肺の中の「ホット・パーティクル」を巡って エフゲニー・P・ペトリャエフ

 1991年11月9日「チェルノブイリ被害 調査・救援女性ネットワーク 夕食会にて

 エフゲニー・P・ペトリャエフ(Evgeny P.Petrayev )博士はベラルーシ大学放射線化学研究科教授。チェルノブイリ事故による環境汚染を調査研究。ベラルーシ共和国の住民の肺にプルトニウムなど放射能をおびた微粒子を検出した。この「ホット・パーティクル」について、1991年11月に開かれた国際プルトニウム会議で特別講演のため来日。主催者側の御好意で、2011年11月9日、「チェルノブイリ被害 調査・救援女性ネットワーク」は博士を囲む夕食会を開いた。

〔本文より抄録。部分的に川根が意訳、現代の単位系に直した。〕
綿貫礼子+チェルノブイリ被害 調査・救援女性ネットワーク『誕生前の死』藤原書店 1992年7月30日 pp.103~121

 

 私は今回私の論文「チェルノブイリ事故による人間の肺の中のプルトニウムとホット・パーティクルの存在」を持ってきました。今回の国際プルトニウム会議に参加された方々だけではなく、広く日本のみなさんに興味を持ってほしいと思います。なぜならば、日本では非常に多くのプルトニウムが作られているからです。

 チェルノブイリの原発は190tのウランが濃縮度2%で使われていました。

 そして、運転中に300kgから400kgのプルトニウムが作られていました。爆発の時、その3から6%の核燃料が大気中に放出されました。その結果、この事故の際に20kgのプルトニウムが大気中に放出されました。他にも、セシウム、ストロンチウムなど放射性核種も放出されました。日本では何十トンものプルトニウムを作る計画が進められているとのことですが、これは危険なことです。 

 この事故の際に放射性物質は数マイクロメートル(μm)から10マイクロメートル(μm)の大きさに粉々になって飛び散りました。この大気中に飛び散った微粒子は、その後土壌中に入り込みました。私の論文に載っている写真を見て下さい。これは数マイクロメートル(μm)の微粒子です。5年間たっても(この講演はチェルノブイリ原発事故後5年目の1991年に行われた)この微粒子が地面の下1cmのところに留まっています。そして、この微粒子がどの程度あるのかと言いますと、1cm×1cmの地面の区画に、1~10個の微粒子があります。この微粒子は外部からの影響によってなかなか壊れることがありません。これが地表1cmという上部にあるため、簡単に大気中に混じることになります。とりわけ農作業中にはそういうことがあります。そのために大気に混じった微粒子がさらに肺に入る可能性があります。首都ミンスクだけでなく、ベラルーシ全域の大気中にこのような微粒子が存在します。

 (編集者:注)モズィリ、ゴメリ、モギリョフ、ブレストの位置は以下の通りです。

 この大気と接している土壌中の放射性微粒子の濃度がたいへん高いために、これが人体の肺の中にも見られます。その人が生きている間に肺の中に入り込んだ微粒子を取り除く方法はありません。ですから私たちが研究のために肺の中からその微粒子を摘出するにあたって、亡くなった人の肺から切除しています。調べた死体の数が少ないので、それをもとにして今生きている人たちの肺の中にも同じようにあると断言することはできません。生きている人のことを研究するためには、亡くなった人の事例をたくさん集めないと分かりません。この仕事は1987年に始め、現在までに300以上の死体を検査しています。これからお見せするのは、亡くなった人の肺の中の放射性微粒子の写真です。これは10gの肺の断片を取っただけです。少なくとも50個の微粒子が存在しています。もし150g取ったらどうなるでしょう。そしたら100個以上の微粒子が検出されます。私たちが調査した地域で、300体のうち70%くらいにこういった微粒子が見られるということは、その地域の住民の人の肺の70%にも、このように微粒子(ホット・パーティクル:編者注)に侵されているといえるのではないでしょうか。

 チェルノブイリ原発の原子炉からは20kgものプルトニウムが飛散しました。ですから原子炉のすぐそばに住んでいる人だけでなく、原子炉から200kmあるいは300km以上離れたところに住んでいる数百万人の人の中にも同じような状況が見られるのではないでしょうか。私はこのテーマ以外のチェルノブイリのことについても研究しています。

<質疑応答から 抜粋>

Q(綿貫礼子) 事故が起きたとき先生は専門家ですから、ホット・パーティクルが肺に入るかもしれないということを予見されていたのでしょうか?

