チェルノブイリ29年目の真実 放射性物質をからだから抜いたら健康に タチアナ・アンドロシェンコ氏講演会 at 福島県・郡山市 3月1日
〔期日〕埼玉講演会 2015年3月1日(日)13:00~16:30
〔会場〕郡山女子大学 芸術館1 階 大教室
郡山駅前 9 番線乗り場よりバス(約30 分)
郡山女子大学下車
( 福島県郡山市開成3丁目25-2)
〔参加費〕無料
※ 当日参加可です。
13:00 ~ 13:20 挨拶と経過報告 小若順一
13:20 ~ 14:20 「数ベクレルの食事で『痛み』が出ていた」タチアナ女史
14:20 ~ 14:30 「胃痛がなくなった」 サーシャさん(タチアナさんの次女)
14:30 ~ 14:40 休憩
14:40 ~ 15:10 佐藤栄佐久さんの質問
15:10 ~ 15:40 予定者の質問
15:40~ 16:30 一般質問・懇親会
通訳:ヴァレンティーナ モロゾヴァさん
【主催】 食品と暮らしの安全基金
【共催】 内部被ばくを考える市民研究会
埼玉反原発アクション
福島と日本の未来
国民の期待につけ込んで、政府も専門家もたくさんウソをついてきました。しかし、放射能汚染は、それを踏み潰してきました。
福島の未来は、チェルノリブイリ原発事故後と同じではないにしても、ミニコピーのような部分があります。
先例に学んで的確に対策をとれば、無駄な出費や、時間の浪費をなくせますし、受けなくてすむ被害は受けなくてすみます。
私たちは、ウクライナで子どもを救うプロジェクトを実施し、誰も知らなかった数々の事実を明らかにしてきました。
放射能の被害は、ガンだけでなく、筋肉、血管、神経系にも出ますが、この被害がないことにされていたのです。
私たちのプロジェクトは、企画もできる優秀な通訳のヴァレンティーナさんを真ん中に置いて、
私とタチアナさんが異なる意見をたたかわせながら、みな様からの多額のカンパを有効に使わせていただき、成果を挙げてきました。
歩けなかった子どもが、放射能を抜いた食事と、日本の指圧とマッサージで、伝い歩きできたという「奇跡」も生みだしました。
伝い歩きできるようになった子の村の土は、セシウムが155ベクレル/kg。7割の住民が頭痛を訴えた村の土は、7ベクレル/kg。
さいたま市の与野本町小学校の土は490ベクレル/kgですから、関東から岩手県までは、食事に対策を取らないと被害が出ます。
私たちの成果を活かせば、健康被害をいち早く知って、被害を解消する手段を迷うことなくとることができます。
タチアナさんも、3人の娘たちも、健康にさまざまな問題が起きて、大変に苦労されてきました。
それが、私たちと出会ってプロジェクトを開始すると、自分と家族の健康状態が改善したので、
微量放射能の健康被害に気づき、それからは、多くの人の健康を改善させる活動を精力的にすすめ、次から次に成果を挙げています。
放射能被害から抜け出せば、多くの方が、タチアナさんのように、もっと健康で幸せな人生をおくれるようになれます。
そこで、タチアナさんの話を、とことん聞いてみる講演会と懇親会を、3カ所で行うことにしました。
マスコミや政府や学者が一度も報じなかった話を聞くことができますので、多くの方のご参加をお待ちします。
食品と暮らしの安全基金 代表 小若順一
□タチアナ・アンドロシェンコ女史 □
婦人団体「希望」代表
*「希望」とは、避難した女性が故郷の文化を残し、汚染地に住んでいる人を助ける婦人団体。
1967年1月4日生れ
チェルノブイリ原発から 32 ㎞に位置するノーヴィミールで育つ
1984年~2003年:ウクライナ科学アカデミー病院・神経部門・看護師
(1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故)
1986年8月21日 キエフにて長女カーチャ誕生
1987年8月 ラトビアに移住
1989年4月12日 ラトビアで次女サーシャ誕生
1992年4月 コヴァリン村に移住
1994年 フランス・メディカルセンター「チェルノブイリの子ども」に出向
各種組織との関係を担当し、移住地区の子どもの甲状腺ガンにもかかわった
1998年11月15日 3女オリガ誕生
2000年 キエフの大学を卒業。専攻は金融と会計監査
2003年 婦人団体「希望」を設立。会員数86人
2014年3月19日 初孫誕生(長女カーチャ)
写真:湿疹やサメ肌、足の痛みが治ったレリャック家が正装で出迎え(2014年3月)