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2019年9月

広島、長崎の被爆者に放射線の遺伝的影響は果たしてなかったのか?ABCCー予防衛生研究所の犯罪を追及する(2)

[第1稿] 2019年9月19日記 <広島、長崎の遺伝的影響調査の対照群として、呉市、佐世保市の妊産婦と子どもたちが選ばれていた>  前稿(1)では、「放射線によりショウジョウバエには遺伝的影響が出るが、人間には出ない。少なくとも広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない。」は果たして正しいのか、検証したい、と書きました。そして、そもそも「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない。」と学説の原典は1956年ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)の論文であることを紹介しました。 <参考>広島、長崎の被爆者に放射線の遺伝的影響は果たしてなかったのか?ABCCー予防衛生研究所の犯罪を追及する(1) 図1 ABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)J.V.NeelとW.J.Shullの1956年の論文の表紙 ABCC(ATOMIC BOMB CASUAALY COMMISSION)の文字がはっきりと書いてある。 <資料>James V.Neel W.J.Schull Effect of Exposure to the Atomic Bombs on Pregnancy Termination in Hiroshima and Nagasaki ABCC 1956年  本稿(2)では、日本の予防衛生研究所の原爆遺伝調査計画全文を紹介します。故笹本征男氏の労作『米軍占領下の原爆調査~原爆加害国になった日本~』新幹社1995年より、紹介します。本来、この予防衛生研究所の計画通りに、広島市の被爆者と呉市の一般住民、長崎市の被爆者と佐世保市の一般住民との比較対照したならば、はっきりと被ばくによる遺伝的影響が明らかになったはずです。しかし、調査が広島市、長崎市、呉市(ついに計画だけで佐世保市では調査が行われなかった)での妊産婦登録が1948年から開始されましたが、1950年8月で呉市の妊産婦とその子どもの調査は打ち切られます。これは遺伝的影響がはっきりしてきたからではないか、と疑われます。以降は、広島市の被爆者である妊産婦とその子どもと、新たに広島市に入市し生活を始めた妊産婦とその子どもが、また、長崎市の被爆者である妊産婦とその子どもと、新たに長崎市に入市し生活を始めた妊産婦とその子どもが対象となった調査が行われます。広島、長崎の被爆者は外部被ばくとともに、放射能で汚染された野菜、魚を食べ、放射能で汚染された川の水を飲んでいます。新たに広島市、長崎市に入市し生活を始めた人々は外部被ばくこそしていませんが、放射能で汚染された野菜、魚を食べ、放射能で汚染された川の水を飲んでいます。どちらも内部被ばくをしているのです。  第二次世界大戦後の世界を核兵器を使って、支配しようとしたアメリカが、核兵器の生み出す放射能が、人類に遺伝的影響をもたらす兵器であることをひた隠しにするために、組織された機関がABCC(アメリカ原子爆弾傷害調査委員会)であった、と言えます。また、その核兵器の放射能が遺伝的影響をもたらす事実を隠しことに協力したのが、日本の天皇制あり、政府であり、日本学術会議であったのです。日本学術会議の前身である文部省学術研究会議は、広島、長崎に調査団を派遣します。これは、マンハッタン管区調査団長ファーレル准将が、広島での調査から東京にもどった日の1945年9月14日に文部省は学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会を設置することを決めます。この決定文書には、広島、長崎の実情を我が国の科学の総力を挙げて調査する、と書かれていますが、本調査研究は純学術的なものであって、調査結果は地方民生の安定に資するためにも遺憾なきを期している、とだけ記されていて、広島、長崎で心身ともに深刻な被害を受けた被爆者の救援・救護・治療のための調査・研究では一切ありませんでした。(笹本、同書、pp.55~56)今、再び、福島で行われている、小児甲状腺がんの子どもたちの「学術・研究」はまた、学問のためであり、決して子どもたちを救援・救護・治療するための調査・研究ではないことは、悪夢の再現を見るかのようです。日本の戦後とは、学問がその良心を捨てたところから始まった、と言わなければなりません。  外部被ばく・内部被ばくしている被ばく者と、入市して生活し内部被ばくしている人々とを比べると、がん死の割合も、奇形児の出生率も似たものになります。比べてはいけないものを対照群とすることで、差がないような疫学調査結果をまとめ、「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない」との結論を導き出したアメリカと日本の学者たち、その犯罪を暴きます。 <予防衛生研究所「原子爆弾の影響に関する医学的調査」計画書 1947年12月 同書pp.303~309> 予防衛生研究所「原子爆弾の影響に関する医学的調査」 1947年12月18日付  PHW局長サムス大佐宛て提出 Box No-9354 PHW-01729-01720 予防衛生研究所 東京都港区芝白金台 電報宛名略号……東京衛生 電話(57)0011-0014                                                                          1947年12月18日 連合国最高司令官総司令部公衆衛生福祉局長 C・F・サムス大佐殿  原子爆弾の影響に関する医学調査   私はここに貴官の吟味に供し、貴官の承認を得るために上記計画書案の写し3通を提出いたします。 本計画ができるかぎり早急に開始されることを希望いたします。                           予防衛生研究所長 小林六造                           1947年12月1日   原子爆弾の影響に関する医学調査  第二次世界大戦の終わり近くに広島、長崎に投下された原子爆弾は、前記の二都市の被ばくした住民に対して、ある晩発的影響をもたらしている可能性がある。考えられる様々な影響のなかで、子供の成長の正常な形態にみられる変化、血液異常の増大、ケロイドの悪性変化は医学的に綿密に研究されるべきである。  本調査は戦時においてのみならず、来るべき原子力時代の人類の福祉の保護に対して多大の寄与をなすと予想される。それ故に、われわれは本調査を一刻の猶予もなく開始するべきである。  アメリカ合衆国国家研究評議会の日本代表のニール博士(James V.Neel:編集者注)を通じて、前記機関が来るべき平和条約が発効した後に本調査の必要経費の大部分を負担することはいとわないという提案がなされたことを付け加えておかなければならない。 一.本調査は、日本の予防衛生研究所とアメリカ合衆国国家評議会との共同の援助のもとに実施される。連合国軍最高司令官総司令部と日本国政府厚生省は本計画に対して援助を与える。 二.原子爆弾の影響に関する医学調査のために、特別な部局が予防衛生研究所内に設置される。組織及び人員は付表に示されている。 三.現地調査班は広島、長崎に組織され、その支所が比較対照情報を収集する目的で、呉、佐世保に組織される。組織及び人員は付表に示されている。 四.前記現地調査班及びその支所は必要な情報を収集し、必要な健康診断を行なう。予防衛生研究所の調査課は現地調査班が提出した情報の整理を行う。 五.本調査の円滑な実施のために、東京に中央委員会、広島、長崎に地方委員会を設置する。組織及び人員は付表に示されている。 六.本調査は約20年間継続する。 七.本調査に必要な経費の大部分は平和条約締結後、アメリカ合衆国国家研究評議会原子傷害調査委員会(CAC)が負担する。しかし、その時期までは日本国政府は上記の経費を負担する。現在、本項の内容を証明する文書は日本にいる当委員会代表のニール博士(James V.Neel:編集者注)が管理している。本計画のために利用しうる資金の調達に関する手続きの詳細は今後ニール博士と協議されるべきものである。 八.第四項に述べられた様々な調査計画のうち、アメリカ側との詳細な協議が終了しているものについては調査が始められるように提案する。  遺伝計画、健康診断及び職務全般に必要な経費の概算は経費予算要求に含まれる。  子供の成長に関する最終勧告は、目下原爆傷害調査委員会(ABCC)とアメリカ合衆国のグルーリック博士のとの間で準備中である。 九.研究計画  a.遺伝計画  原子爆弾都市(広島、長崎)及び比較対照都市(呉、佐世保)の全妊産婦は登録され、調査票の一部に必要事項が記入されることが求められる。調査票の写しが添付されている。調査票は正副二通記入される。調査票の写しの一通目は当の妊産婦に渡され、妊産婦はかかりつけの医者あるいは助産婦にそれを提出する。医者と助産婦は調査票を完成し、妊娠期間の終結後に収集地の返却する。写しの二通目は出産予定日に従って必要事項が記入され、返却数の完璧を期すために点検用として使用される。  妊婦の異常終結あるいは先天的奇形に関する全ての報告は現地班の医者によって確認される。可能ならばより完全なデータが求められる。  本研究の目的は、原爆被爆時に広島、長崎にいた両親から生まれた子供たちに先天的奇形発生数の増加があるかどうかを確定することである。比較対照都市において、調査票は日本人の奇形及び死産発生数に関する基本的データを提唱するであろう。  b.子供の成長計画  未定。  c.ケロイド計画  未定。  d.健康診断計画  本計画の主要目的は、上記計画に述べられた様々な計画に必要な健康診断を実施することである。しかし、本計画は低料金の医療を施す点においてこれらの計画の円滑な実施に向けて公衆の協力を確保するのに役立つ。  計画案  1947会計年度ー1948会計年度   原子爆弾の影響に関する医学的調査 一.原子爆弾の影響に関する医学的調査のために、予防衛生研究所内に中央委員会を設置する。本委員会は当該分野の科学者たちから構成され、四つの現地調査班から提出された資料を研究し、本計画の政策全般を討議する。 二.特別な部局が予防衛生研究所内に設置される。この部局は整理と分析のために四つの現地調査班から情報を受理し、さらなる研究のために上記中央委員会に情報を提出する。 三.本調査のための地方委員会が広島、長崎に設置される。これらの地方委員会は各県市の当局者、地方の医師会、助産婦会、看護婦会、医学教育施設の代表者から構成される。これらの委員会は各地の現地調査班の実際の作業に関する諸問題を討議するために時々会合する。 四.本調査のための現地調査班は広島、長崎に組織され、その支所は呉、佐世保に各々組織される。これらの現地調査班は各都市における全妊産婦を登録し、調査票を収集し、それらを東京の中央機関に提出する。広島、長崎の現地調査班は呉、佐世保の現地調査班を時々監督する。 五.遺伝調査課、健康診断課、庶務係が広島、長崎に設置される。現地調査班、遺伝調査課、健康診断課が呉、佐世保の現地調査班内に設置される。  現在まで、遺伝計画に関する詳細な取り決めがアメリカ合衆国国家研究評議会と日本の予防衛生研究所との間で決められている。今期会計年度内に、広島、長崎の現地調査班及びその呉、佐世保支所に遺伝調査課、健康診断課、総務課が設置されるように提案する。  原子爆弾被爆後の出産に関する調査票  地域及び調査票番号、出産日、夫、妻(旧姓)、名前、生年月日、年齢、被爆時広島か長崎か、場所、爆心地からの距離、屋内、建築物の形態、点状出血、歯肉炎、血性下痢、脱毛、発熱、火傷、外傷、婚姻届け日、結婚生活の中断、結婚前の同棲期間、全同棲期間(月数)、1945年8月以後の妊娠回数、1945年以後の死産数、全妊娠数、血族関係、現住所、妻最近の月経期間、出産予定日、現在の妊娠期間、出産日、出産経過、出産の終結(生産期間、生産、早産、流産、20週以内ー死産、5~6ヵ月ー死産、6~8ヵ月ー死産、期間)、多産ー順序、性別ー体重、奇形、奇形の形態、1948年1月以降妊娠したかどうか、所見、医者の氏名・住所、助産婦の氏名・住所  組織及び様々な組織における人員の任務 一.中央組織  a.東京予防衛生研究所原子爆弾影響医学調査課     課長         1    助手 統計係   2      技師       4     計       7 二.地方組織  a.広島原子爆弾影響医学調査研究所    (遺伝調査課、健康診断課、庶務係のみ)    研究所長 医師    1    *遺伝課員 医師  2      遺伝課助手 技師 2    調査員ー保健婦、事務員 8    総務課        2    庶務給仕     2     計       17  b.広島原子爆弾影響医学調査研究所    (遺伝調査課、健康診断課、庶務係のみ)    研究所長 医師    1    *遺伝課員 医師  2      遺伝課助手 技師 2    調査員ー保健婦、事務員 8    総務課        2    庶務給仕     2     計       17  c.呉原子爆弾影響医学調査研究所    (遺伝調査課、健康診断課のみ)    *遺伝課員 医師  2      遺伝課助手 技師 2    調査員ー保健婦、事務員 6    庶務給仕     2     計       12  d.佐世保原子爆弾影響医学調査研究所    (遺伝調査課、健康診断課のみ)    *遺伝課員 医師  2      遺伝課助手 技師 2    調査員ー保健婦、事務員 6    庶務給仕     2     計       12 *注ー遺伝課員(医師)は健康診断課を訪れる患者を診断する。  1947ー48年の配置組織人員              研究者              助手          計           所見           二級      三級      三級      下級 予研の組織      1        2       0       4       7 広島現地班      3        3       1       10       17 長崎現地班      3        3       1       10       17 呉現地班       3        3       1       10       [...]

