[解説]

 朝日新聞が「福島の子どもたちの甲状腺がんは、原発事故の放射線の影響でない」と大々的なキャンペーンを始めました。こと、原発再稼働と放射線内部被ばくについては、朝日新聞は原発村の軍門に下った、と判断します。稚拙な、福島の子どもたちの小児甲状腺がんは、全員を検査することによって発見された、甲状腺がんは予後がいいがんでありるだけでなく、手術して摘出しなくても死なないがん。だから、今、福島で行われている、スクリーニング検査(対象となる、原発事故当時0~18歳+原発事故以降に産まれた子どもたち)は、過剰診断だし、手術して取らなくてもいいがんを取って、子どもたちに肉体的、精神的苦痛を与えている。という主張です。

 以下、名郷直樹氏、菊池誠氏の記事を朝日新聞、論座は2019年6月29日、7月7日と立て続けに載せました。

 名郷直樹氏の議論も、菊池誠氏の議論も、原発事故の放射能が原因の小児甲状腺がんはと大人の甲状腺がんとを同じもの、として議論する特徴があります。彼らは、チェルノブイリ原発事故後、誰が子どもたちのスクリーニング検査の構想を打ち立て、誰が日本からたくさんの超音波検査機を無償で提供したのか、忘れているか不勉強で知らないか、あるいは意図的に知らない振りをしているか、いずれかです。

 チェルノブイリ原発事故で被災した、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアで、原発事故による甲状腺がんのリスクグループを事故当時0~18歳として、スクリーニング検査(対象年齢の子どもたち全員の検査)を始めたのは、山下俊一氏(初代福島県民健康調査管理検討委員会座長)であり、超音波検査機の資金を出したのは、日本財団(笹川良一氏)です。

〈参考〉

チェルノブイリ原発事故被災児の検診成績 I および Ⅱ および Ⅲ “チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト1991-1996”より 山下俊一*/柴田義貞*/星正治*/藤村欣吾*/ほか** 

 その山下俊一氏が、福島の子どもたちの小児甲状腺がんが、原発事故の放射線の影響とは考えにくい、とか、言うのは不思議です。また、これから20代に甲状腺がんが多発することを、山下俊一氏は知っています。知っていて、「過剰診断」を主張するのは、自らのチェルノブイリ原発事故後の子どもたちのスクリーニング検査の体験に反して、子どもたちの命と健康を守る立場ではなく、ある目的のために「福島の甲状腺がんは原発事故の影響でない」と主張している可能性が大です。

 2011年3月21日、山下俊一氏は福島市の講演で「ニコニコしている人に放射線の影響は来ない」と言いました。しかし、その1時間ほど前、福島市のオフサイトセンターで、放射線医学総合研究所のメンバーと打ち合わせをしていた際、「小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性がある」と言っていたことを、東京新聞がスクープしました。

〈参考〉

震災後「放射線ニコニコしている人に影響ない」 山下・長崎大教授「深刻な可能性」見解記録

2019年1月28日 東京新聞 朝刊1面

 たった1時間数十分で、小児甲状腺がんが発症するリスクがある、という認識が、福島市の被ばくは大丈夫、に変わる訳がありません。つまり、「ダマシタ俊一氏」だったわけです。

 以下、名郷直樹氏も、菊池誠氏も、今、福島で何が起き、何が起ころうとしているのか、知りながら、以下の記事を書いている可能性があります。もし、そうなら犯罪です。福島の子どもたちが甲状腺がんから、肺転移など転移、再発で苦しむのを医師の立場や国立大学教授の立場で、見過ごし、「過剰診断」の名のもとに、20歳以降を中心として、「デメリットがあるから、検査は受けないほうがいい」と吹聴しているからです。

 もしチェルノブイリ原発事故後の子どもたちの甲状腺がんについて、知らないで書いているのなら、勉強してから書け、と言わなくてはなりません。山下俊一氏や、ベラルーシのユーリ・デミチック博士、現長野県松本市長の菅谷昭氏(チェルノブイリ原発事故後、単身でベラルーシに渡り無給で甲状腺がんの手術技術を現地医師の伝えた)の論文くらい読んでから語るべきです。医師、学者の名にもとる記事です。

 朝日新聞さん、ついに原発村の軍門に下りましたか?編集部に国際原子力機関(IAEA)担当職員が常駐しているのですか?

2019年7月9日 朝日新聞 福島県版

 以下、名郷直樹氏、菊池誠氏の記事を紹介します。読み通すのは苦痛かもしれません。しかし、これらの記事が朝日新聞、論座の講読者に送りつけられている、という事態だ、ということをご理解の上、一人でも多くのかたが、朝日新聞はおかしい、論座はおかしい、と声を上げて欲しい、と思います。

 ちなみに、菊池誠氏の記事、冒頭で川俣町に避難した福島県民が安定ヨウ素剤を服用している写真が掲載されています。あたかも、福島県民が、または、避難者には、安定ヨウ素剤が服用されたかのような誤解をまねきかねない写真です。事実は、日本政府も、福島県も福島の住民に安定ヨウ素剤の服用指示を出しませんでした。福島県立医大の職員とその家族には、安定ヨウ素剤が配られ皆服用しているにもかかわらず。この写真は川俣町に避難した、双葉町町民に、前町長井戸川克隆氏の独自の判断で飲ませているようすです。福島県立医大の職員は安定ヨウ素剤は飲んだのに、福島市の市民は飲んでいません。それどころか、「ニコニコしていれば放射線はやってきません」と山下俊一氏に言われていたのです。

