[第1稿] 2019年9月19日記
<広島、長崎の遺伝的影響調査の対照群として、呉市、佐世保市の妊産婦と子どもたちが選ばれていた>
前稿(1)では、「放射線によりショウジョウバエには遺伝的影響が出るが、人間には出ない。少なくとも広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない。」は果たして正しいのか、検証したい、と書きました。そして、そもそも「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない。」と学説の原典は1956年ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)の論文であることを紹介しました。
<参考>広島、長崎の被爆者に放射線の遺伝的影響は果たしてなかったのか?ABCCー予防衛生研究所の犯罪を追及する(1)
図1 ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)J.V.NeelとW.J.Shullの1956年の論文の表紙 ABCC(ATOMIC BOMB CASUAALY COMMISSION)の文字がはっきりと書いてある。
本稿(2)では、日本の予防衛生研究所の原爆遺伝調査計画全文を紹介します。故笹本征男氏の労作『米軍占領下の原爆調査~原爆加害国になった日本~』新幹社1995年より、紹介します。本来、この予防衛生研究所の計画通りに、広島市の被爆者と呉市の一般住民、長崎市の被爆者と佐世保市の一般住民との比較対照したならば、はっきりと被ばくによる遺伝的影響が明らかになったはずです。しかし、調査が広島市、長崎市、呉市(ついに計画だけで佐世保市では調査が行われなかった)での妊産婦登録が1948年から開始されましたが、1950年8月で呉市の妊産婦とその子どもの調査は打ち切られます。これは遺伝的影響がはっきりしてきたからではないか、と疑われます。以降は、広島市の被爆者である妊産婦とその子どもと、新たに広島市に入市し生活を始めた妊産婦とその子どもが、また、長崎市の被爆者である妊産婦とその子どもと、新たに長崎市に入市し生活を始めた妊産婦とその子どもが対象となった調査が行われます。広島、長崎の被爆者は外部被ばくとともに、放射能で汚染された野菜、魚を食べ、放射能で汚染された川の水を飲んでいます。新たに広島市、長崎市に入市し生活を始めた人々は外部被ばくこそしていませんが、放射能で汚染された野菜、魚を食べ、放射能で汚染された川の水を飲んでいます。どちらも内部被ばくをしているのです。
第二次世界大戦後の世界を核兵器を使って、支配しようとしたアメリカが、核兵器の生み出す放射能が、人類に遺伝的影響をもたらす兵器であることをひた隠しにするために、組織された機関がABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)であった、と言えます。また、その核兵器の放射能が遺伝的影響をもたらす事実を隠しことに協力したのが、日本の天皇制あり、政府であり、日本学術会議であったのです。日本学術会議の前身である文部省学術研究会議は、広島、長崎に調査団を派遣します。これは、マンハッタン管区調査団長ファーレル准将が、広島での調査から東京にもどった日の1945年9月14日に文部省は学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会を設置することを決めます。この決定文書には、広島、長崎の実情を我が国の科学の総力を挙げて調査する、と書かれていますが、本調査研究は純学術的なものであって、調査結果は地方民生の安定に資するためにも遺憾なきを期している、とだけ記されていて、広島、長崎で心身ともに深刻な被害を受けた被爆者の救援・救護・治療のための調査・研究では一切ありませんでした。(笹本、同書、pp.55~56)今、再び、福島で行われている、小児甲状腺がんの子どもたちの「学術・研究」はまた、学問のためであり、決して子どもたちを救援・救護・治療するための調査・研究ではないことは、悪夢の再現を見るかのようです。日本の戦後とは、学問がその良心を捨てたところから始まった、と言わなければなりません。
