東電 福島第一が放出したセシウム137は大気圏内核実験のピークの100倍、ストロンチウム90は100分の1です。一年遅れでやっと公表された、第54回環境放射能調査研究成果論文抄録集(2011年度) 文部科学省 2013年3月のデータから。原発事故から早5年。文部科学省はいいかげん、第55回環境放射能調査研究成果論文抄録集を発表すべきではないでしょうか?それとも、安倍晋三氏が予算を打ち切ったのでしょうか?

 2000年までのデータ。

 1963年大気圏内核実験のピーク時。セシウム137の最高値 1900ベクレル/m2、ストロンチウム90の最高値 700ベクレル/m2。

 1986年チェルノブイリ原発事故時。セシウム137の最高値 135ベクレル/m2、ストロンチウム90の最高値 1.8ベクレル/m2。

 2012年までのデータ。

 2011年東電 福島第一原発事故の年。2011年3月。セシウム137の最高値 2万3100ベクレル/m2、ストロンチウム90の最高値 5.16ベクレル/m2。

 東京大学、早野龍五氏などは、「日本人は大気圏内核実験の際、ストロンチウム90やセシウム137を食べてきたのだから、福島の原発事故の影響などたいしたことはない。」と言い切ります。

 でたらめです。大気圏内核実験の100倍のセシウムを摂取していて、大丈夫と言う、御用学者の妄言にすぎません。セシウム137の2万3100ベクレル/m2の摂取に対して、ストロンチウム90は大気圏内核実験のときの100分の1です。果たして、このストロンチウム90、大気圏内核実験のピーク時の100分の1は、安全なのでしょうか?しかし、5.16ベクレル/m2のストロンチウム90は、チェルノブイリ原発事故の約2.8倍です。チェルノブイリ時の日本における、白血病の2.8倍は出ておかしくということになります。ちなみに、チェルノブイリ原発事故6年目に日本における小児甲状腺がんのピーク、東海村JCO臨界事故の5年後に日本の小児甲状腺がんのピークがあります。微量な放射性物質でも危険、ということを象徴しているのではないでしょうか?

  チェルノブイリ原発事故後、日本でも子どもたちの小児甲状腺がんが増えました。広島の武市宣雄医師らが、日臨外医会誌に「若年性甲状腺癌の臨床的検討」という論文を書いています(1997年)。

福島県だけではない、日本全国で発症する小児甲状腺がん (編集

投稿日:2014.06.24 | カテゴリー:内部被ばくと健康被害, 資料

ブログ Fiddledadのblogさんから、東京第一原発事故以前の日本の小児甲状腺がんに関する重要な論文を2つ紹介していただきまし た。その論文の内容と、野呂美加さんが作られた、1975年~2008年までの日本の小児甲状腺がんの発症人数(日本全国)の推移のグラフとを紹介しま す。

 日本でも1992年(チェルノブイリ原発事故から6年後)をピークとする小児甲状腺がんの発症が、旧ソ連のチェルノブイリ原発から放出されたヨウ素131などの放射性ヨウ素が原因だとすると、今後、小児甲状腺がんは何も福島県だけに限定されるものではなく、日本全国で発症する危険性があります。ウクライナの首都キエフから日本の東京までは、8200km離れています。呼吸で吸い込んだ放射能プルームの濃さが問題なのではなく、原発から放出された放射能プルームを吸ったか、吸わなかったかに問題だと考えられます。放射性物質は微量でも危険なのです。

 広島の武市宣雄医師他が日本臨床外科医学会雑誌(1997年)に「若年者甲状腺癌の臨床的検討」という論文を書いています。

若年者甲状腺癌の臨床的検討 杉田圭三 武市宣雄他 日臨外医会誌 58(3)1997

 この論文によれば、広島大学第2外科では、1973年から1995年の過去23年間に10例の若年甲状腺癌を経験した、とあります。その10例とは

※ 23年間で若年者甲状腺がんの症例10例-川根が作成。 
1973年-1977年(4年間) 2例
1977年-1981年(4年間) 2例
1982年-1986年(4年間) 0例 チェルノブイリ原発事故(1986年)までの4年間
1987年-1991年(4年間) 5例 チェルノブイリ原発事故から1年後~5年後の4年間
1992年-1995年(3年間) 
              不明1例

