チェルノブイリ事故で何が起きたのか?
福島県プルトニウム汚染地図 作者:不明 地名等編集:川根眞也
2012年06月16日チェルノブイリ事故で何が起きたのか? 内部被ばくと健康被害 資料
福島県プルトニウム汚染地図 院長の独りごと(医師 小野俊一さん)さんが公表 2012年6月16日 福島県原子力災害対策本部が2011年11月29日公表したデータ、プルトニウム238 239+240の分析結果(土壌)を濃淡の図にしたもの。 作者:不明。 地名等編集:川根眞也 原典:福島県 における土壌の放射線モニタリング プルトニウム 原子力災害現地対策本部 20111129 <追加> 文科省によるプルトニウム汚染の隠ぺい工作 「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故に伴い放出された. 放射性物質の分布状況等に関する調査研究結果」 文科省 2012年3月13日公表、6月15日修正版公表 プルトニウム汚染マップ P.17 原発から半径80kmラインでは、プルトニウム238が不検出、プルトニウム239+240が0.5~2.9ベクレル/㎡ となっている。上記の福島県原子力災害現地対策本部の調査では、会津若松市湊町赤井の背あぶり山自然保養林では、プルトニウム238が1.87ベクレル/m2、プルトニウム239+240が57.3ベクレル/㎡ となっている。(地点 No.24 原典を参照のこと) 文科省のこの調査の中心は日本原子力研究開発機構であり、東京大学、京都大学、筑波大学、大阪大学、放射線医学総合研究所が名を連ねている。最後に電気事業連合会「現地支援チーム」の名前がある。彼がどんな調査、研究の「支援」をしたのか、文科省は明らかにすべきだ。(「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故に伴い放出された. 放射性物質の分布状況等に関する調査研究結果」 文科省 2012年3月13日公表、6月15日修正版公表 の4ページ目に調査・研究に携わった団体名がある。)
チェルノブイリ事故の際の放射能汚染の区分(土地) 改訂版 pdf付き
2012年06月09日チェルノブイリ事故で何が起きたのか? 内部被ばくと健康被害 土壌の放射能汚染 資料
チェルノブイリ事故の際の放射能汚染の区分(土地) 【編集:内部被ばくを考える市民研究会 川根眞也】 セシウム137による汚染での区分 第1区分 強制避難区域……居住禁止ただちに強制避難。立ち入り禁止。 土地汚染 148万ベクレル/㎡以上 (40キュリー/k㎡ 以上) 土壌汚染 22,769ベクレル/kg以上 空間線量 5.2マイクロシーベルト/時 以上 第2区分 義務的移住区域……義務的移住の区域、農地利用禁止。 土地汚染 55.5万~148万ベクレル/㎡ (15~40キュリー/k㎡ ) 土壌汚染 8,538~22,769ベクレル/kg 空間線量 2~5.2マイクロシーベルト/時 第3区分 移住権利対象区域……国家補償による移住の権利。 土地汚染 18.5万~55.5万ベクレル/㎡ (5~15キュリー/k㎡ ) 土壌汚染 2,846~8,538ベクレル/kg 空間線量 0.66~2マイクロシーベルト/時 第4区分 放射線管理区域……不必要な被ばくを避けなければならない。新たな工場建設禁止。農地作付制限あり。 土地汚染 3.7万~18.5万ベクレル/㎡ (1~5キュリー/k㎡ ) 土壌汚染 569~2,846ベクレル/kg 空間線量 0.13~0.66マイクロシーベルト/時 ※ 1 キュリー/k㎡=37000 ベクレル/㎡=3.7万ベクレル/㎡ ※ 原子力安全委員会による換算式 土壌汚染( ベクレル/kg )×65= 土地汚染( ベクレル/㎡ ) ※ 4万ベクレル/㎡という数値は、『放射線管理区域』(原子炉建屋など)の基準になる値。4万ベクレル/㎡よりも高くなってくるとどんどん危険になるので気をつけなさいということ。 ―筑波大学アイソトープ総合センター・末木啓介准教授 ※ 土壌汚染 569ベクレル/kg⇒土地3.7 万ベクレル/㎡……ほぼ日本の『放射線管理区域』に相当 0.13μSv/h ※ 空間線量は第16回原子力委員会 河田東海夫資料(2011年5月24日)より作成 チェルノブイリ事故の際の放射能汚染の区分 改訂版