外部被ばく・内部被ばくしている被ばく者と、入市して生活し内部被ばくしている人々とを比べると、がん死の割合も、奇形児の出生率も似たものになります。比べてはいけないものを対照群とすることで、差がないような疫学調査結果をまとめ、「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない」との結論を導き出したアメリカと日本の学者たち、その犯罪を暴きます。
<予防衛生研究所「原子爆弾の影響に関する医学的調査」計画書 1947年12月 同書pp.303~309>
予防衛生研究所「原子爆弾の影響に関する医学的調査」 1947年12月18日付
PHW局長サムス大佐宛て提出 Box No-9354 PHW-01729-01720
予防衛生研究所 東京都港区芝白金台 電報宛名略号……東京衛生 電話(57)0011-0014
1947年12月18日
連合国最高司令官総司令部公衆衛生福祉局長 C・F・サムス大佐殿
原子爆弾の影響に関する医学調査
私はここに貴官の吟味に供し、貴官の承認を得るために上記計画書案の写し3通を提出いたします。
本計画ができるかぎり早急に開始されることを希望いたします。
予防衛生研究所長 小林六造
1947年12月1日
原子爆弾の影響に関する医学調査
第二次世界大戦の終わり近くに広島、長崎に投下された原子爆弾は、前記の二都市の被ばくした住民に対して、ある晩発的影響をもたらしている可能性がある。考えられる様々な影響のなかで、子供の成長の正常な形態にみられる変化、血液異常の増大、ケロイドの悪性変化は医学的に綿密に研究されるべきである。
本調査は戦時においてのみならず、来るべき原子力時代の人類の福祉の保護に対して多大の寄与をなすと予想される。それ故に、われわれは本調査を一刻の猶予もなく開始するべきである。
アメリカ合衆国国家研究評議会の日本代表のニール博士(James V.Neel:編集者注)を通じて、前記機関が来るべき平和条約が発効した後に本調査の必要経費の大部分を負担することはいとわないという提案がなされたことを付け加えておかなければならない。
一.本調査は、日本の予防衛生研究所とアメリカ合衆国国家評議会との共同の援助のもとに実施される。連合国軍最高司令官総司令部と日本国政府厚生省は本計画に対して援助を与える。
二.原子爆弾の影響に関する医学調査のために、特別な部局が予防衛生研究所内に設置される。組織及び人員は付表に示されている。
三.現地調査班は広島、長崎に組織され、その支所が比較対照情報を収集する目的で、呉、佐世保に組織される。組織及び人員は付表に示されている。
四.前記現地調査班及びその支所は必要な情報を収集し、必要な健康診断を行なう。予防衛生研究所の調査課は現地調査班が提出した情報の整理を行う。
五.本調査の円滑な実施のために、東京に中央委員会、広島、長崎に地方委員会を設置する。組織及び人員は付表に示されている。
六.本調査は約20年間継続する。
七.本調査に必要な経費の大部分は平和条約締結後、アメリカ合衆国国家研究評議会原子傷害調査委員会(CAC)が負担する。しかし、その時期までは日本国政府は上記の経費を負担する。現在、本項の内容を証明する文書は日本にいる当委員会代表のニール博士(James V.Neel:編集者注)が管理している。本計画のために利用しうる資金の調達に関する手続きの詳細は今後ニール博士と協議されるべきものである。
八.第四項に述べられた様々な調査計画のうち、アメリカ側との詳細な協議が終了しているものについては調査が始められるように提案する。
遺伝計画、健康診断及び職務全般に必要な経費の概算は経費予算要求に含まれる。
子供の成長に関する最終勧告は、目下原爆傷害調査委員会(ABCC)とアメリカ合衆国のグルーリック博士のとの間で準備中である。
九.研究計画
a.遺伝計画
原子爆弾都市(広島、長崎)及び比較対照都市(呉、佐世保)の全妊産婦は登録され、調査票の一部に必要事項が記入されることが求められる。調査票の写しが添付されている。調査票は正副二通記入される。調査票の写しの一通目は当の妊産婦に渡され、妊産婦はかかりつけの医者あるいは助産婦にそれを提出する。医者と助産婦は調査票を完成し、妊娠期間の終結後に収集地の返却する。写しの二通目は出産予定日に従って必要事項が記入され、返却数の完璧を期すために点検用として使用される。
