朝日新聞がまたまた、「福島食べて応援」の犯罪的記事を掲載しました。この新聞は脱原発でもなんでもないです。「獅子身中の虫」(しししんちゅうのむし)です。

 2012年1月19日朝日新聞朝刊の『福島の食事、1日4ベクレル 被曝、国基準の40分の1』に並ぶ、犯罪的な記事です。「福島、食べて応援」の悪しき宣伝の典型と言えます。以下の資料に朝日新聞の同記事を掲載しました。

『東京第一原発事故前の放射性物質の降下物の最高値と、大人が1日食品から取った放射性物質の最高値』

投稿日:2014.05.28 | カテゴリー:内部被ばくと健康被害, 資料

『福島の魚、基準値超えゼロ』(朝日新聞 2017年3月8日朝刊23面)、全文を転載します。

 

(東日本大震災6年)食と観光 福島の魚、基準値超えゼロ

2017年3月8日05時00分 朝日新聞

試験操業でとれた魚介類の流通<グラフィック・野口哲平>

  福島県沖でとれた海産物の放射性物質濃度検査では、国の出荷制限の基準値を超えた検体は年々減り、昨年は事故後初めて、一年を通して基準値超えがゼロになった。東京電力福島第一原発事故の影響で、福島県沖では小規模な操業と販売を行う試験操業が続く。東京で経営する店のメニューに試験操業でとれた魚を加え、復興を後押しする福島県出身の男性もいる。

 ■アンコウ鍋、東京のお店に

 2月16日、東京・秋葉原近くの岩本町の料理店「四代目庄次平(しょうじへい)」の店先にアンコウがつるされていた。店を経営する佐藤武信さん(54)が肝を外して皮をはぎ、手際よくさばく。前日に福島県のいわきで水揚げされた5・5キロのアンコウだ。

 佐藤さんはいわき市出身。いわきで水揚げされた魚を買い付け、都内の飲食店に卸す仲買人をしていた。しかし、原発事故の影響で、仕事のめどが立たなくなった。

 震災から1カ月後、妻と息子と上京。得意先の飲食店に注文された魚を築地で仕入れ、納める仕事を始めた。だが、震災前と違って「福島・小名浜の魚」という「強み」がなくなり悩むうち、「復興のために地元福島の魚や酒を出す店をつくりたい」という思いが日増しに強くなった。

 2015年6月、岩本町の店舗を借りた。店の名は実家の屋号「庄次平」と、14年前に亡くなった4代目の父にちなんでつけた。魚を納める仕事を続けながら、店に立つこともある。ヒラメの刺し身やヤナギガレイの一夜干しなど、週に2、3回は福島でとれた魚を店に出す。酒も福島の蔵元の銘柄を数多くそろえている。

 アンコウをさばいた翌日、常連客4人に声をかけ来店してもらった。身や肝、皮を入れたみそ仕立ての鍋に、客は「身がぷりぷり」「肝がとろっとしていて甘い」と舌鼓を打った。長久保あかねさん(44)は「福島のものを食べることで、復興を応援したい」。

 カウンターとテーブルで30席の店の家賃や調理機器などのリース代として毎月約40万円を支払う。料理長らに払う人件費などもあり、経営は楽ではない。だが、地元福島の魚を食べて「おいしい」という客の声に手応えを感じているという。佐藤さんは「福島の魚で勝負したい。早く震災前の水揚げに戻ってほしい」。

 ■放射性物質、魚種ごと検査

 佐藤さんが店で出したアンコウは15日に試験操業で水揚げされた。

 この日未明、いわき市漁業協同組合などから、底びきや固定式刺し網漁の漁船など80隻以上が出漁。午前7時、水揚げ港の一つであるいわき市久之浜漁港に漁船が戻ってきた。大きなたるの中にはアンコウやヒラメ、タコ……。水揚げは9トンほどだった。漁師の一人は「きょうは結構揚がった」と満足げだ。

 水揚げされた魚は次々と市内にある小名浜魚市場に運ばれ、魚種ごとに仕分けられた。魚種ごとに1匹ずつ検体が市場内の検査室に持ち込まれる。ミンチにした魚を検査機器にかけ、放射性物質濃度を調べる。

 検査の結果、基準値超えした検体はゼロだった。

 翌16日午前6時。競り開始のベルが、いわき市中央卸売市場に鳴り響いた。ここから、県内外の市場に魚が送られる。「ヒラメは関東で、アナゴは仙台で人気が高いんですよ」と、元卸・いわき魚類の金成裕司さん(56)。メヒカリやヒラメは震災前より値段がよいときもあるという。金成さんは「まずは福島県産の魚を食べてもらい、リピーターを増やしていくしかない」。