原発事故前の日本の土壌はどれくらいセシウム137で汚染されていたのか? 【データ出典】日本の環境放射能と放射線データベース

原発事故前の日本の土壌はどれくらいセシウム137で汚染されていたのか? 【データ出典】日本の環境放射能と放射線データベース 【データ収集・編集】川根眞也 日本分析センターが「放射能測定調査」として、47都道府県の土壌(多くの地点は1箇所のみ)の地表0-5cm、5-20cmの土壌を採取し、そのセシウム137、ストロンチウム90の汚染度を調べています(1963年度より一部開始)。 東京電力福島第一原発事故以前の土壌のセシウム137汚染、2009年度が以下です。 原発事故前の日本の土壌はどれくらいセシウム137で汚染されていたのか 2019年9月17日 ← pdfがダウンロードできます。  各土壌中のセシウム137 【単位】ベクレル/kg 分析機関:日本分析センター 採取年:2009年 データ出典:日本の環境放射能と放射線 データベース   都道府県名 採取地  試料0-5cm  試料5-20cm   採取日 備考   北海道   江別市   14Bq/kg    7.6Bq/kg  8/26  草地 青森    五所原市  0.97 Bq/kg   2.9Bq/kg  7/14  草地 青森    青森市   15Bq/kg     16 Bq/kg  7/21  草地 岩手    岩手郡滝沢村  37Bq/kg     8.2Bq/kg  8/4  草地 宮城    大崎市   2.8 Bq/kg    2.4Bq/kg  9/10  未耕地 秋田    秋田市   22Bq/kg     23 Bq/kg  9/11  草地 山形    山形市   14Bq/kg    2.6 Bq/kg  8/17  草地 福島    福島市   18Bq/kg    16 Bq/kg  6/17  草地 茨城    那珂郡東海村  60Bq/kg    32 Bq/kg  5/11  未耕地 栃木    日光市   38Bq/kg    13 Bq/kg  9/15  未耕地 群馬    前橋市   1.1 Bq/kg    0.62Bq/kg 10/5  草地 埼玉    さいたま市桜区  4.8 Bq/kg    0.7 Bq/kg  7/30  草地 千葉    市原市    0.98 Bq/kg   0.65Bq/kg 7/21  草地 東京    新宿区   1.5 Bq/kg    2.3 Bq/kg  9/3   草地 神奈川   横須賀市  4.6 Bq/kg    4.4 Bq/kg  8/18  草地 新潟    柏崎市    5.9 Bq/kg    9.8 Bq/kg  7/23  草地 富山    射水市    2.1 Bq/kg    3.5 Bq/kg  8/5   草地 石川    金沢市    24 [...]

