内部被ばくについて、自主的に学習し、周りの方々に広めていくための会
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2019年2月

米朝首脳会談が何も決められなかったのは、アメリカが小型核兵器の製造開始したから。

 2019年2月28日、キム・ジョンウン朝鮮民主主義共和国労働党委員長と、ドナルド・トランプ米大統領との首脳会談が行われました。首脳会談は、不調に終り、何一つ合意文書や声明を出すことができませんでした。NHKや各新聞は、くだらない解説で、お茶を濁しています。しかし、どの報道も、今年2019年1月に、アメリカが小型核兵器の製造を開始したことに触れていません。   そもそも、今年2019年1月に、アメリカが小型核兵器の製造を開始したことを報道したのは、東京新聞2019年1月30日朝刊1面、「米、小型核製造を開始 トランプ政権 ロシアに対抗」と日本共産党の赤旗2019年2月1日7面、「米、低爆発力核弾頭の製造開始 核関連、54兆円に  米予算局試算 10年で戦力強化へ」だけです。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞は2019年1月および2月に、アメリカが小型核兵器の製造開始を報道していません。  アメリカが北朝鮮でも使える小型核兵器の製造開始したのに、北朝鮮が核兵器を放棄することがありえるでしょうか。この点に言及しない、NHKや大新聞は見るに値しない、読むに値しない、と思います。  ただし、毎日新聞の昨年2018年2月4日朝刊の記事はいい記事でした。なぜ、今回、この小型核兵器の製造開始を毎日新聞が報道しないのか、理解に苦しみます。すべて、北朝鮮の「核への固執」で首脳会談の不調を説明するためでしょうか。ますます、日本のマスコミが、真実を報道する力を失っています。もう、テレビやインターネットのニュースを見たり、新聞を読む時間より、SNSで信頼できる情報発信者を見つけ、読む時間を大切にしないと、世界やにで起きていることは理解できません。  ともかく、今日2019年2月28日のNHKのニュース解説は、アメリカの核開発について、一切言及せず、北朝鮮に「裏切られてきた歴史」を視聴者に刷り込む、ひどい内容でした。  3つの重要な記事を紹介します。 [1]2018年2月8日 毎日新聞 検証 トランプ政権 新小型核開発へ(その2止) 「新冷戦」緊張高まる 米小型核、露に対抗 毎日新聞 2018年2月4日 東京朝刊    「数多くの数量と種類の爆発力の小さな核兵器を保有し、地域紛争で限定的に先制使用することが、(米国に対する)優位性をもたらすというロシアの考えは誤りだ」。2日にトランプ米政権が発表した「核態勢見直し(NPR)」は、こうしたロシアの考えをただすことが「戦略的に重要だ」と強調している。  「冷戦の勝利者である米国は、唯一生き残った超大国として世界に君臨していた。ソ連崩壊によってロシアが感じた屈辱の深さを米国は過小評価してきた。ロシアは深く傷つき、米国は高慢だと恨みを深めていた」。米中央情報局(CIA)で長らく核兵器の役割を考え続け、ブッシュ(子)とオバマの両政権で国防長官を務めたロバート・ゲーツ氏は回顧録にこう記す。  2007年2月、ドイツ南部のミュンヘンで開かれた安全保障政策会議。ゲーツ氏も出席したこの会議で、プーチン露大統領は演説で「軍事力と政策決定の(世界の中での)中心が一つしかない、非民主的な一極支配」と批判した。これほど激しい言葉で米国に対抗心を示したのは初めて。翌08年、ロシアと親欧米のジョージア(旧グルジア)の両軍が衝突する紛争が起きる。  通常兵器の戦力で米国に大きく劣るロシアはそれ以前から、核兵器の使用条件の緩和に着手。00年4月の軍事ドクトリン改正で「通常兵器を用いた大規模侵略への対応として核兵器使用の権利がある」と定め、イラク開戦後の03年10月には「戦略抑止力の限定的使用を検討する」として、「小型核の先制使用」の検討を本格化したとされる。  一方、今回のNPRの取りまとめを主導したマティス国防長官は「ロシアは米国と戦略的な競争相手になろうとしている。10年前と違い、彼らとはもはや協力的な関与はできない」と突き放す。壊滅的な威力がある戦略核兵器の使用は非現実的である一方、小型核を使う戦術核兵器の戦力では米国はロシアに劣る。米国からすれば、この分野でも同等の対抗手段を持つことで、ロシアを抑止するのが狙いとみられる。  米ソ両核大国が核戦争一歩直前に至った1962年のキューバ・ミサイル危機。その研究で知られるハーバード大学のグレアム・アリソン教授は、現在の米露間には「対話や協力、そして妥協しようとする考えが無い」と嘆く。ケネディ、フルシチョフの米ソ両首脳が危機再発防止のためホットラインを開設、核軍縮を模索し始めたように、「今こそ両国は過去に直面した危機に学ぶべきだ」と毎日新聞の取材に答えた。  米露両国は10年に「新戦略兵器削減条約」(新START)に合意して以後、8年近く新たな核軍縮交渉に臨んでいない。これはキューバ危機以後、最長の「空白」期間だ。米露「新冷戦」は改善の兆しが見られない中で、核兵器の使用の可能性を高め合う新たな段階を迎えつつある。 海洋発射型 弾力運用の思惑  トランプ米政権がNPRで新規導入を打ち出した2種類の核兵器は、いずれも海洋発射型だ。短期的には潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)搭載用の核弾頭を改良、爆発力の小さい低出力核弾頭(小型核)にして、戦略原子力潜水艦に配備。さらに、長期的には核巡航ミサイル(SLCM)を開発する方針を示した。  ロシアとの緊張が高まる欧州ではなく、小型核を潜水艦に配備する理由は、ドイツやオランダなどは国民の反核感情が強く、核配備は「政治的に困難」(米核専門家)という事情があるためだ。NPRは潜水艦への配備は「ホスト国が不要」と記している。また、SLBMは射程が数千キロに及ぶため、欧州以外の他の地域で起きる紛争にも対処したいという思惑もある。  具体的には、米国務省のフリート次官補代行(軍備管理担当)が2日の会見で「ロシアだけがNPRの焦点ではない」と中国、北朝鮮、イランの脅威にも触れたことがヒントになる。例えばイラン。2015年7月に米国など主要6カ国と核合意を結び、核兵器開発にもつながるウラン濃縮活動を縮小しているが、イランを敵視するトランプ政権は「意思さえあれば1年以内に核兵器を製造する能力を持つ」との立場を強調している。  一方、核専門家が中心のシンクタンク「全米科学者連盟(FAS)」のハンス・クリスチャンセン氏は、小型核の定義をTNT火薬に換算した爆発威力20キロトン以下とした場合、米国はすでに1000発以上を保有すると分析している。  クリスチャンセン氏によると、それにもかかわらず米国では、あらゆる事態に柔軟に対応できる新型核兵器の導入を求める声が、ブッシュ(子)政権時代からくすぶり始めていたという。ロシアが新型戦術弾道ミサイル「イスカンデルM」を導入したことで、それは顕著になった。またロシアが開発した核巡航ミサイル「カリブル」について、米国は、米ソが合意した中距離核戦力(INF)全廃条約違反と非難。NPRが核巡航ミサイル導入を目指すのは対抗措置の一環だ。  冷戦崩壊直後から、ロシアの核兵器削減計画に関わり、オバマ前政権の「核兵器のない世界」構想を後押ししたナン元上院議員は、イランとの核交渉に携わったモニツ前エネルギー長官と1日、連名で米メディアに寄稿。「世界は新たな核時代に突入してしまった。大惨事の触媒になりかねない」と新型核兵器の導入を批判している。【ワシントン会川晴之、モスクワ杉尾直哉】  ■ことば 核態勢見直し(NPR)  冷戦終結後の安全保障環境の変化に応じた米国の核戦略の指針で、1994年にクリントン政権が初めて策定。政権が代わるたびに改変される。今回は4回目で、「核兵器のない世界」の実現を掲げたオバマ前政権時代の2010年4月以来、約8年ぶり。 [2]東京新聞2019年1月30日朝刊1面「米、小型核製造を開始 トランプ政権 ロシアに対抗」   米、小型核製造を開始 トランプ政権 ロシアに対抗  東京新聞 2019年1月30日 朝刊1面   【ワシントン=後藤孝好】米エネルギー省は、トランプ政権がロシアに対抗する狙いで、爆発力を抑えた低出力の小型核弾頭の製造を開始したと明らかにした。米公共ラジオ(NPR)が二十八日に伝えたところによると、十月までに少数の核弾頭が海軍に引き渡される計画。トランプ大統領が表明した中距離核戦力(INF)廃棄条約の破棄を正式通告する期限を二月二日に控え、軍拡競争を挑む政権の姿勢が鮮明になった。  昨年二月に公表した新たな核戦略指針「核体制の見直し(NPR)」で、爆発力が低く「使える核兵器」とされる戦術核の小型核を開発すると明記。ロシアや中国の核戦力増強、北朝鮮やイランの核開発に対抗する姿勢を打ち出していた。  報道によると、同省国家核安全保障局はテキサス州の核施設で、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)に搭載する新たな小型核弾頭W76-2を製造。全米科学者連盟の核専門家クリステンセン氏は、現行の核弾頭W76-1の爆発規模は約百キロトン(TNT火薬換算)だが、W76-2は五~七キロトンと分析する。広島に投下された原爆は約十五キロトンとされる。  トランプ政権は、小型核を多数保有するロシアについて「先制使用をちらつかせている」と懸念。INF条約に違反し新型ミサイルを配備するロシアに対抗するため小型核開発で抑止力を強化すべきだとしていた。 [3]日本共産党の赤旗2019年2月1日7面「米、低爆発力核弾頭の製造開始 核関連、54兆円に  米予算局試算 10年で戦力強化へ」    