 ■試験操業対象、97種類に拡大

 福島県は国のガイドラインに基づき、福島県沖でとれる海産物の放射性セシウム濃度の調査を続けている。国の基準値(1キロあたり100ベクレル)を超える放射性セシウムが検出される検体は年々減り、2015年4月以降は調べた検体全てが基準値を下回り、16年は通年でゼロになった。

 原発事故後、福島県漁業協同組合連合会(県漁連)は福島県沖での沿岸漁業を自粛しているが、12年6月に試験操業を開始。小規模な操業と販売で出荷先での評価を調査するのが目的だ。県の調査で放射性セシウムが安定的に基準値を下回る魚種を選び、当初3種類だった魚種は97に拡大した。

 県漁連は、万が一にも基準値超えの魚が出荷されないよう、国より厳しい1キロあたり50ベクレルという基準値を設けて自主検査している。

 試験操業による水揚げ量は震災前の1割程度にとどまっている。県漁連の野崎哲会長は「全面操業再開には、出荷制限がなくなることが前提」と話す。現在、安全性が確認されていないスズキなど12種が出荷制限の対象となっている。12種の中には検体確保が難しいケースもあり、全面操業再開には乗り越えなければならない壁が残っている。(沼田千賀子、浅野真)

 ■(記者後記)安心も売り込みを 文化くらし報道部・浅野真

 いわき市での取材中、スーパーの魚売り場や生鮮みやげ物店に立ち寄った。並ぶのは保存のきく干物や冷凍品がほとんど。生鮮魚もあるが、ほとんど他県産だ。地元産の魚が入らないことが多いという。暖流と寒流がぶつかるいわき市沖のヒラメなどは、「常磐もの」として市場で高く評価されてきただけに寂しい光景だった。

 本格操業再開への大きなポイントは、いかに消費者に安心して買ってもらえるかにかかっている。水揚げされた魚の放射性物質の測定も丁寧にやっており、安全性は確実に回復している。こうした「安心」情報をセットに売り込みをかければ、販路は広がると思う。私たち消費者もそれに応えたい。だって、魚はおいしいんだから。

 ■増える訪日客、東北は伸び悩む

 1月下旬、宮城県南三陸町。太平洋に臨むリゾート施設「ホテル観洋」に、米国などの外国人を含む約300人が集まった。東日本大震災の経験や教訓の「語り部」を、どう活用するか考えるフォーラムだ。

 ■語り部を養成

 観洋は最近、津波にさらされて骨組みだけが残った南三陸町の防災対策庁舎など、震災遺構を回る「語り部バス」に力を入れている。いまは外国語対応も急ぐ。英語圏からの来訪者には、担当課長の倉橋誠司さんが通訳する。中国出身の従業員にも、語り部になってもらうべく研修中だ。昨年5月にはインバウンド課をつくり、ホームページは中国語や韓国語にも対応、レストランには英語メニューを加えた。

 取り組みの結果、昨年の外国人宿泊者数は340人となり、前年の3倍に伸びた。それでも全体の1%ほどで、伸びる余地はまだある。

 東北の旅館やホテルは、訪日客の取り込みに懸命だ。だが、震災や原発事故の負のイメージが消えず、ある自治体の観光担当者は「せっかく東北に来てもらっても、仙台空港から宮城の松島に寄った後は、世界遺産がある岩手の平泉に直行してしまう」と嘆く。

 足止め策のひとつとして注目され始めているのが、逆に震災を伝えて人を呼び寄せる語り部の活用だ。フォーラムを共催した観洋のおかみ阿部憲子さんは「カタリベを外国語でも普及させ、多くの人に東北に来てもらえれば」と語る。

 観光庁によると、全国の外国人宿泊延べ人数は2016年が6407万人で、震災前の10年の2・5倍。一方、東北6県は11年に前年の半減以下の18万人に落ち込んだ後、15年まで震災前の水準に戻らず「東北の一人負け」(村井嘉浩・宮城県知事)だった。16年は64万人に増えたが、まだ震災前の1・3倍だ。

 政府は、東北の外国人宿泊延べ人数を、東京五輪・パラリンピックがある20年に150万人にする目標を掲げる。17年度予算案では複数県をまたいだ集客策に取り組む自治体に33億円の交付金を用意。ほかにも海外への広告・宣伝費10億円を計上した。

 ■国内客も苦戦

 ただ、日本人の宿泊も、東北は全国より伸びが低い。震災直後は各地からボランティアなどが訪れたが、13年以降は低迷。帝国データバンクが調べた震災関連の倒産状況では、震災から6年で倒産した業種のトップはホテル・旅館業の120件だった。

 太平洋沿岸の旅館やホテルは、水産業者の重要な取引先でもある。観光復興の成否は、沿岸の地域経済を左右するとも言える。(加藤裕則、編集委員・大月規義)