妊婦の異常終結あるいは先天的奇形に関する全ての報告は現地班の医者によって確認される。可能ならばより完全なデータが求められる。
本研究の目的は、原爆被爆時に広島、長崎にいた両親から生まれた子供たちに先天的奇形発生数の増加があるかどうかを確定することである。比較対照都市において、調査票は日本人の奇形及び死産発生数に関する基本的データを提唱するであろう。
b.子供の成長計画
未定。
c.ケロイド計画
未定。
d.健康診断計画
本計画の主要目的は、上記計画に述べられた様々な計画に必要な健康診断を実施することである。しかし、本計画は低料金の医療を施す点においてこれらの計画の円滑な実施に向けて公衆の協力を確保するのに役立つ。
計画案
1947会計年度ー1948会計年度
原子爆弾の影響に関する医学的調査
一.原子爆弾の影響に関する医学的調査のために、予防衛生研究所内に中央委員会を設置する。本委員会は当該分野の科学者たちから構成され、四つの現地調査班から提出された資料を研究し、本計画の政策全般を討議する。
二.特別な部局が予防衛生研究所内に設置される。この部局は整理と分析のために四つの現地調査班から情報を受理し、さらなる研究のために上記中央委員会に情報を提出する。
三.本調査のための地方委員会が広島、長崎に設置される。これらの地方委員会は各県市の当局者、地方の医師会、助産婦会、看護婦会、医学教育施設の代表者から構成される。これらの委員会は各地の現地調査班の実際の作業に関する諸問題を討議するために時々会合する。
四.本調査のための現地調査班は広島、長崎に組織され、その支所は呉、佐世保に各々組織される。これらの現地調査班は各都市における全妊産婦を登録し、調査票を収集し、それらを東京の中央機関に提出する。広島、長崎の現地調査班は呉、佐世保の現地調査班を時々監督する。
五.遺伝調査課、健康診断課、庶務係が広島、長崎に設置される。現地調査班、遺伝調査課、健康診断課が呉、佐世保の現地調査班内に設置される。
現在まで、遺伝計画に関する詳細な取り決めがアメリカ合衆国国家研究評議会と日本の予防衛生研究所との間で決められている。今期会計年度内に、広島、長崎の現地調査班及びその呉、佐世保支所に遺伝調査課、健康診断課、総務課が設置されるように提案する。
原子爆弾被爆後の出産に関する調査票
地域及び調査票番号、出産日、夫、妻(旧姓)、名前、生年月日、年齢、被爆時広島か長崎か、場所、爆心地からの距離、屋内、建築物の形態、点状出血、歯肉炎、血性下痢、脱毛、発熱、火傷、外傷、婚姻届け日、結婚生活の中断、結婚前の同棲期間、全同棲期間(月数)、1945年8月以後の妊娠回数、1945年以後の死産数、全妊娠数、血族関係、現住所、妻最近の月経期間、出産予定日、現在の妊娠期間、出産日、出産経過、出産の終結(生産期間、生産、早産、流産、20週以内ー死産、5~6ヵ月ー死産、6~8ヵ月ー死産、期間)、多産ー順序、性別ー体重、奇形、奇形の形態、1948年1月以降妊娠したかどうか、所見、医者の氏名・住所、助産婦の氏名・住所
組織及び様々な組織における人員の任務
一.中央組織
a.東京予防衛生研究所原子爆弾影響医学調査課
課長 1
助手 統計係 2
技師 4
計 7
二.地方組織
a.広島原子爆弾影響医学調査研究所
(遺伝調査課、健康診断課、庶務係のみ)
研究所長 医師 1
*遺伝課員 医師 2
遺伝課助手 技師 2
調査員ー保健婦、事務員 8
総務課 2
庶務給仕 2
計 17
b.広島原子爆弾影響医学調査研究所
(遺伝調査課、健康診断課、庶務係のみ)
研究所長 医師 1
*遺伝課員 医師 2
遺伝課助手 技師 2
調査員ー保健婦、事務員 8
総務課 2
庶務給仕 2
計 17
c.呉原子爆弾影響医学調査研究所
(遺伝調査課、健康診断課のみ)
*遺伝課員 医師 2
遺伝課助手 技師 2
調査員ー保健婦、事務員 6
庶務給仕 2
計 12
d.佐世保原子爆弾影響医学調査研究所
(遺伝調査課、健康診断課のみ)
*遺伝課員 医師 2
遺伝課助手 技師 2
調査員ー保健婦、事務員 6
庶務給仕 2
計 12
*注ー遺伝課員(医師)は健康診断課を訪れる患者を診断する。
1947ー48年の配置組織人員
研究者 助手 計 所見
二級 三級 三級 下級
予研の組織 1 2 0 4 7
広島現地班 3 3 1 10 17
長崎現地班 3 3 1 10 17
呉現地班 3 3 1 10 17
