トリチウムの環境動態
 阪  上  正  信
(金沢大学理学部附属・低レベル放射能実験施設)
     (1985年9月30日受理)
Low Level Radioactivity Laboratory,Kanagawa Univercity,Tatsunokuchi,Ishikawa,932-12.

核融合研究 第54巻第5号1985年11月 解説 より

Environmental Behavior of Tritium
Masanobu Sakanoue
(ReceivedSeptember30,1985)
Abstract
  Various studies about the behavior of tritium in the environment are reviewed with
comments on several origins of their occurrences. For atmospheric tritium,different
chemical species and their seasonal variation have been studied. The average tritium
concentration in river waters was found to be1.5~2times higher than that of precipitations at various sites of Japan.
   The vertical distribution of tritium in ground water has raised an interest for
the samples collected from different wells in depth. The effect of the accidental
release of tritium and the tritium level around nuclear facilities are also mentioned.

 「天然は人工の母であり,人工は天然の鍵である。」トリチウムがその取扱物質の主体となる核融合研究においても,既存の環境トリチウムがどこにどの程度のレベルで分布するか,どのように環境で挙動しているかなどを知ることは,核融合研究の環境安全管理,環境モニタリングのために不可欠であるのみならず,核融合研究それ自身の諸研究面と直接,間接に関連する課題もあり,諸情報の正しい解析のための意義も大きい。しかも環境トリチウムには人類誕生以前から宇宙線によりたえず生起するもの以外に,1960年代のはじめに顕著に行われた大気圏実験により全世界的に散布され,環境動態のサィクルに入ったものがあり,その汚染の現在にいたるまでの経過は,単に定常的状態のみならず,一過的な動的解析を可能にし,緊急時対策を含めた今後の対応にも貴重な手がかりを与えている。
 以上のような意味から,ここでは環境トリチウムの生成源とその環境動態の情況を解説してみよう。

1.環境トリチウムの発生源
1.1 天然トリチウムの発見とその存在量
 ウランの化合物や鉱物をもとに発見された放射性物質(放射能)が,われわれの日常生活をいとなむ環境にもあまねく存在することが認められるようになったのは,空気の電気伝導度を研究していたJ.ElsterとH.Geitelが,今世紀初頭,地下室や洞穴の空気電気伝導度が高いことはラドンとその娘核種の存在によることを証拠づけたことにはじまる。以来,種々の天然放射能が,測定法の進歩とあいまって発見されていった1)。にもかかわらず,現在は環境放射能の代表的な核種としてその存在量のかなり多い14Cそしてトリチウムの存在予想とその発見が,約40年以上も遅れたのは注目すべきことである。これはこれらが純β放射体でその最大エネルギーがあまり大きくないことによるが,このことからも,目にみえないものの天然における存在と,一方これを認識する人智の展開には大きなへだたりのあることを思わせ示唆することが多い。
 さて,そもそも天然環境とくに大気中にトリチウムが存在することが示唆されたのは1939年ごろ加速器による核反応研究において,大気からのヘリウムを照射粒子として用いたときと,地中から採取されたヘリウムを用いたときで反応生成物の収率が異なることからである。これにより大気中には3Heが多いことが認められ,それは大気中に天然トリチウムが生成存在し,その壊変により3Heが蓄積しているためとされた。このことをもとに第2次世界大戦後W.F.Libbyが,宇宙線起源による14Cおよびトリチウムの生成を論じ,その検出に挑戦したのである。まず1947年バルチモァの排水処理場のメタンガスからの濃縮試料により天然14Cの存在を発見し,つづいて1950年やっと天然トリチウムの存在が,ハンブルグの液体空気製造工場からのHe-Ne部分中の水素を精製してその放射能測定により発見された2)。また1951年には,ノルウェー製の重水にも放射能のあることが,それから調製したメタンガスの気体計数法による放射能測定により確認された3)
 このような天然トリチウムの由来は,宇宙線によって生れた速中性子(>4.4MeV)が大気中の窒素と反応したもの〔14N(n,T)12C〕や,酸素と反応したもの〔16O(n,T)14N〕を主とし,その他に一次宇宙線の陽子による核破砕反応があり,また太陽等から直接やってくる粒子としてのトリトンもある。