ホットパーティクルによる不均等被ばくを無視する、国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護理論は間違っている

 国際放射線防護委員会(ICRP)の理論が、日本の放射線医学総合研究所の放射線防護理論のすべてであり、日本政府、福島県をはじめとする自治体の市民の放射線防護の基本となっています。「これくらいの被ばくで鼻血が出ない」というのも、もともとは国際放射線防護委員会(ICRP)の外部被ばくによる放射線の確定的影響のデータから言っていることに過ぎません。ホット・パーティクルが鼻腔に着いた場合の議論を、そもそも国際放射線防護委員会(ICRP)はしていないのです。  twitterで美澄博雅‏さん(@hiroma_misumi)が2019年2月24日に書かれていました。国際放射線防護委員会(ICRP)は、組織への放射線の照射が均等ではなく、不均等の場合(例えばホット・パーティクルのよる照射)も検討していた、が、これを無視できると結論していた、と。  以下(2つのグラフの後)が、問題の国際放射線防護委員会(ICRP)のパブリケーション26(1977年1月17日勧告)の記述です。被ばくした細胞だけではなく、その周りの細胞に影響を与える、バイスタンダー効果を考えるとき、この国際放射線防護委員会(ICRP)の理論は破綻しています。  被ばく線量とガン死などの健康被害とが直線の比例関係にあるとする、しきい値なし直線線量応答理論(LNT理論)を国際放射線防護委員会(ICRP)は採用しています。しかし、実際の被ばく者を観察してみると、低線量域の被ばくによる健康被害がLNT理論では説明できないほど、多いのです。国際放射線防護委員会(ICRP)はLNT理論を持ち出して「これは放射線被ばくが原因ではない」と言います。しかし、バイスタンダー効果を考慮すると、ブルラコワーバスビーの二相性線量応答理論が正しいように思います。低線量でこそ、放射線被ばくによる健康影響は大きくなり、ある程度高い線量と同じくらいになることもある、という理論です。  すなわち、広島、長崎の被爆者のガン死(100ミリシーベルトを超える高線量の被ばく)を持ち出して、そこから比例関係で、東電福島第一原発事故の被ばく者の健康被害を議論することは、決定的に誤りです。簡単にいうと、数ミリシーベルト程度では健康被害が出ない、と言う結論になります。しかし、低線量で被ばく影響が極端に大きくなる、ブルラコワーバスビーの二相性線量応答理論では、こうした数ミリシーベルトでの健康被害がありうる、と考えることができるのです。  最後に、長崎の被爆者の腎臓 プルトニウムが出すアルファ線(七条和子 2009年8月7日)を紹介します。これは亡くなった広島、長崎の原爆被ばく者の臓器片を、原爆攻撃から60年以上経ってから七条和子氏らが観察したものです。肺だけでなく、腎臓などさまざまな臓器に蓄積したプルトニウムが被ばくから60年経ってもアルファ線を出している様子です。この影響は、国際放射線防護委員会(ICRP)のしきい値なし直線線量応答理論(LNT理論)では説明できません。そもそも、ホット・パーティクルによる影響を無視して、臓器に均等に放射線物質が沈着し、それによる放射線しか考えていないのです。不均等被ばくを無視した理由が以下、パブリケーション26(1977年1月17日勧告)に書かれています。  原爆被爆者は、1つの原発部位からガンが発生するのではなく、同時多発的にさまざまな臓器のガンを発症する、多臓器ガンの健康被害を受けています。このホット・パーティクルがその多臓器ガンの原因ではないでしょうか。東電福島第一原発事故でも、これから同じことが起こるのではないでしょうか。 図 国際放射線防護委員会(ICRP)が採用している、しきい値なし直線線量応答理論(LNT理論) 図 ブルラコワーバスビーの二相性線量応答理論 資料 国際放射線防護委員会(ICRP)のパブリケーション26(1977年1月17日勧告)の記述 (33) 組織の照射が不均等な場合,もし,個々の細胞への線量がその組織に対する線量一効果関係を直線と見なすことのできる線量の範囲以上に広範囲に異なるならば,組織全体にわたる平均線量の使用は厳密には妥当でなくなる。放射性粒子による肺の照射はこの一例であろう。しかし,理論的な考察と利用できる疫学的な証拠に基づき,委員会は次のように信じている。すなわち,晩発性の確率的影響に対しては,一定量の放射線エネルギーの吸収は,これが均等に分布しているときよりも一連の“ホット・スポット”によるときの方(つまり、ホット・パーティクルによる被ばく)が普通は効果が小さいようである。なぜなら,大線量は細胞の再生能力の喪失あるいは細胞の死を引き起こす効果があるからである。したがって,ある組織中の粒子状の放射線源について,均等線量分布を仮定してリスクを算定すると,おそらく実際のリスクを過大に評価するであろう。さらに,非確率的影響に対しては,中程度の線量レベルで起こるかもしれない細胞喪失の量ぐらいでは器官の機能低下を起こすことはほとんどありそうにない。 ICRP pub26 pp.28,29 日本語訳 日本アイソトープ協会 発行 財団法人 仁科記念財団 より (注)赤字、及び(赤字)は編集者 写真 長崎の被爆者の腎臓 プルトニウムが出すアルファ線 七条和子 2009年8月7日