A(ペトリャーエフ) いいえ。ホット・パーティクルが肺に入るということは予期していましたが、こんなに多くということはまったく予期していませんでした。もちろん原発事故の除染のため、4号炉に入って作業した労働者については、マスクをずっとつけたまま作業するというのは不可能ですから、ホット・パーティクルが肺に入るということは予想していました。しかし、100kmも離れたベラルーシでこのように多くの住民が被害を受けることはまったく考えていませんでした。

 Q(NHK記者)国際原子力機関(IAEA)をはじめ、さまざまな機関が発表している被ばく線量と、実際に起こっている病気の出方、疫学調査の数字との間に非常に大きな開きがあるように感じるのですが。

A(ペトリャーエフ) 最初に申し上げたいことは、1986年と1987年に放射能によって汚染された食品がベラルーシ中に出回って、ベラルーシの人びとがみんなそれを食べましたので、その汚染地域にいた住民だけでなくベラルーシの国民すべてがその影響を被ったということです。

 IAEAの見解に、私は批判的なのですが、IAEAの結論は1300人くらいを調べて出されたものです。みんなが汚染されたものを食べたので、まったく汚染されていない地域というものがなくなってしまったのです。

(編者注)医学における臨床データでは、「対象群」との比較をします。あるガン治療薬の試験では、偽の薬と試験対象の薬を同じ人数同じ期間投与し、その後の予後を診ます。そして5年間生存率を出し、このガン治療薬が利き目があるかないかを判断するわけです。偽の薬(例えば、小麦粉のかたまり)を投与されたグループを「対照群」と言います。

 IAEAがベラルーシで調査した住民の健康影響は、「対照群」も放射能で汚染されていた食べ物を食べたわけですから、「対照群」と言えない、ということです。「対照群」が存在しない、科学的データとは言えない、とペトリャーエフ氏は批判しています。

A(ペトリャーエフ) IAEAの報告にあった被ばく線量と発病率との相関関係に乖離(かいり)があるというのはその通りです。それをきちんと確かめるには10万から15万人の検査をしなくてはいけない。ちょうど広島・長崎で行われたと同じように。私たちはそんなにやっていません。このデータはソ連にとって重要なだけでなく、全世界の人びとにとって重要なものですから、全世界の専門家や人びとがぜひ参加する必要があります。

(編者注)ペトリャーエフ氏が言及している、広島・長崎の10万人を超える調査とは、LSS(寿命調査)と呼ばれるものです。広島・長崎の被爆者約12万人の集団の調査を1950年から2009年まで行い、そのうち直接個人線量の推定されているのは86,611人です。2003年までの追跡期間中に50,620人(58%)が死亡し、そのうち総固形がん死亡は10,929人でした。

  しかし、この疫学調査は疫学調査としての基本的なベースに問題があります。それは広島の対象群を呉市にしていることです。呉市は広島市からたった19kmしか離れていませんでした。東京第一原発から飯舘村までは30~50km圏内です。飯舘村住民と双葉町・大熊町で被ばくした住民との比較をしたと同じことです。

『成人健康調査集団におけるリンパ球絶対数についての長期的観察、広島・長崎』
放射線影響研究所 日米共同研究機関
pp.12より

広島・長崎における原爆被爆者のリンパ球に関する最近の調査は完了していない。初期の所見はBlaisdellが1947-1959年に両市のABCCで行われた血液学的調査を要約し報告している。1947-1948年(被爆から19-32カ月後)に広島の被爆者に関する血液学的調査(HE67)が行われ、これは原爆後130日以内に脱毛を呈した広島の被爆者16,000人以上の中から選ばれた924人を対象とするものであった。当時、この集団の総被ばく線量中のガンマ線は、300-700rad(300-700ラド→3-7グレイ、これは3-7シーベルトに相当)と推定された(ただし、20%が爆心地から2,000m以上の地点で被ばくしていた。)対照群は呉市(旧広島市から約19km)の住民995人からなっていた。この両集団について白血病数算定及び白血球分類像検査が行われた。全白血球数は広島の被爆者と、呉の対照群ではほほ同じであったが、広島では相対的リンパ球数はやや少なく、好酸球数はやや多かった。1948-1949年に、同一ではないが大体同じ対象者を用いて行われたHE67追跡調査では、広島の被爆者と呉の対照群との間にリンパ球百分比に差は認められなかった。

以上、編集者(川根眞也)の注でした。Q&Aに戻ります。

A(ペトリャーエフ) ベラルーシの保健省が1991年5月に出した統計があります。この統計はモギリョフとゴメリの住民の健康状態について、チェルノブイリの事故前の5年間と事故後の5年間の統計を比較したものです。これによってチェルノブイリの事故の影響を知ることができます。一方で、原発事故のときから今までの間に住民が受けた被ばく線量を知る必要があるわけですが、これを調べることは困難なことです。というのは、原発事故の初期に住民がどれだけの線量を受けたか、わからないからです。

(編者注) 長瀧会議(「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」)では、福島県他の人びとの被ばく線量を推定していますが、この初期被ばく、特に内部被ばくを無視した、被ばく線量評価をしています。