 それらの生成率(P)がどの程度であるか,そして宇宙線強度が過去から著しい変動なしとしてその平衡存在量(E)はどの程度であるかについては色々の推定がなされてきた。トリチウムの壊変定数λ,全存在原子数N,地球の全表面積5.1×108Km2=Scm2とすれば,E=P・S=λ・N。現在では0.25~0.2atom/cm2秒とされており4)5),平衡全存在量は約1110PBq(ペタベクレル)となる。この量はトリチウム重量として約3Kgに相当し,将来プラズマ核融合実現のさいの1サィト内の取扱い量はこれに匹敵することには注目したい。なお他の天然放射性核種の大気を含む地球全存在量の概量は 14C 11100PBq(ペタベクレル) , 40K 7400PBq(ペタベクレル) , 87Rb 740PBq(ペタベクレル) , ウラン系列 222PBq(ペタベクレル) ×14 , トリウム系列 284PBq(ペタベクレル)×10 である。

(編者注) 1Ci(キュリー)=3.7×1010Bq(ベクレル)本文ではすべてキュリー(Ci)の単位であったが、川根がすべてベクレルの単位に直しました。

単位の接頭辞
        単位 読み方    意味           単位 読み方    意味
        k   キロ     ×103           m   ミリ     ×10-3

        M  メガ     ×106           μ   マイクロ   ×10-6

        G  ギガ     ×109           n   ナノ     ×10-9

        T  テラ     ×1012           p   ピコ     ×10-12

        P  ペタ     ×1015

      30MCi(メガキュリー)=1110PBq(ペタベクレル)

 なお天然環境でのトリチウム生成反応としてほかに,リチウム鉱物と天然環境の中性子〔ウランなどの自発核分裂やα線と軽元素との(α,n)反応由来〕が反応して6Li(n,α)3Hによる生成も考えられるが,せいぜい0.0001atom/cm2秒程度で,宇宙線由来に比しとるに足らぬ程度である。

1.2 核爆発実験の寄与

 1952年からさかんに行われるようになった水爆実験では,初期にはトリチウム自身も原料として用いられたが,通例はリチウムを原料として6Li(n,α),7Li(n,nα)3Hの反応により生成供給される。核爆発TNT相当1メガトン当たりのその生成量は370~740PBq(ペタベクレル)と推定される。なお核分裂にさいし,三体分裂(ternary fission)によっても生成するがその生成量はTNT相当1Mt(メガトン)核爆発あたり740~25.9TBq(テラベクレル)と推定されている。

(編者注)     1TBq=0.001PBq

  過去の核実験の核分裂と核融合の規模別推移とそれによる降水中のトリチウム濃度の変化を図1に示す。これらによるトリチウムの生成量は全330Mt(メガトン)規模の核融合爆発により約240500PBq(ペタベクレル),全220Mt(メガトン)規模の核分裂爆発により約5.5PBq(ペタベクレル)とされている6)。そしてその約75%は地上10Km以上の成層圏に注入された。しかも核実験は主として北半球で行われ,南半球に移動またはそこで生成した量は全注入量の20%の約48100PBq(ペタベクレル)程度とされている。このことは他の放射性降下物と同様にトリチウムについても北半球の雨水中トリチウム濃度が南半球に比しかなり多かったことにあらわれている。また,ほぼ同緯度地点でも内陸部と海洋部で雨水中濃度に差があるのは,濃度の希薄な海水の蒸発による希釈効果のためである(図1の下部オタワ・ウイーンとバレンチナの比較)。

 以上のような大気圏核爆発実験は1963年の部分的核実験停止条約締結以来,フランスや中国など非加盟国によってしか行われなかったので,その後の雨水中濃度は漸減した。しかし軍事用のみでなく石油や天然ガス採掘や土木工事のための地下核爆発実験もトリチウムを環境に供給する可能性があり,局所的なものとして将釆はそれらに配慮しなければならない。