2月例会のお知らせ 2019年2月24日(日)13:30~16:30(延長17:00) 浦和PARCO 9階

[ 2019年2月26日; 1:30 PM to 5:00 PM. ] 2月例会のお知らせです。 ※ 偶数月に埼玉県さいたま市で開催しています。 日 時 2月24日(日) 13:30〜16:30(17:00まで延長の可能性あり)場 所 浦和コミュニティセンター 南ラウンジAB(浦和パルコ9階)参加費 会員の方300円    一般参加の方600円    高校生以下は無料 <テーマ> 1. 厚生労働省は、「食品中の放射性物質の検査」でもデータ偽装 報告:川根眞也 【グラフ1】  2012年度  厚生労働省 食品中の放射性物質の検査結果 月別検査結果 青は全データ数、赤は放射能汚染検出データ数 【グラフ2】  2018年度  厚生労働省 食品中の放射性物質の検査結果 月別検査結果 青は全データ数、赤は放射能汚染検出データ数 2. 100ミリシーベルトまては健康被害が出ない、のうそ 報告:川根眞也 3.   茨城県東海村プルトニウム被曝事故  報告:川根眞也 <休憩> 14:50~15:05   4.内部被ばくに関する最新情報    ・日本の食品の放射能汚染の実態     ・福島県伊達市ガラスバッジ論文、早野龍五氏のデータ偽装と間違った放射線防護理論   報告:川根眞也    15:05~16:10  5.会員のみなさんからの意見交流会 ※ この部分はツィキャスしません。 ※ 懇親会もあります。お時間のある方はどうぞ。 ※ 諸事情によりプログラムが変更になる場合があります。 ※ 当日はツイキャス中継もしますので、会場に来れない方は是非、視聴参加ください。 http://twitcasting.tv/naibuhibakushim/show/ こちらでは、生中継の他、過去の動画を見ることも出来ます。 聞き逃した情報などもチェックしてみてください。 それでは、沢山のご参加をお待ちしています。   【お問い合わせ】entry.naibu@gmail.com 内部被ばくを考える市民研究会事務局 内部被ばくを考える市民研究会こ

放射線医学総合研究所の実態は、ヒバクシャの調査・研究。放射線防護や治療ではない

 日本政府、福島県、各自治体の放射線防護モデルは出所はすべて放射線医学総合研究所(千葉県千葉市)です。そして、この放射線医学総合研究所(NIRS)は悪名高きABCC(アメリカ原爆障害調査委員会)と放射線影響研究所(RERF)の流れを組む、被ばくの調査はするけれども、治療せず、の機関。ヒバクシャをモルモットのように調査・研究し、ひどい場合は発がんしてから死ぬまで、または、妊娠してから奇形児が生まれるまでを調査・研究する機関です。放射線医学総合研究所は、市民に「これくらいの放射線は安全だ」というデマを吹き込む機関であり、放射線影響研究所(RERF)は日本の原発労働者の被ばくと健康被害のデータを収集し、アメリカの渡すための機関です。  千葉市の放射線医学総合研究所は、第五福竜丸が米水爆実験で被曝(ひばく)したビキニ事件をきっかけに1957年に設立されました。毎年1回、第五福竜丸の元乗組員の健康診断をしています。しかし、元乗組員の大石又七氏が証言しているように、放射線医学総合研究所は、元乗組員の健康データを取り続けながら、肝臓がんであることを把握し、それを本人には伝えず、がんがからだを蝕み、死んでいくようすを調査・研究していたのでした。 大石又七『ビキニ事件の真実』みすず書房 2003年7月24日 2600円 pp.95~112 より (ビキニ事件被災で東大病院、国立東京第一病院に入院)退院後から、放医研は国の予算で俺たち(第五福竜丸乗組員)の被ばく記録を取りつづけた。だが発病しても治療しない。入院直後は(放医研は)みんな俺たちの味方で、親身になって治療に取り組み、加害国アメリカに対しても厳しく対応してくれていたのに。放医研がこれまでに出した論文や年報の中には俺たち第五福竜丸乗組員の検査結果が報告されている。しかし、個人個人には何も教えてくれなかった。この記録を見ると、放医研は早い時期から俺たち(第五福竜丸乗組員)の肝機能障害を把握していた。また年報には書かれていないが、血液検査で染色体に異常があったことも分かっていた。染色体に異常があれば奇形児が生まれる。だが、放医研の(年報等を見ると)それらのことも基本的に被ばくと関係ないと決めつけているように見える。 亡くなった(第五福竜丸乗組員の)仲間たち 久保山愛吉 40歳 肝機能障害(急性放射能症) 1954年9月23日死亡   水爆実験遭遇から約7ヵ月後(編集者注,以下同じ) 川島正義  40歳  肝硬変 肝機能障害     1975年死亡          同    21年後 増田三次郎 54歳 肝臓がん(原発性) 肺血栓等1979年死亡          同    25年後 鈴木鎮三  50歳 肝硬変 交通事故      1982年死亡           同    28年後 増田祐一  50歳  肝硬変(脳出血)      1985年死亡            同    31年後 山本忠司  59歳 肝臓がん(多発性)肺がん・結腸がん 1987年死亡       同    33年後 鈴木隆   59歳 肝臓がん(原発性)     1989年死亡            同    35年後 高木兼重  66歳 肝臓がん(原発性)     1989年死亡            同    35年後 久保山志郎 65歳 肝臓がん(原発性)     1996年死亡            同    43年後 服部竹冶  66歳 肝臓がん(心不全)     1997年死亡            同    53年後 安藤三郎  71歳 肝臓がん(原発性)     1997年死亡            同    53年後                 大石又七『ビキニ事件の真実』pp.103~104 一部抜粋 (編集者注)この後も、2人の乗組員の方が亡くなられています。 平井勇   71歳 肝臓がん(原発性)   2003年死亡            同   59年後    見崎吉男  90歳 肺炎          2016年死亡           同   62年後 以上、転載終わり。  大石又七さんは、2011年の著書『矛盾』(武蔵野書房)の中で、自分を生存者として、こう記載しています。 大石又七 冷凍士 肝臓がん(原発性) 臭覚消滅・肺過誤腫・気管支炎・不整脈  生存  大石又七さんも、他の乗組員も、毎年1回、放医研の定期健康診断を受けていました。全身の健康診断をしていました。1992年に、大石又七さんが放医研の健康診断を受けたとき、医者の顔に暗い影がさっと走ります。大石さん「先生、どうしたのですか?」と。医師「いや、少し胃に白い影が」。心配になった大石さん、他の病院へ行って、胃の精密検査を受けます。しかし、胃は何の異常もない。そこで、全身をくまなく調べてもらうと、見つかったのが肝臓がん。放医研が1992年までの検査で肝臓がんを見逃すわけがない。つまり、放医研は、第5福竜丸の乗組員のからだを毎年調べ、どんながんになって、どのように死んでいくのかを調べていたのです。  1992年10月25日、毎日新聞大阪本社は1面トップで、第五福竜丸の乗組員の健康診断を毎年行いながら、放射線医学総合研究所が乗り組み員の肝臓がんを見つけたにもかかわず、本人に伝えていなかったことを報じました。 「(第5福竜丸の乗組員のうち)生存している15人のうち、少なくとも12人が、肝臓障害につながる危険性の高いとされる、C型肝炎ウィルスに感染していることが1992年10月10日まで、科学技術庁放射線医学総合研究所(放医研、千葉市)の『定期健康診断』で明らかになった。しかし、放医研は、この事実を具体的に告げていなかった。 (中略) 関係者によると、放医研は1991年から乗組員の採血でC型肝炎ウィルスの有無を調べ始めた。その結果、診察に訪れていない2人を除く13人中、12人について感染を確認した。しかし、放医研は感染した乗組員に対して通常の医療機関が行うウィルスの種類や特徴などを知らせていなかった。毎日新聞の調べでは、別の医療機関で初めて感染を告げられた乗組員が多く、感染者のうち7人が肝臓障害を持っていた。このうち、肝臓がんになった乗組員の1人は、別の医療機関でC型肝炎ウィルスが原因と診断された。 (中略) 一方、既に8人の乗組員が死亡しているが、被曝から約7か月後に急性放射能症で亡くなった久保山愛吉無線長(当時40歳)以外の6人が、肝臓がんや肝硬変などが死因。 (中略) 医療関係者によるとC型が確認されたのは、1988年。ウィルスによる肝臓病の75%はC型とされる。輸血感染の場合、約20年で肝硬変になり肝臓がんに進むケースも多いが、治療法は確立されつつある。 赤沼篤夫・放医研障害臨床研究部長の話『放医研の仕事は乗組員の障害がどのような状態か調べることにある。』」  これが放医研の実態です。放医研の「放射線被ばくの早見表」などを信じて、「飛行機やCTスキャン1回分などと比べて、これくらいの放射能は安全」と思っていたら放射能に殺されます。国立がん研究センターも同じ系列の調査・研究をやっているので、その伝えようとしている内容を吟味することが必要です。こと放射線に関してはうそが多い機関です。(編集者:川根眞也)  この放射線医学総合研究所(NIRS)は、国際放射線防護委員会(ICRP)の下部組織のような機関であり、日本独自の放射線防護理論など研究していません。また、国際放射線防護委員会(ICRP)、国連科学委員会(UNSCEAR)、国際原子力機関(IAEA)は、メンバーが多く重なっていて、その中心がアメリカ原子力委員会(NRC)や核兵器産業のコントロール下にあります。広島、長崎への原爆攻撃や、核兵器開発でのアメリカでは被ばく労働(ナホバ族を使ったウラン採掘も含む)の影響を否定し続けてきた機関です。その特徴は、広島、長崎の被爆者の放射線による健康被害を過小評価、特に内部被ばくを一切無視して外部被ばくだけで考えることにあります。「100ミリシーベルト以上被ばくしないと、がん死は有意に増えない」という結論は、敗戦後の日本の天皇制国家・軍部、占領国アメリカによる、合同の広島、長崎の被爆者調査から、意図的に導き出された結論です。  日本政府は、いつか次こそ核戦争に勝利する軍事目的のために、原爆投下2日後には広島に調査団を派遣していました。また、アメリカを中心とする連合国占領後は、アメリカ軍と協力して、広島・長崎の被爆者調査を行いました。この時も、ビキニ事件の被爆者と同じように「調査・研究」はすれど、被爆者の治療はしない方針でした。日本は独自核武装の野望を、原爆投下を受けたあとも捨てきれなかったと推測されます。そのため、日本政府はアメリカ政府と結託して、広島、長崎の被爆者のがん死以外の健康影響や、遺伝的影響を徹底的に否定してきました。しかし、膨大な広島、長崎の被爆者の調査・研究資料は、現在はアメリカにあります。そこには放射線の遺伝的影響を示す証拠も存在する可能性があります。  核兵器を独占し、原発を進めているアメリカや、それと結託して、アメリカの核戦略を応援し、原発にしがみついている日本政府の、放射線防護理論はそもそも信じてはならないのです。  広島、長崎原爆投下後、いかに、日本政府は、広島、長崎の被爆者の救援と治療を行わず、アメリカ軍と結託して、被爆者の「調査・研究」を行っていたかを掘り起こした貴重な書籍は以下です。 笹本征夫「米軍占領下の原爆調査~原爆加害国になった日本~」新幹社 1995年10月5日 高橋博子「封印されたヒロシマ・ナガサキ」凱風社 2012年2月20日  また、国際放射線防護委員会(ICRP)、国連科学委員会(UNSCEAR)、国際原子力機関(IAEA)がいかに、内部被ばくを無視し、核兵器産業と原発産業に不利にならないように、放射線防護理論を組み立ててきたのから、歴史的に振り返る名著は以下です。 中川保雄『放射線被曝の歴史 アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』明石書店 2011年  