IAEA-WHO 協定 (1959 年) 市民放射能測定所CRMSより
2012年05月27日チェルノブイリ事故で何が起きたのか? 内部被ばくと健康被害 資料
市民放射能測定所CRMSが真下俊樹さんに依頼して翻訳してもらった、IAEA-WHO 協定 (1959 年)です。 市民放射能測定所 CRMS IAEAーWHO協定 1959年 真下俊樹氏日本語訳 この協定では「世界保健機関(WHO)は国連安全保障会議に従属する国際原子力機関(IAEA)の了解なしに情報を公開したり、研究したり、住民の救援をしたりしてはいけない」とうたわれています。スイス・バーゼル大学名誉教授のミッシェル・フェルネクスさんは、チェルブイリ事故後5年間、世界保健機関(WHO)が現地に入らなかったことを強く抗議しています。 動画『真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染を巡って』
チェルノブイリ事故の際の放射能汚染の区分(土地)
2012年05月09日チェルノブイリ事故で何が起きたのか? 資料
チェルノブイリ事故の際の放射能汚染の区分(土地) チェルノブイリ事故の際の放射能汚染の区分(土地)
スウェーデンでセシウム137 10万ベクレル/m2の地域でガン発生率が11%増えた マーチン・トンデル論文
2012年02月02日チェルノブイリ事故で何が起きたのか? 資料
スウェーデンの放射能汚染地域でガンが増加 チェルノブイリから 1800km離れたスウェーデン北西部は、事故2日後の 4 月 28 日から 29 日にかけて降った雨のよって、かなりの放射能で汚染された。被災3カ国の法令に従えば「汚染地域」と指定される、3.7万ベクレル/m2 以上のセシウム 137 汚染面積は 2 万 3000 平方 km に達した。リンコピング大学のトンデルらのグループは、チェルノブイリからの放射能によって、スウェーデンの汚染地域でガンが増加するかどうかを調べてみようという疫学研究を企画した。スウェーデンには、そのような疫学調査に取り組むための基本的な条件が整っていた。すなわち、詳細な汚染測定データ、正確な住民登録、それに確かなガン診断登録制度である。 トンデルらはまず、スウェーデンの中北部で汚染を受けた7つの州を調査対象に選び、スウェーデン放射線防護局が作成したセシウム 137 汚染地図を用いて、行政の最小単位である「地区」を6つの汚染レベルに区分した(図 12)。次に、7州の住民登録を基に、1986 年に 60 歳以下であって、1985年 12 月 31 日と 1987 年 12 月 31 日に同一住所に登録されていた住民すべてを対象集団として選び出した。その結果、性別、年齢、先行する2年間の居住地に関する情報を備えた、114 万3182 人の調査対象集団が得られた。スウェーデン・ガン登録データを基に、1988 年から 1996 年の9年間に調査集団で発生したガンを調べると、全部で2万 2409 件のガン発生が見つかった。 汚染レベルとガン発生率との関係をプロットしてみると、汚染レベルともに統計的に有意なガン増加が認められた(図 13)。ガン発生の過剰相対リスク(図の直線の傾きに対応)は、セシウム 137 汚染 10万ベクレル/m2 当り 0.11(95%信頼区間:0.03-0.20)であった。ガン増加の原因が放射能汚染であったとすると、観察されたガンのうち 849 件がチェルノブイリからの汚染によるものと見積もられている。 トンデルらの論文では被曝量は評価していないが、今中の大ざっぱな見積もりでは、10万ベクレル/m2 のセシウム 137 汚染があったとして、はじめの2年間で受ける被曝量は 10~20ミリシーベルト 程度であろう。10万ベクレル/m2 当り 0.11という過剰相対リスクを [...]