(記事1)

がん 早期発見・早期治療が善であるとは限らない

一臨床医から見たがん検診の一般的な問題点

名郷直樹 「武蔵国分寺公園クリニック」院長   

論座 2019年7月7日

 菊池誠氏の「福島の甲状腺検査は即刻中⽌すべきだ」の記事に関して、Twitter上で多くの反論が寄せられているのを目の当たりにしたが、反論に対する意見の一つとして、筆者が2年前に日刊ゲンダイに書いた記事が周辺で引用されていたこともあり、Twitter上の議論を追いかけてみた。しかし、議論はかみ合わず、お互いが非難し合って終わるという状況だ。

 反論の多くが、がん検診についての一般の人たちの意見としては十分理解できるものである反面、科学的、論理的な部分を欠いているというのが正直な感想だ。そこで自分がうまく情報を提供できるという自信があるわけではないが、日々根拠に基づく医療(Evidence-based Medicine: EBM)を実践し、がん検診を担当している医師の一人として、多少なりとも議論を整理できる情報が提供できるのではと思い、原稿の依頼を受けたこともあり、筆を執っている。

がん検診一般についての理解の必要性

 福島の甲状腺がん検診の是非を問う以前にまず必要なことは、がん検診についての一般論の理解である。福島の個別性も一般論を理解したうえで考えたほうが良いだろう。

 反論の基盤には「早期発見・早期治療は善である」という前提があり、それに反対するとは何事か、というものが大部分である。しかし、一般的に言えば「早期発見・早期治療は善であるとは限らない」ばかりか、「早期発見・早期治療には害がある」というのが、がん検診の一般論である。まずその誤解を解くことに努めたい。

 ただその一般論は、福島の個別の状況には当てはまらないかもしれないという反論に対しては、あらかじめ以下のように反論しておきたい。

 「早期発見・早期治療の害」は、被曝量が多く、甲状腺がんのリスクが上昇し、その甲状腺がんの予後が従来の甲状腺がんより悪いとしても、なくなるものではないので、この一般論は福島を個別に考えるときにも有効なはずである。だから、推定被曝量が信じられないという人も、甲状腺がんのリスクが推定より高いという人も、被曝後に見つかる甲状腺がんは普通の甲状腺がんより進行が速いと思っている方にも、この一般論の理解は重要である。

 「早期発見・早期治療の害」から始めるという背景には、ここまで読んで多くの方が予想するように、私自身も「甲状腺がん検診は中止すべき」という意見を持っているということがある。しかし、ここまで読んで、「なんだ、甲状腺がん検診の継続は非だという人の話かよ」と思った人も少し我慢して読んでいただきたい。なにがしか役に立つ情報があるはずだ。

早期発見・早期治療の害

 早期発見・早期治療の害には様々なものがある。その主なものについて説明しよう。

1. 偽陽性、偽陰性

 がん検診でがんの疑いと言われた人が全員がんかというと、そうではない。それは単にがんの疑いというだけで、実は大部分の人はがんではない。がん検診で精密検査が必要だとされたにもかかわらずがんでなかった人は、がん検診における「偽陽性患者」で、この偽陽性を避けることができないというのは、がん検診の害の一つである。

 この偽陽性は単にがんの疑いをかけて不安にさせるというだけでなく、診断を確定するために針を刺して調べるとか、CT検査で被ばくするという身体的な害も含む。

 それに対し、偽陰性と言って本当はがんである人を見逃してしまうという危険もある。がん検診を受けて大丈夫だからと言って、がんでないとは言えないのである。さらに早期であればあるほど見落としなく発見するのは困難で、がん検診こそ見逃しの危険が高いという面がある。

 ただがん検診においては、見落としをできるだけ少なくすることを重視するために、偽陰性を減らす方向で行われる。そうなると今度はどうしても偽陽性が多くなる。偽陽性と偽陰性の両立は困難で、片方を重視すると片方が犠牲になってしまうという特徴がある。

 偽陰性、つまり見逃しを避けるために、偽陽性であるがんでない人に余計な不安や検査の害が大きくなってしまう、これががん検診の害の一つである。偽陽性、偽陰性のない検診方法はないので、この偽陽性、偽陰性を逃れることのできるがん検診は存在しない。

2. 過剰診断

 過剰診断の問題は、Twitter上でも盛んに話題になっているが、なかなか理解がむつかしいようだ。ここには「がんは死ぬ病気なので早期発見・早期治療しかない」という間違った前提がある。がんは必ずしも死ぬ病気ではない。がんで死ぬ前に別の病気で死ぬというのは決して珍しいことではない。