拝啓、福島民友新聞さま。拝啓、福島民報社さま。その2 東京新聞の記事について。

 拝啓、福島民友新聞さま。拝啓、福島民報社さま。  東京新聞が独自の情報公開請求に基づき、福島県民の初期被ばくの事実と、日本政府関係者の内部被ばく隠ぺい、過小評価、放射能と健康被害の関連の否定に次ぐ否定を行っていたことを報道しています。  そもそも、どの新聞であれ、市民の立場に立ち、真実を追求し報道する役割を持っています。しかし、それでもこの東京新聞の報道は素晴らしいものです。  翻って、福島民友新聞さま。福島民報社さま。貴社は福島県の地方新聞であり、多くの福島県民に愛されている新聞です。その貴社の報道は、今でも、山下俊一氏や早野龍五氏、坪倉正治氏など「甲状腺の専門医」や「放射線の専門家」あるいは「東京大学」の名の下に、「これくらいの放射能は安全だ」という記事で満ち溢れています。いまのままの報道姿勢でいいのでしょうか?  2019年2月19日付け、東京新聞朝刊21面は、2001年8月原子力安全委員会では、「チェルノブイリでは50ミリシーベルトの甲状腺被ばくでもがんが増えたと言われる」、ヨウ素剤の(予防)服用は「米国で『50ミリシーベルトで服用』を採用する動きがある」、ところが「被ばく医療分科会の会合で、(突然)服用基準から50ミリシーベルトが削除され、100ミリシーベルトになった」との鈴木元氏(国際医療福祉大学教授)の発言を紹介し、「行政の圧力に寄り倒された」と当時ヨウ素剤検討委員会委員だった、前川和彦氏(東京大学名誉教授)の発言を紹介しています。ちなみに、当時ヨウ素剤検討会の主査が山下俊一氏(長崎大学)であったとも紹介されています。  2011年3月21日、この山下俊一氏は福島県福島市の福島県庁に置かれていたオフサイトセンター(OFC)で「小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性がある」と述べた後、2時間後の福島市民向け講演会では「(放射線による健康被害は)心配いらないと断定する」「放射線の影響はニコニコ笑っている人には来ません」と発言していました。これも、東京新聞が2019年1月28日朝刊1面で報道したことです。  福島民友新聞さま。福島民報社さま。貴社には、福島県民の気持ちに沿い、真実を追求する記事を書いてほしいと思います。もう、政府関係者のうその「これくらいの放射線は安全です」という記事はいりません。チェルノブイリ現地の被害状況については、衆議院が2011年10月5日から13日にかけて超党派13名を派遣して書かれた報告書“チェルノブイリの長い影~チェルノブイリ核事故の健康被害~”を是非、お読み下さい。この調査団の報告書は、国会が派遣したにもかかわらず、あまりにも深刻な健康被害が記されているため、未だに出版されていません。さらに、現時点ではインターネット上で削除されているものです。以下からダウンロードできます。 チェルノブイリの長い影~チェルノブイリ核事故の健康被害~   ここでは、チェルノブイリ原発事故の放射能の被害を受けた人々の罹患率は、小児だけではなく、大人も増えていることが記されています。1987年(チェルノブイリ原発事故の翌年)に10,000人あたり1,372人だった罹患率は、その17年後の2004年には10,000人あたり5,732人と4.2倍になったことが報告されています。  子どもの罹患率は、1987年(チェルノブイリ原発事故の翌年)に10,000人あたり455人だった罹患率が、その17年後の2004年には10,000人あたり1,423人と3.1倍になったことが報告されています。 また、アレクセイ・V・ヤブロコフ博士他『調査報告チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店2013年4月25日も是非とも読むべき本です。     この本が重要なのは、国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)、国連科学委員会(UNSCEAR)が研究論文として採用していない、ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語などのスラブ系言語の文献、論文5000点以上の資料をまとめたものだからです。アメリカを頂点とする核兵器開発、原発開発、放射線医療推進の経済的団体は、チェルノブイリ原発事故がたいしたものではないかのように、あの手この手で市民をだまそうとしています。チェルノブイリ原発事故の被害の実相は、国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)、国連科学委員会(UNSCEAR)の研究からは分かりません。これら被害現地の研究論文をすべて無視しているからです。放射線による健康被害についての論文は、すべてmSv(ミリシーベルト)と健康被害との関係に比例関係がないと、国際的な学術誌には掲載されない仕組みを、彼らが作り上げています。しかし、人間は部品の集まりのロボットのような存在ではありません。被ばく線量mSv(ミリシーベルト)と健康被害との関係に比例関係がないものばかりです。そもそも、初期被ばくの被ばく線量mSv(ミリシーベルト)は測定されていません。原発事故後の被ばく線量も、外部被ばくだけでは説明がつかない健康被害ばかりです。また、内部被ばくはそもそも測りようがありません。ストロンチウム90やウラン、プルトニウム239などは、ベータ線やアルファ線しか出さず、ガンマ線を出さないため、ホールボディーカウンターでは測れないからです。死後に死体を解剖し、骨からストロンチウム90を、各種臓器のスライド片からウラン、プルトニウム239の出すアルファ線を見つけるしかありません。国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)、国連科学委員会(UNSCEAR)は、こうした人間の解剖学的な研究結果や、健康被害の疫学調査を無視した、原子力推進に都合がいい研究論文のつまみ食いしかしていません。  その原子力推進の学術研究の中心人物の1人が山下俊一氏です。  福島民友新聞さま。福島民報社さま。山下俊一氏について、特集記事を書きませんか。山下俊一氏の発言やさまざまな「放射線の専門家」たちの言説を報道してきた、責任がみなさんにはあると考えます。  また、今回の東京新聞の記事では、放射線医学総合研究所の理事、明石真言氏が、「福島県で疫学調査は必要性が薄い」と進言したことが報道されています(2019年2月19日付け、東京新聞朝刊20面)。