日本チェルノブイリ連帯基金の設立者であり、JIM-NET(ジムネット)の代表でもある、鎌田實氏が、大熊町でも住める、というコラムを毎日新聞に掲載しました。2019年3月17日毎日新聞朝刊8面。「さぁ、これからだ 鎌田實」

 たった数ヶ所の、それも数値を低くいじられているモニタリングポストの数値だけで、「大熊町でも人が住める」とは、チェルノブイリやイラクの人々を支援してきた実績は一体、何のためなのかと疑われます。しかし、鎌田實氏の放射線防護の知識は、山下俊一氏からの受け売り。以下、2011年4月19日発行の週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談に、鎌田實氏の放射線防護の致命的な問題が浮かび上がっています。

週刊朝日に掲載された、鎌田實氏×山下俊一氏の対談

毎日新聞に掲載された、鎌田實氏のコラム「さぁ、これからだ」は以下。

さぁ、これからだ

8年たっても復興の道険しく   鎌田實

毎日新聞 2019年3月17日 朝刊8面た

人影がない大熊町のかつての繁華街=今年2月(鎌田さん提供)人影がない大熊町のかつての繁華街=今年2月(鎌田さん提供)

 2月末、福島第1原発の立地自治体である福島県大熊町の人が集団で避難している同県会津若松市の復興住宅を訪ねた。

 中学生と小学生の男の子を育てている34歳のシングルマザーAさんと出会った。震災の直後は福島県内の避難所に身を寄せ、その後は東京の親戚の家、同県喜多方市を経て、現在の会津若松市と転々としながら生きてきた。その避難の日々の中、離婚もした。つらい8年だったのではないかと想像する。

 3人とも明るい顔をしている。どこの学校でも、良いことも悪いこともあったという。人生に負けていないように見えた。今の住居も受け入れて、愚痴を言わず、前を向いて楽しく生きようとしているようだった。

 雪が多くて大変と言う。同じ福島県でも全然気候が違うのだ。大熊町には新築に近い家があったのに、小さな復興住宅で暮らす。つらいだろうなと思った。

   Aさんと中学生の長男が震災前に住んでいた大熊町の家へ一時帰宅すると言うので、一緒に訪ねた。

 大熊町は、福島第1原発がある町だ。震災と原発事故後は立ち入りが禁止された。何度か許可を得て一時帰宅したことはあるそうだが、久しぶりに対面する我が家は、とんでもなく荒れていた。靴箱や椅子は、地震で倒れたときのまま。さらに2人を驚かせたのは、部屋の真ん中に衣類が乱雑に放り出されている光景だった。

 誰かが勝手に侵入したみたいだ。がくぜんとするAさん。震災と原発事故で家に帰れなくなった人の心を、文字どおり土足で踏み荒らす行為に、こちらも胸が痛くなった。

 長男がキッチンで何かを発見した。冷蔵庫のドアに、学校の便りがマグネットでとめられたままになっていたのだ。日付を見ると、震災の1週間前。彼はなつかしそうに見つめていた。

 じっくりと家のなかを見渡すと、かつての生活がうかがえた。ピンクの壁紙やピンクのカーテン、吹き抜けのモダンなリビング。二つのすてきな子ども部屋。夫と共働きをしながら2人の子どもを育てる幸せな生活がここにあったのだ。失ったものを目の当たりにして、「寂しくなる」とAさんは言った。

 そんなAさん親子だが、この春、大きな決断をした。長男の高校進学を機に、大熊町に戻って来ることにしたのだ。元の家には戻れない。除染の済んだ地域に新設された公営住宅だけが6月から居住許可が出る。

 長男が進学するのは県立ふたば未来学園高校。復興のカギは人材教育にあるとして、2015年に開校した。「原子力災害からの復興を果たすグローバルリーダーの育成」を掲げる未来創造型教育を展開する高校。特色あるカリキュラムを組み、たくさんの著名人も、応援団として名を連ねている。

 4月から、弟は隣の富岡町の小学校に通う。Aさんは、自分も2人の子どもも夢を持って生きていきたいと願っている。会津では希望の仕事がなかなか見つからなかった。大熊町では見つかりそうだという。

 今年1月、大熊町が避難した町民全5176世帯を対象に行ったアンケートでは、回答した1863世帯のうち、大熊町に戻りたいと考えている人が14・3%、まだ判断がつかない人が28・4%、戻らないと決めている人が55%という結果になった。戻りたい人も、戻らないと決めた人も、苦渋の選択なのだと思う。

 大熊町では、原発から7・5キロ離れた大川原地区を中心にして、復興をすすめてきた。この地区はすでに除染が済み、毎時0・23マイクロシーベルト以下の比較的放射線量が低い所が多い。これは、年間約1ミリシーベルト以下に相当する。ぼくはチェルノブイリの汚染地域の子どもたちの医療支援を続けてきたが、この年間1ミリシーベルト以下というのは人が生活できるかどうかの大切な目安になっていた。

 この地区に50戸の公営住宅や役場の新庁舎ができる。来年春を目標に、町内のJR大野駅が再開し、常磐線も全線開通するという。

 8年たっても復興の道のりは険しく、苦渋の選択をしながら生きざるを得ない人たちがいることを忘れないようにしたい。(医師・作家)