.11から7年。放出された放射性物質はどこに行ったのか?

放射能汚染の「その後」(前編)(後編)

 2018年9月1日 ブルーバックス 雨宮崇

2011年3月に発生した、東日本大震災とその後の福島原発事故。
それによって放出された放射性物質は、事故から7年以上が経過した今、どこに、どれだけあるのでしょうか。

日本科学未来館では、2018年3月10日に研究者を招いてシンポジウムを開きました。そこで研究者が語った内容のうち、大気や陸地、海洋に関する知見をまとめました。

シンポジウム登壇者:
中島映至(国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター)
恩田裕一(筑波大学 アイソトープ環境動態研究センター)
山田正俊(弘前大学 被ばく医療総合研究所)
信濃卓郎(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)
※本稿は登壇者のプレゼンテーションをまとめたものです

8割が海に、2割が陸に飛散した

事故によってどれほどの放射性物質が放出され、その後どこにどれくらいの量が飛散して、今はどこにあるのか。これを解明するための研究は、事故直後から続けられてきました。

多くの研究者がさまざまな観測によりデータを取るとともに、時間的にも空間的にも限られた観測データを補完するため、コンピュータ上でモデル計算を重ねて、放射性物質の動きをとらえ、原発事故と汚染状況の全貌を解明しようとしています。

原発原発から放出された放射性物質の行き先と総量

2011年3月以降、原子炉建屋の水素爆発やベント作業により、炉内にあったさまざまな放射性物質が放出されました。

半減期が約30年と長く、最も考慮すべき放射性物質の1つであるセシウム137の量でみると、事故により15〜20PBq(ペタべクレル:「ペタ」は10の15乗)が大気中に放出されたと推定されています(Aoyamaほか,2016)。

大気中に出た放射性物質は、風に乗って遠くまで運ばれ、最終的にその大部分である12~15PBq(約8割)が海上へ、3~6PBq(約2割)が陸上へ降下したと推定されています。

原子炉から海への放射性物質のおもな漏洩経路には、大気経路の他に、もうひとつ汚染水として原発から直接漏洩するものがあり、その量は3.6±0.7PBqと見積もられています。

すなわち、原子炉から海へは、15〜18PBqもの放射性セシウムが放出されたと考えられています。

これはどのような大きさなのでしょうか?

そもそも核実験由来の放射性物質があった

原発事故前にも、海洋には放射性物質が存在していました。1950~1960年代に行われた大気圏内核実験由来のものです。

核実験の放射能北太平洋の人工放射能濃度の推移
(Aoyama and Hirose, 2004, HAM database and updateのデータをもとに日本科学未来館が作成)

表面水中のセシウム137の濃度は、1960年代をピークにして徐々に低くなってきていました。

そして福島原発事故の直前には、1m³あたり1~2Bqほどで、北太平洋全体では、約69PBqが存在していたと見積もられていました(Aoyamaほか,2016)。

そこにあらたに15~18PBq追加されたので、この事故によって北太平洋のセシウム137の総量は、22~27%増加したことになります。

では原発事故後、海洋に取り込まれた放射性物質の行方について見ていきましょう。

薄まりながら広がり、東へ流れた

海水表面の放射性物質の分布を知るためには、広域における調査が必要でした。そこで研究機関の観測船以外にも、貨物船などが協力し、2011年3月から2012年12月までに、440地点で観測が行われました。

放射性物質の観測北太平洋での観測地点(Aoyamaほか,2016)

まず、表面水中のセシウム134濃度を見てみます。

事故から3ヵ月ほどの間は、日本近海で比較的高い数値が観測されました。その後、10Bq/m³の濃度が観測された地点を追うと、事故後半年後に東経165度、さらに3ヵ月後になると東経170度……というように、徐々に東に移動していることがわかりました。

 

表面水のセシウム134濃度の経年分布(実線はおおよそ10Bq/m³の部分)(Aoyamaほか,2013)表面水のセシウム134濃度の経年分布(実線はおおよそ10Bq/m³の部分)(Aoyamaほか,2013)

また、それらの観測値と海流モデルなどを組み合わせ、放射性セシウムの拡散シミュレーションも行われました。

その結果を見てみると、放出された放射性セシウムは、薄まり広がりながら東側に流れていき、事故から4~5年後の2015~2016年にアメリカ西海岸付近に到達したことがわかります。