そもそも、放射線医学総合研究所は、第五福竜丸が米水爆実験で被曝したビキニ事件をきっかけに1957年に設立されました。元乗組員の健康診断をしています。しかし、この放射線医学総合研究所は、かつての広島、長崎に設置されたABCC(アメリカ原爆障害調査委員会)と同様、ヒバクシャの調査研究はしますが、治療はしない機関です。第五福竜丸の乗組員23名のうち、1955年以降生き残った22名は、放射線医学総合研究所で毎年1回健康診断を受けていますが、うち12名の乗組員が肝臓がん・肝硬変をわざと見逃しにされたまま、それが原因で亡くなっています。 参考:放射線医学総合研究所の実態は、ヒバクシャの調査・研究。放射線防護や治療ではない     以下、東京新聞の記事、全文を紹介します。福島民友新聞さま、福島民報社さまの今後の報道姿勢を再検討する資料にしていただければ幸いです。 福島原発事故で放医研理事 官邸に「疫学調査不要」 国が見送る一因に2019年2月18日 東京新聞 朝刊 1面 東京電力福島第一原発事故後の二〇一一年四月、国の研究機関・放射線医学総合研究所(放医研)の明石真言(まこと)理事が福山哲郎官房副長官(当時)に、住民の疫学調査は不要と進言していたことが分かった。原発事故の疫学調査では一般的に、多発が心配される甲状腺がんの患者数や分布を調べ、放射線の影響を分析する。しかし、国は本格的な調査に乗り出さず、福島県が「県民健康調査」を始めた。(榊原崇仁)=結論ありき まん延<20><21>面  甲状腺がんの原因となる甲状腺内部被ばくの測定も、国は千八十人で終えていた。明石氏はこの測定を問題視しなかった上、甲状腺がんの状況も調べなくてよいと提案したことになる。  本紙は、同年四月二十六日に明石氏らが福山氏と首相官邸で面会し、住民の被ばくについて説明した会合の議事概要を情報開示請求で得た。文部科学省が作成し、放医研が保有していた。  それによると、経済産業省の幹部が「論点として疫学調査の必要性の有無があろうが…」と切り出し、明石氏が「住民の被ばく線量は最も高くても一〇〇ミリシーベルトに至らず」「(疫学調査は)科学的には必要性が薄い」と述べていた。  明石氏は現在、量子科学技術研究開発機構執行役。取材に応じ、「健康影響が確認できる基準は一〇〇ミリシーベルトと理解していたが、外部被ばくは原発の正門付近の空間線量からそこまでにならないと判断した。甲状腺の内部被ばくは国の測定で線量が高い人でも五〇ミリシーベルト、一〇〇ミリシーベルトにならなかったはず」と説明。「必要性が薄い」と判断した理由に、平常時との差が確認できるほど病気が増えると考えにくかったことを挙げた。  放医研は文科省所管で一九五七年に発足した。緊急被ばく医療体制の中心的機関として位置付けられ、福島の事故では官邸や各省庁の助言役として活動。国が疫学調査をする場合は、実施主体になる可能性があった。国がこの調査をしなかったのは、放医研が否定的だったことが影響したとみられる。 こちら特報部 背信の果て(5)(下) 「50ミリシーベルトでもリスク」突然却下 「行政的圧力に寄り倒された」東京新聞 2019年2月19日 朝刊21面 そもそも健康調査が不要とまで言えたのか。  国の公表資料や明石氏らの説明によれば、甲状腺の内部被ばくで一〇〇ミリシーベルトを、がんが増えうる目安にしていた。国が一一年三月下旬に行った測定ではそこに達する子どもがいなかったため、「被ばく線量は小さい」「健康調査を行うまでもない」と判断されてきたようだ。  しかし、国の測定は、対象地域が原発から遠い三十キロ圏外で、調べたのも千八十人だけ。地域的に偏りがあり、数が少ない。被ばくの全容は分からない。  そもそも一〇〇ミリシーベルトも注意が必要。福島県が行っている健康調査に携わる国際医療福祉大の鈴木元(げん)・教授が重要な指摘をしている。  時は二〇〇一年一月までさかのぼる。長く勤めた放医研を離れ、原爆放射線の影響を調べる「放射線影響研究所」にいた鈴木氏は、原子力安全委員会(原安委)の会合で「チェルノブイリでは五〇ミリシーベルトの甲状腺被ばくでもがんが増えたと言われる」と紹介する文書を示した。  鈴木氏は「ピーター・ヤコブというドイツ人の研究者がいて、学術雑誌の『ネイチャー』なんかで現地の話を書き、五〇ミリシーベルトでもリスクがあると分析していたから」と振り返る。  〇一年は茨城県東海村の臨界事故の翌々年。防災体制の見直しが進んでいた。原安委の会合では、甲状腺被ばくを抑える安定ヨウ素剤の服用基準を議論していた。鈴木氏は「がんは五〇ミリシーベルトでも増える」と考え、この値になりそうな場合は服用するという手順を提案しようとしていた。  公表資料によると、原安委は〇一年八月、本格的に服用基準を協議する「ヨウ素剤検討会」を始めた。委員の鈴木氏は、米国で「五〇ミリシーベルトで服用」を採用する動きがあると説明。年末に事務局が示した提言案に五〇ミリシーベルトが盛り込まれた。  しかし二週間後にあった上部会合の被ばく医療分科会で突然、服用基準から五〇ミリシーベルトが削除され、一〇〇ミリシーベルトになった。屋内退避基準の下限と同じ値だった。  鈴木氏は反発したが、そのまま〇二年四月に提言はまとめられ、国の指針に反映された。ただ、同時期にあった原安委の別会合の議事録を見ると、ヨウ素剤検討会に名を連ねた前川和彦・東京大名誉教授が一連の経過に触れ、「行政的な圧力に寄り倒された」と述べたことが記されていた。  「よう分からん。科学者が関わる話じゃない」。何があったか鈴木氏に聞くと、こう述べるだけだった。  ちなみにヨウ素剤検討会の主査は長崎大の山下俊一教授だった。福島原発事故からまもない一一年三月下旬、専門家に「避難指示区域内の被ばくは考慮すべきだ」と見解を示した一方、一般向けの講演で「放射線の影響はニコニコ笑う人に来ない」と話した人物だ。  ヨウ素剤の服用基準は、がんが増えうる目安としても使われた。ただ、実は一二年三月、原安委は国際的な動向を踏まえ「服用基準は五〇ミリシーベルトが適当」と記した文書をまとめていた。  後継組織として同年九月にできた原子力規制委員会は国の指針にそう書き込んでいない。甲状腺被ばく線量で服用基準を記さず「規制委が必要性を判断」などとなっている。がんの判断基準を曖昧にしたいのだろうか。  鈴木氏は規制委の会合でも「がんは五〇ミリシーベルトでも増える」と訴えてきた。微妙な成果が、事務方のまとめた文書の目に付きにくい場所に残されている。具体的には、ヨウ素剤服用の解説書にある付属資料。甲状腺がんの用語説明として、こう記される。  「甲状腺等価線量で五〇~一〇〇ミリシーベルト以上の場合、がんが発生する可能性がある」  

