学校に通いたい……教室に充満する過剰な「香り」で化学物質過敏症に苦しむ女子高校生

2019年10月2日 HABOR BUSINESS

香り過剰な教室で防毒マスクなしで呼吸できなくなった女子高生

学校に通いたい……教室に充満する過剰な「香り」で化学物質過敏症に苦しむ女子高校生
 
「いい香り」を売りにする製品は年々増えている。<ナオ / PIXTA(ピクスタ)>

「娘の症状は私どもの想像を超えるスピードで悪化し、学校では防毒マスクなしで呼吸ができない状態となりました。何より困っているのは高残香性柔軟剤●●●、●●●、●●●、●●●、洗濯洗剤●●●、●●●、●●●、デオドラントビーズ(*)、制汗スプレーです」
<*洗濯時に、香り付けだけの目的で使用するビーズ状の製品。後出の「香り付け用ビーズ」も同じ>

 これは福岡県の私立高校2年生で化学物質過敏症患者Aさん(17歳)の母親が、今年7月、Aさんと同じクラスの保護者全員に宛てた手紙の一部である。伏字の部分には、それぞれ柔軟剤と合成洗剤の具体的な銘柄が記されている。そうしないと、自分が愛用している製品の香りが強いのかどうか、普通の人には判断できないからだ。

「上記の柔軟剤・合成洗剤等をご使用中のご家庭がもしございましたら、卒業までの残りの1年半だけでも別の洗剤や柔軟剤に変えていただけないでしょうか?(中略)そして香り付け用ビーズはご使用をお止めいただけませんか?」

 悲痛なまでの懇願に、母親の煩悶とAさん自身の苦しみが窺える。なぜ、こんな事態になってしまったのか。

中1の頃、偏頭痛が頻発し始めた

 Aさんは小さいころからエビとイカのアレルギーがあるだけで、健康上、特に何の問題もなく元気に学校に通っていた。そのAさんに化学物質過敏症の症状が出始めたのは、中学1年生のときだ。そのころ頻繁に偏頭痛を訴えるようになった。だが母親は化学物質過敏症とは夢にも思わず、この子は頭痛持ちなのだと思っていたという。

 しかし症状は次第に悪化し、腹痛や下痢を繰り返すようになっていった。中学3年生の夏には何を食べても呼吸困難・じんましん・口腔アレルギーを起こすようになり、複数の病院を受診した。食べられないものがどんどん増えていき、ひとつひとつ除去していかざるを得なかった。このころ、光線過敏症(日光アレルギー)も発症し、紫外線の強い日は5分も戸外にいるとじんましんが出るようになった。

 高校進学後、国立病院機構福岡病院で「食物アレルギーではなく化学物質に反応しているのだろう」と言われ、初めて化学物質過敏症の診断を受けた。その後、別の病院で診断書を出してもらうことができたが、治療はできないと言われた。九州近傍には化学物質過敏症の専門医がいないため、現在はどこの病院にもかかっていない。薬の添加物にも反応するので、症状を抑えるための薬を飲むこともできない。

 Aさんの母親には、娘の発症のきっかけのひとつとして、ある銘柄の柔軟剤が思い当った。Aさんが中学1年生のとき、それまで使っていた柔軟剤からその銘柄に変えたことがあった。母親は特に香りが強くなったとも思わず、新しい柔軟剤を一年半ほど使用した。だが思い返せば、そのころからAさんは頭痛を訴え始めていた。

 高校1年生の冬、学校が教室を閉め切って暖房を入れるようになると、Aさんはフラフラになって帰宅し、激しい眠気を訴えた。喘息の発作、夜眠れないほどの頭痛、針で眼球や骨を刺されるような痛みに襲われ、さらには筋肉の弛緩によりペンや箸が持てなくなった。教室内に充満した洗剤や柔軟剤などの香りが原因ではないかと母親は考えている。

自宅の洗剤は無香料に変えたが……

 化学物質過敏症と診断されてから、Aさんの家庭では合成洗剤と柔軟剤をやめ、無香料の石けんに切り替えた。しかし学校へ行けば大勢の生徒たちの衣類や頭髪から、香料を含むさまざまな化学物質が発散する。防毒マスクがなければ、呼吸もままならない。そのため今年の夏休み直前に、冒頭で紹介したような手紙を、学校の協力を得て同じクラスの保護者に配布してもらったのだ。

 手紙が奏功し、夏休み明けには自分のクラスの教室内だけは、防毒マスクより軽量な活性炭入りマスクでも過ごせるようになった。だが、他のクラスの生徒が大勢いる廊下やスクールバス内では、防毒マスクをしていても香料などが突き抜けてくるため、震え、脱力、頭痛、めまい、肺の痛みなどに襲われた。

 また、9月半ばには学校が各教室の床にワックスを塗ったため、一週間ほど自分の教室に入るのも難しくなってしまったことがあった。夏休み中は体調もかなり回復し通学を楽しみにしていたが、今は、丸1日学校で過ごすと、その後の2日ほどは学校に行けなくなってしまうような状況が続いている。Aさんは、「学校に行きたいのに」と泣いているという。

2009年から保険診療となっている化学物質過敏症

 化学物質過敏症とは、ごく微量の化学物質でさまざまな症状が出る病気である。軽い頭痛を感じるなどの軽症者から、普通に生活することが困難なAさんのような重症者まで、程度の差はさまざまだ。心因性のものだと考える医師、あるいは病気として認めない医師も多いというが、2009年10月から保険診療の病名リストに登録されているれっきとした疾病である。

 かつては工場労働者などが、有害化学物質に一度に大量に暴露したあとや、少量でも長期間にわたって暴露したあとに発症する病気だった。ところが今や、普通に生活しているだけで発症する人が急増している。

