[第1稿]2018年1月2日記 資料編集・解説 川根眞也

 2017年12月25日、第29回福島県県民健康調査検討委員会は異常でした。資料一覧をご覧下さい。見出しを見ただけで、その異常さがわかります。

第29回福島県「県民健康調査」検討委員会(平成29年12月25日)の資料について

資料1 第6回学術研究目的のためのデータ提供に関する検討部会 開催報告
資料2 第8回甲状腺検査評価部会 開催報告
資料3-1 県⺠健康調査「甲状腺検査【本格検査(検査3回目)】」実施状況
資料3-2 県⺠健康調査「甲状腺検査【本格検査(平成30・31年度実施)】」実施計画(案)
資料4-1 平成29年度「こころの健康度・⽣活習慣に関する調査」実施計画
資料4-2 平成29年度「こころの健康度・⽣活習慣に関する調査」調査票等(案)について
資料4-3 平成29年度「こころの健康度・⽣活習慣に関する調査」調査票の変更点について(案)
資料4-4 県⺠健康調査「こころの健康度・⽣活習慣に関する調査」結果概要等
参考資料1 第6回学術研究目的のためのデータ提供に関する検討部会資料【抜粋】
参考資料2 第8回甲状腺検査評価部会資料【抜粋】
参考資料3 甲状腺検査結果の状況
参考資料4 ⽇本学術会議臨床医学委員会放射線防護・リスクマネジメント分科会(報告)「⼦どもの放射線被ばくの影響と今後の課題-現在の科的知⾒を福島でいかすために-」【抜粋】 

 「こころの健康度・生活習慣に関する調査」、これはかつて、チェルノブイリで放射能被ばくによる、さまざまな健康被害をすべて、「放射能恐怖症」(ラディオフォビア)として、十把一絡げにして「気にするから病気になる」とした、戦略です。

 このシリーズでこの「放射能恐怖症」はこころの問題ではなく、放射能が原因であることを示していきたいと思います。今回はその第1弾 広島原爆よりも、東電 福島第一原発事故のフォールアウトのほうが数万倍大きかった です。

 福島での「これくらいの放射線は安全」「福島食べて応援」「風評被害、みんなで払拭」のために、県民健康調査検討委員会は、「こころの健康問題」に取り組むようです。これについては、広島、長崎の「黒い雨」や、長崎の「被爆体験者」の厚生労働省の研究、とその批判が参考になります。

<第1弾>広島原爆よりも、東電 福島第一原発事故のフォールアウトのほうが数万倍大きかった

 東電 福島第一原子力発電所は、広島型原爆の168倍のセシウム137が放出された、と児玉龍彦氏が国会で報告しています。2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響」参考人説明より 児玉龍彦(東京大学アイソトープセンター長、参考人)

youtube動画 2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り – 児玉龍彦

 しかし、広島原爆の人体への影響は、そのセシウム137の土壌汚染で計られています。セシウム137だけでなく、さまざまな短寿命各種の影響も考慮されなくてはなりませんが。現状では、多くの短寿命核種が無視されています。

 さて、広島原爆の爆心地の土壌には、どれくらいのセシウム137があったのでしょうか。万の単位でしょうか?148万の単位でしょうか?

 以下が真実です。

 爆心地(広島大学理学部岩石学教室による試料) 13ベクレル/m2 (理研土壌サンプル平均) 15ベクレル/m2 

 爆心地から2km圏(理研土壌サンプル)       490ベクレル/m2

 黒い雨の壁サンプル(爆心地から3.3km)    485ベクレル/m2

つまり、原爆爆心地近くでセシウム137が13~15ベクレル/m2、黒い雨が降った地域で485~490ベクレル/m2のレベルだったのです。ここで健康被害が出ています。

【出典】これまでの黒い雨の測定結果について 静間清 広島大学大学院工学研究科

広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状 広島“黒い雨”放射能研究会 2010年5月 pp.25~35

 福島県で、これほど低い放射能汚染を探すことは難しいでしょう。東京ではゆうにこの10倍、江戸川区などのホット・スポットでは3万2000倍です。(最高24万3000ベクレル/kg、調査 NO!放射能「東京連合子どもを守る会」,2012年)東京で健康被害がでないなど、誰が言ったのでしょう。「東京で健康被害などでない」と言った、学者、医者こそがデマの大元でした。