チェルノブイリ原発周辺住民の急性放射線障害に関する記録 ウラジーミル・ルパンディン
2012年01月05日チェルノブイリ事故で何が起きたのか? 資料
チェルノブイリ原発周辺住民の急性放射線障害に関する記録 ウラジーミル・ルパンディン ロシア科学アカデミー・社会学研究所(ロシア) 出典:原子力安全研究グループ(今中哲二、海老澤徹、川野真治、小出裕章、小林圭 二) 福島事故、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故関連資料 より http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/annex-2.pdf http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/CherTYT2004.htm 編集:川根眞也 マイクロレントゲン/時、ミリレントゲン/時、ラド、レム、キュリ ―/km2、を現在使われている単位、マイクロシーベルト/時、 シーベルト、 ベクレル/m2に直しました。間違いがあるとすれば、その責任は編集者にあり ます。 1992年の3月と6月にわれわれは,1986年4月26日に事故を起こしたチェルノブイリ原発にほど近いベラルーシ共和国ゴメリ州ホイニキ地区の地区中央病院において,事故当時に作成された医療記録の調査を行なった.その結果,事故から数週間の間に記録された82件の放射線被曝例を発見したことは以前に報告した1.そのうち8件は急性放射線症と認められるものであった.われわれの報告は,ベラルーシ,米国,日本において関心を惹き起こした2,3. しかしながら,それら1986年5月から6月にかけての医療記録を詳しく分析することは,事故直後のホイニキ地区における放射線状況や被曝量に関する情報がなかったり(また歪曲されたり)していたため困難であった.事故の規模を検討する上で最も基本的な情報である,事故直後の放射線状況に関するすべてのデータは,当時の慣例に従って,ソ連水理気象委員会によって秘密にされていた.ホイニキ地区のデータは(すべてのデータはミンスクの共和国記録局へ送られていた),ベラルーシの水理気象委員会によって秘密にされた. 1996年にわれわれは,ホイニキ地区の事故直後の放射線状況に関して信頼できる情報を得ることができた.ホイニキ地区の民間防衛隊の班長が個人的なメモとして保管していたデータである.その民間防衛隊のデータを,ホイニキ地区の衛生管理センターに別途保管されていたデータと照らし合わせてみると,よく一致することが判明した. 個人や地方レベルで得られたデータを否定するため,それらの測定は,よく訓練されていない人が信頼性の不確かな測定器を用いたものである,という指摘がしばしば行なわれる.しかし,今回われわれが得たデータにこのことは当てはまらない. ホイニキ地区民間防衛隊の班長であるアレクサンドル・カユーダは,1983年まで原子力潜水艦に技師として勤務していた.彼の任務は,原子炉の保守に加えて,原子炉区画の放射線を測ることであった.1983年から彼は,ホイニキ地区民間防衛隊の班長をつとめていた.チェルノブイリ事故以前にも彼は,原発から10~20㎞地域の放射線量の測定をDP-5(訳注・ガイガーカウンター式放射線測定器)で行なっていた.1985年6月には,ラージン村の近くで2.088~2.175マイクロシーベルト/時という値を測定している(同じ測定器による潜水艦の原子炉区画の測定は0.348マイクロシーベルト/時程度であった).ラージン村の放射線量上昇の原因は,チェルノブイリ原発からの放射能洩れ以外に考えられない. 民間防衛隊のデータに基づくと,1986年4月26日と27日の段階ではホイニキ地区において,組織的な放射線測定は,軍隊も含め行なわれていない.民間防衛隊本部による最初の放射線測定が行なわれたのは4月28日午前8時であった.そのときの各居住区の放射線量は以下のようであった. ホイニキ市:69.6マイクロシーベルト/時 ストレリチェボ村:121.8マイクロシーベルト/時 ドゥロニキ村:261マイクロシーベルト/時 オレビチ村:774.3マイクロシーベルト/時 ボルシチェフカ村:1044マイクロシーベルト/時 ラージン村:1392マイクロシーベルト/時 ウラーシ村:2610マイクロシーベルト/時 チェムコフ村:2871マイクロシーベルト/時 マサニ村:4350マイクロシーベルト/時 4月28日夕方に開かれた地区の評議会で地区民間防衛隊は,住民の多くが数シーベルトにも及ぶ全身被曝をうける恐れがあるので,当時の住民に対する放射線防護の指針に照らして,地区住民の大部分を速やかに避難させるべきである,と報告した.