 進行が遅いがんでは、過剰診断の危険が高い。早期発見から放置しても30年以上を要して死に至るようながんは、その30年の間に別な原因で死ぬ可能性も高く、過剰診断の割合が高くなる。この代表が甲状腺がんである。被曝による甲状腺がんではないものの、通常の甲状腺がん検診を行った韓国では、甲状腺がんの患者数が15倍になっても甲状腺がんの死亡者は全く減らなかったことが示されている。甲状腺がん同様、進行の遅いがんの代表である前立腺がんでも同様な状況にある。

 また甲状腺がんや前立腺がよりも進行が速い乳がん検診でも、マンモグラフィーによる検診導入後30年を経て、早期乳がんの患者数が2.5倍になったにもかかわらず、進行乳がんや転移のある乳がん患者はほとんど減っていないという事実が示されている。甲状腺がんほどではないが乳がんにも多くの過剰診断がある。

 もちろん進行の早いがんも例外ではなく、その割合が少ないというだけである。1年後に死に至るような進行の早いがんも、診断の翌日に心筋梗塞で亡くなってしまえば、それも過剰診断に含めてもよいだろう。

胃がん検診のエックス線検査胃がん検診のエックス線検査

 もう一つの過剰診断の可能性は、ごく早期のがんには自然になくなってしまうものがあるということだ。これは粘膜内にとどまる早期がんの中でもより早期の胃がんで胃の切除手術を受けた患者の胃全体を病理標本にして調べ、手術の原因となった以外の胃がんがないかどうかを調べた研究があるのだが、なんと50%の胃に別の場所で早期胃がんが見つかったのというのである。進行がんで2つのがんが胃に同時に見つかるのは多く見積もっても20%くらいであることを考えると、ごく早期の胃がんの一部は消えてしまうと考えないと説明がつかない。こうした早期がんの診断は過剰診断につながるのである。

 過剰診断の具体例としては、小児の神経芽細胞腫のスクリーニングなどについて、論座の別の記事でも詳細に解説されているので参照されたい(注4)。過剰診断もがんの種類によらず、多い少ないはあるにしろ例外なく起こる害の一つである。

3. 診断、治療による害

 これは一般的ながんの診断、治療と同様に、針を刺したり、器具を使ったりする侵襲的な検査のためにかえって悪くなったり、抗がん剤の副作用で亡くなったりすることで健康を害したり寿命を縮める可能性があるということだ。

 もう少し具体的な例で説明しよう。診断も治療もせず放置したときに5年後に死に至るがんである。このがんの診断時に、組織を採って検査するために針を刺したところ、そこからの出血で診断の時に亡くなってしまうと、5年も寿命が短くなることになる。またがんの診断後の抗がん剤による治療を続けていたところ、1年後に副作用の間質性肺炎で亡くなってしまうと、4年は寿命が短くなってしまう。これもあらゆるがんに共通する害である。

4. コスト

 がん検診にはお金がかかる、人の労力もいる。もしがん検診の効果がないのであれば、その金や人の労力は別のことに使えるわけで、がん検診そのものが害というだけでなく、周囲に対しても害を及ぼす可能性がある。この害にも例外はない。

がん検診を正当化する必要条件:害を上回る利益

 がん検診に害がある以上、それを上回る利益がない限り、がん検診による早期発見・早期治療は正当化されない。善意のためのがん検診が、検診受診者の健康を害するだけかもしれないのだ。利益が明確に示されていないがん検診は、害だけを及ぼすかもしれない。このことこそが、がん検診を語る上での前提である。「早期発見・早期治療は善」どころか、事実は反対なのである。

 そこでがん検診の利益とは何か。対象となるがんによる死亡率の低下である。早期がんがたくさん見つかるということではない。がん検診をすれば、必ず多くの早期がんが見つかる。しかし、早期で見つかるということと、がんによる死亡が減らせるということは別問題である。まずこのことを理解する必要がある。

 ここで実際に示されるべき事実は、がん検診で見つかったがんが、がん検診ではなく見つかったがんよりも死亡率が低くなることである。この事実が示されているのは、大腸がん、子宮頸がん、乳がんくらいである。乳がんについては、過剰診断も多く、質の高い研究に限定するとはっきりした死亡率の低下は認められないという結果も報告されており、微妙な面もある。

 ここまでのまとめ。どんながん検診も例外なく害がある。がん検診を正当化するためには、害を上回る効果が示されなくてはいけない。それは決して簡単なことではない。偽陰性、偽陽性を最小限にした安価で優れた検査があり、その検査の基準が明確で、その後の精密検査で安全に診断でき、さらに治療が患者の生存率を延長し、そのうえで実際の検診でがんの死亡率の減少が示されなければ、がん検診は害だけを及ぼしているかもしれないという可能性を常に考慮しておかなければならない。これが例外のないがん検診に関する一般論である

結果が同じであれば、遅く見つかったほうが良い

 それではもう少し別の角度から早期発見の害を説明してみよう。一般にはがんは早期に見つかったほうが良いと考えているが、そこには早く見つかったほうが治る可能性が高いという仮定が同時にあるからだ。しかし繰り返し書いてきたように、早く見つかることと治る可能性が高いということは別のことである。

