[初稿]    2018年10月1日

[改訂第1稿] 2019年2月24日 大石又七さんが放射線医学総合研究所で、「白い影が」と言われたのは、2000年の検査ではなく1992年の検査でした。また、肺ではなく、胃の白い影を指摘されていました。お詫びして訂正いたします。

 

 国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護モデルを信用したら、殺されます。

 日本政府、福島県、各自治体の放射線防護モデルは出所はすべて放射線医学総合研究所(千葉県千葉市)。そして、この放射線医学総合研究所(NIRS)は悪名高きABCC(米軍合同委員会。注:日米合同委員会は誤訳。)と放射線影響研究所(RERF)の流れを組む、被ばくの調査はするけれども、治療せず、の機関。簡単に言えば、日本の原発労働者の被ばくと健康被害のデータを収集し、アメリカの渡すための機関です。

大石又七『ビキニ事件の真実』みすず書房 2003年7月24日 2600円 より

(ビキニ事件被災で東大病院、国立東京第一病院に入院)退院後から、放医研は国の予算で俺たち(第五福竜丸乗組員)の被ばく記録を取りつづけた。だが発病しても治療しない。入院直後は(放医研は)みんな俺たちの味方で、親身になって治療に取り組み、加害国アメリカに対しても厳しく対応してくれていたのに。放医研がこれまでに出した論文や年報の中には俺たち第五福竜丸乗組員の検査結果が報告されている。しかし、個人個人には何も教えてくれなかった。この記録を見ると、放医研は早い時期から俺たち(第五福竜丸乗組員)の肝機能障害を把握していた。また年報には書かれていないが、血液検査で染色体に異常があったことも分かっていた。染色体に異常があれば奇形児が生まれる。だが、放医研の(年報等を見ると)それらのことも基本的に被ばくと関係ないと決めつけているように見える。

亡くなった(第五福竜丸乗組員の)仲間たち

久保山愛吉 40歳 肝機能障害(急性放射能症) 1954年9月23日死亡 水爆実験遭遇から約7ヵ月後

川島正義  40歳  肝硬変 肝機能障害     1975年死亡          同    21年後

増田三次郎 54歳 肝臓がん(原発性) 肺血栓等1979年死亡          同    25年後

鈴木鎮三  50歳 肝硬変 交通事故      1982年死亡           同    28年後

増田祐一  50歳  肝硬変(脳出血)      1985年死亡            同    31年後

山本忠司  59歳 肝臓がん(多発性)肺がん・結腸がん 1987年死亡       同    33年後

鈴木隆   59歳 肝臓がん(原発性)     1989年死亡            同    35年後

高木兼重  66歳 肝臓がん(原発性)     1989年死亡            同    35年後

久保山志郎 65歳 肝臓がん(原発性)     1996年死亡            同    43年後

服部竹冶  66歳 肝臓がん(心不全)     1997年死亡            同    53年後

安藤三郎  71歳 肝臓がん(原発性)     1997年死亡            同    53年後

                大石又七『ビキニ事件の真実』pp.103~104 一部抜粋

(編集者注)この後も、2人の乗組員の方が亡くなられています。

平井勇   71歳 肝臓がん(原発性)   2003年死亡            同   59年後   

見崎吉男  90歳 肺炎          2016年死亡           同   62年後

 大石又七さんも、他の乗組員も、毎年1回、放医研の定期健康診断を受けていました。全身の健康診断をしていました。1992年に、大石又七さんが放医研の健康診断を受けたとき、医者の顔に暗い影がさっと走ります。大石さん「先生、どうしたのですか?」と。医師「いや、少し胃に白い影が」。心配になった大石さん、他の病院へ行って、胃の精密検査を受けます。しかし、胃は何とも異常はない。そこで、全身をくまなく調べてもらうと、見つかったのが肝臓がん。放医研が1992年までの検査で肝臓がんを見逃すわけがない。つまり、放医研は、第5福竜丸の乗組員のからだを毎年調べ、どんながんになって、どのように死んでいくのかを調べていたのです。