 「甲状腺がんの発生要因として、頸部へのX線照射が問題とされ、20歳未満の甲状腺がん患者の20%にX線照射の既往があったとの報告も見られる。

 Frankenthaler RA, Sellin RV, Cangir A, et al: Lymph node metastasis from papillary follicular thyroid carcinoma in young patients. Am J Surg 160: 341-343, 1990

 当科の症例では、全例、両親の被ばく、X線照射と無関係であった」、とあります。

また、

「小児甲状腺がんの特徴として、
(1)男児の比率が成人に比べ高い。男女比は1:1.5~2.6と報告されている。
(2)初診時、頸部リンパ節転移、肺転移を起こしている症例が多い
(3)進行度の割に予後良好であることが多い。
(4)肺転移に対してヨウ素131治療の有効例が多い
などが報告されている。
 症例1は気管、反回神経に湿潤し、多発性肺転移を起こした進行がんであり、これらの特徴を備えている

 小児甲状腺がんの場合、発症機転として結核、気管支喘息様の症状で見つかることがあり、注意が必要とされる。」

と書かれています。

 また、奈良県立歯科大学耳鼻咽喉科の清水直樹医師は、日本小児耳鼻咽喉科学会の会誌(2008年)に「当科における小児甲状腺癌の検討」という論文を書いています。

当科における小児甲状腺癌の検討 清水直樹 他 奈良県立歯科大学耳鼻咽喉科 2008

 この中で、「奈良県立医科大学耳鼻咽喉科では1990年から2006年の過去17年間に7例の小児甲状腺がんを経験した。」「性別は男性3例、女性4例で、年齢は8~16歳、平均年齢は11.6歳であった。病理組織型は、乳頭がん6例、濾胞がん1例と、成人同様乳頭がんが多く認められた。」と述べています。また、「頸部リンパ節転移は全例に認められ、T4の3症例(8歳の女の子、8歳の男の子、12歳の男の子)はすべて肺転移を認めた。」とも書かれています。「小児・若年性甲状腺がんの特徴としては、死亡率は低いが、再発が多いことがあげられる(野口志郎:小児甲状腺癌の特徴.内分泌外科,17:247-250,2000)。症例1(8歳の女の子)は術後3年目に肺転移、症例4(12歳の女の子)は術後2年後にリンパ節再発を認めているこれらの結果からは、局所再発や遠隔転移に対する対策が治療上重要であると考えられる。」とも。

表1 小児甲状腺がん症例
症例 年齢 性 触診所見 病理診断 病床病期  経過年数   その他   診断年月
1     8  女 びまん性 濾胞がん T4N1bM1 15年10カ月  肺転移  1991.5チェ事故5年1カ月
2     8  男 びまん性 乳頭がん T4N1bM1  1年 9カ月   肺転移  2005.6チェ事故9年2カ月
3    12  男 びまん性 乳頭がん T4N1bM1   転院   肺転移   不明
4    12  女 結節性  乳頭がん T3N1bM0  6年 5カ月  リンパ節再発

                                     1990.1チェ事故4年6カ月

5    12  女 結節性  乳頭がん T1N1bM0  1年 8カ月          2005 . 7チェ事故 9年3カ月

6    13  男 結節性  乳頭がん T3N1bM0 10年 9カ月           1996 . 6チェ事故10年2カ月
7    16  女 結節性  乳頭がん T2N1bM0 16年 5カ月         1990.10チェ事故4年6カ月

※ 診断年月は川根が経過年数から計算した。この論文の発表年が2008年。経過年数は2007年3月までと判断して、診断年月を計算した。
<凡例> 症例1  2007年3月-15年10カ月=1991年5月 チェルノブイリ事故から5年1カ月経過

 まとめると、以下のようになります(川根)。

1990ー1993年の4年間 診断症例 3例(チェルノブイリ原発事故から4年~7年後)

1994ー1997年の4年間 診断症例 1例(チェルノブイリ原発事故から8年~11年後)

1998ー2001年の4年間 診断症例 0例(チェルノブイリ原発事故から12年~15年後)

2002ー2006年の5年間 診断症例 2例(チェルノブイリ原発事故から16年~21年後)

不明 1例

チェルノブイリ事故当時の年齢 3歳、3歳、3歳、7歳、11歳、産まれていない、不明。

 国立がん情報センターの統計から小児甲状腺がん(0-19歳)の罹患について抜き出し、年ごとの罹患者数、および10万人あたりの罹患率を川根が整理しました。Excelデータです。

甲状腺がん 全国がん罹患数・率 推定値1975 2011年 国立がん研究センターがん情報サービス