 この発見の速さと結果をペアで考えた時にどういうことが言えるだろうか。ここで言えるのは、結果、つまり治療の成功率や寿命が同じであれば、遅く見つかったほうがいいということである。少しわかりにくいだろうか。

 具体例で説明しよう。あるがんが20歳で見つかっても、50歳で見つかっても80歳で死ぬとしたら、どちらの時期に診断されたいかということだ。20歳の時にごく早期で診断されても、50歳で症状が出てから診断されても、治療によって治癒し、どちらも80歳まで生きられるとしたら、ということである。治療が進歩すると、進行がんであっても治癒する可能性が高くなり、こうしたことがすでに現実に起こっていることの一つである。単なる仮定ではない。

 この2つを、幸せという点で比較してみよう。前者は後者より30年も余計にがん患者として通院や治療に費やして生活しなければならないのである。後者はがんと診断されておらず、より幸せな30年を送れる可能性が高い。その点を考えれば多くの人は後者の方がいいと答えるのではないだろうか。

 もちろん早く見つかった場合には、より安全で副作用の小さい治療で治癒できる面もあり、生き死にだけで判断することは難しい面もある。ただ逆に生き死にだけで考えれば、後者の遅く診断する方が良いというのは、一般的な意見といっていいのではないだろうか。

 「早期発見・早期治療が善」には早期の発見により長生きができるという仮定が存在している。しかし、それは仮定に過ぎない。遅く見つかっても同じように長生きできれば、遅く見つかったほうが幸福かもしれない。これも早期発見の害の一面である。

無差別の甲状腺がん検診が「非」であることは明らか

 最後に福島の甲状腺がん検診に関して、私自身の意見を述べておきたい。

 被曝量の推定が信じられない、被曝による甲状腺がんの予後がいいとは思えないという中で、もしそうした状況であれば早く見つけて早く治療したいというのはもっともだ。私自身が外来でがん検診の相談に乗るのも似たような状況である。自分が乳がんになりやすいかどうかわからない。もし乳がんになりやすいほうだとしたら乳がん検診を受けて早期発見、早期治療を受けたいというのは、日々の診療で日常的な問題である。もちろん、被曝したという特殊な状況と一緒にするわけにはいかないが、もともと乳がんになりやすい遺伝子を持っているかどうか知りたいというような特殊な状況もあり、同じように考えてみるのは案外役に立つ。

 たとえばこの心配を持つ女性が20歳だとしたら、乳がんの危険はかなり低いので検診自体の害を考えると検診は受けないほうを勧めることが多い。50歳になると受けてみてもいいのではということが多いが、必ずがん検診の害の部分について情報提供する。そうすると検診をやめるという人も少なくない。80歳では、おそらく早期乳がんの診断を受けても寿命のほうが早い可能性が高く、受けないほうがいいですよと説明する。全員が乳がん検診を受けたほうがいいというのはあまりにナイーブな意見だ。

 これを福島の状況に当てはめると、被曝の可能性が極めて低い人は受けないほうがいいし、被曝の可能性が高い人で迷うという状況である。ただ、少なくとも福島県全県を上げて甲状腺がん検診を受けることを勧めるということは絶対にしないほうがいい。被曝量の多いことが疑われる人、多量の被曝の可能性を心配する人に限って、害の可能性まできちんと説明したうえで、がんを探しに行くかどうか相談するというのがいい。

 すべての女性に乳がん検診を勧めるのが「非」であるように、県全体を対象にした無差別な甲状腺がん検診は、福島の個別性を考慮しても「非」であることは明らか、それが私の結論である。

(記事2)

福島の甲状腺検査は即刻中止すべきだ(上)

無症状の甲状腺がんを掘り起こす「検査の害」

菊池誠 大阪大学教授(物理学)

2019年6月29日 朝日新聞 論座

東京電力福島第一原発で建屋が爆発した2011年3月12日、福島県川俣町の避難所では40歳未満の避難者全員が甲状腺被曝を防ぐためにヨウ化カリウムを服用した東京電力福島第一原発で建屋が爆発した2011年3月12日、福島県川俣町の避難所では40歳未満の避難者全員が甲状腺被曝を防ぐためにヨウ化カリウムを服用した

 

甲状腺検査は医学研究倫理に反している

 本稿では福島で現在行われている甲状腺検査について考える。最初に結論を書いてしまうと、筆者はここで、甲状腺検査が医学研究倫理に反しており、受診者の人権を侵害しているので即刻中止するべきと提言する。

 甲状腺に対する放射線影響の有無を知りたいという希望が医学の世界やあるいは広く一般にあるのはわかる。しかし、甲状腺がんのように進行の遅いがんを無症状のうちにスクリーニングで発見してしまうことには利益がなく害だけがあるので、その希望は捨てなくてはならない。科学よりも受診者個人の利益が優先するというのが倫理だからである。

 放射線影響は九分九厘ないと考えられるが、もちろん絶対にゼロだとは言い切れない。だからといって、そのわずかな被曝影響の有無を調べるために、害があるとわかっている検査を続けるのは許されない。また合わせて、これまでに見つかった甲状腺がんのほぼ全ては「検査の被害」なので、因果関係を立証することなく行政が生涯にわたる補償を約束すべきと考える。本稿の論旨はこれで尽きている。