原発由来の放射性セシウムの拡散シミュレーション(丸印は実測値)(Tsubonoほか,2016)

北太平洋の表面海水に存在するセシウム137の量は、約8PBqと見積もられています。海洋に放出された総量が15〜18PBqと推定されているので、およそ半分が表面海水に存在し、薄まりながら東へ移動したといえます。

また、その移動速度は約7km/日。その速度は日付変更線を超えたあたりから遅くなり、約3.5km/日程度になったと見積もられています。

沈み込んで南下していった放射性物質も

放射性物質は表面水中だけに残っているわけではありません。ここまで、海流の水平方向の移動により拡散する放射性物質の様子を見てきましたが、海流の中には、深さ方向にももぐりこみ循環している「モード水」と呼ばれるものもあります。

たとえば、東経165度の線に沿った鉛直方向の分布を見てみると、表面水に存在していた放射性セシウムの一部が亜熱帯モード水に乗り、北緯30°~35°あたりでより深い方向へともぐっていることが分かります。

セシウム134亜熱帯モード水に取り込まれるセシウム134(Kumamotoほか,2014)

モード水としていったん沈み込んだものは、赤道付近から再び日本近海に戻ってきます。

その周期は約30年と見積もられているので、30年後に原発事故由来の放射性セシウムの一部が還ってくる、ともいうことができるでしょう。ただし、その段階で半減期の作用もあると思われます。

太平洋における放射性セシウムの内部循環予測太平洋における放射性セシウムの内部循環予測(数字は水深を表す)(Courtesy of Dr. Aoyama)

少量ではあるが、今なお続く直接漏洩

次に、原発からの直接漏洩について見ていきましょう。

東京電力が公開している原発近海のセシウム137濃度のデータによると、事故後すぐに減少するものの、特に原発1km地点では、事故から数年が経った後も、事故前の濃度範囲までには下がりきっていないことが見て取れます。

つまり、事故後ほどの濃度ではないものの、いまだに直接漏洩が続いていることがわかります。

表面海水中のセシウム137濃度の推移表面海水中のセシウム137濃度の推移
(東京電力、公益財団法人海洋生物環境研究所のデータをもとに日本科学未来館が作成)

現時点まで、海洋に流入した放射性物質の動態についてまとめると、以下のようになります。

●原発由来の放射性セシウムは、15~18PBq。
●そのうち、海洋表面を東に薄まりながら移動していったものが8PBq。
●そのほかの大部分は亜熱帯モード水および中央モード水として海洋の内部循環に沈みこんでいる。
●量は少ないものの、いまだ直接漏洩も続いている。

陸地に降った3~6PBqの放射性セシウムの行方

陸地といっても市街地や農地、森林などさまざまです。

なかでも森林は、福島県の面積のうち71%を占めており、そこに降った放射性物質の行方を知ることが非常に重要となっています(林野庁,2012)。

まず、土壌に着いた放射性物質がその後どのように移動したかについて、見ていきましょう。

一般的に、福島の土壌には雲母由来の鉱物が多く含まれています。それらの鉱物が乾燥・湿潤を繰り返し、風化して開いたところを「フレイドエッジサイト」といい、そのサイトにセシウムは強く結合する性質を持っています(McKinleyほか,2004)。

そのため、地上に降った放射性セシウムの大部分は、イオン化して水に溶けるわけではなく、土壌粒子と移動を共にしています。

風化した雲母粒子中に存在するフレイドエッジサイト風化した雲母中に存在するフレイドエッジサイト

セシウムの「土壌粒子へ強く吸着する」という性質は、土壌深さ方向のセシウム濃度からも見て取ることができます。

放射性セシウムの深度分布放射性セシウムの深度分布(Katoほか,2011)

2011年に福島の川俣町で、土壌を5mmずつ10cmまで掘り、それぞれの深さの土中にどれほど放射性物質があるか、調査が行われました。

その結果、初期に沈着したセシウム137や134の98%が、深さ5cmよりも浅い土中に存在していることが分かりました。

これらの放射性セシウムは、耕作や除染といった人為的撹乱がない場所では、この後平均して年間約5mmずつ下方に移動していくというデータもあります。

土壌粒子に強く吸着したセシウムのほとんどは、雨水と一緒に一気に地下水まで移動するのではなく、ゆっくりとしたスピードで潜っていくのです。

そのため、事故直後に表層5cm程の土壌を除染した土地では、空間線量が大きく下がりました。

2011年と2017年の地上1mでの空間線量(原発から80km圏内)
(日本原子力研究開発機構「本件は、平成23年度から文部科学省にて、平成25年度以降から現在まで原子力規制庁の委託事業として実施されている『放射性物質の分布状況等に関する調査』で得られた成果の一部である」)