佐世保現地班 2 2 1 7 12
計 11 12 4 41 70
予防衛生研究所
原子爆弾影響医学調査部
東京中央委員会
地方委員会(長崎) 地方委員会(広島)
長崎現地班 佐世保現地班 呉現地班 広島現地班
遺伝課 遺伝課 遺伝課 遺伝課
子供成長課 子供成長課 子供成長課 子供成長課
ケロイド課 ケロイド課 ケロイド課 ケロイド課
血液病課 血液病課 血液病課 血液病課
健康診断課 健康診断課 健康診断課 健康診断課
総務課 総務課
概算予算(1947-1948会計年度(1948年1月ー3月))
原子爆弾影響医学調査
給料 395,880.00円
旅費 80,034.00円
設備 490,190.00円
化学薬品 168,754.00円
文房具 97,000.00円
通信費 19,500.00円
ガス、電気、水道 26,380.00円
賃貸料 180,000.00円
委員会会議 15,200.00円
計 11,490,966.00円
以上、笹本征男『米軍占領下の原爆調査~原爆加害国になった日本~』新幹社 1995年 pp.303~309より、全文を引用しました。赤字、青字は編集者によるものです。注として、ニール博士(James V.Neel:編集者注)と挿入したのも編集者です。ニール博士とは、前稿(1)で紹介した、「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない。」との結論を導き出した論文、Effect of Exposure to the Atomic Bombs on Pregnancy Termination in Hiroshima and Nagasaki ABCC 1956年の著者です。すべて、アメリカのABCCのコントロールの下に、そして、アメリカの国家予算でこの被爆者の遺伝的影響調査が行われたことが分かります。そして、最後の概算予算には、医薬品、治療器具等の予算が一切ありません。原爆投下から2年経った時点でも被爆者は原因不明の病気、原爆ぶらぶら病やケロイド、体調の不調に苦しんでいました。当然、爆風で飛ばされ、熱線で焼かれ、様々な傷害に苦しんでいました。それらを一切、予防衛生研究所は切り捨てて、ひたすらアメリカの国家戦略、核兵器の放射能には遺伝的影響はないの結論を導き出すための調査・研究に協力したのです。
被爆者の医療支援をうたった、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」ができるのは、1954年のビキニ事件とそれをきっかけに起こった、原水爆実験禁止運動によるものです。しかし、また、この「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」では、ビキニでのアメリカの水爆実験の「死の灰」を浴びた、マグロ漁船の乗組員は切り捨てられ、また、中国、韓国に帰国した被ばく者は切り捨てられる法律となりました。
日本学術会議を中心とする学者が、アメリカの核兵器擁護のための調査・研究に加担したことは否定できない事実です。
<呉市での妊産婦と子どもたちの調査は途中で打ち切られた>
ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)の英文の『半年報』(1952年7月1日から12月31日まで)は、広島、長崎、呉における妊産婦登録者数を月のように記録しています。同書pp.196
1948年 1949年 1950年 1951年 1952年 計
広島 3842 8445 7215 6699 6179 3万2380
長崎 657 8689 7838 7773 6948 3万1905
呉* 1764 4249 2320 8333
計 6262 2万1383 1万7373 1万4472 1万3128 7万2618
*呉に於ける活動は1950年8月で終了した。
予防衛生研究所の計画では、広島市には呉市が、長崎市には佐世保市が対照群とされていたのに、それも20年間継続して妊産婦とその子どもの成長を記録するとしたのに、なぜ、佐世保市での妊産婦登録が行われなかったのでしょうか。また、呉市での妊産婦登録は開始からたった3年でなぜ打ち切られたのでしょうか。対照群がなければ、遺伝的影響の調査は出来ません。誰が広島、長崎に被爆者の対照群になったのでしょうか?