雨に含まれる自然放射能と、原発事故や廃炉作業に伴うフォールアウトの見分け方

 2019年1月31日~2月1日、関東地方では空間線量の急上昇が見られました。いったん、茨城県東海村、核燃料サイクル工学研究所でのプルトニウム被ばく事故(前日の2019年1月30日14:24に発生)の影響を考えました。  結論としては、この関東地方の空間線量の急上昇は、自然放射能の影響であると考えます。信州ラボの一ノ瀬修一氏からていねいな説明をいただき、川根も独自に裏付け調査を行いました。  「雨が降ると急に空間線量率が上昇するのは、降雨とともに自然放射能が降ってくるからです。」という説明は、すべての場合で正しいとは限りません。しかし、2013年8月15日に長野県諏訪市や松本市で起きた、原発事故前のレベルを超える、空間線量率の急上昇は、自然放射能が原因であると結論します。一方、同じ年に発生した、福島県南相馬市旧太田村の120ベクレル/kg,150ベクレル/kg,180ベクレル/kgの放射性セシウム汚染のお米の発生は、東電福島第一原発3号機の屋上のがれき撤去作業による、放射性物質の飛散(風が原因)であると考えます。 (1)降雨によるフォールアウトまたは、風によるフォールアウトの実例 グラフ:福島県双葉町郡山(郡山公民館)空間線量率 2013年8月14日~8月21日 信州ラボ、一ノ瀬修一氏のアドバイスで作成しました。感謝いたします。 グラフ:東京都新宿区 モニタリングポスト 2011年3月1日~7月31日 ようこそ日本の環境放射能と放射線からデータをダウンロードし、作成。  東京都新宿区の場合は、降雨とともに、放射性セシウムなどが降下したため、空間線量率が上昇したまま下がりませんでした。福島県双葉町郡山(郡山公民館)の場合は、風によって、汚染された可能性があります。こちらも、空間線量率が急上昇したあとも放射線量率が高いまま、下がりませんでした。  ちなみに、東電福島第一原発3号機がれき撤去作業で、連続ダストモニタの警報が鳴り、作業員のからだが4万ベクレル/m2を超える放射能汚染になったのは2013年8月に2回。8月12日と8月19日でした。上の福島県双葉町郡山(郡山公民館)空間線量率の最大のピーク13:50に1.195マイクロシーベルト/時は、2013年8月19日警報が鳴った10:04から約4時間後です。この作業員2名の頭やからだが13万ベクレル/m2と7万ベクレル/m2に汚染されました。放射線管理区域は4万ベクレル/m2ですから、数時間の作業で、放射線管理区域の3倍や、2倍近くにもなったのです。そしてセシウム137などの核種が半減期30年という長寿命核種であるため、その後、以前の空間線量率より上がったままの状態がずっと続きました。 <参考>『福島県南相馬市旧太田村2013度産米 180ベクレル/kg 2013年12月20日 と 3号機屋上がれき撤去作業』 (2)自然放射能由来による空間線量率の急上昇と減衰の実例  川根は当初、2013年8月15日の長野県諏訪市の異常の空間線量率の上昇は、雨による自然放射能のビスマス214や鉛214の降下のせいではなく、東電福島第一原発3号機屋上のがれき撤去の影響である、と考えていました。原発事故前の過去のデータを分析すると、長野県でたとえ雨があっても、空間線量率が0.10マイクロシーベルト/時を超えることがなかったからです。原発事故前は、長野県には長野市にしかモニタリングポストがありませんでした。長野県長野市でのモニタリングポストでの日最大値は、2008年度は0.0634マイクロシーベルト/時(2008年8月19日)、2009年度は0.0627マイクロシーベルト/時(2009年11月2日)がでした。この日、長野県諏訪市では、空間線量率が最高0.147マイクロシーベルト/時まで上がりました。これは、先の2008年度、2009年度の最高値(ただし長野県長野市)のなんと2.3倍もの空間線量率になります。ここから、いったんは川根はこれは東電福島第一原発3号機屋上のがれき撤去の影響、と考えた次第です。 グラフ:長野県諏訪市 諏訪合同庁舎モニタリングポスト 空間線量率の推移と降雨 2013年8月14日00:00~8月21日00:00  しかし、信州ラボの一ノ瀬修一氏からのアドバイスにより、原子力規制委員会の放射線モニタリング情報から過去のデータをダウンロードし、グラフ化、分析しました。また、独自に国土交通省 気象庁の各種データ・資料から過去の気象データをダウンロードし、分析しました。すると、以下のことが分かりました。 ① 2013年8月15日の長野県諏訪市の降雨は観測史上最大の1時間あたりの降雨がありました。74.5mm/1時間あたり。長野県の山沿い以外は日本列島は高気圧に覆われ、快晴でした。 図:2013年8月15日(木)8割の地点で真夏日 長野県諏訪市で観測史上1位を記録する74.5/1hの雨 気象庁予報部予報課 [解説文] 2013年8月15日(木)  8割の地点で真夏日高気圧に覆われた西~東日本は猛暑が続き、午後は山沿いを中心に局地的な雨。沖縄は暖湿気の流入により断続的な雨。長野県諏訪で観測史上1位を更新する74.5mm/1hの雨。つまり、日本列島のかなりの範囲で降るべき雨が長野県諏訪市地方に集中的に降った。自然放射能のビスマスや鉛も東日本あたりに降る分が諏訪市あたりだけに落ちた、と考えることができます。しかし、逆に考えると、これほどの条件がそろわないと、0.10マイクロシーベルト/時を超える空間線量率は、長野県では観測され得ない、と推定できます。やはり、0.10マイクロシーベルト/時を超える超える空間線量率は危険信号です。 表:長野県諏訪 2013年8月15日(10分ごとの値) 国土交通省 気象庁 過去の気象データから 2013年8月15日10分ごとの値  ② 長野県諏訪市で、この最大0.147マイクロシーベルト/時を観測した2013年8月15日20:40pmからちょうど、4時間30分後の2013年8月16日1:10amに、長野県諏訪市の空間線量率は、降雨前の0.052マイクロシーベルト/時に戻りました。この4時間30分は鉛214の半減期26.8分のちょうど約10倍の時間(268分=4時間28分)にあたります。放射性物質は、半減期を迎えると0になる訳ではありません。半分の放射能になるだけです。放射性物質がほぼなくなるには、少なくとも半減期の10倍の時間が必要です。それは、1半減期で1/2になり、2半減期で1/2×1/2=1/4に。3半減期で1/8に、……、10半減期では1/2×1/2×……×1/2(10回かけ合わせる)=1/1024、と約1000分の2になるからです。つまり、1000ベクレル放射能で汚染されていても、10半減期後には1ベクレルになる、ということ。1ベクレルの放射能はないか、あるか、と問われればあります。しかし、あえて無視できるとすれば、1000が1になる、10半減期で放射性物質がほぼなくなる、と考えることができます。  雨で落ちてくる自然放射能のビスマス214や鉛214はそれぞれ3.3時間と4.5時間で1000分の1、ほぼ0になります。逆に考えると、セシウム137の半減期は30年、つまり、300年経たないとほぼ0にはなりません。ストロンチウム90の半減期は29年。つまり、290年経たないとほぼ0にはなりません。福島県の森林面積は97万2000ha、県面積の7割を占めます。この森林の放射能は300年の期間なくならない、ということになります。福島市や郡山市で除染したものの、雨や風が吹けば元通り、場合によっては、除染前よりも高い放射能汚染になることもあります。それは町のそばに森林があるからです。すなわち、高濃度に汚染された福島の地は300年かかって人が住めるか、住めないかです。  2013年8月15日の雨で長野県諏訪市は、自然放射能のビスマスや鉛によって、いったんは3万8800ベクレル/m2に汚染された、と考えることができます。空間線量率が0.10上昇すると、放射性セシウムの換算では、4万ベクレル/m2の放射能汚染に相当するからです。日本の法令上の放射線管理区域(法令上の名称は「管理区域」)の規定は4つありますが、その場所の表面汚染では4万ベクレル/m2と規定されています。2013年8月15日の雨で、いったん長野県諏訪市は、放射線管理区域相当になったのです。しかし、原因はビスマス214や鉛214でした。  ですから、4時間30分後には元通りです。 <結論>自然放射能のビスマス214や鉛214が降雨によって降ってきて大地が汚染された場合は、最大4時間30分後に元の空間線量率に戻ります。元に戻らなかったら、長寿命核種により大地が汚染された、ということです。その場合はセシウム137の場合、300年かかって1000分の1の放射能になります。ストロンチウム90の場合は290年かかります。  ただし、自然放射能でも、空間線量率は0.01や0.02の変動(上昇)は当たり前にあります。降雨の場合は0.03弱(上昇)あります。しかし、0.01マイクロシーベルト/時の上昇であっても、セシウム137の場合は、4000ベクレル/m2の汚染相当がある、ということです。これは、放射能汚染がないとは言えません。EUの規定では、「放射能汚染がないとされるのは2000ベクレル/m2」ですから(※)。長寿命核種セシウム137やストロンチウム90で、0.01マイクロシーベルト/時相当の汚染があった場合は、モニタリングポストの数値には表れない、ということは肝の銘ずるべきです。ちなみに、ストロンチウム90はガンマ線を出しません。ベータ線だけです。モニタリングポストや多くの空間線量計はガンマ線しか測れないので、ストロンチウム90の汚染は分かりません。ベータ線にも反応できる、ガイガーカウンターの空間線量計を放射線防護のために持つことが大切です。 ※ ピエルパウロ・ミッティカ『原発事故20年ーチェルノブイリの現在』柏書房 2011年10月1日 pp.40                      