1.3 原子炉・核燃料再処理その他による放出

 核分裂を利用する原子炉では,約1×10-4程度の収率で三体分裂によるトリチウムが生成する。100万KW熱出力の原子炉では1日約0.48TBq(テラベクレル)のトリチウムがこのために生れる。このほかに一次冷却水中に過剰反応制御剤として10~1000ppmのホウ素が添加されている加圧水型軽水炉(PWR)では,10B(n,2α)3H,10B(n,α)7Li(n,nα)3H,11B(n,3H)9Beなどの反応によってもトリチウムが生れる。またpH調整剤としてのLiOHからも6Li(n,α)3Hによるトリチウムの生成が考えられるが,最近は7Li99.9%の濃縮同位体が使用されるようになったのでその寄与は少ない。
 このようにして生れたトリチウムのうち,三体分裂により核燃料中に生じたものは,主として核燃料再処理工程まで被覆材料も含めた燃料体内に保持され,環境への放出は再処理工場でおこる。一方,一次冷却水中に生じたものは原子炉サイトから液体または気体廃棄物として環境に放されるが,その量は100万KWのPWR原子炉で年間約0.030PBq(ペタベクレル)足らずであり,BWR軽水炉ではこれより少ない。しかし重水炉では2H(n,γ)3H反応により多量のトリチウムが生成し,100万KW重水炉では年間66.6PBq(ペタベクレル)に達する。このトリチウムはそのまま環境に放出されると影響が大きいので,劣化重水を貯蔵したり,トリチウムの回収を行うなどして放出低減化がはかられている。なお高温ガス炉でも3He(n,p)3Hによりトリチウムが生成する。
 再処理工場において核燃料の切断,溶解のさいそれから出たトリチウムは,例えば湿式Purex法処理ではその約1/3~1/4が水蒸気となって放出され,他は液体廃棄物となる。
 以上のような原子力施設のほか,トリチウム利用施設,標識化合物製造施設なども環境へのトリチウム放出源であり,これに将来はプラズマ核融合施設が多量のトリチウムを取扱う施設として重要となると考えられる。
 以下このような種々の成因により生じたトリチウムが各種の環境にどのように分布し挙動しているかを,従来からの調査砺究の結果のほかに,昭和58年度からエネルギー特別研究(核融合)の一環としてはじまった環境トリチウムの測定とその動態に関する総合研究班の成果もまじえ,また,事故放出の場合の環境影響の事例にも言及しつつ述べてみよう。

2.環境トリチウムの分布と挙動

 まずノルウェー産重水に濃縮されたトリチウム放射能の発見により環境トリチウムを確認したLibbyらの研究室は1953年より精力的に雨水,雪,陸水,海洋水さらに年代もののブドウ酒などを対象に環境トリチウムの測定をはじめた7)。そして1953年代の試料では雨水数0.1Bq/L(ベクレル/リットル),湖水,海水数0.01Bq/L(ベクレル/リットル)の値を得ており7),そのなかには阪大菊地正士教授から提供された1953年の神戸の雨水について6.5±0.4TU(約0.78Bq/L)の値もあり,わが国の核実験による影響をうける以前のトリチウムのレベルとして注目したい。しかし1954年2月~3月太平洋エニウェトックで行われたCastle熱核爆発実験(核融合17.5Mt,核分裂29.6Mt相当)の影響をうけて同年3月19日からのシカゴの雨水トリチウム濃度は急上昇し,4月末には数十倍に達している。その後の世界でのトリチウム雨水濃度の変動は図1にすでに示したとおりである。
 以下環境各圏別にトリチウム濃度とその動態についての状況を述べてゆこう。

(編者注) 1pCi/L(ピコキュリー/リットル)=0.037Bq/L

2.1 大気中のトリチウム

 その成因が宇宙線でも,核実験でも,成層圏に注入されたトリチウムの一部は酸化されて水の形(HTO)となり,約1年の平均滞留時間ののち,対流圏に移動し,水文学的循環を行う,しかし最初の環境トリチウム発見が液体空気分留のHe-Ne部分中の水素ガスの形でなされたことからもわかるように,大気中には水素の化学形(HT)のものもある。さらにメタン(CH3T)など有機物の化学形をとるものもあり,これらの化学形のものも1954年ごろからの核実験により増加したとの報告がある8)
 経年的に大気中のこれらの化学形を弁別測定した研究例は少なく,わが国においては前記研究班の仕事ととして九大および新潟大理学部および動燃において大気申のHTOとHTの弁別測定が行われ,さらに九大においてはそれ以外のCH3Tとみられる化学形の測定も行われた。 図2はその結果を示す。この結果からわかるようにHTO化学形のものは当然湿気の多い夏期に,大気1m3あたりの濃度(Bq/m3)が高く,かなりの季節変動があるがHT濃度およびCH3T濃度はいずれも年間大きな変動はなく,それぞれ約0.044Bq/m3,0.010~0.017Bq/m3である。このようなHTO濃度が夏期に高く,一方HT濃度は年間あまり変化しないという傾向は新潟大および動燃東海のデータでも同じようにみられる。とくに天燃レベルのHT濃度の変化が少ないことは,トリチウムを水素ガスとして取扱うプラズマ核融合施設周辺のモニタリングのさいは施設寄与を判定するためには都合がよい。なお大気中でのHTの酸化によるHTOへの転換速度について今後さらに検討を要するが,あまり早くないとの推定がある。

