初稿:2019年1月23日22:34pm

訂正・第1回改訂:2019年1月24日9:07am

第2回改訂:2019年1月25日10:18am

 改めて東京新聞の記事を読むと、双葉町の事故当時11歳の少女(1面)と、こちら特報部(28面、29面)の事故当時中学3年生の女の子は別の事例であったので、書き直しました。ここに深くお詫びします。2019年1月21日東京新聞の記事(1面)からには、双葉町の事故当時11歳の少女が甲状腺がんにかかり、手術を受けたかは書かれていませんでした。(2019年1月24日追記)

 翌日2019年1月22日朝日新聞26面の記事「11歳100ミリシーベルト被曝疑い 福島第一原発事故 甲状腺の周囲」(写真2)には、この11歳の少女について、「2011年3月17日ごろ郡山市の体育館で、双葉町から避難してきた女児の体を測定」とありました。先の東京新聞には「取り込み(=被ばく)は3日前として」とあります。したがって、被ばくした日の推定を2011年3月12日から3月14日に変更します。東電福島第一原発3号機が爆発した日です。双葉町では2011年3月12日朝には、双葉町から町外への避難指示を前町長 井戸川克隆氏が出しています。川俣町を避難場所に指示しました。原発事故の際には大型バスで避難することになっていましたが、双葉町への道は地震のためあちこちで寸断されており、大型バスは1台も来ませんでした。そのため、自家用車での避難を呼びかけた、と言います(2019年1月23日第13回口頭弁論報告集会にて。井戸川克隆氏)。つまり、11歳の少女は3月14日の時点では双葉町にはいなかったはずです。(以下、図3 国会事故調 避難した住民の割合)2011年3月12日朝5:44am、政府は原発から10km圏内の避難指示、同3月12日18:25pm原発20km圏内の避難指示を出しています。川俣町も郡山市も以下の図3に示すように、原発20km圏外にあります。この2日後、3月14日に双葉町の少女がどこにいたのかはまだわかりません。前双葉町長 井戸川克隆氏の指示に従い、家族とともに川俣町に避難していたかもしれませんし、または、家族が別行動をしていて、他の場所にいたかもしれません。ちなみに、前双葉町長 井戸川克隆氏は2011年3月12日東電福島第一原発が爆発した13:36pmに、双葉町厚生病院などの施設で避難できていない町民の避難誘導にあたっていました。前双葉町長 井戸川克隆氏は内部被ばく337ミリシーベルトを超える被ばくをしています(注1)。

 川俣町に避難した双葉町民は約3,000数百人。しかし、2011年当時、双葉町の町民は7,100人いました。3,000人を超える双葉町民が自家用車で別行動を取って避難していました。11歳の少女が2011年3月14日に「外で遊んでいて被ばくした」のは、どこだったのでしょうか?もし、この11歳の少女が川俣町に避難していたのであれば、2011年3月13日およに3月14日に、 前双葉町長 井戸川克隆氏の指示で、安定ヨウ素剤を避難先の川俣町で服用しています。「12日に川俣町に避難して、次の日の13日に保健師から『町長どうしますか』って聞かれて、『ヨウ素剤を飲ませろ。責任は俺が取るから』と答えて、13日と14日の2日間で飲ませました。」「国会事故調の報告によれば、双葉町では川俣町に避難していた住民に配布。服用したのは少なくとも845人以上。」井戸川克隆『なぜわたしは町民を埼玉に避難させたか』駒草出版2015年 pp.87~89。

 もし11歳の少女が、川俣町に避難せず、別行動を取っていたとすれば、原発20km圏内ではなく原発20km圏外で2011年3月14日の3号機爆発の放射能プルームを吸い、100ミリシーベルト程度の被ばくをした可能性があるのです。しかも、安定ヨウ素剤は服用していない可能性が大です。

 もし11歳の少女が、川俣町に避難していた場合は、川俣町で2011年3月14日の3号機の爆発の放射能プルームにより被ばくし(注6)、また、安定ヨウ素剤も服用しているはずです。もし別行動を取り、川俣町以外にいた場合は、原発20km圏外で被ばくしています。また、安定ヨウ素剤は飲んでいません。いずれにしても、この事実は、この少女だけではなく、もっと多くの子どもたちが100ミリシーベルトの被ばくをしている事を示唆しています。だからこそ、放射線医学総合研究所は事実をひた隠しにしてきたのではないでしょうか。東京新聞の情報公開請求によって、初めて明らかになった事実です。(追記:2019年1月25日)