阿蘇のコシヒカリの農家さんのご紹介 2019 水田土壌はセシウム137 1.1ベクレル/kg セシウム134は不検出 

阿蘇のコシヒカリ農家さんの農地土壌を採取し、阿蘇のコシヒカリの水田土壌を測定させていただきました。  ちくりん舎のゲルマニウム半導体検出器で64時間測定で、セシウム134 不検出(検出限界0.097ベクレル/kg)、セシウム137だけが検出されました。1.1±0.21ベクレル/kgです。  水田土壌測定結果  阿蘇 水田土壌(阿蘇市中原127) 1045.6g セシウム134 不検出(検出限界0.097ベクレル/kg) セシウム137 1.1±0.21Bq/kg 土壌採取日 2019年5月4日 14:00pm 測定日 2019年8月16日 Ge半導体検出器 64時間測定  これはほぼ大気圏内核実験によって降下したセシウム137のみと考えられるほど低い汚染度であると思います。2009年平均の日本全国の土壌0~5cmのセシウム137の汚染度は下記をご覧下さい。熊本県阿蘇市西原村の土壌はセシウム137が38ベクレル/kg(表土0~5cm)でした。これと比較すると非常に低い汚染であると考えられます。 図1 熊本県 阿蘇市 水田土壌 中原127 セシウム134 不検出 0.097未満 セシウム137 1.1Bq/kg 検査報告書 2019年5月4日採取 図2 熊本県 阿蘇市 水田土壌 中原127 セシウム137 1.1Bq/kg スペクトルデータ 2019年5月4日採取  図3 熊本県 阿蘇市 水田土壌 中原127 セシウム137 1.1Bq/kg スペクトルデータ 2019年5月4日採取 拡大 『原発事故前の日本の土壌はどれくらいセシウム137で汚染されていたのか? 【データ出典】日本の環境放射能と放射線データベース』 http://www.radiationexposuresociety.com/archives/11619   以下が、原発事故前の2009年度白米および水田作土のストロンチウム90、セシウム137濃度です。文科省 第52回環境放射能調査研究 成果論文抄録集(平成21年度) p.15~16より。  かつての水田作土中のセシウム137汚染度は3.8ベクレル/kg(石川県金沢)~14.9(新潟県上越)、ストロンチウム90の汚染度は0.2(福岡県筑紫野)~1.6(新潟県上越)でした。  この資料から、この阿蘇の米農家さんの土壌 セシウム137 1.1ベクレル/kgの水田土壌で作られたお米からは セシウム137が0.01ベクレル/kgも含まれることはない、と考えることができます。 阿蘇のコシヒカリ栽培農家 熊本県阿蘇市農業者 田中幸博さん経営規模 水田   264アール     水稲   165アール     飼料稲    70アール飼料用とうもろこし 14アール   ねぎ     15アール(35アールは条件の良いところを借りて栽培)         合計50アール栽培繁殖牛  赤毛和種 2頭 黒毛和種 1頭を飼育  今回、これまで阿蘇のコシヒカリを作付してきた水田は、熊本地震により亀裂が入りました。震災3年かけても水田の基盤整備は終わっていません。2016年から亀裂の入っていない、別の田んぼで作付をしています。 2013年~2015年の水田の土壌データ 2013年 ちくりん舎のゲルマニウム半導体検出器で17時間測定、検出限界ーセシウム134 0.45ベクレル/kg、 セシウム137 0.477ベクレル/kgーで、セシウム137のみ 2.02±0.37ベクレル/kg検出されました。土壌採取日:2013年5月4日 測定日:2013年8年15日 Ge半導体検出器 17時間測定  2014年 ちくりん舎のゲルマニウム半導体検出器で4時間測定、セシウム134 不検出 検出限界0.91ベクレル/kg、セシウム137のみ検出 2.2±0.57ベクレル/kg検出されました。土壌採取日:2014年5月4日 測定日:2014年6年13日  Ge半導体検出器 4時間測定  2015年 ちくりん舎のゲルマニウム半導体検出器で15時間測定、セシウム134 不検出 検出限界0.20ベクレル/kg、セシウム137のみ検出 2.0±0.43ベクレル/kg検出されました。土壌採取日:2015年5月3日 測定日:2015年7年7日 Ge半導体検出器 15時間測定  2016年  2013年~2015年の水田は2016年4月14日および4月16日の熊本地震で亀裂が入り、水がたまらなくなってしまいました。2016年度から別の水田(阿蘇市中原97 中原127)でお米を作っています。 ちくりん舎のゲルマニウム半導体検出器で118時間測定、セシウム134 不検出(検出限界0.066ベクレル/kg)、セシウム137のみ検出 0.52±0.11ベクレル/kg検出されました。土壌採取日:2016年7月18日 測定日:2016年8年12日  Ge半導体検出器 118時間測定  2015年までお米を作っていた水田には、2016年4月14日、4月16日の熊本地震によって亀裂が入りました。  水路も寸断されて、修復が必要です。  こうした中、震災からの復興に向けて、阿蘇の米農家さんは頑張っています。阿蘇のコシヒカリの販売をします。検査費用カンパ1000円を含み、1俵(30kg袋×2、合計60kg)を2万7000円(送料込み)です。また、阿蘇の米農家さんへの義捐金も受け付けます。また、半俵(30kg袋×1g)を1万3500円(送料込み)です。  一昨年より好評につき、ねぎ5kgも販売します。送料込みで1箱5kg入りで4000円です。お金はお米と同時期に納入いただきますが、ねぎの発送は一番おいしくなった12月の中旬に送らせていただきます。  数量は24俵(48袋)です。  お申し込みは9月30日までに下記のアドレスまでお申し込み下さい。かならず、下記の内容をお書き下さい。また、後日1俵あたり27,000円、半俵あたり13,500円、ねぎ5kg 1箱4,000をお振り込み下さい。振り込み先は申し込みを確認した際に改めてご案内します。今回は第2次募集は行いません。また、来年1月末発送も行います。その申し込みもただ今受け付けています。 申し込みアドレス entry.naibu@gmail.com 内部被ばくを考える市民研究会事務局 申し込み内容 1.氏名2.メールアドレス3.申し込み俵数・箱数阿蘇のコシヒカリ   俵 ねぎ       箱 (1俵あたり27,000円、半俵13,500円、ねぎ5kg 1箱4,000円)4.送付先住所5.電話番号6.振り込み金額      円 (1俵あたり27,000円、半俵13,500円、ねぎ5kg 1箱4,000円)7.振込者名※ 申し込み者と振込者名が違う場合は必ず7番をお書き下さい。同じ場合は「1に同じ」で結構です。 <申し込み締め切り 第1回目> 2018年9月30日 メールの申し込み後、振込先をご連絡します。 <阿蘇の米農家さんへの義捐金を受付けます>  2016年4月14日21:26pm M6.5 最大震度7、4月16日1:25am M7.3 最大震度7の地震が熊本県熊本地方を襲いました。  これまで、内部被ばくを考える市民研究会では熊本県阿蘇市の米農家さんと協力し、田んぼの土壌の放射物質の検査を行いながら、安心して食べられるお米をご紹介してきました。原価実費+1000円程度放射能検査費用だけをいただいて。 『阿蘇のコシヒカリの農家さんのご紹介 2016 』 http://www.radiationexposuresociety.com/archives/6896  さて、その米農家さんの田んぼが被災しています。段差が1m以上もある亀裂が田んぼに走っています。阿蘇市ではこのようなところがたくさんあるそうです。関東圏のテレビや新聞ではこのような農家の被災状況はまったくと言っていいほど、報道されていません。  中央構造線が大規模に動きつつある危険性を意図的に報道管制している印象を受けます。伊方原発はまさにこの中央構造線上にあります。  協力してきた農家さんのところでも、米を作っていたところの4割程度しか作付ができていないそうです。亀裂が入った田んぼには水がたまらない、耕運機を入れることができない、そうです。  川根が2016年7月17日、18日に現地を訪れました。米農家さんを陣中見舞いしてきました。田んぼの復旧のための義捐金も募ります。寄付をいただける方は以下、内部被ばくを考える市民研究会の口座にお願いします。備考に必ず、「熊本支援金」とお書き下さい。または、電子振り替えの場合は、御自分のお名前の後に「クマモトシエン」と追加して下さい。後ほど、お礼状をお送りしますので、振り込まれた方は事務局にご自身の住所をメールでお送りいただけるとありがたいです。  受付期間 2019年9月17日~10月末 振込先:内部被ばくを考える市民研究会 ゆうちょ銀行からの場合 ゆうちょ銀行 記号 10370 番号73181351 ゆうちょ銀行以外の金融機関からの場合 ゆうちょ銀行 店名 〇三八(読み方 ゼロサンハチ) 普)7318135 事務局アドレス  entry.naibu@gmail.com に義捐金を振り込んだ旨と、お礼状等を送るための住所等を知らせていただけると助かります。