 内山巌雄京都大学名誉教授*らが2000年に全国の成人4000人(有効回答率71.3%)に対して行なった調査**によれば、化学物質過敏症の可能性の高い人は0.74%、可能性のある人は2.1%であった。2000年ごろの成人人口は約1億人であるから、感度の高い人は70万人、可能性のある人は210万人もいるということになる。
<*2000年当時は国立公衆衛生院労働衛生学部部長>
<**内山巌雄,村山留美子.公衆衛生学的立場から見た化 学物質過敏症.平成 11 年度厚生科学研究費補助金報 告書 2000;1–5.>

 また12年後の2012年、内山教授らが成人を対象に行なった調査*では、回答者7245人の4.4%が化学物質過敏症と判定されている。2000年と比較して、その率は倍増している。大人だけで全国に440万人もの患者もしくは予備軍がいるということだ。
<*東賢一、内山巌雄.化学物質過敏症の実態について : 全国規模の調査と臨床の現場から (特集 化学物質過敏症問題の現状と今後の課題を考える)>

 ところが日本では、化学物質過敏症の診断ができる病院の数が極端に少ない。それに加えて、病気自体の理解が進んでいないため、発症していてもそれと気づかずに過ごしている人が多い。Aさんのケースも、中学1年生の時点ですでに発症していたと考えられるが、病院で診断を受けるまでに4年もの月日が流れている。その間、症状は悪化し続け、結果的に、対応も遅れてしまった。

急増する患者、手を打たない国

 今年9月16日、東京で日本臨床環境医学会の市民公開講座が開催され、高知県の医療法人高幡会大西病院の小倉英郎院長が化学物質過敏症患者に関する調査結果を報告した。

 報告によれば2010年9月から2018年9月の8年間に同院を受診した1歳から15歳までの患者24名のうち、ほぼ三分の一の29.2%が発症の契機となった化学物質として衣類の洗剤・柔軟剤をあげている。

 調査対象となった8年間のうち半数の12名は、2016年以降に受診している。つまり少なくとも大西病院ではそのころに患者が急増したということだ。

 マイクロカプセル技術を使用した高残香性の柔軟剤が日本で売り出されたのは2010年。徐々にブームになり、ここ数年はどこもかしこも合成香料の香りが漂うようになった。すすぎ1回でエコというふれこみの合成洗剤も、次々と売り出されている。もともとすすぎ回数の少ない柔軟剤ともども、さまざまな成分が衣類に残留し、空気中に拡散あるいは皮膚から吸収されていることは想像に難くない。

 化学物質過敏症を発症・重症化して、学校に通いたくても通えない子どもが一体全国にどれほどいるのだろうか。文部科学省はそれすら調べようとしていない。「病態(病気の様子の意)がわからず病気としての定義ができないため、正確な調査ができない、だから調査はしない」というのが文部科学省の考え方だ。

 また、子どもの教育を受ける権利を蹂躙しながら平然と有害物質を売り続ける企業に対し、厚生労働省も環境省も消費者庁も何ら対策を取ろうとしない。柔軟剤などの香り成分で化学物質過敏症を発症するという証拠がないというのがその理由だ。すでに国内外に香料成分の有害性を示す研究論文が多数存在するにもかかわらず、それらを見ようともしないのだ。

「原因物質がわからない限り何もなそうとしない行政」

 あの水俣病の惨禍を招いたのも、行政のそうした姿勢だった。かつて熊本大学医学部で水俣病の原因究明と被害者救済に力を尽くした故原田正純氏は、その著書『水俣病』(岩波書店 1972年)の中で、次のように行政を批判している。少し長いが、以下に引用する。

”昭和三十二年二月二十六日第二回の水俣病医学研究報告会が開かれ、厚生省や、さきに述べた公衆衛生院の共同研究の結果、それまでにわかった事実に基づいて水俣湾内の漁獲を禁止する必要があると結論されたにもかかわらず、原因物質が決定できないために漁獲を禁止する法的根拠がなかった。(中略)

 これよりさき、三十一年十二月に、熊大の喜田村教授*が、よそから持ってきて短期間水俣湾内で飼育した魚や、短期間湾内に生息する回遊魚が、いずれもすみやかに毒性を帯びるという事実をつきとめ、これによって恐るべき湾内の毒性を証明したにもかかわらず、これらの研究はまったく行政には無視されたのである。原因は排水中の物質であることはわかっていても、これが原因物質だというものをとり出して突きつけないと、責任をとろうとしない企業と、いかに危険だとわかっていても、原因物質がわからない限り、なにもなそうとしない行政の姿が、はっきりここで現われている。これらこそ、公害を発生させ、拡大していく元凶なのである。”
<*熊本大学水俣病研究班のメンバーの一人である喜田村正次教授>

 大袈裟でもなんでもなく、今また同じことが繰り返されている。今度の被害者は全国民だ。香りの愛好者も香りの被害者も、等しくその害を被るからだ。

 一日も早くなんとかしなければ、被害者は増える一方、そしてすでに発症した人たちの回復は妨げられる一方だ。行政もマスコミも、いつまで素知らぬ顔をし続けるつもりなのだろうか。

<取材・文/鶴田由紀>

【鶴田由紀】
フリーライター。1963年横浜に生まれる。1986年青山学院大学経済学部経済学科卒業。1988年青山学院大学大学院経済学研究科修士課程修了。著書に『巨大風車はいらない原発もいらない―もうエネルギー政策にダマされないで!』(アットワークス)、訳書に『香りブームに異議あり』(緑風出版)など