 福島県で東京電力福島第一原発事故当時18歳以下だった子どもたち(既にいちばん上は20代後半にさしかかっているが)を対象に続けられている甲状腺検査、38万人もの対象者の甲状腺を継続的に高精度エコーで調べるという前例のない大調査は現在四巡目が行われている。その二巡目の検査を解析した結果がまとまり、甲状腺がんの発見率と甲状腺被曝量との間に明らかな関連はみられなかったという専門家による報告案が、6月3日に開催された県民健康調査検討委員会甲状腺検査評価部会に提出された。被曝影響だとすればがんが被曝線量とともに増えるはずなので、発見された甲状腺がんは少なくともそのほとんどすべてが放射線被曝と関係ないと判断されたわけである。一巡目の検査については既に同じ結論が報告されている。

 さて、いったいこれは手放しで喜んでいいニュースだろうか。

 もちろん被曝による健康影響が見られないのはいい話に違いない。放出された放射性物質量が東電原発事故よりもほぼひと桁多かったチェルノブイリ原発事故でさえ、被曝そのものによる健康被害と認められているのは子どもたちの甲状腺がんの増加だけだから、甲状腺がんが被曝影響でないのならほかの健康影響はないと考えて差し支えない(もちろん被曝を直接原因としない健康被害として、避難に伴う死亡や避難生活での生活習慣病あるいは精神面での影響などはあり、東電原発事故でも問題になっている)。

 とはいえ、実のところこれは初めから予想されていた通りの結果に過ぎない。問題はそのために、これまでに200人以上が「悪性ないし悪性疑い」と判定され、160人以上が手術を受けたという事実である。小児甲状腺がんの発生率は100万人あたり年間数人と言われていたはずなのに、どうしてこんなにたくさん発見されてしまったのだろう。

 これは、以下に述べるように、症状のない子どもたちの甲状腺を高精度の超音波で調べた結果、発見しなくてもよかったはずのがんを次々と発見してしまったと考えるのが妥当である。その中には、検査で見つけていなければ死ぬまで悪さをしなかったはずのがんも相当数含まれていたと考えられる。いったいそのような検査を続けていいものだろうか。

 

ソ連・ベラルーシ共和国(当時)で超音波による甲状腺がんの診断を受ける少女=1990年撮影ソ連・ベラルーシ共和国(当時)で超音波による甲状腺がんの診断を受ける少女=1990年撮影

 

被曝量はチェルノブイリより桁違いに小さかった

 先に進む前にあらかじめ言っておこう。筆者は医学者ではなく物理学者で、しかも放射線の専門家でもない。それでも、東電原発事故後にたくさんの「科学的根拠もなくただ人々の不安を煽るだけ」の書籍や新聞記事・ネット記事があふれたことに危機感を覚え、原発事故から三年後に仲間たちと『いちから聞きたい放射線のほんとう』という本を出版した。放射線については健康影響も含めて相当に知見が蓄積されており、一般向けのひと通りの解説ならむしろ専門家でないほうが分かりやすく書けると考えたからである。

 この中で私たちは、放射線被曝に起因する健康影響の大きさは被曝量による、つまり「あるかないかではなく、程度問題」という点を強調した。実際、福島で避難指示が出されていない地域での放射線量は、たしかに原発事故当初こそ高めだったものの、今や十分に下がっており、世界的に見ればごく普通のレベルである。ここに暮らせないと考える理由はまったくない。安心して生活できるし、安心して子どもを産み育てられる。

 同書の中では甲状腺検査にも一章を割いて、当時既に発見され始めていた甲状腺がんについて「ほぼ間違いなく被曝とは関係ない」とした上で、「がんを発見するためのテストが優秀すぎるので、すぐに治療しなくていいがんまで発見してしまい、検査に伴うリスクのほうが大きいと指摘する人もいる」と述べた。おそらくこの問題で甲状腺検査のリスクに触れた書籍はこれが最初だと思う。2013年には既にインターネットのSNSを中心にそのような議論が進んでいて、医学の専門家でなくてもこの程度の話はできたのである。

 ここで、被曝影響の有無について簡単に確認しておこう。

 国連科学委員会(UNSCEAR)は2013年の報告書で「福島第一原発事故後の甲状腺吸収線量がチェルノブイリ事故後の線量よりも大幅に低いため、福島県でチェルノブイリ原発事故の時のように多数の放射線誘発性甲状腺がんが発生するというように考える必要はない。」とまとめた。その後の知見を踏まえた2017年の白書でもこの結論は踏襲されている。実際、甲状腺の被曝量(甲状腺等価線量)は最大でも数10ミリシーベルトと考えられており、チェルノブイリ原発事故に比べて文字通り桁違いに少ない。初期被曝に不明な点が少なくないとは言うものの、桁違いという結論が変わるわけではない。チェルノブイリ事故のデータでは、この程度の被曝量の子どもたちに甲状腺がんの増加は見られていない(注4)。

 もうひとつの重要な事実は、今回も報告されたように甲状腺がんの発見数に地域差が見られないことである。中でも、放射性物質による汚染が少なかったはずの会津地方でも他の地域と同程度の甲状腺がんが発見されているという事実は、発見された甲状腺がんの殆ど全てが被曝と無関係であると明白に物語っている。