ゴメリ州民間防衛隊本部長のジューコフスキー(エネルギー工学の技師)と,オブニンスク原発から駆けつけてきていた核物理学者たちが,地区民間防衛隊の意見を支持した.しかし,地区の行政責任者は,地区や州の民間防衛隊の要請を却下したのであった. 5月1日になって,周辺30㎞圏内の子供と妊婦の避難が開始され,5月5日には残りの住民の避難が始まった.結局,地区では5200人の住民が避難した.すべての避難住民は,地区中央病院で検査をうけたが,病院は5月5日から野戦病院として軍組織に組み込まれた.つまり,その日から地区中央病院では,セベロモルスク,セベロドゥビンスク,極東などからやってきた軍医や専門家たちが活動をはじめた. 野戦病院に入院させる基準は以下のとおりであった. 甲状腺からのガンマ線量が8.7マイクロシーベルト/時以上, 上着,靴,皮膚および下着の汚染が0.87マイクロシーベルト/時以上, ガンマ線に基づく体内の汚染(甲状腺,肝臓,腎臓,生殖器)が296億~370億ベクレル これらの基準に従い,約1万2000人のホイニキ地区住民が野戦病院で入院検査をうけた(事故当時の地区の人口は3万2000人). ホイニキ地区中央病院の記録保管室から(約1万2000件の)入院カルテが盗まれたのは,1990年の11月のことであった.盗難の後,記録保管室の整理はされず,われわれの調査によって,残されていたカルテが隣接建屋の屋根裏から見つかった.すでに述べたように,それらの中から,1986年5月1日から6月中旬にかけて放射能汚染地域から地区中央病院にやってきた,82件の放射線被曝例が見つかった.この82件という数字は,正体不明の犯人によるカルテ盗難の後に残されていた数であり,全体のごく一部分にすぎないであろう.そのうち22例は,隣のブラーギン地区住民であり,ここでの検討からは除外する. 軍野戦病院 病院から見つかった60例のカルテを検討する.カルテの記述はすべて,きわめて簡単である.このことは,当時の仕事量の膨大さと検閲への配慮をうかがわせる.とりわけ検閲が厳しかったことをうかがわせるのは,退院時に記入されている診断名である.放射線障害に関連する診断をわれわれは1件も見つけることができなかった. しかしながら,放射能汚染地域から病院へやってきた理由を記した入院指令票の記述は検閲をうかがわせず,われわれの興味を惹くのは,カルテの中に残っていたその指令票の内容である. 入院指令票に記されていた入院理由は,たとえばつぎの通りである. 第2度急性放射線障害 甲状腺からの放射線レベル-87~139.2マイクロシーベルト/時 全身の衰弱,頭痛,腹痛,吐き気,おう吐,下肢のむくみ 汚染地域の幼児 放射線量上昇地域の滞在と血液検査値の変化(白血球数2500)のための検査入院 吐き気,おう吐,唾液分泌の増大,甲状腺からのガンマ線26.1マイクロシーベルト/時以上 放射能汚染,甲状腺26.1マイクロシーベルト/時以上 白血球減少:白血球数2300,頭痛 放射能汚染との結論で救護所から転送.甲状腺261マイクロシーベルト/時以上,白血球数2900 事故時にチェルノブイリ原発から300mの地点に滞在,白血球数2900 放射能汚染,肝臓43.5~87マイクロシーベルト/時,甲状腺13.5マイクロシーベルト/時 顔,手首の放射線火傷 放射線障害,鼻血 野戦病院へ送られてきた理由の記述とともに,患者の自覚症状についての記述も注目される.頭痛,急な衰弱,吐き気をともなう複合症状がもっとも多く,全体の患者の30%以上に達している.これは,自律神経失調症と呼ばれる症状である.つぎに多い複合症状は,おう吐,腹痛,めまい,食欲不振,心臓部の痛み,口内の乾きや苦みといった症状で,10%程度である.さらに,神経・循環系失調(自律神経失調+心臓部の痛み)といった症状が認められる(13%). カルテに記されている患者の訴えを一覧にまとめると, 頭痛(30例),急な衰弱(29),おう吐(20),めまい(10),心臓部の痛み(8),吐き気(7),食欲不振(7),口の渇き・苦み(7),唾液分泌増加(3),関節痛(3),喉のがらがら(3),眠気(2),下痢(2),睡眠障害(2),右の肋骨下部(肝臓)の痛み(2).1例ずつ記録されているのはつぎの症状:高熱,便秘と排尿困難,行動の遅鈍,鼻血,出血,耳鳴,皮膚痒症,発汗,から咳. 患者たちが送られてきた居住区は以下の通りである.