また、放射性セシウムが土中に潜ることで、上層の土壌の遮蔽効果によって空間線量は低くなります。林縁から20m以遠の森林は除染が行われていないのですが、そういった土地でも空間線量が下がっているのは、放射性セシウムがなくなったからではなく、下に潜っているから、という要因が大きいのです。

一部は河川に流れ出た

陸地に降った放射性セシウムのほとんどは土壌粒子に吸着しましたが、その粒子ごと河川に流れ出たものもありました。その形態は「懸濁態」と呼ばれます。

懸濁態で流れるセシウム137の濃度変化を調べるために、福島の阿武隈川という大きな川と、その支流である口太川という川で調査が行われました。すると、本川でも支流でも、観測開始当初は非常に高かった濃度が急激に下がり、そのあとはゆっくりと下がり続けていることがわかったのです。

懸濁態のセシウム137濃度の経年変化懸濁態のセシウム137濃度の経年変化(恩田教授の講演スライドより)

当然、流れ出る土砂の量は事故直後でも、数年経ったあとでも、大きくは変わりません。

しかし時間が経つにつれ、河川に流れ出す放射性セシウムの量は減っています。これは、セシウムの吸着した土壌粒子が下に沈降していき、雨などで流れ出す土壌表面の粒子の放射能が減ったためだと考えられます。

さらに、その懸濁態の放射能の低下スピードは、市街地や水田、畑といった人為的な活動が活発な場所ほど速いこともわかりつつあります。そのため、流域にそういった土地の多い阿武隈川本川の方が、支流よりも低下スピードが速いのです。

また、懸濁態の流出総量を調べるため、阿武隈川と口太川でセシウム137の累積流出量を計測したところ、どの観測地点の総量も、初期沈着量に対して3%以下に留まりました。

つまり、陸地に堆積したセシウム137のほとんどは土壌にとらえられたまま下方に移動してしまい、河川を通じて海へはほとんど流れ出ていないと言うことができます。

では、ここまでの陸地に降った放射性物質の動態についてまとめます。

●事故により放出され、風に乗り陸上の広範囲に広がった放射性物質は、河川を通じてはあまり動かなかった。
●放射性物質は土壌の粒子に強く吸着し、粒子ごと除染されたり土中に潜り込んだりしたために、結果的に空間線量は減少している。

大気・陸地・海洋で調査研究は続く

上記のようなまとめは、あくまで大きな視点で見たものなので、単位体積あたりの放射能が非常に大きいセシウム粒子やホットスポット、放射性セシウム以外の放射性物質など、これからさらなる解明が求められる課題は未だ多く残っています。

また、事故直後にはヨウ素131も大量に放出されましたが、半減期が8日と短いため、今となっては直接観測することはできません。

そのため、当時のデータをなんとか掘り起こし、今よりもさらに精緻なモデル計算を行うことで、初期被曝の実態を解明しようとする研究もすすんでいます。

農業はどうなっているのか

陸地の空間線量は下がってきているとはいえ、土の中には大量の放射性物質がほとんど動かずにじっと身を潜めていることを見てきました。

一方で、セシウム移行対策や検査体制を敷きつつ農業は再開され、検査をパスした農作物が市場に回っています。

では、農地では具体的にどのような工夫がなされているのでしょうか。次回更新の後編では、農業について詳しく検討していきます。

3.11の放射性物質は農作物に入ったのか? 農業は復興できたのか?