非稼働の研究用原子炉、冷却塔倒れる 台風影響か 茨城 2019年9月9日18時40分川田俊男 朝日新聞 茨城県版

[解説]  茨城県東海村や大洗町には、様々な原子力施設があることを改めて知らされました。廃炉作業中の排気搭で「管理区域外」であることから、放射能汚染はガンマ線、ベータ線汚染で4万ベクレル/m2以下、アルファ線汚染で4000ベクレル/m2以下であるはずです。  那須塩原市の道の駅の土壌の方がよっぽど危険です。しかし、使用済み核燃料の保管がどうなっているのか、注視する必要があります。 〈参考〉 『那須塩原市は「管理区域」。18歳未満立ち入り禁止。飲食禁止。校外学習などもってのほか。さいたま市は再考を!』 内部被ばくを考える市民研究会資料 2018年9月1日   非稼働の研究用原子炉、冷却塔倒れる 台風影響か 茨城    2019年9月9日18時40分川田俊男 朝日新聞 茨城県版 倒壊した材料試験炉JMTRの冷却塔=茨城県大洗町、日本原子力研究開発機構提供  日本原子力研究開発機構は9日、台風15号の強風で、材料試験炉JMTR(茨城県大洗町、5万キロワット)の冷却塔(高さ16.5メートル)が倒壊した、と発表した。廃炉に向けて準備中で、2006年に運転を止めてから稼働していない。核燃料は約100メートル離れたプールに保管しており、外部に放射性物質は漏れていないという。  機構によると、9日午前7時40分ごろ、協力会社の社員が見回りをしていて、冷却塔が全壊しているのを確認した。午前6時時点では異常がなかった。冷却塔は木造で高さ16.5メートル、幅約30メートル、奥行き11.6メートル。原子炉を冷やすため使った水の熱を大気に放出する。放射性物質を含まない水を流す金属製の配管などがあり、倒壊で配管から30~40リットルの水漏れがあった。  また、設備の一部が隣にある換気施設に当たり、壁に穴が開いたという。周辺の高さ10メートルの場所で、午前7時に毎秒30.9メートルの最大風速を観測した。  JMTRは1968年に初臨界。老朽化のため改修工事を進めていたが、新規制基準を満たすのに必要な費用がかさむことから、再稼働を断念した。(川田俊男) 茨城新聞 大洗JMTRで冷却搭倒壊 台風15号の影響 2019年9月10日(火) 茨城新聞 クロスアイ 台風の影響で倒壊したJMTR冷却塔=9日午後6時22分、大洗町成田町、鹿嶋栄寿撮影 日本原子力研究開発機構(原子力機構)は9日、大洗町成田町の大洗研究所にある材料試験炉「JMTR」の冷却塔が倒壊したと明らかにした。台風15号の影響とみられ、けが人はいない。放射線管理区域外の施設で、放射性物質の漏えいなど外部への影響はないという。 原子力機構によると、午前7時40分ごろ、倒壊が確認された。JMTRは廃止措置に向けた準備中で、2006年8月以降、運転を停止している。同6時の点検では異常はなかった。 冷却塔は木造で高さ16・5メートル、幅30メートル、奥行き11・6メートル。外側がスレート材で覆われている。西側に横倒しになった。敷地内の風量計では当時、秒速22・7メートルの強風が吹いていた。 隣接するJMTR排風機の壁面2カ所も破損。冷却塔の外階段がぶつかったとみられ、直径約80センチと約40センチの穴が開いていた。 原子力機構は「同じような建物の対策を検討したい」としている。(三次豪)

3.11から7年。放出された放射性物質はどこに行ったのか? 放射能汚染の「その後」(前編) 2018年9月1日 (後編) 2019年9月11日 ブルーバックス雨宮 崇