その証拠として各化学形の比放射能が下記のようにかなり相異することもそれを裏付けるものである。

 HT;約106TU(大気中のH2体積濃度約0.5ppm)
 CH3T;約4×104TU(大気中のCH4体積濃度約1.3~1.6ppm)
 HTO;約10~70TU(湿度4~25g/m3)

 この様に比放射能が異なるものが大気中で共存することは,同位体交換の速度が大層おそいことを示すものである。
 なお天然の環境トリチウムの全量を100%とすれば,HTO化学形で地表の水文圏に存在するものが90%と最も多いが,大気圏でも,成層圏にHTO 10%,HT 0.004~0.007%,対流圏HTO 0.1%,HT 0.02~0.2%,CH3T<0.04%との推定もなされている。
 ある地点の対流圏水蒸気を経日的に連続的に採取して測定していると,前線通過などによる風向,風速など気象要因の変化によってトリチウム濃度がかなり変化することが研究班の一成果として報告されており,その地点の水蒸気気団の由来と関係すると考えられている。
 事故放出などによりどの程度大気中水蒸気のトリチウム濃度が上昇し,それがどのように変化したかの例として,図3に米国Savannah River Plantの例を示す。同所では1974年5月2日トリチウム処理施設でパイプの故障がおこり17.7 PBq(ペタベクレル)のトリチウムガスが高さ60mのスタックを通じて放出され,HTO/HT実測比は0.0023であった。なお1975年の平常放出全量は11.3 PBq(ペタベクレル)(86%がHTO,14%がHT)であるが,この年の12月31日夜には6.73 PBq(ペタベクレル)のトリチウムが事故放出された(99%はHT)。
 これらの事故の影響とその減少が,10Kmおよび40Km地点で採取された大気水分および野菜水分のトリチウム濃度にうかがわれる。

2.2 降雨(雪)
 雨水についての環境トリチウムの継続測定は前述したようにまずシカゴ大学の研究室においてなされ,その後原水爆実験がさかんになるとともに,世界各国の関心の的となり,1961年からは国際原子力機関(IAEA)が世界気象機構(WMO)と共同で全世界的規模で降水中のHTO濃度のデータを収集し,その結果を発表しており,図1下部に示したのもその一例である。
 わが国でも1962年当時大阪市大の西脇,河合によって1957年の大阪市降水を濃縮して測定した結果が発表され,さらに理研高橋らは1961年からの東京,高知,新潟の降水について測定し,学習院大の木越は年輪試料をもとに間接的に1954年以前にさかのぼるデータを推定した。その後わが国で111Bq/L以上の最高値が1963年にみられ,気象研や近畿大でも継続測定データが出された9)。さらに近年は低バックグランド液体シンチレーション測定装置の普及とともに,放医研や原子力施設のある各県の衛生研究所なども降雨中のトリチウム濃度を測定し,前記研究班でも諸大学が日本各地で雨水のトリチウム測定を行い,気象変化にもとづく解析などが試みられつつある。これまでの結果の要点をまとめると下記のごとくである。

 (1)経年変化;北

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)経年変化;北半球では1963年の最高値以来,注入トリチウムは次第に海洋等に拡散してゆくため,雨水中濃度はほぼ約1年のみかけの半減期で約5年間は減少していったが(図1),中国やフランスの核実験による付加などの影響により減少のみかけの半減期は5~6年とゆるやかになり,最近まで減少がつづいていることは,わが国各地の観測結果にも認められている。図4には愛知県雨水の経年変化を後述する各河川水の結果とともに示した。
 最近はトリチウム放出施設近傍を除けば3.7Bq/Lを越えるデータは少なくなり,原水爆実験以前の天然起源トリチウムレベルにほぼ近い値までになっている。