放射能汚染の「その後」(後編)

2018年9月11日 ブルーバックス 雨宮崇

2011年3月に発生した、東日本大震災とその後の福島原発事故。
それによって放出された放射性物質は、事故から7年以上が経過した今、どこに、どれだけあるのでしょうか。

日本科学未来館では、2018年3月10日に研究者を招いてシンポジウムを開きました。そこで研究者が語った内容のうち、農業での対策に関する知見をまとめました。

シンポジウム登壇者:
中島映至(国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター)
恩田裕一(筑波大学 アイソトープ環境動態研究センター)
山田正俊(弘前大学 被ばく医療総合研究所)
信濃卓郎(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)
※本稿は登壇者のプレゼンテーションをまとめたものです

本稿の前編では、福島第一原発事故以降の放射性物質(主に放射性セシウム)の動き方や量を、大きな視点で見てきました。

後編では、放射性物質が降下した地域で、どのように農業がおこなわれているかを中心に見ていきましょう。

あの日、農作物に何が起きたか

前編で述べた通り、事故によって原子炉から種々の放射性物質が放出されました。半減期が約30年と長く、放出された総量も多かったセシウム137は15〜20PBqほどと見積もられており、それらの約2割が陸地に降り注いだと推計されています。

それら放射性物質は、農作物に直接付着し、また土壌を汚染しました。汚染された農作物は出荷停止を余儀なくされ、土壌が汚染された農地は使えるのかどうかもわからず、農業従業者を大きな混乱と不安が襲いました。

地震発生から出荷停止要請発令までを時系列で簡単にまとめます。

2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震の発生。津波によって、福島第一原子力発電所の全交流電源の喪失。東北地方を中心に大規模な停電。
3月12日 1号機で水素爆発。
3月14日 3号機で水素爆発。
3月15日 2号機でベント作業開始。
3月17日 厚生労働省から「食品と水に関する暫定基準値」が出され、出荷してはいけない汚染レベルを示す基準として、食品1kgに含まれる放射性物質の量の上限値が設けられる。その後、いくつかの食品(ホウレンソウや原乳など)において、その基準値を超えるものが報告される。
3月21日 原子力災害対策本部から福島県、茨城県、栃木県、群馬県に対して、ホウレンソウやカキナ、原乳の出荷停止要請が出される。

なお、食品と水に関する基準値は、2012年4月に「より一層の食品の安全、安心を確保する」という考え方に基づき、暫定基準値から現在の基準値へと変更されています。

食品と水の暫定基準値と基準値食品と水の暫定基準値と基準値(厚生労働省,2012)

現在の基準値をベースにして考えると、事故直後、福島県においては果樹や茶、小麦や大豆といったかなり多くの作物において100Bq/kgを超えるものが報告されました。

また、茶に関しては、原発から約400km離れた静岡でも100Bq/kg超えのものが報告されました。

これら事故直後に極めて広範囲で起こった汚染は、原発から放出された放射性物質が大気に拡散し、地表の農作物に「直接付着」したことが大きな要因とされています。

そのような状況に対して、科学的な調査を重ねた結果、農作物における汚染のメカニズムが徐々にわかってきました。

ここからは、農業の復興に向けてどのような取り組みがなされてきたかを紹介します。

「お茶」は1年で効果が出た

まずは放射性物質の直接付着に対して取られた方法のうち、効果が大きかった茶樹の対応策を一例として紹介します。

放射性セシウムが直接付着してしまったその年の茶葉は、捨てるしかありませんでした。

しかし次の年にはまた新しい枝や葉が生えてくるので、そこに放射性セシウムが入り込まないように、何らかの対策を打っておけばよいのではと考えられました。

 

茶の収穫茶葉の収穫 Photo by Getty Images

福島の茶畑における茶樹各部の放射性セシウム量を調べると、通常出荷される葉層部に37%、その内側の枝部に37%、さらに内側の太い枝や幹に20%、地下にある部分に6%という分布がわかりました。

茶生産においては、茶摘みのあとは刈り込んで、新しい枝を出すという作業が標準的です。その刈り込みを、葉層部だけでなくその内側の枝部まで深く刈り込むことで、茶樹全体の放射性セシウムを4分の3ほど除去できそうだ、ということがわかりました。

そして、この対策が約2万haの茶畑に対して施されました。

茶樹における放射性セシウムの分布(農研機構,2012)茶樹における放射性セシウムの分布(農研機構,2012)

