部組織のような機関であり、日本独自の放射線防護理論など研究していません。また、国際放射線防護委員会(ICRP)、国連科学委員会(UNSCEAR)、国際原子力機関(IAEA)は、メンバーが多く重なっていて、その中心がアメリカ原子力委員会(NRC)や核兵器産業のコントロール下にあります。広島、長崎への原爆攻撃や、核兵器開発でのアメリカでは被ばく労働(ナホバ族を使ったウラン採掘も含む)の影響を否定し続けてきた機関です。その特徴は、広島、長崎の被爆者の放射線による健康被害を過小評価、特に内部被ばくを一切無視して外部被ばくだけで考えることにあります。「100ミリシーベルト以上被ばくしないと、がん死は有意に増えない」という結論は、敗戦後の日本の天皇制国家・軍部、占領国アメリカによる、合同の広島、長崎の被爆者調査から、意図的に導き出された結論です。

 日本政府は、いつか次こそ核戦争に勝利する軍事目的のために、原爆投下2日後には広島に調査団を派遣していました。また、アメリカを中心とする連合国占領後は、アメリカ軍と協力して、広島・長崎の被爆者調査を行いました。この時も、ビキニ事件の被爆者と同じように「調査・研究」はすれど、被爆者の治療はしない方針でした。日本は独自核武装の野望を、原爆投下を受けたあとも捨てきれなかったと推測されます。そのため、日本政府はアメリカ政府と結託して、広島、長崎の被爆者のがん死以外の健康影響や、遺伝的影響を徹底的に否定してきました。しかし、膨大な広島、長崎の被爆者の調査・研究資料は、現在はアメリカにあります。そこには放射線の遺伝的影響を示す証拠も存在する可能性があります。

 核兵器を独占し、原発を進めているアメリカや、それと結託して、アメリカの核戦略を応援し、原発にしがみついている日本政府の、放射線防護理論はそもそも信じてはならないのです。

 広島、長崎原爆投下後、いかに、日本政府は、広島、長崎の被爆者の救援と治療を行わず、アメリカ軍と結託して、被爆者の「調査・研究」を行っていたかを掘り起こした貴重な書籍は以下です。

笹本征夫「米軍占領下の原爆調査~原爆加害国になった日本~」新幹社 1995年10月5日

高橋博子「封印されたヒロシマ・ナガサキ」凱風社 2012年2月20日

 また、国際放射線防護委員会(ICRP)、国連科学委員会(UNSCEAR)、国際原子力機関(IAEA)がいかに、内部被ばくを無視し、核兵器産業と原発産業に不利にならないように、放射線防護理論を組み立ててきたのから、歴史的に振り返る名著は以下です。

中川保雄『放射線被曝の歴史 アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』明石書店 2011年