 東京都江戸川区 都営団地コンクリート広場、広場周辺、保育園そば

 空間線量率 1.427マイクロシーベルト/時  2.045~3.161マイクロシーベルト/時  0.449マイクロシーベルト/時

                       18万8000~24万3000ベクレル/kg(セシウム134、137合計)

                                                                                                  ↓

                            1579万5000ベクレル/m2 (土壌Bq/kgの65倍)

*** 広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状 広島“黒い雨”放射能研究会 2010年5月 ***

「これまでの黒い雨の測定結果等について」 静間清 広島大学大学院工学研究科

(編集者:注)3種類の試料(爆心地、爆心地から2km、黒い雨ー爆心地から3.3km)の解説を上記資料から、編集者が抜粋・整理した。

これまでの黒い雨の測定結果について 静間清 広島大学大学院工学研究科 広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状 広島“黒い雨”放射能研究会 2010年5月 pp25~35 新しいバージョン 

<理化学研究所 仁科芳雄氏の土壌試料>

 1945年8月8日に理化学研究所の仁科芳雄氏は陸軍調査団とともに空路、広島に入った。8月9日には仁科氏の指導のもとに陸軍関係者により爆心から5km以内の28ヶ所から土壌試料が採取された。試料は使用済みの封筒などに入れられて8月10日に東京に空輸され、その日の内に理研において測定されて、銅線から放射能が検出された。これにより原爆であることが確かめられた。この他、初期調査としては8月10日に大阪調査団が入市し、携帯用箔検電器を使用して西練兵場の砂から放射能を検出した。翌11日には市内の数ヶ所から砂を採取し、己斐駅付近で放射能が高いことが確かめられた。8月10日には京都大学調査団も入市し、市内で砂を採取して11日に帰京ののち放射能を検出した。そして、9月3日、4日には山崎文男氏(理研)がローリッツェン検電器を自動車に乗せて外部放射線量の現場測定を行った。

 我々は己斐、高須付近の被爆試料を探す中で、仁科氏により集められた土壌試料を岡野真晴氏(元理研)が保管されていることを知った。これらの試料は1992年に広島市に返還された。試料の写真を図11に示し、試料の採取位置とガンマ線スペクトルの例を図12に示す。我々は低バックグラウンドガンマ線スペクトロメータを使用してセシウム137の測定を行い、爆心から5kmの範囲内のフォールアウトの分布を調べた。そして、宇田雨域および増田雨域との比較を行い、旧広島市内の降雨域は増田雨域により近いと推定されることを示すとともに、フォールアウトによる放射線量の推定を行った。また、降雨域との比較を図13に示す。

<広島大学理学部岩石学教室の調査試料>

 原爆線量の見直しが1980年頃から日米で開始された。その結果は1986年にDS86線量システムとしてまとめられた。我々が1985年頃から原爆中子線による残留放射能の測定を行っていた。その間、1987年に、広島大学理学部岩石学教室に被爆試料が保管されていることを知った。これらは倉庫のなかに14箱、別の部屋に3箱の合計17箱あった。図9に試料の一部を示す。

 これらの試料採取を行った秀氏はフィールドノートと地図を保管されていた。フィールドノートから全サンプル115 のうち、40-50 個の採取場所を確認できた。これらの試料は原爆の熱線による岩石学的調査の目的のために集められたので、爆心付近の試料が多く、己斐、高須付近の試料は含まれていなかったが、現在では存在していない爆心付近にあった広島郵便局、清病院、島病院などの建物の試料が数多く含まれていた。我々はこれらの試料についてまず、非破壊のままで、試料表面に付着しているフォールアウト成分セシウム137 の測定を行い、続いて原爆中性子誘導放射能ユーロピウム152 の測定を行った。試料の採取位置とセシウム137の662keV 付近のガンマ線スペクトルの例を図10 に示す。セシウムCs が検出されたのは爆心付近の5サンプルのみであった。