対策を早期に実施したことが功を奏し、茶では2012年度以降、基準値の超過を防ぐことができています。

ではここからは、特に事故時の放射性物質の大気放出が収まった後で重要になってくる、土壌から農作物へ移行する放射性物質の話を詳しく扱っていきましょう。

「移行係数」で〈土壌→植物〉の数値を知る

前編でも述べた通り、土壌を汚染した放射性セシウムは土壌粒子のフレイドエッジサイトに強く吸着する性質があり、雨が降っても鉛直方向にすぐに下がることはありません。

しかし一方で、すべての放射性セシウムが土壌粒子に吸着し続けるわけではなく、一部は植物に吸収されます。

では、土壌中の放射性セシウムは、どの程度植物に吸収されるのでしょうか。その吸収の割合を正しく評価するために用いられているのが「移行係数」というものです。

移行係数とは、植物体の放射性核種の放射性物質濃度[Bq/kg]を、土壌の放射性核種の放射性物質濃度[Bq/kg]で割ったものです。

移行係数移行係数

係数といっても常に一定ということではなく、植物の種類や土壌の条件によって異なります。

しかし、ある植物の移行係数を把握していれば、基準値内に収まるために土壌の放射能をどこまで低減させればよいかの指標になります。

ここでは一例として、玄米の移行係数を考えてみましょう。

 

除染で取り除かれた土除染で取り除かれた土 Photo by Getty Images

農産物の放射能濃度をコントロールする

1960年代をピークにして世界中で行われていた大気圏核実験由来の放射性物質は、日本の農地にも降り注いでいます。

その放射性物質が玄米にどの程度移行するか、という調査が長期的に続けられており、その結果、玄米の移行係数は大きくても0.1程度だということが確認されました。

(1960年代に0.1という値が測定された背景には、土壌からの移行だけではなく、放射性セシウムが稲に直接付着したことによるところが大きいとも考えられています。)

水稲玄米の移行係数の推移(農環研)玄米の移行係数の推移(農環研)

「移行係数が0.1」ということは、「土壌の放射性物質濃度の約10%が植物の放射性物質濃度になる」ということです。

玄米の放射性セシウム濃度が想定より高くなった理由は?

移行係数が0.1という前提をもとに、2011年4月8日に原子力対策本部から「玄米中の放射性セシウムが暫定規制値(500Bq/kg)以下となる土壌中の放射性セシウム濃度の上限値を5000Bq/kgとする」という作付制限が発令されました。

そこで、福島県では水田土壌が調査され、作付制限にかからない田んぼで米が生産されました。

しかしそれにもかかわらず、2011年当時、暫定基準値を超過する米袋が0.2%出てしまいました。

2011年度の福島県産玄米の放射性セシウム濃度2011年度の福島県産玄米の放射性セシウム濃度(農林水産省,2012)
 

この原因を解明するために、基準値を超過した玄米が検出された福島県内地域で調査が行われました。

すると、原因として土壌中の交換性カリウム量(植物が利用できる状態のカリウム量)がいちじるしく少ない場合に、この移行係数が高まるということがわかりました。

なぜカリウムが少ない土壌でセシウムがよく吸収されるようになるのでしょうか。

その理由は、元素周期表を見てみるとわかります。実はカリウム(K)とセシウム(Cs)は周期表の一番左、同じ列にある同族元素。つまり、化学的性質が似ているのです。

周期表周期表の一部(著者作成)

カリウムは植物が生きる上で必要な元素なので、この量が少ないときに、セシウムを取り込もうとする働きのスイッチが入るのだと考えられています。

ではカリウム肥料をどの程度与えれば、セシウム吸収抑制に効果があるのでしょうか。

それを調べるために、農研機構と福島県農業総合センターで土壌中の交換性カリウム濃度と移行係数について調査したところ、「生育期間を通して土壌100gに対して交換性カリウムが25mg程度になるようにカリウム肥料を与えることによって、玄米の移行係数を十分に低くできる」ということがわかりました。

土壌中の交換性カリウム含量と玄米の放射性セシウムの移行係数 土壌中の交換性カリウム含量と玄米の放射性セシウムの移行係数(農研機構)

カリウム施肥に効果があった

このカリウム施肥の効果は非常に大きく、福島県や周辺県の水田で広く施行されるようになりました。

その結果、毎年1000万袋程度が測定される玄米の放射性セシウム濃度検査において、100Bq/kgを超過した玄米は2012年で71袋(0.00%以下)にとどまり、2015年からは1袋も検出されていません。