.11から7年。放出された放射性物質はどこに行ったのか? 放射能汚染の「その後」(前編)(後編)  2018年9月1日 ブルーバックス 雨宮崇 2011年3月に発生した、東日本大震災とその後の福島原発事故。それによって放出された放射性物質は、事故から7年以上が経過した今、どこに、どれだけあるのでしょうか。 日本科学未来館では、2018年3月10日に研究者を招いてシンポジウムを開きました。そこで研究者が語った内容のうち、大気や陸地、海洋に関する知見をまとめました。 シンポジウム登壇者:中島映至(国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター)恩田裕一(筑波大学 アイソトープ環境動態研究センター)山田正俊(弘前大学 被ばく医療総合研究所)信濃卓郎(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)※本稿は登壇者のプレゼンテーションをまとめたものです 8割が海に、2割が陸に飛散した 事故によってどれほどの放射性物質が放出され、その後どこにどれくらいの量が飛散して、今はどこにあるのか。これを解明するための研究は、事故直後から続けられてきました。 多くの研究者がさまざまな観測によりデータを取るとともに、時間的にも空間的にも限られた観測データを補完するため、コンピュータ上でモデル計算を重ねて、放射性物質の動きをとらえ、原発事故と汚染状況の全貌を解明しようとしています。 原発から放出された放射性物質の行き先と総量 2011年3月以降、原子炉建屋の水素爆発やベント作業により、炉内にあったさまざまな放射性物質が放出されました。 半減期が約30年と長く、最も考慮すべき放射性物質の1つであるセシウム137の量でみると、事故により15〜20PBq(ペタべクレル:「ペタ」は10の15乗)が大気中に放出されたと推定されています(Aoyamaほか,2016)。 大気中に出た放射性物質は、風に乗って遠くまで運ばれ、最終的にその大部分である12~15PBq(約8割)が海上へ、3~6PBq(約2割)が陸上へ降下したと推定されています。 原子炉から海への放射性物質のおもな漏洩経路には、大気経路の他に、もうひとつ汚染水として原発から直接漏洩するものがあり、その量は3.6±0.7PBqと見積もられています。 すなわち、原子炉から海へは、15〜18PBqもの放射性セシウムが放出されたと考えられています。 これはどのような大きさなのでしょうか? そもそも核実験由来の放射性物質があった 原発事故前にも、海洋には放射性物質が存在していました。1950~1960年代に行われた大気圏内核実験由来のものです。 北太平洋の人工放射能濃度の推移(Aoyama and Hirose, 2004, HAM database and updateのデータをもとに日本科学未来館が作成) 表面水中のセシウム137の濃度は、1960年代をピークにして徐々に低くなってきていました。 そして福島原発事故の直前には、1m³あたり1~2Bqほどで、北太平洋全体では、約69PBqが存在していたと見積もられていました(Aoyamaほか,2016)。 そこにあらたに15~18PBq追加されたので、この事故によって北太平洋のセシウム137の総量は、22~27%増加したことになります。 では原発事故後、海洋に取り込まれた放射性物質の行方について見ていきましょう。 薄まりながら広がり、東へ流れた 海水表面の放射性物質の分布を知るためには、広域における調査が必要でした。そこで研究機関の観測船以外にも、貨物船などが協力し、2011年3月から2012年12月までに、440地点で観測が行われました。 北太平洋での観測地点(Aoyamaほか,2016) まず、表面水中のセシウム134濃度を見てみます。 事故から3ヵ月ほどの間は、日本近海で比較的高い数値が観測されました。その後、10Bq/m³の濃度が観測された地点を追うと、事故後半年後に東経165度、さらに3ヵ月後になると東経170度……というように、徐々に東に移動していることがわかりました。   表面水のセシウム134濃度の経年分布(実線はおおよそ10Bq/m³の部分)(Aoyamaほか,2013) また、それらの観測値と海流モデルなどを組み合わせ、放射性セシウムの拡散シミュレーションも行われました。 その結果を見てみると、放出された放射性セシウムは、薄まり広がりながら東側に流れていき、事故から4~5年後の2015~2016年にアメリカ西海岸付近に到達したことがわかります。 原発由来の放射性セシウムの拡散シミュレーション(丸印は実測値)(Tsubonoほか,2016) 北太平洋の表面海水に存在するセシウム137の量は、約8PBqと見積もられています。海洋に放出された総量が15〜18PBqと推定されているので、およそ半分が表面海水に存在し、薄まりながら東へ移動したといえます。 また、その移動速度は約7km/日。その速度は日付変更線を超えたあたりから遅くなり、約3.5km/日程度になったと見積もられています。 沈み込んで南下していった放射性物質も 放射性物質は表面水中だけに残っているわけではありません。ここまで、海流の水平方向の移動により拡散する放射性物質の様子を見てきましたが、海流の中には、深さ方向にももぐりこみ循環している「モード水」と呼ばれるものもあります。 たとえば、東経165度の線に沿った鉛直方向の分布を見てみると、表面水に存在していた放射性セシウムの一部が亜熱帯モード水に乗り、北緯30°~35°あたりでより深い方向へともぐっていることが分かります。 亜熱帯モード水に取り込まれるセシウム134(Kumamotoほか,2014) モード水としていったん沈み込んだものは、赤道付近から再び日本近海に戻ってきます。 その周期は約30年と見積もられているので、30年後に原発事故由来の放射性セシウムの一部が還ってくる、ともいうことができるでしょう。ただし、その段階で半減期の作用もあると思われます。 太平洋における放射性セシウムの内部循環予測(数字は水深を表す)(Courtesy of Dr. Aoyama) 少量ではあるが、今なお続く直接漏洩 次に、原発からの直接漏洩について見ていきましょう。 東京電力が公開している原発近海のセシウム137濃度のデータによると、事故後すぐに減少するものの、特に原発1km地点では、事故から数年が経った後も、事故前の濃度範囲までには下がりきっていないことが見て取れます。 つまり、事故後ほどの濃度ではないものの、いまだに直接漏洩が続いていることがわかります。 表面海水中のセシウム137濃度の推移(東京電力、公益財団法人海洋生物環境研究所のデータをもとに日本科学未来館が作成) 現時点まで、海洋に流入した放射性物質の動態についてまとめると、以下のようになります。 ●原発由来の放射性セシウムは、15~18PBq。●そのうち、海洋表面を東に薄まりながら移動していったものが8PBq。●そのほかの大部分は亜熱帯モード水および中央モード水として海洋の内部循環に沈みこんでいる。●量は少ないものの、いまだ直接漏洩も続いている。 陸地に降った3~6PBqの放射性セシウムの行方 陸地といっても市街地や農地、森林などさまざまです。 なかでも森林は、福島県の面積のうち71%を占めており、そこに降った放射性物質の行方を知ることが非常に重要となっています(林野庁,2012)。 まず、土壌に着いた放射性物質がその後どのように移動したかについて、見ていきましょう。 一般的に、福島の土壌には雲母由来の鉱物が多く含まれています。それらの鉱物が乾燥・湿潤を繰り返し、風化して開いたところを「フレイドエッジサイト」といい、そのサイトにセシウムは強く結合する性質を持っています(McKinleyほか,2004)。 そのため、地上に降った放射性セシウムの大部分は、イオン化して水に溶けるわけではなく、土壌粒子と移動を共にしています。 風化した雲母中に存在するフレイドエッジサイト セシウムの「土壌粒子へ強く吸着する」という性質は、土壌深さ方向のセシウム濃度からも見て取ることができます。 放射性セシウムの深度分布(Katoほか,2011) 2011年に福島の川俣町で、土壌を5mmずつ10cmまで掘り、それぞれの深さの土中にどれほど放射性物質があるか、調査が行われました。 その結果、初期に沈着したセシウム137や134の98%が、深さ5cmよりも浅い土中に存在していることが分かりました。 これらの放射性セシウムは、耕作や除染といった人為的撹乱がない場所では、この後平均して年間約5mmずつ下方に移動していくというデータもあります。 土壌粒子に強く吸着したセシウムのほとんどは、雨水と一緒に一気に地下水まで移動するのではなく、ゆっくりとしたスピードで潜っていくのです。 そのため、事故直後に表層5cm程の土壌を除染した土地では、空間線量が大きく下がりました。 2011年と2017年の地上1mでの空間線量(原発から80km圏内)(日本原子力研究開発機構「本件は、平成23年度から文部科学省にて、平成25年度以降から現在まで原子力規制庁の委託事業として実施されている『放射性物質の分布状況等に関する調査』で得られた成果の一部である」) また、放射性セシウムが土中に潜ることで、上層の土壌の遮蔽効果によって空間線量は低くなります。林縁から20m以遠の森林は除染が行われていないのですが、そういった土地でも空間線量が下がっているのは、放射性セシウムがなくなったからではなく、下に潜っているから、という要因が大きいのです。 一部は河川に流れ出た 陸地に降った放射性セシウムのほとんどは土壌粒子に吸着しましたが、その粒子ごと河川に流れ出たものもありました。その形態は「懸濁態」と呼ばれます。 懸濁態で流れるセシウム137の濃度変化を調べるために、福島の阿武隈川という大きな川と、その支流である口太川という川で調査が行われました。すると、本川でも支流でも、観測開始当初は非常に高かった濃度が急激に下がり、そのあとはゆっくりと下がり続けていることがわかったのです。 懸濁態のセシウム137濃度の経年変化(恩田教授の講演スライドより) 当然、流れ出る土砂の量は事故直後でも、数年経ったあとでも、大きくは変わりません。 しかし時間が経つにつれ、河川に流れ出す放射性セシウムの量は減っています。これは、セシウムの吸着した土壌粒子が下に沈降していき、雨などで流れ出す土壌表面の粒子の放射能が減ったためだと考えられます。 さらに、その懸濁態の放射能の低下スピードは、市街地や水田、畑といった人為的な活動が活発な場所ほど速いこともわかりつつあります。そのため、流域にそういった土地の多い阿武隈川本川の方が、支流よりも低下スピードが速いのです。 また、懸濁態の流出総量を調べるため、阿武隈川と口太川でセシウム137の累積流出量を計測したところ、どの観測地点の総量も、初期沈着量に対して3%以下に留まりました。 つまり、陸地に堆積したセシウム137のほとんどは土壌にとらえられたまま下方に移動してしまい、河川を通じて海へはほとんど流れ出ていないと言うことができます。 では、ここまでの陸地に降った放射性物質の動態についてまとめます。 ●事故により放出され、風に乗り陸上の広範囲に広がった放射性物質は、河川を通じてはあまり動かなかった。●放射性物質は土壌の粒子に強く吸着し、粒子ごと除染されたり土中に潜り込んだりしたために、結果的に空間線量は減少している。 大気・陸地・海洋で調査研究は続く 上記のようなまとめは、あくまで大きな視点で見たものなので、単位体積あたりの放射能が非常に大きいセシウム粒子やホットスポット、放射性セシウム以外の放射性物質など、これからさらなる解明が求められる課題は未だ多く残っています。 また、事故直後にはヨウ素131も大量に放出されましたが、半減期が8日と短いため、今となっては直接観測することはできません。 そのため、当時のデータをなんとか掘り起こし、今よりもさらに精緻なモデル計算を行うことで、初期被曝の実態を解明しようとする研究もすすんでいます。 農業はどうなっているのか 陸地の空間線量は下がってきているとはいえ、土の中には大量の放射性物質がほとんど動かずにじっと身を潜めていることを見てきました。 一方で、セシウム移行対策や検査体制を敷きつつ農業は再開され、検査をパスした農作物が市場に回っています。 では、農地では具体的にどのような工夫がなされているのでしょうか。次回更新の後編では、農業について詳しく検討していきます。 3.11の放射性物質は農作物に入ったのか? 農業は復興できたのか? 放射能汚染の「その後」(後編) 2018年9月11日 ブルーバックス 雨宮崇 2011年3月に発生した、東日本大震災とその後の福島原発事故。それによって放出された放射性物質は、事故から7年以上が経過した今、どこに、どれだけあるのでしょうか。 日本科学未来館では、2018年3月10日に研究者を招いてシンポジウムを開きました。