茨城県東海村でプルトニウム被ばく事故 2019年1月30日 14:24pm。日本原子力研究開発機構 核燃料サイクル工学研究所。【訂正・改訂版2019年2月7日】

[訂正とお詫び] 2019年2月7日記 (4)で信州ラボさんの「2013-8-15 諏訪市 松本市の空間線量率上昇について」(2013年8月24日および8月25日)について、これは自然放射能ではなく、3号機屋上がれき撤去による放射性物質のフォールアウトである、と記事を書きました。  信州ラボの一ノ瀬修一氏より、丁寧な説明を頂きました。一ノ瀬氏のアドバイスに基づき、福島県双葉町郡山(郡山公民館)でのモニタポストの数値をダウンロードし、グラフを作りました。同様に、長野県諏訪市 諏訪合同庁舎でのモニタリングポストの数値をダウンロードし、グラフを作りました。これと、2013年8月の長野県の各地での降雨と、諏訪市で観測史上最大の降雨が観測されたことを合わせて考えると、川根の記述が間違っていました。福島県双葉町郡山では、風による3号機屋上がれきのフォールアウトがありましたが、長野県諏訪市や松本市での異常な空間線量の上昇は、ビスマス214、鉛214などの自然放射能のよるものであると考えます。  今回の茨城県東海村でのプルトニウム被ばく事故に関しても、爆発・炎上という放射性物質が何1000mの高度に巻き上がる事態にならない場合は、風下にのみ、その影響があるかもしれません。ただし、2019年1月30日14:24に事故を起こした、日本原子力研究開発機構が、川根が電話した事故翌日の1月31日11:25amの時点で、敷地内のモニタリングポストの数値を公開していなかったのは事実です。意図的にモニタリングポストの数値を隠した可能性を疑い、2019年1月31日および2月1日の空間線量の上昇も、その事故との関連を考えていました。しかし、その後、日本原子力研究開発機構が事故当時のモニタリングポストの数値を公表し、茨城県守谷市役所の空間線量の上昇が、原発事故前の範囲であるため、自然放射能(ビスマス214、鉛214など)の影響である、と考えます。  みなさんや関係者にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。2019年2月7日記 川根眞也 (1) 茨城県東海村でプルトニウム被ばく事故 2019年1月30日 14:24pm。日本原子力研究開発機構 核燃料サイクル工学研究所でまたしてもプルトニウム被ばく事故が起きました。日本原子力研究開発機構 大洗研究開発センターで5名がプルトニウム239を内部被ばくするという、プルトニウム被ばくでは史上最悪の事故が起きたのは、2017年6月6日でした。この時は作業員5名全員の尿からプルトニウム239が検出されました。果たして、今回の9名の作業員は内部被ばくなし、として入院していません。本当に大丈夫なのでしょうか? 『プルトニウム被ばく事故 日本、茨城県大洗町、日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター  2017年6月6日』   ↑かなり長文です。しかし、日本原子力研究開発機構のやっていることがどんなことなのか、がよく分かります。これからも、プルトニウム被ばく事故が起きかねない現状を考える上で参考になると思います。 (2) 日本原子力研究開発機構は、2019年1月31日11:25am(事故翌日)現在で、事故が起きた1月30日14:24pmをはさむ、事故前後の敷地内モニタリングポストの数値を公表していませんでした。事故から2時間後の1月30日16:45~16:55の、しかもガンマ線だけでした。川根は、2019年1月31日11:25am(事故翌日)に日本原子力研究開発機構に電話して、以下2点を行うべきだ、と意見を述べました。広報課の堂野前さんに対応していただきました。 ① プルトニウム燃料第二開発室で警報が鳴った1月30日14:24pmをはさむ、事故前後の敷地内モニタリングポストの数値を公表すること。 ② プルトニウム燃料第二開発室の床面の、アルファ線汚染、ベータ線汚染、ガンマ線汚染を、2017年6月6日のプルトニウム内部被ばく事故と同様、公表すること。 です。2019年1月31日21:04の時点で、川根が確認したところ②が日本原子力研究開発機構により、公表されました。しかし、肝心の①の「プルトニウム燃料第二開発室で警報が鳴った1月30日14:24pmをはさむ、事故前後の敷地内モニタリングポストの数値」がホームページ上でどこにあるのか、わかりませんでした。2019年2月4日未明、なんと2019年1月30日の公表ページにこそっっと問題の数値を公表しているのを発見しました。 (3) 川根は2019年1月31日に、2019年1月31日から2月1日にかけての、関東地方の異常な空間線量率の上昇に注意を呼びかけるツィッター、facebookを書きました。①の事故前後のモニタリングポストの数値を日本原子力研究開発機構が公表しなかったからです。公表されたモニタリングポストの数値を見ると、環境中に空間線量率の上昇を引き起こすくらいの放射性物質の拡散はなかった、と判断します。しかし、これはあくまでもガンマ線核種だけの発表です。当面、雨や雪に当たらないよう注意して下さい。放射性物質は微量でも危険です。 プルトニウム燃料第二開発室α線用空気モニタ警報の吹鳴について 日本原子力研究開発機構 核燃料サイクル工学研究所 2019年1月30日  2019年1月31日現在 プルトニウム燃料第二開発室α線用空気モニタ警報の吹鳴について 日本原子力研究開発機構 核燃料サイクル工学研究所 2019年1月30日  2019年2月4日現在 東海村核燃料サイクル工学研究所 プルトニウム燃料第二開発室α線用空気モニタ警報 2019年1月30日 14:24発災 緊急時環境監視結果 ※ 2019年1月31日 11:25amに川根が日本原子力研究開発機構に電話した時点で公表されていたもの。事故発災時刻の前後をはさむものではない。 東海村核燃料サイクル工学研究所 プルトニウム燃料第二開発室α線用空気モニタ警報 2019年1月30日14:24 固定放射線観測局及び気象観測局による測定結果(1分値) ※ 2019年1月31日 11:25amに川根が日本原子力研究開発機構に電話した時点で公表されていたもの。事故発災時刻の前後をはさむものではない。 グラフ:発生時刻を含む平成31年1月25日0時から1月31日15時までのトレンドグラフ 日本原子力研究開発機構 2019年1月30日 ※ 2019年1月31日 11:25amに川根が日本原子力研究開発機構に電話した時点では公表されていない。日付は1月30日公表になっている。 グラフ:茨城県守谷市守谷市役所モニタリングポスト 空間線量率の推移と降雨 2019年1月27日23:00~2月3日22:00 (4)2019年1月31日および2月1日の空間線量率の上昇を自然放射能の影響である、と考える理由 その1  よく「雨で空間線量率の上昇が見られるのは自然放射線が雨とともに落ちてくるから」と説明されます。しかし、これはすべてにあてまはまるものではありません。 [2013年に起きたこと]  2013年8月15日長野県諏訪市および松本市で、0.16マイクロシーベルト/時や0.14マイクロシーベルト/時を超える、空間線量率の上昇がありました。また、2013年10月~12月南相馬市旧太田村で、お米が前年度は100ベクレル/kg超えが0なのに、120ベクレル/kg、150ベクレル/kg、180ベクレル/kgまで汚染されたものが見つかりました。  