広島原爆の「黒い雨」は、宇田氏が調査した範囲(宇田雨域、と呼ばれます)を遥かに超えて、爆心地から北北西約45km、東西36kmに渡って降りました(増田善信,1989年,※)。こうした広範囲に生活していた住民は、黒い雨、あるいは白い雨を浴び、また、放射能で汚染された川や井戸の水を飲み、放射能の雨で汚染された野菜を食べました。これは原爆が産み出した放射能を皮膚から呼吸や水・食べ物から取り入れた内部被ばくです。「被爆者援護法」では、3号被爆者(※)に当たります。

 原爆攻撃を受けたときに、0歳から20歳だった住民は原爆攻撃から74年。74歳~94歳になっています。実に4割が、原爆症認定の対象となっている11疾患の、さまざまながん、疾病(※)にかかっています。

 しかし、現在、広島市と国(厚生労働省)は、広島原爆の黒い雨大雨地域(宇田雨域の大雨地域)のみを健康診断特別地域に指定しています(上図一番右の網掛けで囲まれた地域,豪雨とある)。「黒い雨」を浴びながらも国の指定した地域にいなかった88名の被爆者は、狭い宇田雨域だけではなく「黒い雨」の降った、爆心地から北北西約45km、東西36kmで雨を浴びた者すべてを被爆者として認定し、健康管理手当(※)の支給を広島市と国、厚生労働省を相手に求めています。これが「黒い雨」裁判です。

 広島地裁での裁判の傍聴に参加してください。また、広島原爆「黒い雨」裁判を支援する会に参加してください。

「黒い雨」訴訟を支援する会

【次回裁判期日】2019年5月29日(水)11:00開廷 広島地方裁判所(市電 縮景園前 下車、徒歩5分)

「黒い雨」被爆者健康手帳交付請求事件

黒い雨訴訟支援募金

郵便振替 01330ー3ー91477 原爆「黒い雨」訴訟を支援する会
どうぞよろしくお願いします。

※ 3号被爆者とは 西日本新聞 word box 2009年3月26日 より

 被爆者援護法第1条3号で定める被爆者。直接被爆者(1号)や原爆投下後2週間以内に広島、長崎に入市した人(2号)以外で「投下の際、またはその後に身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」を指す。被爆者の救護や搬送に携わったり、放射性降下物「黒い雨」を浴びたりしたケースなどがある。2008年3月現在で約2万5000人おり、1、2号や胎内被爆者(4号)とともに被爆者健康手帳が交付されている。

※ 被爆者の健康管理手当の対象となる11種類の疾患とは

解説:健康管理手当の対象となる11種類の障害と支給期限 東友会(東京都原爆被害者協議会)

※ 被爆者の健康管理手当とは 東友会ホームページより

健康管理手当 毎月34,430円
指定された病気にかかって医師の管理下にある人

 健康管理手当は、被爆者の9割が受けている手当です。この手当の条件は、被爆者健康手帳を受けている人が、指定された11の障害をともなう病気にかかっていて、治療や経過観察を受けていることだけです。被爆の状況や、被爆した距離は、この手当の条件ではありません。
 病気の原因が明らかに原爆以外にある場合(遺伝・生まれつき・伝染病・中毒・事故・天災など)は、受給できません。医療特別手当、原爆小頭症手当、特別手当、保健手当と一緒には受給できません。
 健康管理手当を受けている人のほとんどの更新手続きが撤廃され、終身支給になりました。しかし、申請病名や診断書の書き方によっては、更新が必要になります。健康管理手当をいつまで受けられるかは、「健康管理手当証書」に記入されていますので、確認してみましょう。
 終身支給になっている病名で治療を受けている場合は、終身支給に変更できます。変更の申請は、その人の健康管理手当の更新申請のときとされています。
 健康管理手当の更新手続きが必要な人には、期限の2カ月くらい前に、東京都から本人に通知書と更新用の申請用紙が郵送されます。このとき、指定された病気が治っている人、指定された病気にかかっていても治療を続けていない人は、手当を継続できない場合があります。

※ 広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか 増田善信 1989年2月 より

 図2(上図の一番左)は全体の雨域を示したものである。ただし、爆心地付近は概略図である。この図で実線は今回の調査によって決定した「小雨域」と「大雨域」で、点線は宇田らが決定した「小雨域」と「大雨域」である。今回の調査によって、少しでも雨が降った地域は爆心から北北西約45キロメートルの広島県と島根県の県境近くまで及び、東西方向の最大幅は36キロメートルにまで達していた。その面積は約1,250平方キロメートルで、宇田らの雨域の約4倍に相当する。またその形は宇田らの雨域のような単純な長卵型ではなく、やや複雑な形をしている。特に大雨域は、宇田らの小雨域と匹敵する位の広がりをもっていたことが推定された。ただし、この調査でも小雨域の周辺部の資料の数は極めて少ないので、今後の調査によって変更される可能性がある。

 今回の調査でいま一つ明らかになったのは、今まで雨がなかったと考えられていた爆心の南側でも弱い雨があったことである。すなわちこの図の海田市や仁保のほか、この図に入らない、呉、江田島向側部落、倉橋島袋内部落でも弱い雨が降ったことが報告されている。倉橋島袋は爆心から南南東約30キロメートル離れている。

広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか 増田善信 1989年2月

※ 「黒い雨 内部被曝の告発」 広島県「黒い雨原爆被害者の会連絡協議会 2012年7月30日 600円

 「黒い雨」を浴び、または、汚染された川・井戸の水を飲み、川遊びをして、のちに健康を害した、58人の証言が載っています。増田善信氏、矢ヶ崎克馬氏、沢田昭二氏の論文も掲載されています。