そこで研究者が語った内容のうち、農業での対策に関する知見をまとめました。 シンポジウム登壇者:中島映至(国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター)恩田裕一(筑波大学 アイソトープ環境動態研究センター)山田正俊(弘前大学 被ばく医療総合研究所)信濃卓郎(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)※本稿は登壇者のプレゼンテーションをまとめたものです 本稿の前編では、福島第一原発事故以降の放射性物質(主に放射性セシウム)の動き方や量を、大きな視点で見てきました。 後編では、放射性物質が降下した地域で、どのように農業がおこなわれているかを中心に見ていきましょう。 あの日、農作物に何が起きたか 前編で述べた通り、事故によって原子炉から種々の放射性物質が放出されました。半減期が約30年と長く、放出された総量も多かったセシウム137は15〜20PBqほどと見積もられており、それらの約2割が陸地に降り注いだと推計されています。 それら放射性物質は、農作物に直接付着し、また土壌を汚染しました。汚染された農作物は出荷停止を余儀なくされ、土壌が汚染された農地は使えるのかどうかもわからず、農業従業者を大きな混乱と不安が襲いました。 地震発生から出荷停止要請発令までを時系列で簡単にまとめます。 2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震の発生。津波によって、福島第一原子力発電所の全交流電源の喪失。東北地方を中心に大規模な停電。3月12日 1号機で水素爆発。3月14日 3号機で水素爆発。3月15日 2号機でベント作業開始。3月17日 厚生労働省から「食品と水に関する暫定基準値」が出され、出荷してはいけない汚染レベルを示す基準として、食品1kgに含まれる放射性物質の量の上限値が設けられる。その後、いくつかの食品(ホウレンソウや原乳など)において、その基準値を超えるものが報告される。3月21日 原子力災害対策本部から福島県、茨城県、栃木県、群馬県に対して、ホウレンソウやカキナ、原乳の出荷停止要請が出される。 なお、食品と水に関する基準値は、2012年4月に「より一層の食品の安全、安心を確保する」という考え方に基づき、暫定基準値から現在の基準値へと変更されています。 食品と水の暫定基準値と基準値(厚生労働省,2012) 現在の基準値をベースにして考えると、事故直後、福島県においては果樹や茶、小麦や大豆といったかなり多くの作物において100Bq/kgを超えるものが報告されました。 また、茶に関しては、原発から約400km離れた静岡でも100Bq/kg超えのものが報告されました。 これら事故直後に極めて広範囲で起こった汚染は、原発から放出された放射性物質が大気に拡散し、地表の農作物に「直接付着」したことが大きな要因とされています。 そのような状況に対して、科学的な調査を重ねた結果、農作物における汚染のメカニズムが徐々にわかってきました。 ここからは、農業の復興に向けてどのような取り組みがなされてきたかを紹介します。 「お茶」は1年で効果が出た まずは放射性物質の直接付着に対して取られた方法のうち、効果が大きかった茶樹の対応策を一例として紹介します。 放射性セシウムが直接付着してしまったその年の茶葉は、捨てるしかありませんでした。 しかし次の年にはまた新しい枝や葉が生えてくるので、そこに放射性セシウムが入り込まないように、何らかの対策を打っておけばよいのではと考えられました。   茶葉の収穫 Photo by Getty Images 福島の茶畑における茶樹各部の放射性セシウム量を調べると、通常出荷される葉層部に37%、その内側の枝部に37%、さらに内側の太い枝や幹に20%、地下にある部分に6%という分布がわかりました。 茶生産においては、茶摘みのあとは刈り込んで、新しい枝を出すという作業が標準的です。その刈り込みを、葉層部だけでなくその内側の枝部まで深く刈り込むことで、茶樹全体の放射性セシウムを4分の3ほど除去できそうだ、ということがわかりました。 そして、この対策が約2万haの茶畑に対して施されました。 茶樹における放射性セシウムの分布(農研機構,2012) 対策を早期に実施したことが功を奏し、茶では2012年度以降、基準値の超過を防ぐことができています。 ではここからは、特に事故時の放射性物質の大気放出が収まった後で重要になってくる、土壌から農作物へ移行する放射性物質の話を詳しく扱っていきましょう。 「移行係数」で〈土壌→植物〉の数値を知る 前編でも述べた通り、土壌を汚染した放射性セシウムは土壌粒子のフレイドエッジサイトに強く吸着する性質があり、雨が降っても鉛直方向にすぐに下がることはありません。 しかし一方で、すべての放射性セシウムが土壌粒子に吸着し続けるわけではなく、一部は植物に吸収されます。 では、土壌中の放射性セシウムは、どの程度植物に吸収されるのでしょうか。その吸収の割合を正しく評価するために用いられているのが「移行係数」というものです。 移行係数とは、植物体の放射性核種の放射性物質濃度[Bq/kg]を、土壌の放射性核種の放射性物質濃度[Bq/kg]で割ったものです。 移行係数 係数といっても常に一定ということではなく、植物の種類や土壌の条件によって異なります。 しかし、ある植物の移行係数を把握していれば、基準値内に収まるために土壌の放射能をどこまで低減させればよいかの指標になります。 ここでは一例として、玄米の移行係数を考えてみましょう。   除染で取り除かれた土 Photo by Getty Images 農産物の放射能濃度をコントロールする 1960年代をピークにして世界中で行われていた大気圏核実験由来の放射性物質は、日本の農地にも降り注いでいます。 その放射性物質が玄米にどの程度移行するか、という調査が長期的に続けられており、その結果、玄米の移行係数は大きくても0.1程度だということが確認されました。 (1960年代に0.1という値が測定された背景には、土壌からの移行だけではなく、放射性セシウムが稲に直接付着したことによるところが大きいとも考えられています。) 玄米の移行係数の推移(農環研) 「移行係数が0.1」ということは、「土壌の放射性物質濃度の約10%が植物の放射性物質濃度になる」ということです。 玄米の放射性セシウム濃度が想定より高くなった理由は? 移行係数が0.1という前提をもとに、2011年4月8日に原子力対策本部から「玄米中の放射性セシウムが暫定規制値(500Bq/kg)以下となる土壌中の放射性セシウム濃度の上限値を5000Bq/kgとする」という作付制限が発令されました。 そこで、福島県では水田土壌が調査され、作付制限にかからない田んぼで米が生産されました。 しかしそれにもかかわらず、2011年当時、暫定基準値を超過する米袋が0.2%出てしまいました。 2011年度の福島県産玄米の放射性セシウム濃度(農林水産省,2012)   この原因を解明するために、基準値を超過した玄米が検出された福島県内地域で調査が行われました。 すると、原因として土壌中の交換性カリウム量(植物が利用できる状態のカリウム量)がいちじるしく少ない場合に、この移行係数が高まるということがわかりました。 なぜカリウムが少ない土壌でセシウムがよく吸収されるようになるのでしょうか。 その理由は、元素周期表を見てみるとわかります。実はカリウム(K)とセシウム(Cs)は周期表の一番左、同じ列にある同族元素。つまり、化学的性質が似ているのです。 周期表の一部(著者作成) カリウムは植物が生きる上で必要な元素なので、この量が少ないときに、セシウムを取り込もうとする働きのスイッチが入るのだと考えられています。 ではカリウム肥料をどの程度与えれば、セシウム吸収抑制に効果があるのでしょうか。 それを調べるために、農研機構と福島県農業総合センターで土壌中の交換性カリウム濃度と移行係数について調査したところ、「生育期間を通して土壌100gに対して交換性カリウムが25mg程度になるようにカリウム肥料を与えることによって、玄米の移行係数を十分に低くできる」ということがわかりました。 土壌中の交換性カリウム含量と玄米の放射性セシウムの移行係数(農研機構) カリウム施肥に効果があった このカリウム施肥の効果は非常に大きく、福島県や周辺県の水田で広く施行されるようになりました。 その結果、毎年1000万袋程度が測定される玄米の放射性セシウム濃度検査において、100Bq/kgを超過した玄米は2012年で71袋(0.00%以下)にとどまり、2015年からは1袋も検出されていません。 玄米の放射性セシウム濃度の変遷(福島県、ふくしまの恵み安全対策協議会   このカリウム施肥による移行抑制対策は、玄米の他に豆類などでも用いられました。 米や豆類を育てる際、放射性セシウムが土壌にある程度以上残存している場合には、通常の肥料としてのカリウムの施与量では、移行抑制を確実に行うには不足していたためです。 一方、ほとんどの野菜に関しては、カリウム肥料が十分に与えられていたため、追加措置の必要はありませんでした。それらの対策によって、多くの農作物では基準値を超過するものは出ていません。 しかし一方で、山で自生しているものを含めた「きのこ・山菜」や「水産物」に関しては、2015年時点でそれぞれ検査件数の1.0%と0.1%というように、超過するものが完全になくなっていません。また、ジビエはまだ22%のものが基準値を超過しています。 食品の放射性セシウム検査数と基準値超過件数(消費者庁)   つまり、人間の管理のもとで生産をできない食品に関しては、まだ基準値を超えるものが出ています。 長期的に土壌からの移行を抑制するカリウム施肥に向けて カリウム施肥はセシウム吸収抑制対策として効果があることを見てきましたが、その肥料を撒くのは農家の方であり、費用と労力はかかり続けます。 そこで、この対策をいつまで続けるべきかを探るべく、研究が行われています。 放射性セシウムの移行抑制対策として「生育を通して土中のカリウム濃度を25mg/100gに維持する」という目安がありますが、その値は2011年に行った調査結果に基づいたものです。 研究の結果、年数を経るごとに土壌粒子と吸着する放射性セシウムの割合が増えるので、同じカリウム濃度でも、移行係数が下がることがわかりました。 また、粘土鉱物の種類や量によっても移行係数が異なることもわかってきました。 収穫期のカリウム含量と移行係数上:経過年数の推移 下:土壌成分の違い(農研機構 山村ら)   つまり、「植物種」「事故からの経過時間」「土壌の成分」を把握することで、移行係数をより詳細に推定することが可能になってきました。 2018年度からはこの結果に基づいて、実際に施肥量を決める実証実験も行われています。 この先に必要な「高度な対策」とは 最後に、この記事の前後編を通じて指摘したことをまとめます。 ●事故により放出された放射性物質は、広範囲の農地に降下した。●事故直後の対策として、放射性セシウムが直接付着した部分を物理的に除去する方法は効果的であるが、放射性物質を完全に除去できるわけではない。●土壌から作物への放射性物質の取り込み対策として、カリウム施肥をして土壌中の交換性カリウム濃度を維持する移行抑制対策が取られている。●土壌や汚染状況などによって期間に差はあるものの、施肥あるいは地域資源の循環などでカリウムの適切な供給を続けることによって、安全な農作物を供給できる。 なお、現在ではこれらの対策に加えて、イオンビームを使って植物に突然変異体をつくり、味や収量は変わらないが放射性セシウムの吸収量だけが少ないものを見つけ出す、という研究なども行われています(農研機構・石川ら 協力研究機関:福島県農業総合センター)。 信濃教授は講演をこのように締めくくりました。 ──福島産の農作物をさらに良質なものとして提供したいと思っています。 そのために必要になってくるのが、逆境をバネにして農業基盤の増強や地力の増進、肥沃度の向上を図ることです。 元に戻す技術ではなくて、それをさらに先に進める技術を見いだし、いずれは周りの県から「福島県の土壌いいな」と言ってもらうことを目標にしています。   雨宮 崇   日本科学未来館 科学コミュニケーター雨宮 崇TAKASHI AMEMIYA 1988年、山梨県生まれ。科学コミュニケーター。京都大学大学院エネルギー科学研究科修了。株式会社ベネッセコーポレーションでタブレット教材開発や映像授業講師に従事し、2015年から日本科学未来館へ。企業と連携したものづくりに関するワークショップの開発・普及展開や、東日本大震災後のリスクコミュニケーションなどに取り組んでいる。趣味は散歩とパソコンいじり。日本科学未来館 科学コミュニケーターのスタッフブログはこちら http://blog.miraikan.jst.go.jp/author/t-amemiya/