ホイニキ市,プリピャチ市,ボルシチェフカ村,オレビチ村,ウラーシ村・ポゴンノエ村,モロチキ村,カジュシキ村,ドゥロニキ村,フボシチェフカ村,チェムコフ村,ベリーキーボル村,ビソーカヤ村,ブドーブニク村,ノボセルキ村,ロマチ村,マレシェフ村,ノボパクロフカ村,クリビ村,アメリコフシチナ村,エラポフ村,プダコフ村,トゥリゴボチ村,ベレチン村,チェヒ村,ドゥボリシチェ村,ルドノエ村. カルテの分析の結果,60例をつぎの3グループに分類した. 1.急性放射線症:8例 2.放射線被曝症状:20例 3.明瞭な臨床症状のない甲状腺からの高ガンマ線量例:32例 以下,急性放射線症と放射線被曝症状の個々の症例について紹介する. 急性放射線症 1.クリチェンコ,ニコライ・アレクセイビッチ(仮名)20歳男性,ボルシチェフカ村より. 病院へ入院時期:5月1日午前2時.入院のときの訴え:何度も繰り返される嘔吐,全身衰弱,胃痛(上腹部,左側),頭痛,口渇. 経過:日光浴と魚釣りをするためボルシチェフカ村の親類宅にやってきた.4月26日27日の両日をプリピャチ河畔で過ごした.4月28日に嘔吐が生じ(1昼夜に6度),吐き気,胃痛,高熱(39度).便秘が認められた.4月30日医師の指示で解毒剤を服用. 医師の診察結果:無気力.舌の白濁.3日間便秘.体温:36.6度.ガンマ線の測定結果:衣服がひどく汚染.肝臓からのガンマ線量43.5~87マイクロシーベルト/時,甲状腺からのガンマ線量13.5マイクロシーベルト/時. 5月1日午前5時30分の診察結果:全身衰弱,吐き気,嘔吐(病院へ入院時から1度),尿閉と便秘.5月1日日中の患者の容体:会話困難.頭痛,めまい,何度も繰り返される嘔吐に対する訴え. 血液検査結果:白血球数3600,血小板数26万.尿検査結果:蛋白量4.56g/㍑.5月3日,ゴメリ州立病院に転院. 患者に関する追加情報:4月29日,民間防衛隊医療班長のV・I・コビルコが患者を村で診察.会話困難,頭痛,衰弱,何度も繰り返される嘔吐に対する訴え.村にきて,4月26日と27日プリピャチ河畔で魚釣りをしたと述べる.5月1日,地区中央病院で再びコビルコの診察をうける.重症の状態が続き,会話困難.診断:第2度または第3度急性放射線症. 患者がやってきたボルシチェフカ村は,チェルノブイリ原発の北方17.5㎞,プリピャチ川右河畔にある.1986年1月1日の住民数は311人. ボルシチェフカ村の放射線量の測定:ホイニキ地区民間防衛隊のデータによると,4月28日のボルシチェフカ村の放射線レベルは1044マイクロシーベルト/時であった.5月20日,ボルシチェフカ村高度300mの大気中の測定は243.6マイクロシーベルト/時,地上では435マイクロシーベルト/時.ホイニキ地区衛生管理センターのデータによると,4月29日のボルシチェフカ村のガンマ線量率は522~870マイクロシーベルト/時,ストロンチウム90の汚染密度は49.58万ベクレル/m2. 筆者の見解:患者の臨床経過は,第3度急性放射線症に相当している.彼の被曝量はおそらく3シーベルトを越えているだろう.患者が被曝したのは,主に4月26日と27日の2日間であるから,このことは,この2日間,ボルシチェフカ村周辺の放射線レベルが非常に高かったことをもの語っている.4月28日の放射線レベルが1044マイクロシーベルト/時であったことを考えると,非常に高いレベルの放射線をもたらしたのは,かなり短い半減期の放射能であったと結論できる. 重篤な被曝症状に至ったのは,放射線レベルが高かったことのみならず,患者が日光浴をしたこととも関連している(暑い天気が続いた).1986年4月26月と27日の両日,プリピャチ川の河畔で休暇を過ごしていたのが患者一人だけでなかったことは容易に想定できる.この両日,野外で上着を脱いで過ごし大きな被曝をうけた人々が,ホイニキ地区から遠く離れた地域に至るまで大勢いたことであろう. 2.カルテ№2505/467.(氏名略)ボルシチェフカ村住民,男性47歳,コルホーズ「5月1日」の搾乳係.5月2日2時45分,地区中央病院入院.ポゴンノエ村診療所長からの転送.入院理由:第2度急性放射線症.入院時に,吐き気,嘔吐,脱力感,胃痛に対する訴え.5月1日,上腹部の痛み,吐き気と嘔吐が生じて発病と述べる.5月2日16時30分の診察:嘔吐は繰り返されず,容体好転.胃の痛み.血液検査:白血球4700.5月4日,患者は無断で退院. 3.カルテ№7539/464.(氏名略)男性82歳,ボルシチェフカ村住民.5月3日,地区中央病院入院.全身衰弱,頭痛,胃の痛み,嘔吐に対する訴え.夜までに,下肢のむくみが現れた.5月4日,病院から退去. 4.カルテ№2520/476.(氏名略)女性48歳.5月3日,モロチキ村から入院.4月28日,発病の徴候.