[解説]

 歴史に学ぶことは重要です。過去にアメリカ本土で行われた、放射能汚染のデータ改ざんは、2011年3月の東京電力福島第一原発事故における、米軍の土壌調査データでも繰り替えられています。ストロンチウム89、ストロンチウム90の汚染データにー(マイナス)の値があるのです。

 これは、すでに1990年にジェイ・M・グールド ベンジャミン・A・ゴルドマン『死に至る虚構 国家による低線量放射線の隠蔽』の中に「放射能値のマイナス値」の原因について書かれています。放射能が「負」になるような物質は存在しない。つまり、平均化すると「通常時と変わらない値」になるように、意図的にプラス値のいくつかがマイナス値に換えられた、と。

 以下の東電福島第一原発事故で放出されたストロンチウム89とストロンチウム90のマイナス値も、そのマイナスを取ったプラス値として考える必要があります。

 「白血病について考える資料(2) 東電福島第一原発事故で放出されたストロンチウム89とストロンチウム90 米軍のデータから」 内部被ばくを考えるを考える市民研究会資料 2019年6月14日

 

米国東部環境放射線機関(EERF)の奇妙な仕事 
放射能値のあり得ない大きな「マイナス値」

―アヒンサー 『死に至る虚構 国家による低線量放射線の隠蔽』DEADLY DECEIT

ジェイ・M・グールド ベンジャミン・A・ゴルドマン 共著 

英語初版1990年4月

肥田舜太郎 斎藤紀 共訳 pp.69〜73 アヒンサー出版 1994年10月22日

【編集】 内部被ばくを考える市民研究会 川根眞也 題名も。

 1975年には、原子力エネルギーの推進と調整という原子力委員会の矛盾した役割に、議会と大衆の関心が強まり、委員会は解散した。原子力エネルギー委員会(AEC)の監視の役割を引き継いで原子力規制委員会(NRC)が設立された。保健教育福祉省(HEW)の放射線データの修正と出版の責任を環境保護局(EPA)が引き継いだ。月間「放射線データと報告」誌は廃止され、それに替わって制約の厳しい、配布も制限された季刊の「環境放射線データと報告」が発行された。この報告には「放射線データと報告」誌に公表されていた詳細な記事、すなわち政府の兵器工場周辺の環境放射線、食物の放射能、骨中のストロンチウム90などについては掲載されていない。ミルク中の長命なストロンチウム90と短命なストロンチウム89の正確なデータは各州とも7月1回だけの測定に縮小された
 1975年のその第1号の発刊から、「環境放射線データ」はアラバマ州モンゴメリーにある前AEC(原子力エネルギー委員会)研究所そのものによって準備が進められ、東部環境放射線機関(EERF)と名付けられた。中身は以前とまったく同じ機関に、現在、すべてのミルクや雨のサンプルと、環境放射線の精密な測定のための大気フィルターが送られている。今や、たった1ヵ所のこの研究室が全米のすべての地域の環境放射線の測定基準を決定することができ、組織はデータの変化を単純化したり、隠ぺいしたりするこ
とができた。
 東部環境放射線機関(EERF)の一番奇妙な仕事は、ミルク中の放射線量値を物理的にあまり大きくない「マイナス値」で報告することだった放射線が「負」になるような物質は存在しない。しかし比較的、最近のミルク中の放射線の表記方式によれば、宇宙線やラドンその他の自然放射線によってできるバックグラウンドのレベルより低くなる時は「マイナス値」が発生する。この表記方式でも普通は、数週間で消滅するヨウ素131やバリウム140などの短命な核種には小幅のマイナス値とプラス値が存在する。統計上で予想されるように、滅多に最小幅の4〜5倍以上にはならず、平均すると年に2〜3回はゼロになる。
 このような予想に反して、報告は時としてプラス値よりもマイナス値を多く含み、異様に大きなマイナス値もあった。レーガン政府の「宇宙戦争」戦略防衛構想にもとづいてネバダ核実験場で行われた1982年夏の地下核実験はそのような場合の1つだった。議会の公聴会の証言によれば、これらの実験は環境中に大量の放射能を放出したことが疑われた。中国の最後の大気圏内核実験は1980年10月であり、その後、この地域での原子炉の運転はない。したがってミルク中のバリウム140とヨウ素131の数値に大きなプラ
ス値があったなら、アメリカ自身の地下核実験からの漏洩の明らかな証拠であるに違いない。
 にもかかわらず、ネバダ州のミルク中のバリウム140は1982年5月に1L当たりマイナス42ピコキュリー(-1.6Bq/L)という驚くべき数値を示し、全米で最高のマイナス測定値だった。当月、アメリカ全土で62件あったバリウム140の測定報告のうち、驚いたことに57件がマイナス値だった。ネバダ州に隣合った8つの州でもマイナス値が測定されており、ネバダ核実験場から遠くなるにしたがって数値の大きさを減じている。
 それとはまったく対照的に、1982年3月の月にはそのようにはっきりしたパターンは存在しない。ネバダ州におけるミルク中の放射線のマイナスの最高は1982年6月の10分の1で、正常な状態下で期待されるプラスとマイナスの小さな上下の動揺が見られるのみである(以下の図6−6を見よ)。