 さらに、2012年から13年にかけて小規模ながら青森・山梨・長崎で行われた三県調査がある。この調査では4365人の中からひとりの甲状腺がんが発見された。たったひとりと思われるかもしれないが、甲状腺がんが従来言われている通りに100万人あたり数人しか発生しないのなら、ひとり発見されるだけでも相当に奇妙なのである。この調査は、無症状の子どもたちを高精度エコーで調べると相当高い確率で甲状腺がんが見つかることを示唆している。B判定で二次検査に回る比率でも、福島県の0.7%に対し三県調査では1%だった。ちなみに、筆者はこの調査が医学研究倫理に反するのではないかと考えていることを付記したい。調査でがんを発見された方は「検査の被害者」だろう。

甲状腺検査は受診者には利益がない

 

甲状腺の超音波画像診断装置甲状腺の超音波画像診断装置

 もちろん、被曝影響がまったくゼロであることは証明できないが、あるとしてもそれ以外の甲状腺がんに隠れてしまう程度だと言い切ってかまわない。これらの知見をもとに検討委員会は被曝影響が見られないと結論づけている。すると、「無症状者を高精度エコーで検査したからたくさんのがんが発見された」が論理的な帰結でなくてはならない。つまり、検討委員会は、多くのがんが発見されたのは検査のせいだと事実上認めているのである。

 それにもかかわらず、上述した甲状腺検査評価部会後の記者会見の席で、鈴木元部会長は、「放射線の影響を受けやすい事故当時1歳から5歳だった子どもたちの中で甲状腺がんが増えていない、と結果が出るまでは検査をやめるという答えは出せないと個人的には考えている。今後も検討を続ける必要がある」と述べた(引用はNHKニュース)。つまり、放射線影響の有無を知るためにさらに検査を続けるべきだと明言したわけだが、これは恐ろしい発言ではないだろうか。

 ここで、「人間を対象とする医学研究の倫理的原則」を定めたヘルシンキ宣言に目を通してみよう。その第8項には「医学研究の主な目的は新しい知識を得ることであるが、この目標は個々の被験者の権利および利益に優先することがあってはならない。」(日本医師会訳)とある。

 甲状腺検査は医学「研究」なのか、という疑問はあるだろう。たしかに福島県のウェブサイト(注9)には「福島県では、チェルノブイリに比べて放射性ヨウ素の被ばく線量が低く、放射線の影響は考えにくいとされていますが、子どもたちの甲状腺の状態を把握し、健康を長期に見守ることを目的に甲状腺検査を実施しています。」と書かれている。

 これを文字通りに受け取るなら、この甲状腺検査は被曝影響の有無を調べるためのものではなかったはずである。しかし、先に引用した鈴木元氏の発言からもわかるように、現実には被曝影響の有無を知ることが目的化してしまっていると言わざるを得ない。検討委員会で受診率の低下が問題視されるのも、それを物語っている。ヘルシンキ宣言の精神に則るなら、そのような検査は許されない。なにしろ甲状腺検査には受診者個人にとっての利益がなく、あとで説明する過剰診断に代表される害があるだけなのだから。

早期発見・早期治療は有効なのか

 思い出してみると、2011年に始まった「先行検査」は被曝影響と無関係な甲状腺がんを拾い上げることを目的のひとつとしていた。後知恵で言えば、これも相当におかしな話である。無症状のがんを発見すれば受診者にどんな利益があると想定されていたのだろうか。この時点ですでに被曝影響の有無を知る目的で検査が始められたのは明らかだったのではないだろうか。ヘルシンキ宣言の精神に則ればそもそもこの検査を始めてはならなかったのだと思う。しかし、百歩譲って、受診者に利益があると信じて始められた検査だったとしよう。では、甲状腺検査はいつなら見直せたのか。

 2013年2月の県民健康調査検討委員会、まだ一次検査すら13万人強しか行われていない時点で3人の甲状腺がん確定が報告されている。時期から考えて、これらのがんが被曝と無関係なのは明かだった。この時点で「異常に多い」「検査によってなにかまずいことが起きている」と判断できたのではないだろうか。少なくとも一時中止を決めるのが筋だったはずだ。それ以降、検討委員会も実施主体である福島県立医大もがんの発見数が増えていくのをただ座視していたように見える。これは不作為と言いきって構わないだろう。

 いや、早期発見につながるのだからいいじゃないかと考える向きも少なくないだろう。ところが、意外に思われるかもしれないが、甲状腺がんには早期発見・早期治療が有効という証拠はない。(続)

(記事3)

福島の甲状腺検査は即刻中止すべきだ(下)

無症状の甲状腺がんを掘り起こす「検査の害」

菊池誠 大阪大学教授(物理学)

2019年6月29日 朝日新聞 論座

福島県が設置した「県民健康調査」検討委員会「甲状腺検査評価部会」は、「現時点の判断」として、これまで見つかったがんと、被曝の間に関連は認められないとする見解を発表した=2019年6月3日、福島市福島県が設置した「県民健康調査」検討委員会「甲状腺検査評価部会」は、「現時点の判断」として、これまで見つかったがんと、被曝の間に関連は認められないとする見解を発表した=2019年6月3日、福島市