1951年『予研年報』にその記載があります。同書pp.195
1951年『予研年報』
「頭初の計画では、原子爆弾投下時に広島又は長崎に居た住民に及ぼした医学的影響を調査するために、対照都市として呉市及び佐世保市を採ったが、後には対照群を広島並び長崎両市に限定し、戦後移住した市民の中に採ったため、これ等対照都市は廃止された。」
ー国立予防衛生研究所(1951年)五周年記念特集 pp.199
果たして、呉市の対照群が削除された理由は何だったのでしょうか。笹本征男氏の同書の中で、1951年までに、広島、長崎でさまざまな奇形児が生まれていたことが記録されています。
<全乳児の60%~70%に奇形が>
第5章 第4節 死産胎児の解剖 同書pp.199~204
「正常と認められた出産には以上の手続きが採られますが、その他死産または著しい欠陥の如き異常と思われる時には助産婦は直ちに電話で連絡し、ABCCから調査班がまいり、死産および新生児死亡の場合は多くの場合、死体を解剖します。」『科学』1952年6月号pp.42
「このように死産、新生児死亡の場合に解剖された数は現在までに500件になんなんとしていますが、これは他に無い資料であり、必ずやその死亡の原因について貴重な知識を提供するものと考えます。」『科学』1952年6月号pp.43
「家庭訪問に際して大きな奇形を認めた乳児が生存している者については、生後2ヵ月ないし5ヵ月間にABCCクリニックにおいて遺伝部の医師とアメリカ人の小児科医により再診を行っています。そして生後9ヵ月に達しましたならば、これら登録乳幼児はできるかぎり多数(現在は全乳児の60%ないし70%に達しています)ABCCクリニックにおいて再び診察を行ない、特に先天性股関節脱臼、先天性心臓疾患等の早期診断を行うとともに、異常所見の発見に努力しています。」『科学』1952年6月号pp.43
「現在、毎年両市において約15,000の出産が調査されております。その内半数は両親の一方又は双方が被爆しており、残りの半数は対照であります。(中略)現在、約6万の出産記録を入手しておりまして……」『科学』1952年6月号pp.42
また、アメリカ原子力委員会が1952年1月30日、ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)の研究を議会に報告しました。その中には「被爆した母親の男児の出生率が下がり、爆心から2キロ以内の被爆者に白血病患者が増加した」とありました。同書pp.217
しかし、2世の白血病の増加についてはABCCのJ.V.NeelとW.J.Shullが書いた、1956年報告書に書かれていません。
また、高橋博子氏が米軍病理学研究所の内部文書から、アメリカが広島、長崎の奇形の胎児標本を1200体以上も保管していることを明らかにしています。
図2:広島・長崎被爆者の赤ちゃん資料 1200人分 アメリカ研究利用 東京新聞 2012年4月22日 朝刊 27面
<1945年9月6日 ファーレル准将の声明「広島・長崎では死ぬべき者は死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能で苦しんでいる者はいない」の意味>
1945年9月6日、東京の帝国ホテルにおいて、マンハッタン管区調査団長ファーレル准将は連合国軍記者団との記者会見を行ない、「広島・長崎では死ぬべき者は死んでしまい、9月上旬現在において原爆放射能で苦しんでいる者はいない」という声明を行いました。この時点で、アメリカ軍は広島、長崎の調査を行っていませんでした。しかし、日本政府が1945年9月3日にマンハッタン管区調査団長ファーレル准将らに原爆被害調査報告書を提出しています。日本政府がアメリカ占領軍司令部に提出した報告書には以下のように書かれていました。同書pp.51
「一.爆心地の周辺には人体に被害を及ぼす程度の放射能は存在していない。
二.練兵場では野菜の栽培が可能であることは心強い。
三.爆発地域にいても白血球減少に苦しむ人々、及び体調不良に苦しむかもしれない人々は、身体の機能を回復するために日光浴をし十分な食べ物を摂取すべきである。
四.月経がある婦人および妊産婦の調査は、生殖器官が被害を受けているかどうかを明らかにするかもしれない。」
ー報告書 第二部「広島破滅の報告(放射能に関して)」結論部分 原文は英文 調査者 御園生佳輔軍医少佐、村地孝一軍医少佐、木村一治軍医少佐、玉木英彦軍医少佐
笹本征男氏は、ファーレル准将の声明は、日本側の報告を下に書かれたものであり、日本側がアメリカと一体となって、原爆による後遺障害を否定した事実を指摘しています。同書pp.47~56