(1)東京新聞が非常に大事なスクープをしました。東京電力の引き起こした、福島第一原発事故で事故当時11歳の双葉町の女の子が甲状腺に100ミリシーベルトを超える被ばくをしていた、どいうのです。この女の子は、2011年3月14日(注:川根が推定,2019年1月25日訂正)に被ばくし、郡山市の体育館(ビックパレットふくしま 写真6)でスクリーニング検査を受けたところ、甲状腺のある頸部に5万~7万cpmの放射線がカウントされました。この少女は双葉町の女の子でした。「双葉町にいて友達と外で遊んでいた」とあります。(少女も、前双葉町長 井戸川克隆氏と同様、1号機爆発の塵やゴミを身に受けて、皮膚からヨウ素131を吸収してしまった可能性があります:削除 2019年1月25日)しかし、2011年3月12日朝には、双葉町の町内の防災無線のスピーカーを使って「川俣町に避難して下さい」と避難指示を呼びかけています。2011年3月14日には双葉町には誰もいなかったはずです。双葉町の町民の多くは2011年3月12日のうちに川俣町に避難しました。11歳の少女は、原発から20km以上離れた川俣町か別の市で被ばくした可能性があります(写真1)。

  また、こちら特報部の記事(同日28面、29面)では、福島県中通りの当時中学3年生の女の子は、被ばくから4年後、2014年に甲状腺がんと診断され、甲状腺がん摘出の手術を受けています。彼女は、当時中学3年生、進学する高校の手続きなどで外に出て、雨にも濡れた、と言います(注2)。

写真1 11歳少女 100ミリシーベルト被ばく 「がん発症増の目安」 本誌請求で公開 福島事故直後 放医研で報告 政府は確認せず 東京新聞 2019年1月21日 朝刊1面

写真2 11歳100ミリシーベルト被曝疑い 福島第一原発事故 甲状腺の周囲 2019年1月22日朝日新聞 朝刊26面

図3 避難した住民の割合 国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 報告書 2012年9月

図4 福島第一原子力発電所からの距離 酪農学園大学 環境システム学部 生命環境学科 環境GIS研究室作成

(注1)前双葉町長の井戸川克隆氏は、東電福島第一原発1号機が爆発した2011年3月12日15:36pm、双葉厚生病院、社会福祉施設、ふたば福祉会せんだんの3つの施設がある場所で、避難誘導に当たっていました。その時に1号機が爆発し、井戸川克隆氏は1号機の塵、ゴミを身に浴びています。「たぶん建物の中の断熱材」「それがふわっーと音もなく空から落ちてくる」「私らのところには10センチくらいの大きなかけらのようなものが落ちていました。ゆーっくりと舞い落ちる牡丹雪のようです」。井戸川克隆『なぜわたしは町民を埼玉に避難させたか』駒草出版2015年 pp.42~43。「そのときに持っていた線量計は振り切れて計測できませんでした。だからその日の夜に、私たちは職員と3人で福島県立医大に行って(内部被ばくを)計測してもらったんです。きっといい加減にされると思ったから。」「その数字は正確にはしゃべれない。セシウムが137が万単位のベクレル。ヨウ素が10万単位のベクレルだけ言っておきます。」同書 pp.226

 原発の爆発の塵、ゴミを身に浴びるだけで、これほどの被ばくをしてしまうのです。日本放射線安全管理学会の報告書には、「一般公衆の成人の甲状腺部位にヨウ素131が10万ベクレルあったときは、甲状腺等価線量は337ミリシーベルトになるヨウ素131の粒子口径を1.0マイクロメートルとしたとき)」とあります。すなわち、井戸川克隆氏は、少なくとも甲状腺の内部被ばく337ミリシーベルトの被ばくをしたことになるのです。

参考資料:井戸川克隆氏 体内にヨウ素131 31万ベクレル。内部被ばくは1シーベルトか?