 福島県が設置した「県民健康調査」検討委員会「甲状腺検査評価部会」は、「現時点の判断」として、これまで見つかったがんと、被曝の間に関連は認められないとする見解を発表した=2019年6月3日、福島市が設置した「県民健康調査」検討委員会「甲状腺検査評価部会」は、「現時点の判断」として、これまで見つかったがんと、被曝の間に関連は認められないとする見解を発表した=2019年6月3日、福島市

「早期発が過剰診断を生んでいる

 がんといえば検診による早期発見・早期治療こそが最善と考えてしまいがちだし、筆者も甲状腺検査問題を調べるまではそう思い込んでいた。

 ところが、甲状腺がんのほとんどは進行が非常に遅く、症状がないうちに超音波で検査すると、発症が何十年も先になるかもしれないがんや生涯にわたって発症しないがんまで発見してしまう。発症しなかったはずのがんを見つけてしまうことを過剰診断と呼ぶ。これは偽陽性とは別の概念で、がんであることには間違いないが、死ぬまで悪さをしない。また、万が一症状が出る場合であっても、甲状腺がんは予後が極めてよいことが知られており、早期に発見するメリットはないと考えられる。

 甲状腺がんの過剰診断が広く認識されるようになったのは2014年である。韓国で甲状腺検査を受けやすくした結果、甲状腺がんの発見が激増して手術も増えたにもかかわらず、甲状腺がんによる死亡数は変化しなかったという論が公表された。つまり、検査で新たに見つかった多数のがんは生死にかかわるものではなく、逆に生死にかかわる少数の甲状腺がんには検査が有効ではなかったわけである。このデータ自体は前年には日本にも伝わっており、インターネットではツイッターを中心に過剰診断の議論が行われていた。

 同様のデータはそれ以前にアメリカでも得られていた。2011年に出版されたウェルチの『過剰診断』(奇しくも邦訳は2014年)でも甲状腺がんが取り上げられ、エコーによって甲状腺がんの発見数が増えたのに死亡数はまったく変わっていないというデータが示されている。ウェルチは甲状腺エコーについて、身もふたもなく「要するになんのメリットもないのだ」と結んでいる。甲状腺の専門家なら2011年の段階で過剰診断のリスクを知っていたはずなのである。

 もちろん、これらは大人の事例ではある。アメリカ医学会は最近、甲状腺検査のガイドラインを改訂し、そこでも無症状の「大人」への甲状腺スクリーニングを非推奨とした。しかし、それは子どもへのスクリーニングを認めるという意味ではなく、そもそも子どもへの甲状腺スクリーニング自体が想定されていないだけである。

 IARC(国際がん研究機関。WHOの外部組織)は昨年、原発事故後の甲状腺検査について提言(注14)をまとめた。現在進行中の甲状腺検査に対する提言ではないと慎重に述べてはいるものの、その中では、甲状腺被曝量の多い子どもを例外として、全年齢に対して甲状腺集団スクリーニングの実施は推奨しないとされている。福島の子どもたちはここで言われる甲状腺被曝量の多い子ども(「胎児期または小児期または思春期の被ばく時に受けた100~500mGyという甲状腺線量」)に該当しないことに注意しよう。

 福島で発見された甲状腺がんは将来症状を現すはずのがんを前倒しで発見していると考えるだけではとても説明がつかない数だと言われる。相当数の過剰診断が発生していることはもはや明らかである。

進行の遅いがんを発見してしまうことの害

 しかし、過剰診断でないとしても、進行の遅いがんを発見してしまうこと自体に害がある。たとえば30年後に発症するがんを今発見されてしまったらどうだろう。経過観察で30年間不安を抱え続けさせるのはいいことだろうか。発症してから治療するのでも充分に間に合う進行の遅いがんを早期に発見してもただ不安を増やす効果しかないし、不安に耐えきれずに手術に踏み切ってしまう人もいるだろう。事実、福島でも経過観察を提案されながら、本人または家族の希望で手術を行った例が多数報告されている。がん患者とされることによる不利益や、手術となれば合併症のリスクも考えなくてはならない。

 手術を担当する福島県立医大の鈴木眞一氏は、ガイドラインに沿って手術対象者を抑制的に決めていると常々述べている。その通りなのだと思う。それでもあまりにも多い手術数を見れば、過剰な手術が行われているとしか考えられない。年間100万人あたり数人程度だったときには有効に思えたガイドラインが、38万人もの大規模スクリーニングには適切ではなかったのだろう。なお、過剰診断かそうでないかは臨床的に区別できないので、過剰診断を避ける方法は検査しないことだけである。