玄米の放射性セシウム濃度の変遷玄米の放射性セシウム濃度の変遷(福島県、ふくしまの恵み安全対策協議会
 

このカリウム施肥による移行抑制対策は、玄米の他に豆類などでも用いられました。

米や豆類を育てる際、放射性セシウムが土壌にある程度以上残存している場合には、通常の肥料としてのカリウムの施与量では、移行抑制を確実に行うには不足していたためです。

一方、ほとんどの野菜に関しては、カリウム肥料が十分に与えられていたため、追加措置の必要はありませんでした。それらの対策によって、多くの農作物では基準値を超過するものは出ていません。

しかし一方で、山で自生しているものを含めた「きのこ・山菜」や「水産物」に関しては、2015年時点でそれぞれ検査件数の1.0%と0.1%というように、超過するものが完全になくなっていません。また、ジビエはまだ22%のものが基準値を超過しています。

食品の放射性セシウム検査数と基準値超過件数食品の放射性セシウム検査数と基準値超過件数(消費者庁)
 

つまり、人間の管理のもとで生産をできない食品に関しては、まだ基準値を超えるものが出ています。

長期的に土壌からの移行を抑制するカリウム施肥に向けて

カリウム施肥はセシウム吸収抑制対策として効果があることを見てきましたが、その肥料を撒くのは農家の方であり、費用と労力はかかり続けます。

そこで、この対策をいつまで続けるべきかを探るべく、研究が行われています。

放射性セシウムの移行抑制対策として「生育を通して土中のカリウム濃度を25mg/100gに維持する」という目安がありますが、その値は2011年に行った調査結果に基づいたものです。

研究の結果、年数を経るごとに土壌粒子と吸着する放射性セシウムの割合が増えるので、同じカリウム濃度でも、移行係数が下がることがわかりました。

また、粘土鉱物の種類や量によっても移行係数が異なることもわかってきました。

収穫期のカリウム含量と移行係数(上)経過年数の推移(下)土壌成分の違い収穫期のカリウム含量と移行係数
上:経過年数の推移 下:土壌成分の違い(農研機構 山村ら)
 

つまり、「植物種」「事故からの経過時間」「土壌の成分」を把握することで、移行係数をより詳細に推定することが可能になってきました。

2018年度からはこの結果に基づいて、実際に施肥量を決める実証実験も行われています。

この先に必要な「高度な対策」とは

最後に、この記事の前後編を通じて指摘したことをまとめます。

●事故により放出された放射性物質は、広範囲の農地に降下した。
●事故直後の対策として、放射性セシウムが直接付着した部分を物理的に除去する方法は効果的であるが、放射性物質を完全に除去できるわけではない。
●土壌から作物への放射性物質の取り込み対策として、カリウム施肥をして土壌中の交換性カリウム濃度を維持する移行抑制対策が取られている。
●土壌や汚染状況などによって期間に差はあるものの、施肥あるいは地域資源の循環などでカリウムの適切な供給を続けることによって、安全な農作物を供給できる。

なお、現在ではこれらの対策に加えて、イオンビームを使って植物に突然変異体をつくり、味や収量は変わらないが放射性セシウムの吸収量だけが少ないものを見つけ出す、という研究なども行われています(農研機構・石川ら 協力研究機関:福島県農業総合センター)。

信濃教授は講演をこのように締めくくりました。

──福島産の農作物をさらに良質なものとして提供したいと思っています。

そのために必要になってくるのが、逆境をバネにして農業基盤の増強や地力の増進、肥沃度の向上を図ることです。

元に戻す技術ではなくて、それをさらに先に進める技術を見いだし、いずれは周りの県から「福島県の土壌いいな」と言ってもらうことを目標にしています。

 

雨宮 崇
 
日本科学未来館 科学コミュニケーター
雨宮 崇
TAKASHI AMEMIYA

1988年、山梨県生まれ。科学コミュニケーター。京都大学大学院エネルギー科学研究科修了。株式会社ベネッセコーポレーションでタブレット教材開発や映像授業講師に従事し、2015年から日本科学未来館へ。企業と連携したものづくりに関するワークショップの開発・普及展開や、東日本大震災後のリスクコミュニケーションなどに取り組んでいる。趣味は散歩とパソコンいじり。
日本科学未来館 科学コミュニケーターのスタッフブログはこちら http://blog.miraikan.jst.go.jp/author/t-amemiya/