この時点で、アメリカは次なる核兵器開発を進めていました。アメリカはマンハッタン計画の名の下に原爆製造計画をアメリカ陸軍の下で推進していました。その計画は短期間のうちに3つの原爆を開発することに成功し、1発は1945年7月16日アメリカ、ニューメキシコ州アラモゴードで核実験に使い(人類最初の核実験、トリニティ)、2つ目は8月6日に広島に投下、3つ目は8月9日に長崎に投下しました。トリニティの爆発力はTNT火薬に換算して20キロトン、広島に投下されたリトルボーイは高濃縮ウランを燃料とし15キロトン、長崎に投下されたファットマンはプルトニウムを燃料とした爆縮型の原爆で22キロトンでした。
このマンハッタン計画は、アメリカの国策であり、重要な軍事研究開発の1つでした。このマンハッタン計画の一部として、アメリカは広島、長崎における原爆の放射能、放射線の効果と影響の研究のため、「マンハッタン管区調査団」を日本に派遣したのでした。調査団指揮官はファーレル准将、J.B.ニューマン准将の2人、調査団の目的は
(1)広島市、長崎市の原爆被爆者に対する全般的効果(影響)に関する医学的調査、
特に原爆の放射能に起因する効果(影響)の調査
(2)広島市、長崎市の建物などへの物理的効果(影響)の調査
(3)日本における原爆製造と原子力研究状況の調査、
および朝鮮を含む鉱物学的調査
でした。
調査団は、マンハッタン管区医学部長ウォーレン大佐(スタッフォード.L.ウォーレン)を班長とする第1グループの広島班、第2グループの長崎班、イタリア、ドイツの原爆開発を調査したアルソス調査団にも参加するロバート・ファーマン少佐を班長とする第3グループの東京班から構成されていました。同書pp.44~45
調査目的の(1)原爆の放射能に起因する効果(影響)の調査に関しては、広島、長崎に進駐するアメリカ占領軍の安全のために、原爆の残留放射能の有無についての調査がありましたが、放射能が残留されているという事実は味方の占領軍の兵士たちには伏せられる必要がありました。それが前述のファーレル准将の声明の意味です。
また、日本の占領の任務は1946年3月からそれまでの米軍にかわり、英連邦軍に引き継がれることになりました。これに伴い、1万2000人ものニュージーランドの若者が占領軍として1948年まで広島に派遣されました。ニュージーランド人の被爆者が生まれることになりました。
アメリカは原爆攻撃による原爆の影響と効果を調査、研究するため、ファーレル准将一行が厚木飛行場から広島に向かったのが、1945年9月8日。東京帝国大学教授 都筑正男、陸軍軍医学校 本橋均軍医少佐、外務省から派遣された篠原教授が、ファーレル准将に同行しています。同書pp.54~55
アメリカが広島、長崎の原爆の影響や放射能の効果(影響)を調べる一方で、新たな原爆開発が進められます。広島、長崎の原爆投下の翌年の1946年7月にビキニ環礁で“クロスロード作戦”と名づけられた原爆実験を行います。1946年7月1日、エイブル(21キロトン)、7月25日ベーカー(21キロトン)が爆発させます。この実験ではアメリカ海軍の老朽艦やドイツ海軍や日本海軍から接収した艦が標的として集められ、生きている実験用動物(200匹の豚、60匹のモルモット、204匹のヤギ、5000匹のラット、200匹のマウスなど)が用意されました。まさに、原爆を実戦で使うための実験でした。“クロスロード作戦”では、3つ目の原爆チャーリーが用意されていましたが、ベーカー実験で起きた付近の放射能汚染があまりにもひどかったため中止になります。
そして、広島、長崎で原爆による遺伝的調査が開始された1948年。その1948年の4月14日、4月30日、5月14日にアメリカは、南太平洋のエニウェトク環礁で”サンドストーン”と呼ばれる一連の核実験を行います。
一方で、広島、長崎の被爆者の遺伝的調査、もう片方で水爆の開発を進めるアメリカにとって、原爆による放射能が遺伝的影響を生み出すことはあってはならないことでした。銃や大砲や戦闘機による爆撃は、国際法において、無差別殺戮でない限り、自衛の手段として認められています。しかし子々孫々に渡る遺伝的傷害をもたらす兵器は人道に対する罪として、国際法上で禁止されています。毒ガス兵器や生物兵器が禁止されるのは、子々孫々に渡る被害を産みだすからです。不思議なことに核兵器が国際法上で禁止されていないのは、「遺伝的影響がないから」なのです。
そのために、アメリカは徹底的に広島、長崎の被爆者を調査し、その結論を自らに都合がいいようにデザインしました。それに日本政府、軍部、医学界を始めとする大学教授らが全面協力していたのです。