 ちなみに、子どもの甲状腺がんは悪性度が高くなりがちと主張する人たちもいるが、それが誤りであることは福島の甲状腺検査の結果からも明らかである。福島で発見された甲状腺がんのほとんど全ては自然発生なのだから、本当に悪性度が高くなりがちなのであれば、東電原発事故以前からもっとたくさんの小児甲状腺がんが出ていたはずなのである。今回の検査からは、むしろリンパ節転移があっても悪性度は高くないことがわかる。これは特に目新しい知見ではなく、IARCの文書(注15)にも、小児甲状腺がんのほとんどを占める乳頭がんについて、リンパ節転移の有無にかかわらず30年生存率は99~100%と書かれている。

 検討委員会は検査をやめるつもりがないようだが、すでに検査対象者の多くが成人に達しているので、このまま検査を続ければ韓国やアメリカで見られた「大人の過剰診断」が再現されることは火を見るよりも明らかである。せっかく原発事故による大量被曝を免れた子どもたちが甲状腺検査の被害者になるのは悔しいではないか。

 よしんば被曝影響でわずかに甲状腺がんが増えていると仮定しても、それでも無症状者へのスクリーニングを行うべきではない。ほとんどすべてが被曝影響でないのはもはや明らかだし、被曝影響だろうがそうでなかろうが過剰診断や超早期発見の害に変わりはないからである。

 

検査は誰のためのものなのか

 検査はいったい誰のためのものなのか。安心は誰のもので犠牲になるのは誰なのか。私たちはあくまでも受診者である子どもたち自身(既に成人している人たちも含め)の幸福という観点でのみ、甲状腺検査の是非を議論しなくてはならない。

 

 「親の不安」を解消するのは甲状腺検査を正当化する理由にはならない。親は受診者ではないからである。不安解消に必要なものは、検査ではなく説明のはずだ。そして、これは最も重要な点だが、被曝影響の有無を知ることを検査の目的としてはならない。それは疫学調査であり、そのためには別の倫理審査と被験者の同意が必要となる。

 甲状腺悉皆検査が受診者に利益をもたらすものであって、それが同時に疫学のデータをも提供するのなら許されるだろう。しかし、被験者個々人に利益のない検査を疫学目的で続けることは倫理的に許されない。倫理は科学に優先する。この点は大阪大学の高野徹氏が県民健康調査検討委員に就任して以来、繰り返し指摘(注16)しておられるにもかかわらず、委員会では事実上無視され続けており、憤りを禁じ得ない。

 

 既に多くの「被害者」を出してしまったことが明かな検査だが、それでも少しでも早く中止を決めるべきである。その際、これまでに見つかった甲状腺がんに関しては生涯にわたる補償を行政として確約するのが当然と筆者は考えている。

 ところで、あらゆる検査には利益と害とがあり、それをきちんと知らせるのがインフォームドコンセントである。ところがこれまでの甲状腺検査の説明書では検査のデメリットがきちんと説明されていなかった。そのような批判を受けて、説明書の改訂案が現在議論されている。

 しかし、これがまた曲者である。検査のメリットとして、問題がなければ安心につながり、問題があれば早期診断早期治療につながると書かれているのだが、前者は子ども自身の利益ではなく親の利益だろうし、後者は甲状腺がんに早期発見早期治療が有効というエビデンスがない以上、欺瞞である。さらに、放射線影響の有無の解析ができるとも書かれているが、放射線影響の有無を知ることは受診者個人の利益ではない。

 逆にデメリットとしては、これまでに述べてきた過剰診断、手術の合併症や経過観察の心理的負担が挙げられており、こちらはある程度妥当に思える。「受診者個人にとっての利益はない」とはっきりと書かれておらず、受診に誘導しようとしているのが大きな問題だろう。「受診は勧めない」と明記して初めてインフォームドコンセントがきちんとできていると言えるのではないだろうか。

い。しかし、この検査がなんのために行われているかを考えると、知見はまず誰よりも真っ先に受診者とその親、そして福島県民に対して説明されるべきである。

 これまでに発表された論文については福島県立医大放射線医学県民健康管理センターのウェブサイト(注17)に簡単な概要が報告されているだけであり、しかもそれも2018年1月以来更新されていない。少なくとも、英語論文公表と同時にその完全な日本語訳と一般向けの分かりやすい解説とを誰でも無料でアクセスできる場所に公開するのは、この問題で論文を書く研究者に課せられた最低限の義務であり責任であると思う。

 検査は論文のために行われているのではなく、あくまでも受診者のために行われている建前のはずである。その建前すら守らないのは研究者のモラルハザードと言うべきではないだろうか。

 というわけで、最後にもう一度まとめておこう。

 福島で行われている甲状腺検査で発見された甲状腺がんのほぼ全ては放射線被曝と関係ない自然発生のものと考えられる。それなのに予想をはるかに上回る200人ものがんが発見されてしまったのは、無症状者を高精度エコーで調べたせいであって、発生が増えたからではない。そのほぼ全ては早期に発見しても利益のないがんだったと考えられる。そのような甲状腺がんを多数見つけて手術してしまったのは、「検査の被害」と言うべきだろう。今となっては、放射線影響の有無など瑣末なことであって、「検査の被害」をこそ真剣に考える必要がある。このような検査をだらだら続けるのは倫理的に許されない。これまでに発見された甲状腺がんについては生涯にわたる補償を行政が責任を持って約束した上で、甲状腺検査そのものは即刻中止することを提言したい。