 (2)季節変動;北半球の降水中HTO濃度にはトリチウムレベルが高かった図1の場合にみられるように,

 (編集者注)

180pCi/L=6.7Bq/L
160pCi/L=5.9Bq/L
140pCi/L=5.2Bq/L
120pCi/L=4.4Bq/L
100pCi/L=3.7Bq/L
 80pCi/L=3.0Bq/L
 60pCi/L=2.2Bq/L
 40pCi/L=1.5Bq/L

初夏6~7月に高く,冬1~2月に低いというかなり顕著な季節変動が認められた。しかしレベルの低くなった最近のわが国のデータをみると,海洋気象等の影響をうけやすいため,それほど顕著な季節変化はみられず,地域的特徴に応じた季節変化,例えば春やや高く秋低い傾向(愛知県)や,初夏に高い傾向(日本海側の新潟,富山,石川の各県)が認められる。

 (3)海洋の影響;降水中のHTO濃度は,大陸内地域は海洋地域よりも高いことが世界的に認められており,米大陸でも同緯度地点で比較して,海洋濃度に比し純内陸や大陸東岸では3~4倍あるいはそれ以上,西岸は西風の影響をうけて希釈されるため1.2~2倍というデータがみられる。わが国は海洋中の列島で面積も大きくないのでそれほど大きな地域差は認められず,むしろ気象状況により,気団が大陸起源か,太平洋起源かによって高低の変動がみられると考えられる。

 (4)緯度による影響;多数の海洋観測個所の降水中HTO濃度は緯度によって異なり,北半球では緯度約13°ごとに,南半球では緯度約16°ごとに赤道に近づくにつれトリチウム濃度は減少する。なお他のフォールアウトのように中緯度地帯に降下のピークは認められず,極地近くでもHTO濃度は高い。これは極地では成層圏から対流圏への移行が支配的であるとともに,温暖地域では海洋水の蒸発による希釈効果が大きいためと考えられる。なお核実験以前の天然トリチウム濃度も同様の緯度依存性のあることは各地の水や,各地産ブドウ酒などの測定値から推定されている。
 なお水蒸気の大気中滞留時間約1~2月を降水トリチウム濃度をもとに求めた例があり,小雨には対流圏下層の水蒸気中のHTO濃度が反映し,中程度や大雨ではこれら水蒸気との交換は無視できるとの見解がある。

 (5)施設周辺の降雨によるトリチウムの洗浄沈着;たえずHTOを放出している施設周辺でそれらがどの程度降雨により洗浄沈着するかについての研究班の成果を述べておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  図5に示すように茨城県東海村の重水減速研究炉では炉内中性子の2H(n,γ)3H(T)反応によりたえずHTOが生成し,その一部が蒸気として大気放出される。放出源の南~南西方向の約0.5Km~2.0Kmの範囲に降雨採取器を設けて月間降雨を採取し,それを測定して,核実験およぴ天然トリチウム寄与分を差引き,施設由来分の降雨による沈着量量を求めた値をプロットしたのが図5である。なお本図には単位面積あたりの降雨による沈着量を,放出量,観測点の放出源からの距離,降雨の頻度,強度などのパラメーターから求める式をつくり,それを一定地点の観測値にあてはめて比例定数を求め,その比例定数により沈着量の距離依存性を計算した曲線も記入してある。詳細は昭和59年度環境動態研究班報告書を参照されたい。