11年福島原発事故で放出 セシウム短期間で日本近海へ 「20~30」覆し1年後に還流 2019年7月8日 毎日新聞 夕刊7面

11年福島原発事故で放出 セシウム短期間で日本近海へ 「20~30」覆し1年後に還流 2019年7月8日  毎日新聞 夕刊7面   廃炉作業が進められている福島第1原発の1号機(右)から4号機。奥は処理水貯蔵タンク=福島県大熊町で2019年2月14日、本社ヘリから手塚耕一郎撮影  2011年の東京電力福島第1原発事故で太平洋上に放出された放射性セシウムは、これまでの想定よりも短いルートですでに日本近海に戻ってきていたことが筑波大と海洋研究開発機構、金沢大の研究で判明した。流れ出たセシウムは、時計回りの亜熱帯循環に乗って数十年かけて日本近海に戻ってくると考えられていたが、1年後には近海で検出された。検出されたセシウムの濃度は低く、海の生き物に影響を与えないレベルだという。  これまで、原発事故で海中に流れたセシウムは、亜熱帯循環に乗って20~30年ほどで日本に戻ってくると予測されていた。しかし、この研究チームが海水を採取して放射性セシウムの濃度を測定したところ、日本近海の東シナ海では12年から濃度が上がり始め、14年には最大に達した。その1年後には日本海でもセシウムの濃度が高くなっていたという。現在は再び太平洋に流れているとみられる。  セシウムは、冬に季節風によって冷やされて密度が上がった海水が沈み込み、海中を西向きに移動する新ルートを通っていたと考えられる。筑波大の青山道夫・客員教授は「これほど短期間で戻ってくるというのは意外な結果だった。これまで知られていない新たなルートを見つけた」と話す。海洋研究開発機構の熊本雄一郎・主任技術研究員は「海水の循環が可視化されたことで、将来的には気候変動の予測などに貢献できる」と話している。【信田真由美】

広島、長崎の被爆者に放射線の遺伝的影響は果たしてなかったのか?ABCCー予防衛生研究所の犯罪を追及する(1)

広島、長崎の被爆者に放射線の遺伝的影響は果たしてなかったのか?ABCCー予防衛生研究所の犯罪を追及する(1) [第1稿] 2019年9月11日記 <はじめに>  日本の放射線生物学では、「広島・長崎の長期に渡る疫学調査の結果、放射線の遺伝的影響はなかった」ことになっています。多くの場合、その対象となった被爆者の人数が「妊娠登録を行った被爆者15,410例、同じく妊娠登録を行った非被爆者55,870例、計71,280例」の他に比類を見ない疫学調査の結果である、とされます。  果たして、「放射線によりショウジョウバエには遺伝的影響が出るが、人間には出ない。少なくとも広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められていない。」は正しいのでしょうか。  アメリカは1945年8月6日広島市に、8月9日に長崎市に原爆攻撃をしました。笹本征男『米軍占領下の原爆調査~原爆加害国になった日本~』新刊社,1995年をよれば広島、長崎の原爆攻撃をうけた直後から大本営調査団、陸海空軍、政府、大学の調査団が結成され、広島、長崎の調査に入っています。しかし、この調査団の目的は、原子爆弾の破壊的影響ー物的、人的、社会的影響ーの調査であり、被ばく者援護を目的としていませんでした。来るべき核戦争時代に次は勝利するための、作戦研究に役立てるためでした。  1945年8月15日に天皇の「終戦の詔勅」、8月21日にマッカーサー連合国最高司令官から降伏文書の受領、8月28日連合国軍先遣隊が厚木空港に到着、翌日8月29日には日本陸軍軍医学校を中心とする東京帝国大学医学部、理化学研究所の合同調査団が東京を出発、広島に向かっています。同日8月29日に広島衛生課の要請により、東京帝国大学伝染病研究所調査班が広島に到着、8月30日厚生省と九州総監府の委嘱による九州帝国大学医学部調査団が長崎に到着しています。この日、8月30日にマッカーサー連合国最高司令官が厚木に到着しています。  すなわち、敗戦後の日本側の広島、長崎の原爆被害調査(被爆者救護のためではなく)は、アメリカ占領軍の本土進駐に合わせて準備、実行されたものでした。  さらに1946年11月18日、アメリカ海軍長官ジェームス・フォレスタルが、アメリカ大統領トルーマンに、「原子爆弾傷害の後遺症を継続調査」するように進言。11月26日、アメリカ大統領トルーマンは、この進言を採択して、ABCC(原子爆弾傷害調査委員会)の設置を指令しました。しかし、この時点ですでに、ABCCは活動を開始していました。11月25日の時点でABCC予備調査団が東京に到着、東京大学、都築正男教授に面会をしています。この時点で、都築正男は、学術研究会議の原爆調査研究予算に30,000円(現在の円に換算すると12億円)が割り当てられたと説明しています。敗戦直後の日本で12億円もの国家予算が原爆調査研究のために、予防衛生研究所に使われたのです。それも、被ばく者の治療のための調査・研究が目的ではなく、原子爆弾の破壊的影響ー物的・人的・社会的影響ーの解明のために。これはまさに、日本が原爆被害国ではなく、アメリカとともに原爆加害国になった瞬間である、と笹本征男氏は同書で指摘しています。  日本政府は、アメリカのABCC(原子爆弾傷害調査委員会)とともに、予防衛生研究所を設立して、広島、長崎の原爆の破壊的影響を調査・研究しました。  以下が1949年5月から1951年9月までのABCC(原子爆弾傷害調査委員会)の年度別の人数表です。同書pp.207~209 年度 1949年5月 1949年10月 1950年2月 1950年5月 1951年9月 連合国人   50     80     105      117      143 日本人    150      400     600      687      920 1951年9月に至っては、1063人のABCC(原子爆弾影響研究所…予防衛生研究所支所)のうち、実に92%は日本人職員であり、この給料は日本政府の厚生省が負担していたのです。  また、国立予防衛生研究所は1947年に設立されましたが、その予算のうちの「原子爆弾影響費」は年々増えていき、1947年度~1951年度のたった5年間で3035万円、現在の円価格にして12億円もの費用を支出していました。これは、将来の核戦争に備えるための調査・研究費だった、ととらえることができます。同書pp.206  国立予防衛生研究所 年度別歳出予算(円) 【出典】国立予防衛生研究所 1951年5周年記念特集 pp.202-203 年度  予防衛生研究所 血清其他検定費  原子爆弾調査費          計 1947    9,812,960      13,395,000              756,000     23,963,960 1948     33,602,200     14,907,000       3,833,000            52,342,200 1949     32,371,745     68,206,902            7,033,142          107,611,789 1950     27,172,000     122,784,000       8,612,000      158,568,000 1951     35,855,000     141,920,000       10,118,000      187,893,000   計    138,813,905     361,212,902       30,352,142     530,378,949                                (予研歳出総額                              の17.5%)  アメリカ軍の研究機関ABCCと一体となった予防衛生研究所の原子爆弾影響の調査の結論が、「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められなかった。」でした。果たして、本当に事実なのでしょうか?もし、これが虚偽であるとするならば、どのようにして、放射線被ばくによる遺伝的影響はなかった、という結論が導きされたのでしょうか?  続編(2)では、予防衛生研究所の原子爆弾の影響に関する医学調査の計画書全文を掲載し、当初、被ばく者の遺伝的影響を調査するための対照群として、広島市に対しては呉市が、長崎市に対しては佐世保市が選ばれ、その4市の被爆者および非被爆者とその子どもたちを対象とする健康調査や奇形、成長・発育調査が計画されていたことを明らかにします。  アメリカABCC(原子爆弾傷害調査委員会)は、計画の途中で、呉市と佐世保市の対照群の非被爆者とその子どもたちを調べることを放棄し、広島市や長崎市に原爆投下後に入市し居住・生活した人々およびその子どもたちを「非被爆者」とするように計画を変更します。広島市や長崎市に入市し居住・生活した人々も、原爆のまき散らした放射能に汚染された野菜を食べ、放射能に汚染された川の水を飲み、内部被ばくをしています。この原爆の放射線を直接浴び(外部被ばく)した被爆者(内部被ばくもしている)と、放射能で汚染された食べ物や水を飲んだ(内部被ばく)した市民とを比べた結果が「遺伝的影響の有意な増加は認められなかった」です。  本来は、被爆者と非被爆者とを比べ、被爆者の子どもと非被爆者の子どもとを比べるべき調査でした。直接原爆の放射線を浴びた被爆者と、内部被ばくをしている被爆者とを比べることになりました。どちらも放射線ににより、がんを発症し、子どもたちが流産、死産したり、奇形で産まれてきています。それが被爆者と非被爆者とを比べるのではなく、被爆者と被爆者を比べているのですから「有意な増加が見られなくなる」という仕掛けです。極めて巧妙な詐欺というべき、調査研究ではないでしょうか。  以下が、「広島、長崎の被爆者には放射線被ばくによる遺伝的影響の有意な増加は認められなかった。」とされる研究論文ですが、誰が作成したのかをご確認下さい。1957年ABCC(原子爆弾傷害調査委員会)とはっきり書かれています。すなわち、アメリカがこれからも核兵器を保有し、世界の憲兵であることを自認するためには、原子爆弾が遺伝的影響を引き起こすことがあってはならない、のです。国際法で化学兵器(サリン、マスタードガスなど)が兵器として使用が禁じられているのは、神経毒であると同時に、遺伝的影響があるからです。核兵器に遺伝的影響があるならば、それは人道に反する罪を引き起こす武器として、国際法上禁止されなければなりません。それを避けるために、1946年当時からアメリカが日本の広島と長崎で調査・研究してきたこと。そして、敗戦直後は大本営や軍部、政府、大学が、1947年以降は厚生省と日本の学術会議が全面的に協力して行われた広島・長崎の原爆調査が、そのアメリカの落とした原爆には遺伝的影響はない、と結論を出しているのです。日米合作の原爆による遺伝的影響の否定は、この論文にすべて発しています。この英語論文の日本語訳を作成したいと考えています。 James V.Neel W.J.Schull Effect of Exposure to the Atomic Bombs on Pregnancy Termination [...]