そして、ビキニ事件が起きた1954年以降もアメリカ、イギリスは1962年までに実に120回も核実験を行いました。1950年代までの日本人のたんぱく源は魚であり、その魚がストロンチウム90やセシウム137で汚染されていました。今では「がんは万が一ではなく、2分の1」などというがん保険のコマーシャルがありますが、そもそも、これほどまでに高齢者のがんが増えたのは、アメリカソ連を筆頭にした、大気圏内核実験の影響が大です。それをひた隠しにして、「放射能の影響は自然放射能の影響に隠れてしまう」「ショウジョウバエには放射線を当てると遺伝的傷害が起きるが、人間の細胞にはDNAの修復機構が備わっているからなかなかがんにはならない。広島、長崎に被爆者の長期に渡る遺伝的調査では、子どもに遺伝的影響は見られない。」というドグマ(教条)を作り出してきたのは、核保有国の科学者と、日本の学者たちです。
<日本の学問研究の分野で、広島、長崎の被爆者の遺伝的影響がない、とする原典はすべてABCC、James.V.NeelとW.J.Shullの論文。不正な対照群の被爆者研究論文はリジェクトを!>
日本の学術研究の分野が、1945年8月の時点で、アメリカ軍に協力し、原子爆弾の後遺障害、遺伝的影響を否定する側に付和雷同してしまったために、広島、長崎の被爆者の遺伝的影響に関する被害者の側に立った学問研究がありません。多くは以下のような説明に終わっています。
放射線影響研究所理事長の重松逸造氏ら、放射線被曝者医療国際協力推進協議会がまとめた「原爆放射線の人体影響1992」では、広島、長崎に被爆者の遺伝的影響については、以下のように書かれています。
19 遺伝的影響 19-1 流早産、死産、奇形
原爆被曝後3年を経た1948年から1953年にかけてJ.V.NeelとW.J.Shullは出生時の奇形や新生児死亡などに関する調査を広島と長崎で行い、調査対象を父親および母親の被曝距離別や、放射線による急性症状別に五つの群に区分した。これらの群の被曝線量はおのおの0.5~10、50~100、100~150、200~300レントゲンと推定された。調査対象になったのは妊産婦登録を行った被爆者15,410例、同じく登録を行った対照である非被爆者55,870例、計7,120例の広島、長崎の症例である。調査された項目は死産、新生児死亡、生後9ヵ月の乳児死亡、出生時と生後9ヵ月に観察された奇形および次世代の性比などである。得られた結果は、いずれの項目でもこの程度の調査数の規模から逆算した統計上の有意差を、対照と被曝群間で示すことはなかった。
ー放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1992」文光堂 pp.301
重松逸造氏らは、
① J.V.NeelとW.J.Shullが、ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)であることをわざと書かない。
② 「非被爆者」とだけ書き、あたかも原爆者と、まったく原爆にあっていない妊産婦とその子どもたちを比較・調査しているかのように書いています。広島市、長崎市で原爆に直接あった人と、広島市、長崎市に後から入市し生活した人と比べていること、どちらも内部被ばくをしていることを無視した研究であることをわざと忘れています。
③ 実際には、原爆から5年ほど経った段階でも、股関節脱臼や先天性心臓疾患、2世の白血病の増加が見られたのに、ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)のJ.V.NeelとW.J.Shullは、1956年の論文では書いていません。まさに、結論ありきの論文である、と断定できます。重松逸造氏らは、広島、長崎の被爆者調査の実際の資料にあたらず、ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)の1956年論文の結論だけを引用することしかしていません。
この国際的な権威がある機関を持ち出して、その結論だけを引用するのは、現在、福島県県民健康調査検討委員会や甲状腺評価部会が、国連科学委員会(UNSCEAR)の結論だけを引用するのと酷似しています。今も昔も変わらない、いや、代々受け継がれてきた学問的手法なのでしょうか。
事実を事実をして書かない。対照群としてふさわしくないものを比べて、誤った結論を出した、ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)J.V.NeelとW.J.Shullの1956年論文は学界からリジェクトすべきです。
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