 図6―6 1982年6月と3月の西部諸州におけるミルク中のバリウム140のマイナス値 

 
 また、1982年6月にヨウ素131の大きなマイナス値がニュー・イングランド州で数多く起こった。その月にはマサチューセッツ州のピルグリム原子炉が2回にわたって重大な放射能漏洩を起こしている。これらの事故とそれ以前に報告された放射能漏れは、引き続いて起こった白血病の増加と合わせてバーバード大学公衆衛生学部の研究課題になり、後にジョン・F・ケネディ上院議員が国立衛生研究所の原子炉付近におけるがん発生率の研究を正当化するため、その資料を使用している。

 6−7図はヨウ素131の絶対値として大きなマイナス値が、ヨウ素131の大きな源泉と報告された、東マサチューセッツのピルグリム原子炉および東コネチカット州のマイルストーン原子炉から、遠く離れるにつれてその絶対値が減っていることを見事に示している。

 図6―7 1982年6月と1月のニュー・イングランド諸州におけるミルク中のヨウ素131のマイナス値

 このケースではピルグリム原子炉のオペレーターから原子力規制委員会(NRC)に、その夏、核工場の近くの大気中の放射能上昇が確認され、報告書が提出されている。ネバダ州のミルク中のバリウム140の濃度は、工場が閉鎖されていた1982年初めには、ゼロであった。
 なぜ、大きなマイナス値が出るのか。なぜ、ゼロの近くの数値はずっとそのままなのか。大きなマイナス値の使用は真実を知る必要のない役人にとっては有意義であるが、一般庶民にとってはプラスの指標を帳消しにし、結果として国の平均値の警告の機能を失わせてしまう。
 疑いなく、このような奇妙なデータ操作は最後の手段であった。改ざんされた統計が批判的に暴露される可能性は非常に少ない。このような月報の公表は高度に操作されており、非常に限定された読者層を想定している。放射線報告を読む科学者の大半は、例えば、原子力機関を含む連邦政府機関のどこかで働いている。データが国家の安全に微妙に関わり合うことを認めた上で、これら政府の科学者たちはどんな異常な測定値をも、それぞれ正当な管轄者、この場合は彼らの所轄上司に報告する。一方、公衆衛生の分野にいて人口統計月報を読んでいる科学者は放射線データについて詳しくは追跡しない。1960年代の当初に大気圏内核実験禁止条約が調印された後は、比較的、少数の科学者だけが、人類が作った環境放射能のレベルを心配してきた。
 その上、目立たず、あまり疑われないデータ操作方法は、本当に突出したデータを隠すのにしばしば役立ってきた。例えば測定地点の記載順序を地理的に脈絡なく入れ替えることで、放射線測定値の表が持つ意味を解釈することを困難にする、という方法である。アラスカ州がアラバマ州の次に並び、南カリフォルニア州がロードアイランド州に続いている、などである。測定値が周辺より高いかどうかを判断するには、データを入れ替えるコンピューター解析が必要である。
<中略>
 データを改ざんするためには、主要な官僚機構の抵抗を抑圧することになしには困難であったと思われる。東部環境放射線機関(EERF)の設立によって、そのことが簡単にできるようになった。