 これが放医研の実態です。放医研の「放射線被ばくの早見表」など飛行機やCTスキャン1回分などと比べて、これくらいの放射能は安全、などと信じていたら、放射能に殺されます。国立がん研究センターも同じ系列の調査・研究をやっているので、その伝えようとしている内容を吟味することが必要です。こと放射線に関してはうそが多い機関です。(編集者:川根眞也)

 この放射線医学総合研究所(NIRS)は、国際放射線防護委員会(ICRP)の下部組織のような機関であり、日本独自の放射線防護理論など研究していません。すべて、国際放射線防護委員会(ICRP)の理論に支配されています。その国際放射線防護委員会(ICRP)がpub111という文書に中で、「毎日1ベクレル食べ続けると」「毎日10ベクレル食べ続けると」という、チェルノブイリの住民の被ばく検査に基づく、実例から内部被ばくのグラフを作成しています。これは一面の真実を現しています。その解説文とともに紹介します。

【出典】ICRP Publication111 原子力事故または放射線緊急事後後の長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用 2008年10月 日本語版 pp.7~8

(17) 汚染された食品の経口摂取による被ばくは,地域で生産される食品の食習慣における相対的な重要性に応じて,慢性摂取または一回摂取のいずれからも生じる可能性がある。一例として,図2.2 に,1000 Bq の137Cs を一度に摂取した場合(一回摂取)と,毎日1 Bq または10 Bq の137Cs をそれぞれ1000 日間摂取した場合(慢性摂取)の全身放射能の変化を示す。同じ総摂取量に対して期間末期における全身放射能は著しく異なる。これは,汚染された食品を日常的に毎日経口摂取する場合と,断続的に一回摂取する場合との負荷が本質的に異なることを示している。実際には,汚染地域に居住する人々の場合,全身放射能は食品の出所と食習慣に依存する日常的摂取と一回摂取の組合せによってもたらされる。
(18) チェルノブイリ事故から20 年後,チェルノブイリ周辺の汚染地域における成人の137Cs の典型的な平均日常摂取量は10~20 Bq の範囲である。また,付加的なより高い一回摂取は,例えば野生のキノコやベリー類の経口摂取による数百Bq の範囲が一般的である。これによる年間実効線量は0.1 mSv 程度である。しかしながら,情報をほとんど得ていない一部の者や非常に特殊な食習慣を持つ者は100 Bq から数百Bq の範囲の日常摂取量を示す場合がある。これは1 mSv から数mSv の範囲の年間実効線量に相当する。

(編集者注)よく、安斎育郎氏、野口邦和氏などの放射線防護学の学者が、「自然にもカリウム40などの自然放射線があるのだから、自然放射線の範囲内なら多少のセシウム137を食べても大丈夫」と言います。これはデマです。どんなにカリウムを入った食品を食べ過ぎても、人間のからだはカリウムを代謝する経路が7つあり、食べた分だけカリウムを排出します。結果として、天然のカリウムの中に0.0117%存在するカリウム40も一定程度以上に蓄積することはなく、排出されます。よく体重60kgの日本人の大人のからだには4000ベクレルのカリウム40が存在する、と言われますが、この4000ベクレルよりも増えて内部被ばくすることはないのです。

 しかし、セシウム137は人間のからだの各臓器に濃縮・蓄積し、溜まっていきます。上記の国際放射線防護委員会(ICRP)のグラフのように、セシウム137を1日1ベクレル摂取すると2年後(約700日)には140ベクレルに、セシウム137を1日1ベクレル摂取すると2年後(約700日)には1400ベクレルになります。これは体重35kgの子どもであれば、体重1kgあたり40ベクレル/kgに相当し、心筋梗塞を起こしかねない、危険な蓄積量です。しかし、体重35kgの子どもでセシウム137が1400ベクレル内部被ばくしていても、国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護モデルに従えば、0.1ミリシーベルト程度しか被ばくしていないことになるのです。つまり、国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護モデルに従えば、1日10ベクレル程度食べても安全になるのです。

 国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護モデルを信じて、「これくらいの放射能は安全」と食べていれば、それは死の危険です。