原子力安全委員会の資料「環境放射線モニタリング指針解説と現行指針解説の対照表」に、1975年~2005年までに、日本全国に降った放射性物質の平均値と、大人が1日食べた放射性物質濃度の平均値が掲載されています。

環境放射線モニタリング指針解説と現行指針解説の対照表 原子力安全委員会

 1975年から2005年までの、日本全国に降った放射性物質の最高値は、1986年チェルノブイリ原発事故の当年のセシウム137で10ベクレル/㎡です。ストロンチウム90については、1977年の2ベクレル/㎡から徐々に下がり、チェルノブイリ原発事故当年の1986年に一時的に0.2ベクレル/㎡に上昇しました。

 大人が1日に食べた放射性物質濃度の最高値は、大気圏内核実験禁止条約締結(1963年)から12年後の1975年で、セシウム137は大人1日0.22ベクレル、ストロンチウム90は大人1日0.09ベクレル食べていました。

 また、チェルノブイリ原発事故後の1987年にはセシウム137は大人1日0.2ベクレル、ストロンチウム90は大人1日0.1ベクレル食べていました。一度の、それも4号機1機の原発事故である、チェルブイリ原発事故後が、1975年と同等のセシウム137の摂取量となったことに注目する必要があります。

 セシウム137を1日2ベクレル食べれば、チェルノブイリ原発事故後の最大値の10倍、ストロンチウム90を1日0.4ベクレル食べれば、チェルノブイリ原発事故後の最大値の4倍食べることになります。

 チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に起きました。チェルノブイリ原発事故後7年後の1992年に日本の女性の甲状腺患者のピークが見られます。

 しかし、15-19歳の女性、20-24歳の女性の甲状腺がんの患者数はチェルノブイリ原発事故後3年後の1989年から急増しています。福島県での甲状腺がんの子どもたちの多発年齢と一致しているように思えます。

 日本政府、福島県は早急に、誠実な対応をするべきだと思います。

 チェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシの各州で、原発事故の起きた1986年から1992年までの7年間の小児甲状腺がんの発症数のグラフが以下です。汚染のひどかったゴメリ州では事故から3年後に小児甲状腺がんが早くも増加しています。

 

 こんなものを食べてはいけないにもかかわらず、朝日新聞、福島コープは福島県の住民はセシウムを「1日たった4ベクレルしか食べていない」と報道しました。

『福島の食事、1日4ベクレル 被曝、国基準の40分の1』
2012年1月19日 朝日新聞朝刊

 これは犯罪であると思います。