吐き気,嘔吐,激しい全身衰弱,1日4回の水っぽい便.4月30日,医師に相談. 5月3日の診察:患者は,上腹部の痛み,吐き気,嘔吐,流涎を訴える.甲状腺からの放射線26.1マイクロシーベルト/時(5月7日).白血球,3500(5月9日).5月13日退院. 筆者の見解:第1度から第2度の急性放射線症を,臨床経過,放射能汚染地域への滞在,甲状腺からの放射線量ならびに白血球減少症が示している.患者の容体中,腸の障害が注目される.4月28日に急性放射線症の最初の徴候が現れたことは,彼女が4月26日と27日にかけて1シーベルト以上の被曝をうけたことをもの語っている.患者はチェルノブイリ原発から20㎞,住民数124人のモロチキ村に住んでいた.民間防衛隊のデータによれば,4月28日のモロチキ村の放射線量は2346マイクロシーベルト/時(ボルシチェフカ村の2倍).衛生管理センターのデータでは,4月29日に1131~1653マイクロシーベルト/時,4月30日は522~609マイクロシーベルト/時でストロンチウムの汚染は92.5万ベクレル/m2. 5.(氏名略)男性35歳,ドゥロニキ村住民,ソフホーズ「オレビッチィ」で働く.5月3日,地区中央病院入院.訴え:脱力感,めまい,吐き気,嘔吐.4月28日発病.脱力感,吐き気,嘔吐が生じた.これらの症状が1週間(4月28日から5月2日まで)消えなかった.5月3日容体が悪化した.5月3日の診察:患者は行動が若干鈍化,6シーベルトの被曝をうけたと述べる.5月6日退院. ドゥロニキ村は原発から35㎞,住民数232人.民間防衛隊のデータによれば,4月28日の放射線量は261マイクロシーベルト/時.衛生管理センターのデータによれば,同じ日に226.2~243.6マイクロシーベルト/時,ストロンチウム90の汚染は10万ベクレル/m2. 6.カルテ № 8977/438.(氏名略)男性55歳,アメリコフシチナ村住民.5月10日入院.5月4日発病.全身衰弱,胃の痛み,下痢,吐き気,嘔吐が生じた.患者の訴え:水っぽい便,胃の痛み,脱力感.血液検査:白血球3200. 7.カルテ№ 8302/602.(氏名略)女性57歳,クリビ村(原発から70㎞)住民.放射能汚染地域に滞在していたため6月11日に入院.病状が1ヶ月前から継続.訴え:右肋骨下部の痛み,吐き気,嘔吐,めまい,全身衰弱,胃,背中,頸,足の痛み.5月20日に1回嘔吐.6月10日の血液検査:白血球2500,血小板16.5万,赤血球363万,血圧210/115. 8.カルテ№7588.(氏名略)2歳7ヶ月の幼女,ポゴンノエ村.5月4日入院.入院理由:潰瘍性口内炎,高汚染地域からの子供.訴え:食事拒否,流涎.また,唇,口内,頬の腫れ・炎症.体温37.8度.5月6日,口内炎が消えない,州立こども病院に転院. ポゴンノエ村(住民数1503人)は,チェルノブイリ原発から27㎞.衛生管理センターのデータによれば,4月28日,放射線量は261~304.5マイクロシーベルト/時,ストロンチウム汚染は37万ベクレル/m2. 患者の症状に嘔吐は認められなかったが,われわれはこのケースを急性放射線症に加えた.潰瘍性口内炎はベータ線被曝による障害と解釈されるし,食物拒否,高熱,流涎は容体の深刻さを物語っている. 以上の医療記録から以下のように言える.患者たちは1986年4月26日から汚染地域に滞在し,かなりの放射線被曝をうけた.すべての患者に,急性放射線症を特徴づける臨床状態が共通して認められる.われわれのリストの中で,患者クリチェンコの症例はきわだっており,彼のケースは,チェルノブイリ原発周辺30㎞圏内での急性放射線症の典型例と言えるであろう. 放射線被曝症状 放射線被曝症状はつぎに述べる臨床症状に分類される. 血液像症状:血球減少症,白血球減少症 自律神経失調症 神経・循環系失調症 咽頭部障害 粘液・皮膚のベータ線障害 甲状腺の高レベル被曝 白血球減少症: 9.カルテ7784.(氏名略)女性65歳,アメリコフシチナ村住民.5月12日入院.入院理由:放射能汚染.5月15日の放射線測定:衣服500マイクロレントゲン/時.甲状腺10.44マイクロシーベルト/時.血液検査:白血球数2200.5月20日退院. 10.カルテ8011/554.(氏名略)男性21歳,ホイニキ市住民.5月23日,「放射能高汚染地域の滞在,血液検査の変化のため検査入院」.血液検査:白血球2500.甲状腺の放射線量1.131マイクロシーベルト/時.第1度の急性放射線症に対応する治療:グルコン酸カルシウム,レモン酸,総合ビタミン剤,ミネラル・ウォーター,イゾフェニン,胆汁排出剤.6月2日退院. 11.カルテ№ 8318/604.