3.地表水(河川,湖沼)および地下水
 降雨量をあつめて地表を流れる河川水さらにその滞留する湖沼水のトリチウム濃度も核実験の影響をうけて上昇し,図4の愛知県河川の例にみるように最近にいたるまで減少をつづけており,そのみかけの半減期は5~6年と見積もられ,その年間変動幅も降水に比し少ない。また同時期の雨水のレベルと比較すると図4でもわかるように最近10年間では一般に河川水の方がトリチウム濃度が高い傾向がある。これは河川水の由来が単にその時期の降水に由来するもののみでなく,核実験による影響の大きかった何年か前の降水が一度地下水として貯留されてのち,再び地表に出て河川水となっているためと考えられ,大河川や高い山に由来する河川ほどこの寄与は大きく,その経年的減少もゆっくりと現われる。なお図6には富山県の河川でかなりの雪の多い高い山岳地帯に源をもつ2つの河川のトリチウム濃度測定結果を示した。これらは最近の同地方の降水のトリチウム濃度の約2倍近くである。しかも季節変化はあまりなく,雪国で河川水の流量が増大する融雪期でもトリチウム濃度低下が認められない。これは融雪期の増水も雪融け水の直接の流入によるのでなく,雪融け水が地下に滲透しそのため地下水が押出されて増水することを示唆する。しかも図6には同一試料水について測定された重水素濃度の標準水との偏差(δD)の測定値も示したが,D/H比は融雪期には少しづつ低下する場合のあることが認められ,これは雪融けがD/Hの大きい低地からD/Hの小さい高地へ移り,それに伴って地下水の流出の行われる場所も低地から高地へその中心を移すことを表わすものとして,単にトリチウムの測定のみでなく,D/H比や18O/16O比などの安定同位体比の測定も同時に行えばトリチウム測定をもととしてより多くの知見の得られることを示す。

 (編集者注)

100pCi/L=3.7Bq/L

 50pCi/L=1.9Bq/L

 湖沼水のトリチウム濃度についても,その表面水の経年変化には河川水と同様の傾向が宍道湖について認められ,一方海岸に開口している島根県中海では海洋水の影響で濃度も低く,また経年変化も少ない。なお360mの深度をもつ北海道支笏湖と,233mの深度をもつ鹿児島県池田湖について,トリチウムの深度分布が九大の研究者により調査されたが,後述する深海水のような大きな濃度変化はなく,これら湖水の循環がトリチウムの半減期よりはるかに短い期問内に行われていることが認められている。ただし表面水にはやや変動が認められている。
 一方,地下水のトリチウム濃度は井戸の水を供給している地層の深さとその地域の地質構造に関係がある。その実例として金沢市の井戸水について行われた私共の研究成果を図7に示そう。同市小立野台地の1Km範囲内の異なる深度に採水のためのストレーナーのある6つの井戸と,同台地の両側を流れる浅野川1,犀川の水のトリチウム濃度の状況は同図右下の図にみるようにかなりの変動がある。最深部(No.2)の水は電解濃縮を行ってもそれほどトリチウム濃度の上昇がみられぬほどトリチウム濃度は低く,トリチウム測定のバックグランド水として使用されているが,ほぼ同じ地点で深度60m程度からの水(No.1)はトリチウム濃度が約2.3Bq/Lと高く,このことはほぼ同一深度の水(No.4)についても認められた。一方,深度10m程度からの水(No.3,No.5)は約1.1Bq/L前後であり,山から水を供給されている洞川水のトリチウム濃度はそれよりやや高めである。このことから浅層地下水は現在の降雨を貯留したものであり,一方中層地下水は核実験の影響をうけて降雨中のトリチウム濃度の高かったころの水がなおかなり貯留していること,さらに深度の深い深層水はトリチウム放射性壊変による減衰のためトリチウムがほとんど認められなくなるほど古い水であることがわかる。このことはこの地域のボーリング・コアーによる不透水粘土層の存在等の地質構造の解析,さらに融雪用の井戸水も含めた広範な地下水の調査によっても裏付けられており,その詳細は別に報告する10)

 このように地下水のトリチウム濃度のある地域での深度別の研究は,その地域の水文学的状況を解明するためのかけがえのない手がかりを与える。このことは,将来反応プラズマ・核融合実験施設など大規模なトリチウム取扱施設が建設されようとする地域では,なるべくその地域と周辺全般の種々の深度からの地下水をボーリング等で採水し,その特性を把握しておくことが,環境モニタリング,緊急事態での対策確立のため望ましい。