長野県諏訪市および松本市での、原発事故のレベルを超える空間線量の上昇は、降雨による自然放射能(ビスマス214,鉛214など)の影響であると考えます。しかし、南相馬市旧太田村の放射性セシウム汚染米ができたのは、東電福島第一原発3号機屋上のがれき撤去作業による放射性物質が風により飛散したからである、と考えます。  原発事故前の、2008年度の長野県松本市の1年間の空間線量率の「最高値」を調べてみました。最高値は0.0672マイクロシーベルト/時です。0.10を超える日はありませんでした。また、日の平均値は0.0356~0.0441マイクロシーベルト/時の範囲です。それぞれの日で最大値ー最小値を調べてみると、2008年8月19日が最大の変動幅で、0.0263マイクロシーベルト/時でした。2013年8月15日の松本市や諏訪市の空間線量率が0.08や0.09も上昇するのは、人工放射能のフォールアウトがあった、と考えるべきか、と考えました。  しかし、この日は、日本全体では高気圧に覆われ、全般的に晴れていました。ところが山沿いのみに局所的な雨が降り、長野県諏訪市では観測史上1位を更新する74.5mm/1時間あたりの降雨があったのです。長野県諏訪市などに、自然放射能(ビスマス214,鉛214など)が集中的に降ったために、雨の際の空間線量の増加分0.0263の3.4倍もの空間線量の上昇があった、と考えます。 図:2013年8月15日(木)8割の地点で真夏日 長野県諏訪市で観測史上1位を記録する74.5/1hの雨 気象庁予報部予報課  また、信州ラボの一ノ瀬修一氏に教えていただきました。降雨での前後の空間線量率の差でみると、福島県双葉町郡山(郡山公民館)と長野県諏訪市(諏訪合同庁舎)とでは、空間線量の減衰がまったく違うと。福島県双葉町は2013年8月19日以降、空間線量がいったん上がるとその後下がらなくなっています。これ長寿命核種の放射性物質のフォールアウトがあったことを示す、と。しかし、長野県諏訪市(諏訪合同庁舎)では、2013年8月15日に空間線量が急上昇したあと、空間線量がすっと下がっていきます。これは短寿命の自然放射能が崩壊し、その存在がなくなっていったからである、と。  ビスマス214は半減期19.9分。鉛214は半減期26.8分です。それぞれが例えば1000ベクレル/Lあったとしても、ビスマス214は199分(=3.3時間)、鉛214は268分(=4.5時間)で1ベクレル/Lになります。(※編集者注) ※ 放射性物質は10半減期(半減期の10倍の時間)経つと、当初の1000分の1のベクレル数になる。(1/2)×(1/2)×……×(1/2)(10回かけ合わせる)=1/1024≒1/1000だから。 [2019年1月31日に起きたこと]  再び、今回2019年1月31日及び2月1日の茨城県守谷市守谷市役所モニタリングポストのグラフを見ると、一時的に0.071マイクロシーベルト/時から0.11マイクロシーベルト/時まで、0.039マイクロシーベルト/時分上昇していますが、5時間後には0.069マイクロシーベルト/時まで下がっています。これは、長寿命による放射性物質による汚染ではなかったことを示しています。茨城県でもなかったのですから、関東圏にはなかった、と考えられます。 グラフ:茨城県守谷市守谷市役所モニタリングポスト 空間線量率の推移と降雨 2019年1月27日23:00~2月3日22:00 [2013年に起きたこと]  ところが、福島県双葉町郡山(郡山公民館)の空間線量率の推移をみると グラフ:福島県双葉町郡山(郡山公民館)空間線量率 2013年8月7日~8月14日  グラフ:福島県双葉町郡山(郡山公民館)空間線量率 2013年8月14日~8月21日   原子力規制委員会の放射線モニタリング情報でデータをダウンロードしたところ、2013年8月9日15:40~16:00のデータが欠落しています。この時に、1回目の風による放射性物質の降下があり、空間線量率の急上昇があったことが疑われます。次の、2013年8月19日13:50pmに空間線量が1.195マイクロシーベルト/時に急上昇した後は、空間線量が1.15マイクロシーベルト/時程度に上がったまま、1日たっても下がっていません。これは風によるフォールアウトがあったことを示しています。原発からは南南東の風が吹いていました。 表:福島県浪江町の2013年8月19日の風向  原子力規制委員会は、実測データをもとにした「シュミレーション」で、南相馬市旧太田村の放射性セシウム汚染米は、3号機屋上のがれき撤去作業が原因ではない、としました。しかし、反論した農林水産省は以下の資料を公開しています。根から放射性セシウムが吸収された(つまり、水田の水が原因)ではなく、葉面吸収が原因だと。それは、稲穂についた放射性物質の画像から明らかだ、と(イメージングプレートという手法で放射性物質を可視化できます)。 写真:玄米中の放射性セシウム濃度 140Bq/kg 中通りB市 2012年度産米    写真:玄米中の放射性セシウム濃度 180Bq/kg 小高区 2013年度産米 写真:小高区の試験ほ場で採取した稲穂のイメージングプレートの検出結果 2013年度産米 解説:直接付着による汚染メカニズムー汚染には、花汚染、葉面汚染、基部汚染という直接放射性物質を吸収するメカニズムがある。根から吸収する間接吸収だけではない。  (5)2019年1月31日および2月1日の空間線量率の上昇を自然放射能の影響である、と考える理由 その2 [2011年3月に起きたこと]  「雨で空間線量率の上昇が見られるのは自然放射線が雨とともに落ちてくるから」との説明がいつも当てはまるものではありません。この説明が当てはまらない実例は、2011年3月の東京都新宿区での降雨による、空間線量の上昇が挙げられます。  2011年3月12日東電福島第一原発1号機が爆発、3月14日3号機、3月15日2号機で圧力抑制室底抜け、4号機爆発。関東地方に2011315日に原発事故以降、初めてのまとまった雨が降りました。また、3月21日~23日にも関東一円で雨が降りました。原発事故前は0.0346マイクロシーベルト/時だった、新宿区は原発事故はずっと0.060マイクロシーベルト/時の状態が続きました。これは放射性セシウムなどの長寿命の人工放射性物質で町が汚染されたからです。この上昇の大きさは0.025マイクロシーベルト/時程度です。日本の放射線管理区域は4万ベクレル/m2です(ガンマ線、ベータ線核種の場合)。大地が4万ベクレル/m2セシウム137で汚染されると、空間線量は0.10マイクロシーベルト/時上がります(地上1mの高さで)。したがって、首都東京は0.025上がった、0.10の4分の1上がったので、平均して1万ベクレル/m2の放射能汚染地帯になったことを示しています。 グラフ:東京都新宿区 モニタリングポスト 2011年3月1日~7月31日  しかし、今回の事故の影響で、雨や雪に微量なりともプルトニウム239が混じっていないとは断言できません。未だに、日本原子力研究開発機構は降雨の核種分析結果を公表していないからです。当面、雨や雪に当たらないことは変わりません。日本原子力研究開発機構は雨や雪の核種分析結果も公表すべきです。              

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