(氏名略)男性41歳,運転手,ホイニキ市住民.5月13日入院.肝臓の放射線量0.696マイクロシーベルト/時.甲状腺0.3045マイクロシーベルト/時.血液検査:白血球2300,血小板14.4万.訴え:頭痛. 12.カルテ №7641/318.(氏名略)女性33歳,ポゴンノエ村住民.放射能汚染地域から入院.訴え:中程度の頭痛,口渇,苦味.5月6日の血液検査:白血球2200.5月7日の甲状腺12.18マイクロシーベルト/時. 自律神経失調症: 13.カルテ№7868/533.(氏名略)男性64歳,ウラーシ村住民.コルホーズ「新生活」労働者(5月5日ストレリチェボ村へ避難).5月20日地区中央病院入院.入院のときに全身衰弱,眠気,病気ぎみ,腰の痛みに対する訴え.病院へ送られてきた理由は,放射能汚染.居住の村は最高汚染地域.村での甲状腺放射線量は16.53~17.4マイクロシーベルト/時.入院のときの甲状腺放射線量は26.1マイクロシーベルト/時以上.5月27日の血液検査で白血球2900.6月5日退院. 4月26日より5月5日まで患者は,4月28日に2610マイクロシーベルト/時が記録されているウラーシ村に居住,5月5日より15日までストレリチェボ村に滞在. 14.カルテ№7805/496/539.(氏名略)女性63歳,ノボセルキ村.5月13日入院.入院理由:放射能汚染.放射線量:肝臓8.7マイクロシーベルト/時,甲状腺26.1マイクロシーベルト/時.患者は3日の間(5月10日より12日まで)原発から65㎞の野外に滞在.頭痛,吐き気,食欲不振,全身衰弱,病気ぎみ,眠気に対する訴え.5月19日の血液検査:白血球3200.5月27日退院. 15.カルテ№7795/491.(氏名略)女性59歳,ノボセルキ村住民.5月13日入院.入院理由:自律神経失調症.5月14日の衣服の放射線,6.09マイクロシーベルト/時.甲状腺17.4マイクロシーベルト/時.頭痛,吐き気,のどのイガラに対する訴え.患者は原発から60㎞の野外で長時間を過ごした.5月21日退院. 16.カルテ№7818/495.(氏名略)女性49歳,ノボセルキ村.5月13日入院.病院へ送られてきた理由は放射能汚染.5月14日の衣服の放射線量7.83マイクロシーベルト/時,甲状腺26.1マイクロシーベルト/時.5月10日に発病の徴候.原発から65㎞の所に滞在.衰弱,吐き気,食欲不振,頭痛に対する訴え.5月21日退院. 17.カルテ№7818/502.(氏名略)女性57歳,ノボセルキ村.5月15日入院.衣服のガンマ線量6.09マイクロシーベルト/時,甲状腺22.62マイクロシーベルト/時.5月19日の血液検査,白血球2900.原発から65㎞の野外に滞在.自宅の家畜の牛のミルクを飲用.頭痛,衰弱,病気ぎみ,心臓部の痛みに対する訴え. ベータ線による皮膚炎,やけど: 18.カルテ№7587/1060.(氏名略)男性35歳,ベリーキーボル村住民.5月4日入院.顔,手首の放射線やけどのため病院へ送られてきた.身体表面のガンマ線量2.61マイクロシーベルト/時,甲状腺6.09マイクロシーベルト/時.不快感,頭痛の訴え. 19.カルテ№7655/461.(氏名略)女性43歳,搾乳婦,ビソーカヤ村住民.5月6日23時入院.放射能による外傷(?),鼻血のため病院へ送られてくる.患者は5月1日より5日まで,チェムコフ村~ウラーシ村付近で牛の搾乳にたずさわった.5月5日,頭痛,吐き気,鼻血が出現.客観的症状:顔の皮膚,頸,手首の黒っぽい日焼け,頬が充血.血液検査:白血球3000.5月8日無断退院. 20.カルテ№7794/540.(氏名略)女性64歳,ノボセルキ村住民,5月13日入院.入院理由:放射能汚染.衣服のガンマ線14.79マイクロシーベルト/時,甲状腺26.1マイクロシーベルト/時以上.頭痛,吐き気,上腹部の痛みの訴え.チェルノブイリ原発から60㎞の所に居住.自宅の菜園で働いき,身体の外部に露出した部分が日焼け.5月26日の血液検査:白血球2800.5月29日退院. 神経・循環系失調症: 21.カルテ№8013.(氏名略)女性21歳,ホイニキ市住民.ブラーギン地区の衛生管理センターに勤務.5月23日入院.入院の1週間前から病気の兆候.患者は再三,高放射能汚染地域で働いた.頭頂部の激しい痛み,吐き気,衰弱,関節痛,心臓部の痛み,不眠,食欲欠如に対する訴え.6月2日退院. 22.カルテ№8060/550.(氏名略)女性49歳,ホイニキ市住民.5月23日入院.病気の徴候は5月3日に初めて発生.衰弱,吐き気が生じて,微熱.5月20日体温が39度に上がり,容体が悪化.頭痛,激しい衰弱,不快感,食欲欠如,吐き気,腰痛,頭頂部の痛み,口渇の訴え. 