 定常的に運転を行っている重水減速原子炉周辺では,環境にある程度のトリチウムが注入されることはやむをえず,環境モニタリングには図5に示したような降雨による洗浄沈着量の直接観察のほかに,その施設周辺レベルの分布を知るには,井戸水などの浅層地下水を数多く採水してそれらのトリチウム濃度を測定することが有効である。そのわが国での実例として東海村原研南南西方向の状況を図8に示しておこう。なおこの地域の地下水は私共研究班のトリチウム測定法のク9スチェックのためにも使用された。昨年訪れた中国北京の原子能研究所では1958年から運開した重水炉(1980年10MWから15MWに増強)があり,1978年まででもその5トンの重水に0.078TBq/Lのトリチウムが蓄積しており,平常時のモニタリングのほか,事故時の貴重なデータも得られている。なお,スイスの夜光時計用のトリチウム取扱工場では1983年12月13~14日,約0.019PBq のトリチウムの放出事故(平常時でも排水濃度は数3.7Bq/L 以上と高い)があった。それがラィン川の支流の山域の地下水や本流の表面水のトリチウム濃度をどのように変動させたかのデータを,今夏訪欧のさいその研究に参加したベルン大の研究者から提供されたので,その要点を図9,10により示しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.沿岸海水および海洋
 地球上の水の97.5%を貯蔵する海洋のトリチウム濃度は,河川水の影響の程度,海洋水の深度による混合と貯留減衰時間の相異によって大きな影響をうける。表面水ではかなり希釈混合がはやく行われ,沿岸海水でもよほど河口に近いものを除けばそのトリチウム濃度にあまり大きな相異がないことが,九大の研究者の日本列島沿岸海水の広範な調査で認められ,1983年度には0.48~1.0Bq/L(平均0.77±0.18Bq/L )である。なお放医研の研究者による1971年から1980年にかけての一定箇所の沿岸海水のトリチウム濃度の経年変化では約1.9Bq/Lの値が約10年間に約0.74Bq/L まで漸減したことが報告されており,それに比し同年度の河川水や湖水の値は約3~5倍高い値を示している。
 一方,太平洋,大西洋など海洋水の深度別トリチウム濃度の変化も研究されている。その結果,水深50

 

 ~100mまでの混合層の水と,それより深い海水温がかなり低温となる温度躍層(Thermocline)の水は,相互に混合しにくく,より深海層の海水と混合層の海水の上下混合を妨げているため,南北の高緯度地帯以外では,トリチウム濃度が海水の深度とともにトリチウムの放射性減衰のためかなり低下していることが知られている。
 このような海洋水のトリチウム濃度の深度変化とその各海域的動態は,海洋科学的研究として興味あるのみならず,原子力施設等から海洋に放出されたトリチウムの挙動を考える場合に重要である。

5.陸上の動植物のトリチウム濃度
 トリチウム取扱施設や生成施設周辺のモニタリングや食物連鎖を通じての生物影響を考える場合には,野菜など食用植物もふくめた各種植物の付着水,含有水分,さらに有機成分のトリチウム濃度,さらに人尿等もふくめた動物についてのトリチウム濃度の研究も重要である。
 環境モニタリングの目的で,松葉の付着水が,環境のトリチウム汚染の指示として有効に利用できるとの放医研等の研究もあり,また飲料水に比し,人尿のトリチウム濃度が高いとの報告もあるが,有機成分混入のための疑似計数など測定面でなお検討する点もあり,今後の研究が期待されている。また生物機能における同位体効果のため有機成分にトリチウムの濃縮がみられるかどうかなど,生物を含めた広義の環境トリチウムの動態研究についてはなお研究すべき課題が多く,現時点では簡単にまとめるには尚早と考えられる。

              参  考  文  献
1)阪上正信:名古屋大学RIセンターTracer 9(1984)18.
2) V.Falting and P.Harteck:Naturforsh.5A(1950)438.
3) A.V.Gross et al.:Science113(1951)1.
4) S.K.Aegerter  et al.:IAEA,STI/PUB152(1967)49.
5〉 B.J.Teegarden: J.Geophy.Res.72(1967)4863.
6)J.A.Miskel: Tritium(A.Moghissi and M.Carter Eds,Messenger Graphics,Phoenix and
  Las Vegas,1973)p79~85.
7)阪上正信:環境トリチウムの測定とその動態に関する研究資料要覧(昭和58年科学研究費補助金
  印刷,金沢大・低レベル放射能実験施設,1984)p3~5.
8)E.A.Martell:J.Geophy.Res.68(1963)3759.
9)文献7)p.6~10.
10)山田芳宗,翫幹夫,加藤岩夫,阪上正信:地球化学(日本地球化学会)に投稿中。