[解説]
長崎平和宣言が、長崎市長によって、発表されました。本来ならば、日本の首相が訴えなければならない事がすべて入っています。
比べて、またしても、安倍晋三氏(恥ずかしくて首相と呼べない)のあいさつは、昨年とどこが違うのか分からない、国際情勢無視、戦争被ばく国の責任も感じられないものでした。興味がある方は読売新聞でも探して読んでみて下さい。
長崎平和宣言の素晴らしいのは、これが一市長やスタッフの作文ではないところから産まれたからです。被爆者7団体を含む平和宣言起草委員会の討議の上に作られています。
核兵器が爆風と熱線と放射線によって多くの人々を惨たらしく殺しただけでなく、放射線により、後遺症を生み出し、ケロイドに苦しむ被爆者の姿についても語っています。長崎の被爆者代表は、被爆後も放射線による、度重なるがんの後遺症について語り、長崎平和宣言が語り尽くすことが出来なかった被爆の実相を明らかにしました。
原爆はアメリカが投下しました。そのアメリカがまた、「使いやすい」小型核兵器の開発に今年2019年1月から乗り出し、2019年2月には、臨界前核実験をやっていたことが明らかになっています。2019年2月、米朝首脳会談が、非核化への道のりを示すことなく、決裂したのは、北朝鮮の問題ではなく、アメリカの新核戦略と核実験によって、破壊されたのではないでしょうか?北朝鮮にすべての核兵器の放棄を要求しながら、朝鮮半島でも「使える」小型核兵器をアメリカだけは開発する、そんな交渉がまとまるでしょうか?日本の新聞、テレビは一つとして、アメリカによる、北朝鮮への非核化要求と、アメリカの核軍拡の問題を指摘していません。しかし、この長崎平和宣言は、アメリカの小型核兵器開発、臨界前核実験を批判し、また、アメリカの一方的な中距離核戦力全廃条約の破棄を批判しています。
本来、日本の首相が訴えるべき内容だ、と思います。そして、核兵器禁止条約への参加と批准、何よりも、日本からアメリカに働きかけて、アメリカの核兵器禁止条約への参加と、アメリカの核兵器の削減に向けたみちすじを日本が描くべきです。日本自体の核兵器の有用性を語るべきではありません。
沖縄県、玉城デニー知事の訴えとともに、長崎市、田市長の田上富久市長の提言こそ、日本が安全保障政策の基軸に据えるべきです。沖縄辺野古新基地も、アメリカの小型核も入りません。朝鮮半島を非核兵器地帯にして、アメリカが韓国、日本に配備している核兵器を撤去と同時に、北朝鮮の核兵器放棄を求めるべきです。
以下、本日発表された、長崎平和宣言2019年全文をお読み下さい。
長崎平和宣言 2019年(全文)
2019年8月9日 長崎市長 田上富久
目を閉じて聴いてください。
幾千の人の手足がふきとび
腸わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった
だけど……
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない
人は忘れやすく弱いものだから
あやまちをくり返す
だけど……
このことだけは忘れてはならない
このことだけはくり返してはならない
どんなことがあっても……
これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機にひんしています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。
核兵器がもたらす生き地獄を「繰り返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。
そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。
世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。
国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。
人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。
すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。
核保有国のリーダーの皆さん。核拡散防止条約(NPT)は、来年、成立からちょうど50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。
日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。
被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。
長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
長崎市平和宣言文起草委員会規則
平成27年3月20日
規則第15号
(趣旨)
第1条 この規則は、長崎市附属機関に関する条例(昭和28年長崎市条例第42号)第3条の規定に基づき、長崎市平和宣言文起草委員会(以下「委員会」という。)について、必要な事項を定めるものとする。
(組織)
第2条 委員会は、委員長及び委員20人以内で組織する。
2 委員長は、市長をもつて充てる。
3 委員長は、会務を総理し、委員会を代表する。
4 委員は、次に掲げる者のうちから市長が委嘱する。
(1) 学識経験のある者
(2) 被爆者
(3) 報道関係者
(4) 平和活動関係者
(5) 国際交流活動関係者
(6) その他市長が必要と認める者
(平31規則47・一部改正)
(任期)
第3条 委員の任期は、委嘱の日からその日の属する年の8月9日までとし、再任されることを妨げない。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
(会議)
第4条 委員会の会議は、委員長が招集し、その議長となる。
2 委員会は、委員の過半数が出席しなければ会議を開くことができない。
(関係人の出席)
第5条 委員会は、必要があると認めるときは、関係人の出席を求め、その意見を聴くことができる。
(庶務)
第6条 委員会の庶務は、原爆被爆対策部原爆資料館平和推進課において処理する。
(平28規則14・一部改正)
(委任)
第7条 この規則に定めるもののほか、委員会の運営に関し必要な事項は、委員長が委員会に諮つて定める。
附 則
この規則は、平成27年4月1日から施行する。
附 則(平成28年3月22日規則第14号)抄
(施行期日)
1 この規則中第1条及び附則第3項から第33項までの規定は平成28年4月1日から、第2条の規定は平成28年7月1日から施行する。
附 則(平成31年4月12日規則第47号)
この規則は、公布の日から施行する。