アイリーン・ウェルサムが書いた、『プルトニウム・ファイル(上)』(2000年8月1日、渡辺正訳、湧泳社)に、1944年8月1日にアメリカ、ニューメキシコ州アラモゴードで起きた、プルトニウム被ばく事故が書かれています。

 

 日本に原爆が落とされ、ここ(マンハッタン計画)の秘密が明かるみに出るのは、1年も先のことだった。原子爆弾製造は理論屋の予想より先まで進んでいたが、本物の兵器になるかどうかはまだ誰も確信できていなかった。原爆理論を実際の爆弾に変える鍵は、4年前に地球上で始めて作られた、プルトニウム。
 
 マンハッタン計画の心臓部メサのD棟119号で、ドン・マスティックという若者が、化学屋のアーサー・ワールとだべりながら流しに向かって歩いていた。年上のワールはカルフォルニア、バークレイ校でプルトニウムを発見した4人のうちの1人だった。
 
 このとき、マスティックは青二才の23歳、ロバート・オッペンハイマーにロス・アルアモスに作る研究所で一緒に働いてみないか?と誘われたのだった。ロス・アラモスは原子爆弾製造を目指し、全米各地に作られた研究所と工場のうちでも、最高機密の場所だった。
 
 その朝(1944年8月1日)、マスティックは10ミリグラムのプルトニウムが入ったバイアル(試料瓶)を手にしていた。虫ピンの先にのるかのらないかの量でも、1年前には想像できないほどのプルトニウムの量だった。せっかく手にいれた貴重なプルトニウムを失ってはいけないと、万が一の事故や実験終了際に、プルトニウム回収班が作られているほどだった。あらゆる元素からプルトニウムだけを抽出する流れ図も作られて準備されていた。ヘンペルマン医師が後にこう言っている。「プルトニウムの回収のためなら、床を掘り起こしたり、自転車を丸ごと溶解させたりもしたでしょう。」と。
 
 マスティックがバイアル(試料瓶)を手にしたとき、動物のような暖かさがあった。紫色の高濃度のプルトニウムの容器の中で、夜のうちにマスティックが想像できない変化が起こり、気体の一部が気化していて、バイアルの壁を押していた。
 
 マスティックは何も知らず、バイアルの細い首をひねった。「ポンッ」という小さな音がして、バイアルの中身がビュッと飛び出した。目の前の壁にあたり、ほんの一部がマスティックの唇に触れ、唇としたを濡らした。酸のためか、ピリッとした味がしたという。
 
 マスティックはバイアルを木箱に戻してから、救急本部に歩いていった。2、3分後のことだった。全世界にあるプルトニウムのうち、貴重な一部を飲んでしまったわけだから、気も急いていた。
 
 ウォーレン陸軍大佐のアドバイスに基づき、ヘンぺルマン医師は、マスティックにクエン酸ナトリウム水溶液、重曹を調合した。マスティックはこの2つで口をすすぎ、ビーカーに吐いた。最初に吐いた液には、プルトニウムが0.5マイクログラム入っていた。この頃のプルトニウムの人体許容値は1マイクログラムだったから、プルトニウムが0.5マイクログラムというのは、決して小さい値ではない。
 
 マスティックは合計13回、15分おきにうがいを繰り返した。マスティックの息は放射能を帯び、2メートル先にある、放射線量計の針を振り切らした。その後、長らくマスティックの尿からプルトニウムが出た。1995年のインタビューで、まだ「原子が何個か」尿にでるけれども、体調は申し分ないと彼は語っている。
 
 事故の明くる朝、ヘンペルマン医師はウォーレン大佐に短い礼状をしたためた。「お騒がせしました。ご助言に心より感謝します。危険な量を体に入れた恐れはたぶんないでしょう。」マスティックが口に入れたプルトニウムはほぼ10マイクログラム。うち、9マイクログラムはうがいで取り戻しました。残りはわずか1マイクログラム。当時、プルトニウムは消化菅で吸収されない、ということが分かりつつありました。その1マイクログラムも体を素通りすることがわかっていました、ー ヘンペルマン医師。
 
 肺に入れば、ぐっと危ないが、幸いあの若者はプルトニウムを吸い込んでいない……。ー ヘンペルマン医師。
 
 悲劇は避けられたが、この事故は「サイトY(ロスアラモスのこと)」の科学者・作業員が目に見えない危険の直面していることをまざまざと示した事件だった。ヘンぺルマンは29歳になったばかり、放射線にかけては初任者の彼には荷が重かったようだ。放射性物質をいじり始めて3年。プルトニウムをいじる経験は半年。へんぺルマンは後日こう語る。「経験不足のせいで、手のうちもない問題がいくらでもありました。」と。
 
<同書 pp.3~8 川根眞也による、抜粋、再翻訳>
 
参考資料 
 
マスティックが口に入れたプルトニウム10マイクログラムとは、一体、何ベクレルなのだろうか?
(1) 核兵器や原子炉のための純粋なプルトニウムの同位体の組成比
(2) プルトニウムの同位体の比放射能 1gあたりのベクレル数
(3) 1マイクログラムのプルトニウムのベクレル数
を計算してみた。
(1) 核兵器や原子炉のための純粋なプルトニウムの同位体の組成比
(2) プルトニウムの同位体の比放射能 1gあたりのベクレル数
(3) 1マイクログラムのプルトニウムのベクレル数
 ということで、核兵器級のプルトニウムであるならば、マスティックが口に入れたプルトニウムは、30万ベクレル。沸騰水型原子炉級ならば、471万ベクレル。加圧水型原子炉級ならば、473万ベクレル。高速増殖炉級ならば、118万ベクレルです。マスティックの口から2m先の放射線量計の針が振り切れるのは当たり前です。
 
 ただし、これが、わずか10マイクログラム、1gの1000分の1の更に100分の1の量のプルトニウムの放射能です。2017年6月6日に起きた、茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターでのプルトニウム被曝事故で、当初、作業員Eの方に2万2000ベクレルのプルトニウム239があり、当初は36万ベクレルのプルトニウム239が肺に入っていた可能性がある、とされました。
 
 作業員Eの方が、マスティックと同じ量のプルトニウムの10数マイクログラムを吸い込んでいたのなら、36万ベクレルのプルトニウム239が肺に入りうる、ということです。