原発事故、誰も守ってくれないから… ヨウ素剤、準備する住民たち
毎日新聞 2017年10月11日 東京夕刊  特


幼稚園児の保護者に問診の上、安定ヨウ素剤を配布する青山浩一医師=千葉県松戸市で2017年9月、沢田石洋史撮影

 放射性物質が放出される原発の過酷事故に備えて、住民が自ら安定ヨウ素剤を入手する動きが広がろうとしている。甲状腺被ばくを防ぐためだ。東京電力福島第1原発事故から6年半の月日を重ねた今回の衆院選。原子力防災の在り方は問われるのだろうか。【沢田石洋史】

 江戸川を挟んで東京都に隣接する千葉県松戸市で9月、ヨウ素剤の配布会が開かれた。約300人の園児が通う「大勝院幼稚園」の講堂。国や自治体は一切関わっていない。櫛田良豊園長は「本来は国がやるべき仕事ですが、やらないので園が企画しました。大人が子どもたちを守らないで誰が守るのか」と語る。150人以上の保護者が集まり、医師の説明と問診後、3日分のヨウ素剤を家族のために受け取った。

 配布会を進めているのは、フォトジャーナリストの広河隆一さんが代表を務める「DAYS救援アクション」(事務所・東京都世田谷区)と、市民グループ「放射能からこどもを守ろう関東ネット」だ。

 広河さんは「原発で大事故が起きれば放射性物質は遠くまで広がることが福島第1原発事故で明らかになったのに、政府がヨウ素剤配布の対象にしているのは原発から30キロ圏だけ。これでは万一の時に子どもたちの健康を守れない」と憤る。配布運動を「健康に生きる権利の行使」と位置付けている。

 松戸市は福島第1原発から約200キロ離れている。日常生活で原発を意識してこなかった同市で何が起きたか--。

 2011年3月下旬に市内の浄水場で採取した水道水から1キログラム当たり最大220ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。この数値は乳児(0歳児)の飲用に関する基準(100ベクレル)の2倍を超す。千葉県は一時、乳児が飲むのを控えるよう呼び掛けた。

 さらに市民の間で「空間線量も高いのでは」との不安の声が広がり始めた。当時5歳の長男を大勝院幼稚園に通わせていた脇ゆうりかさんが振り返る。「放射線検知器を持っている人がいて、市内でスイッチを入れたらブザーが鳴りっぱなし。汚染マップを作らなければならないと、母親たちが測定を始めました」。市が線量測定に乗り出したのは5月下旬。国の除染基準(毎時0・23マイクロシーベルト)を超える線量が多くの場所で測定された。

 放射性物質は放射性プルーム(雲)の通過によって拡散した。環境省は最大で東北、関東の8県104市町村を「汚染状況重点調査地域」に指定した。


 「関東ネット」の共同代表を務めている脇さんはこう話す。「どうすればヨウ素剤を入手できるのかとの問い合わせが各地から来ています。原発事故による災害について改めて考える機会にもなっています。5県43グループの母親たちがつながって行政に子どもの健康追跡調査などを要望してきましたが、6年半たった今できることとして配布運動は広がっていくと思います」

5キロ圏外も事前配布、国に促す

 松戸市の配布会には3人の医師が駆け付けた。原発事故当時、福島県郡山市で整形外科医院を経営していた種市靖行さん、島根大医学部の野宗(のそう)義博特任教授、鹿児島市で内科クリニックの院長を務める青山浩一さんだ。

 青山さんは地元で来院者の求めに応じてヨウ素剤を配ってきた。「震災後、鹿児島にも福島県や近隣県から住民が避難してきました。11年の年末に、一時帰省する人に『ヨウ素剤を入手したい』と依頼され、薬問屋から購入してお渡ししたのが最初です」

 鹿児島の住民の間では現在、放射性物質への不安感が募っている。15年に九州電力川内原発が再稼働し、16年4月の熊本地震の際は九電が原発を止めることなく「安全宣言」をしたためだ。「北朝鮮のミサイルが原発周辺に落ちる可能性はゼロとは言い切れません。やはりヨウ素剤の事前配布は必要です」。青山さんは被ばくリスクが頭から離れない。

 一方、国の原子力災害対策指針は万全の備えとは言い難い。原発から5キロ圏内の住民にはヨウ素剤を事前配布することになっているが、5~30キロ圏では保管所に備蓄し、事故後に配布するのを基本としている。青山さんは「希望する人には、30キロ圏外も含めて配布すべきだと考えます」と国に方針変更を促す。30キロ圏外で備蓄済みの自治体は兵庫県篠山市などごくわずかだ。

 青山さんのクリニックでは、来院者が求めれば実費でヨウ素剤を配布している。金額は1丸(1錠)当たり5・6円(税込み)。13歳以上の場合、1日に1回2丸飲む必要があり、11・2円になる。3日間の屋内退避に備えるならば33・6円。

 副作用の発生率は「0・0001%」「インフルエンザ予防接種の20分の1」などと言われるように低い数値だが、服用には医師の指導が必要だ。

 種市さんも「東電福島第1原発事故の影響は30キロ圏を超えて広範囲に及んでいるのに、ヨウ素剤の事前配布が狭い範囲に限定されているのは不思議なこと。実態に合わせて、住民の不安に応えるべきです」と訴える。種市さんは整形外科医だが、原発事故以降は周囲の声に応える形で福島県の資格を取り、甲状腺検査も行っている。

 野宗さんは甲状腺外科医として旧ソ連の核実験場があったカザフスタンで被ばく者の診療に当たった経験を踏まえ、こう警告する。「大きな原発事故があった時、住民に誰がヨウ素剤を配るのでしょうか。間違いなく混乱が起きる。だから事前配布が必要なのです」

 事前配布にこだわるのは、ヨウ素剤の効果と服用時間には関係性があるからだ。日本医師会のガイドブックによると、被ばくの24時間前に服用すれば放射性ヨウ素を90%以上阻止する効果がある。だが、8時間後は阻止効果が40%に低下する。

 この国の行方を左右する衆院選で、原発政策に関心を持つ有権者は何を判断基準にすればいいのだろう。

 チェルノブイリ原発事故で被ばくした子どもらの支援活動や福島第1原発事故の取材を続ける広河さんは「二つの事故で共通するのは、政治家を含めて誰も自分たちの身を守ってくれないということ。原発政策については、立候補者が何を訴えているかではなく、有権者の命を守るために何を実行してきたかを見極めてほしい」と話す。

 ヨウ素剤の事前配布は、住民や医師らのボランティアに任せるのではなく、国や自治体が責任を持って進めるべきではないか--。原発の再稼働を進めるのならば、国政選挙で議論されなければならないはずだ。

 「DAYS救援アクション」は安定ヨウ素剤の自主配布の進め方などを記した「簡単ガイドブック」(1部300円、送料110円)を販売している。問い合わせはメール(daysaction@daysjapan.net)で。

 ■ことば

甲状腺

 喉にあるチョウのような形の臓器で、新陳代謝や成長に欠かせないホルモンを作る。海藻類などに含まれるヨード(ヨウ素)を養分にしているが、原発事故で放出された危険な放射性ヨウ素を見分けられず、吸収してしまう。大量に被ばくすれば甲状腺がんなどにつながる恐れがある。一方、あらかじめ安定ヨウ素剤を飲んで甲状腺を飽和状態にしておけば、放射性ヨウ素が入り込むのを予防できる。