23.カルテ№7806/498.(氏名略)男性67歳,マレシェフ村(ホイニキ市のはずれ).5月14日入院.入院理由:放射能汚染.甲状腺のガンマ線量14.79マイクロシーベルト/時.血液検査:白血球2400,血小板10万.衰弱,頭痛,心臓部のうずくような痛みの訴え.5月21日退院. 咽頭部障害: 24.カルテ№7783/512.(氏名略)男性50歳,ボルシチェフカ村.5月12日放射能汚染の理由で入院.甲状腺のガンマ線量26.1マイクロシーベルト/時以上.頭痛,から咳,気管入口のイガラの訴え.検査結果:口腔・咽頭粘膜の明白な充血.5月23日退院. 25.カルテ№7785/490.(氏名略),女性47歳,ネビトフ村.5月13日入院.理由:放射能汚染.原発から65kmの所に滞在.ソフホーズで働く.身体の露出した部分が日焼け.頭痛,衰弱,皮膜のむずがゆさ,口の焼けるようなひりひりした痛み,から咳に対する訴え.甲状腺放射線量2.61マイクロシーベルト/時. 血液検査:白血球2800,血小板14万. 26.カルテ№ 3637/363.(氏名略)女性36歳,ポゴンノエ村.5月5日入院.血液検査:白血球3400.甲状腺放射線量12.18マイクロシーベルト/時.痛み,のどのイガラ,刺激感.5月12日退院. 甲状腺の高レベル被曝: 27.カルテ№8239/588.(氏名略)男性57歳,ロマチ村,巡回警備員.5月14日入院.甲状腺からのガンマ線量139.2マイクロシーベルト/時.全身衰弱,口渇,頭痛の訴え.6月14日退院. 28.カルテ№8011/554.(氏名略)男性21歳,ホイニキ市住民.5月23日,医療衛生隊救護所から「放射線レベル測定不能(?)」との理由で転送されてくる.甲状腺のガンマ線量113.1マイクロシーベルト/時.血液検査:白血球2500. まとめ チェルノブイリ原発周辺の住民に急性放射線症がなかったという,IAEA(国際原子力機関),赤十字,WHO(世界保健機関)その他の見解を論理的に否定するためには,1件の症例(患者クリチェンコ)をあげれば十分である.しかし,患者クリチェンコのケースが単独で発生していたわけではない.もしボルシチェフカ村住民の1%に急性放射線症があったとすれば,マサーニ村,ウラーシ村などでは,その割合はもっと大きかったはずである.ホイニキ地区の30㎞圏からは5200人が避難したが,30㎞圏全体では10万人以上が避難した.われわれは1000件以上の急性放射線症があったと考えねばならない. これまでに明らかにされたデータは,1986年4月26日から27日にかけて放射線レベルが非常に高かったことを物語っている.この2日の間に,(野外での労働とか日光浴といった)特定の条件にあった人々は,100から300レムにも及ぶ被曝をうけることになった.休日(4月26日と27日)を過ごすために来ていた人々を加えると,その2日間に30㎞圏内で被曝した人々の数は,そこで暮らしていた住民の数よりかなり多かったことも明らかである. さらに,4月26日,27日の非常に強烈な放射線状況は,30㎞圏から遠く離れた地域まで,とりわけ,日光浴をしたり自宅の菜園で働いたりしながら野外に長くいた人々がかなりの被曝をうけた可能性を示している. 1986年の4月から6月にかけて記録されたベラルーシ住民の病気とその特殊性を分析するにあたって,われわれはこうした要因を考慮する必要がある. 文献 V. Lupandin, “Invisible Victims”, NABAT 36, October 1992. (和訳:「隠れた犠牲者たち」,技術と人間,1993年4月号) 広河隆一,「チェルノブイリ:失われた医療記録」,現代,1993年9月号. Los Angeles Times, April 14, 1992. 編集者コメント 世界保健機構(WHO)の第64回総会で、放射線医学総合研究所(放医研)の明石真言理事は日本を代表して発言、福島原発事故による健康被害は、チェルノブイリ原発事故の際に起きた被害より小さい、と述べた。そして、「原発労働者や付近の住民で 、死者は1人も出ていないし治療を必要としている人もいない。」と述べた。果たして、これは事実だろうか。少なくとも、2011年3月24日に福島第一原発3号機建屋で被ばくした3人の原発労働者の緊急治療に彼はあたっていた。 被ばく作業員搬送時 放射線管理要員同行せず 放医研センター長語る 東京新聞2011年4月10日 福島第一原発事故による急性放射線障害の患者の存在が抹殺されているのではないだろうか。3月15日公式発表ですら、福島市23.88マイクロシーベルト/時になっている。