甲状腺検査評価部会「甲状腺検査本格検査(検査2回目)結果に対する 部会まとめ」について 2019年7月26日 「県民健康調査」検討委員会

甲状腺検査評価部会「甲状腺検査本格検査(検査2回目)結果に対する 部会まとめ」について    令和元年7月 「県民健康調査」検討委員会  福島県「県民健康調査」検討委員会(以下「検討委員会」という。)の下に設置する甲状腺検査評価部会において、甲状腺検査本格検査(検査2回目)結果に対する見解、今後の検討課題等が令和元年6月にまとめられ、7月8日開催の第35回検討委員会に「甲状腺検査本格検査(検査 2 回目)結果に対する部会まとめ」(以下「部会まとめ」という。)として報告された。 部会まとめの報告を受け、所見に対して結論づけるのは早いのではないかとの意見もあったが、多くの委員の賛成のもと、検討委員会としては了承するものである。 なお、検討委員会としての見解を下記のとおり整理し、また、委員の意見についても付記する。 記 部会まとめは、「甲状腺検査本格検査(検査 2 回目)に発見された甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連は認められない」とした。これは、報告中にあるように、「現時点において」「検査 2 回目の結果に限定」されたものであること、将来的な見通しに言及したものではない点に留意する必要がある。 また、解析については、先行検査時点での比較で使用した4地域の単純な比較には多くの要因が影響しているものであり、放射線線量と甲状腺がんの関係を見るうえで、UNSCEAR の市町村別甲状腺吸収線量を利用した解析を行うことは、妥当であったと考える。さらに、線量が低い値であることを補足として説明すべきとの意見もあった。これらの内容について、県民へ分かりやすく伝える努力をする必要があると考える。 部会まとめで「今後の評価の視点」が示されたが、甲状腺検査及びその評価について、引き続き検討委員会において検討していく必要があると考える。 <委員からあった意見等> ○所見の結論部分に対するその他意見 ・ より丁寧に言えば「甲状腺検査本格検査(検査2回目)に発見された甲状腺がんについては、放射線被ばく線量との相関は認められない」とする方がよい。 ・ 表現について、「甲状腺検査本格検査(検査2回目)に発見された甲状腺がんについては、放射線被ばく線量との関連を示す知見は得られなかった」とする方がより正確な記述と考える。 ・ UNSCEAR の推測値を利用した解析による結論である旨の追加。 ・ 甲状腺がんと放射線被ばくとの因果関係については、肯定・否定とも断言することはできないと考える。 〇今後の評価の視点としての意見 ・ より詳細な甲状腺被ばく線量を用いた検討 ・ がん登録情報、臨床情報を含めた総合的な分析と評価 ・ 事故当時の年齢と発見率との関連 ・ 1回目と2回目を合わせた甲状腺がん症例と被ばく線量との関連についての分析 ・ 甲状腺がんの発見率が高いことや男女比についての検討 ・ 先行検査時点で利用した4地域の比較についての検討 

甲状腺がん未報告17人か 2019年7月24日 9時55分 NHK 福島放送局

甲状腺がん未報告17人か 2019年7月24日 9時55分 NHK 福島放送局  福島県が原発事故のあと、当時18歳以下の子どもを対象に行っている甲状腺検査で、がんやその疑いがあるという報告に含まれていない可能性がある患者が、少なくとも17人いることが民間の調査でわかりました。  福島県は原発事故のあと、被ばくの影響を受けやすいとされる事故当時18歳以下の子どもおよそ38万人を対象に、甲状腺の検査を実施しています。県は専門家で作る検討委員会にがんやその疑いと診断された患者の人数を報告していて、ことし3月末時点で、218人としています。 しかし、患者や家族を支援する「3・11甲状腺がん子ども基金」によりますと、支援を依頼してきた患者の中に、報告に含まれていない可能性がある人が少なくとも17人いることがわかりました。 このうち16人は、県の検査以外でがんやその疑いと診断されたということで、県は、把握が難しいことから報告には含まれていないとしています。 もう1人は、事故当時4歳だった子どもで、県が3年ごとに行っている検査のうち、去年行われた3巡目の検査でがんと診断され、ことし3月に県立医科大学で手術を受けましたが、県の報告には4歳の子どもは含まれていないということです。 甲状腺検査をめぐっては、おととしにも報告から漏れた4歳の子どもがいることがわかり県が調査した結果、おととし6月末までに報告に含まれない患者が12人いたことがわかっています。 専門家の検討委員会は県の報告を元に、がんと原発事故による被ばくの関係を調べていますが、今回、新たに報告に含まれていない患者がいる可能性が明らかになったことで、正確な把握が難しいことが改めて浮き彫りになった形です。   朝日新聞WEB版 福島県の甲状腺検査、18人が集計漏れか NPOが発表 奥村輝 2019年7月25日朝日新聞  東京電力福島第一原発事故後の福島県の甲状腺検査について、がんやその疑いがある人が、県の集計結果から6月末の時点で少なくとも18人漏れていると、患者らを支援するNPO法人「3・11甲状腺がん子ども基金」(東京)が24日発表した。経過観察中の受診や県外の医療機関で見つかった例があるという。  基金によると、集計漏れは事故当時4~17歳までの男女18人。4歳男児の1人については、基金が17年3月に発表していた。崎山比早子代表理事は「正確な人数が不明のまま放射線影響を調べていて問題だ。また、5歳以下はチェルノブイリでの多発年齢で、特に注意する必要がある」と話した。県はがんやその疑い例を3月末時点で218人としている。  また、県民健康調査検討委員会は24日、検査2巡目について「がんと被曝(ひばく)の関連は認められない」とする専門家の甲状腺検査評価部会の報告を了承したと発表した。ただし「将来的な見通しに言及したものではない」として、より詳細な被曝線量を用いた検討や、1巡目と2巡目を合わせた分析が必要だとするなどの委員意見も記された。(奥村輝) 共同通信 甲状腺がん18人が集計漏れか 福島の子ども健康調査 2019年7月24日 13:13 共同通信 甲状腺検査の様子=2016年、福島県内  東京電力福島第1原発事故による健康影響を調べる福島県の県民健康調査に関し、NPO法人「3.11甲状腺がん子ども基金」(東京)は24日、甲状腺がんやその疑いがあるとの集計結果から少なくとも18人が漏れていると発表した。福島県外の医療機関で見つかった人などが漏れているという。  基金によると、集計漏れは、県民健康調査以外で甲状腺がんと診断された事故当時11~17歳だった16人と、同4歳だった男児2人。男児の1人については基金が2017年3月に発表済み。  自覚症状があり自ら医療機関を受診してがんと分かった例や、就職先の健康診断で見つかった例があったという。            

福島県、キノコ出荷制限一部解除 2019年9月6日 河北新報

福島県、キノコ出荷制限一部解除 2019年9月6日 河北新報  福島県は5日、東京電力福島第1原発事故に伴う野生キノコの出荷制限を一部解除した。西会津、柳津、三島の各町と昭和村のマイタケ、只見町のナラタケとブナハリタケ、昭和村のムキタケが対象。3年間の放射性物質濃度検査で継続して国の基準(1キロ当たり100ベクレル)を下回った。

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