Q(吉田由布子) 土壌の中のホット・パーティクルは風によって空気中を移動したり、水中に落ちて川を汚染するといった形で、今も汚染が広がっている、動いている可能性はありますか。

A(ペトリャーエフ) 地面の中にあるホット・パーティクルは非常にゆっくりとしか動かないんですが、表層のは動きます。大気中のホット・パーティクルは特に春、強い風が吹くときに大きな移動があります。

(編集注) 2013年8月、東京第一原発の3号機屋上のがれき撤去作業の際、放射性物質が17km離れた南相馬市旧太田村などにまで飛び、お米が最高180ベクレル/kgの放射性セシウムで汚染されました。原子力規制委員会は、「これは3号機がれき撤去が原因ではない」と発表しましたが、以下の農林水産省、福島県の資料をよく読めば、放射性物質が飛んできて稲の穂についたためであることがわかります。そして、それは放射性セシウムが単独で飛んだものではなく、ホット・パーティクルだったのではないでしょうか。夏の南東の季節風によって運ばれたものであると考えらます。

農林水産省 福島県 南相馬市における玄米の基準値超過の発生要因調査(調査結果) 2014年12月1日公表

以上、編集者(川根眞也)の注でした。Q&Aに戻ります。

Q(綿貫礼子) まだ公表されていないデータ、事故処理に関わった人たちの健康に関するデータは誰が持っているのですか?

A(ペトリャーエフ) 事故処理をした人たちについて研究しているの学者たちは保守派に属しています。チェルノブイリ原発の事故処理に60万人の人たちが参加しました。その人たちの健康状態については秘密にされています。もちろん、ソ連保健省の生物物理学研究所のレオニード・イリイン博士は知っています。それからもうひとつはレニングラードに軍事医科大学というのがあってそこで研究しています。データは門外不出になっていて私も知りません。

 このレニングラードの軍事医科大学の研究所は国防省の管轄で、事故処理に関わった軍人は、このレニングラードの医科大学で全部検査されました。軍人以外の一般市民や労働者の事故処理に関わった人びとは、ソ連保健省生物物理学研究所か、またはそこにある病院で診察され、データはすべてL・イリイン博士のところに保管され、他のところには出ていません。

Q(綿貫礼子) それじゃ国際原子力機関(IAEA)にも出していないんですか。他のところは知らないんですか。

A(ペトリャーエフ) もちろんそうです。

Q(綿貫礼子) だから、今回の国際原子力機関(IAEA)の報告書には、その他の最も強く被ばくした集団のことが一行も書かれていないのですね。

以上。

 以下、エフゲニー・P・ペトリャーエフが来日される前年1990年7月9日に朝日新聞渥美記者が書いた記事を紹介します。

多量の高放射能微粒子 住民の肺に存在 白ロシア

日新聞 1990年7月9日

【モスクワ8日=渥美記者】

 4年前(1986年4月26日)にソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故で大気中に放出された「ホットパーティクル」と呼ばれる高い放射能をもった微粒子が、白ロシア共和国の放射能汚染地域に住んでいる住民の肺の中に予想を超えるほど多量に存在することがわかった。同共和国のミンスク大学放射線化学研究室のエフゲニー・ペトリャエフ教授が朝日新聞の取材に対して明らかにしたもので、1年半にわたる住民の遺体解剖で得た肺の標本とレントゲン写真を示し、「5年後ぐらいから肺がんが多発する可能性が大きい」と警告した。詳細なデータは近く国際原子力機関(IAEA)に提出される。

 ペトリャエフ教授が解剖した遺体は200体。チェルノブイリ原発の北に位置し、放射能汚染指定地が多数点在するゴメリ州の住民がほとんどで、交通事故や一般的な病気で死んだ11歳から70歳までの男女。全員の肺を摘出して調べた結果、7割の人の肺からホットパーティクルを検出した。

 ソ連国内の広範な土地の放射能汚染の主役は、炉心から飛散した揮発性のセシウムだが、ホットパーティクルはいくつかの不揮発性の放射性物質の混合物だ。爆発の時、2000度以上の高温で溶けて結晶化した核燃料ウランが主体で、その中に猛毒のプルトニウム、ルテニウムなどが混じっている。

 肺の中にあった粒子の直径は0.01ミクロンから4ミクロン、細かなものは肺の深部、大きなものは気管支近くに分布していた。1人の肺全体のホットパーティクルの数は、数百から2万前後まで。1つの粒子の放射能の強さもさまざまだが、セシウムのように尿中から排出されることはなく、死ぬまで肺の中にとどまり放射線を出し続ける。ペトリャエフ教授は「1個平均を1億分の1キュリーと推定すれば、2万個あれば何年かあとにほぼ確実にがんを引き起こす」という。