<広島市原爆資料館の「黒い雨」壁面>

 現在、原爆資料館(平和記念資料館)には黒い雨の痕跡の残る壁が2つ所蔵されている。いずれも広島市西区高須の八島秋次郎氏から寄贈されたものである。原爆による爆風で八島氏の屋根がずれ、屋根と洋間の内側の壁の間に隙間ができて、そこから黒い雨が降り込んで壁に跡が残った。雨は粘着性が高く、跡は少し厚みがあった。その跡を雑巾でも拭いたので、現在は平らになっている。昭和42年に自宅改装の際、壁の一部が切り取られて原爆資料館に寄贈された。

 その後、昭和60年にNHKにより黒い雨の特集番組が製作・報道された。その際、壁の一部が切り取られた、八島氏宅を図14に示し、この壁の写真を図15に示す。

 そして、イメージングプレートを用いてオーロラジオグラフィを行った結果、黒い雨に原因する放射線像が検出された。この壁は平成12年5月に原爆資料館に寄贈された。我々はこの壁について高須地区の黒い雨の痕跡を残していることから、1)己斐・高須地区におけるセシウム137の降下量を推定できること、2)広島原爆に由来する濃縮ウランが検出できる可能性があることの2点を研究目的として調査を行った。広島原爆は濃縮したウラン235(U-235)を使用した唯一の爆弾であった。使われたウランは約51kgであり、そのうち核分裂を起こしたのは1kg程度で残り約50gは爆弾のケース、核分裂片とともにガス化し、原子雲に含まれて飛散したと考えられている。黒い雨に原爆由来のウランが含まれていればウラン235とウラン238の原子数比が天然比(0.00726)よりも高くなることが予想される。ウランの原子数比を測定するのは誘導結合プラズマ質量分析法(IPS-MS)が最適であるので、広島の黒い雨地域の土壌の分析を試みていた藤川陽子氏(京都大学原子炉実験所)と共同研究を進めた。まず、この壁の端から6個の小片を採取することの許可を得て、耳かき一杯程度の小片(重量0.017g~0.275g)を採取した。採取位置を図16に示す。これらの試料をガンマ線検出器で測定することにより、黒い雨部分からセシウム137が検出された。

 広島におけるセシウム137の測定データのまとめを表1に示す。数値は原爆直後に半減期補正をした値である。(広島大学)理学部岩石学教室の被爆試料のうちセシウム137が測定した5サンプルから推定した爆心近くでのセシウム137の降下量は13ベクレル/m2(0.13×108Bq/km2)であった。(仁科芳雄氏が集めた)理研土壌試料のうちで、己斐に近いNo.7試料から推定したセシウム137の降下量とよく一致した。

 

<資料再掲>

<編集者:注>

 1)爆心地は13ベクレル/m2や平均15ベクレル/m2 2)爆心地から半径2kmでは490ベクレル/km 3)黒い雨(爆心地から3.3km)では485ベクレル/m2。

 つまり、爆心地よりも周辺の方がセシウム137をはじめとする放射性降下物が多かったこと。それは爆心地から半径2kmの地点と、黒い雨が降下した3.3kmの地点では、爆心付近の約35倍もの濃度になる、ということです。黒い雨を浴びた人々が、多く、脱毛や下痢、出血傾向などの急性症状が見られ、原爆ぶらぶら病のような慢性疾患や癌が多発したという体験談を語っています。

 これは、原爆爆発時の放射線や放射線によって放射能を帯びた物質による二次放射能だけではなく、爆発時に起こった火災の熱による上昇気流によって、きのこ雲ができました。このきのこ雲から降った、黒い雨、茶色い雨、無色の雨を広範囲に人々が浴びたためであること考えられます。

 東電 福島第一原発事故が放出した放射能もこうした雨によるフォールアウトが起こっており、その規模は広島原爆とは比較にならないくらいの規模であることは明らかです。それは土壌に沈着したセシウム137の量の比較からもわかります。

 放射能による健康被害は、事実として放射能を浴びたか、飲食によって放射能で汚染されたものを食べたかによって引き起こされるものです。こころの問題が第一の原因とされるべきではありません。こころの問題は、実際の健康被害からさらに2次的に引き起こされる問題です。

【参考】ORNL―TM―4017が問いかける残留放射線の人体影響 本田孝也 2012年9月

ORNL―TM―4017が問いかける残留放射線の人体影響 本田孝也 2012年9月