(注2)福島県立福島高校などの県立高校の合格発表は、原発事故でもっとも高い放射能プルームが福島市を襲った、2011年3年15日の翌日3月16日に強行されました。ツィッターで宍戸俊則さんはこう書いています。「2011年3月15日。当時の首相菅直人氏は、福島県知事佐藤雄平氏に、子どもや妊婦の優先避難を援助する意向を伝えようとしたが、『これ以上福島県民を減少させないのが私の使命』と断言した県知事に、避難援助の申し出はできなかったとされる。」と。福島県知事も菅直人首相も、福島県の当時中学3年生の受験生が被ばくすることを知りながら、高校の合格発表を優先したのです。そして「福島市の公式空間線量最高値は、2011年3月15日23時20分計測の23.90μSv/hだった。それでも、福島県やメディアからは、原発から30キロ以遠に関してはなんの警告もなかった。ラジオ福島は、空間線量は放送したが、その意味は伝えなかった。」(宍戸俊則さん)この高校の合格発表の日、福島市では「2011年3月16日。11時ころから、福島市の私の勤務先の天候は、雨と雪が交互に降る状況。 当時の線量は福島市公式発表で、18.60μSv/h。 http://t.co/t7wRJUELZl 当然だが、雨や雪には放射性物質が付着している。  @karitoshi2011」(宍戸俊明さん)
宍戸俊明さんのツィッター2014年3月16日

 福島県中通りの事故当時中学3年生は、この2011年3月16日に1日屋外にいて、雨を身に受けたのではないでしょうか。彼女もまた数10ミリシーベルト、あるいは100ミリシーベルトを超える被ばくをした可能性があります。

(2)双葉町の前町長井戸川克隆氏の英断により、福島県の原発立地自治体および周辺自治体の中で唯一、双葉町だけが町民を福島県外に逃しました。また、三春町と同様に2011年3月13日と3月14日に40歳以下の住民に安定ヨウ素剤を服用させています。少なくとも845人以上。そのせいか、以下のように、周辺自治体では、多くの小児甲状腺がんの患者が出ているのも関わらず、双葉町では小児甲状腺がんの患者は出ていませんでした(注3)。本日、2019年1月23日、ふるさとと大地と空気と海を汚した原発事故を引き起こした、東電と国とを訴える、第13回井戸川裁判口頭弁論が開かれました。その報告集会の席上で、前双葉町町長の井戸川克隆氏は「この少女の目の前に、町長だった私と福島県知事と首相が行って、被ばくさせて申し訳ないと謝なくてはならない」と声を絞り語りました。しかし、この11歳の双葉町の少女は元気なようです。また、前双葉町町長の井戸川克隆氏は、本来安定ヨウ素剤は被ばく後に服用させるものではなく「予防服用になっていた」(注4 記事の最後 東京新聞の記事の後に記載)と話しました。(2019年1月25日改訂)

 しかし、双葉町(前 井戸川克隆町長)が町民を埼玉県に避難させたからこそ、追加被ばくは、いわき市や会津若松市に避難した市町村の住民よりも低かった、と思います。被ばくさせ続けれたのは、福島市、郡山市、伊達市、二本松市、相馬市、田村市、南相馬市などの住民です。これらの住民にも避難指示があれば、小児甲状腺がんの患者は少なくとも双葉町くらいには少なくなった可能性がある、と考えます。(2019年1月24日改訂)

(注3)2017年6月30日現在の福島県市町村別、小児甲状腺がんの発症状況。3巡目検査から福島県の県民健康調査検討委員会は市町村別の発表を取りやめたので、それ以降の患者の市町村別は不明です。
出典:第23回福島県県民健康調査検討委員会「甲状腺検査(先行検査)」結果概要【平成27年度追補版】 2016年6月6日。
第28回福島県「県民健康調査」検討委員会 「甲状腺検査【本格検査(検査2回目)】」結果概要 2017年10月23日

双葉町 福島県外に全村避難中     小児甲状腺がん 0人(注4)
葛尾村 全村避難、帰還準備開始  小児甲状腺がん 0人
広野町 もと緊急時避難準備区域 2012年4月1日解除 

                  小児甲状腺がん 0人

福島市 避難指示なし 小児甲状腺がん 22人

                                     (先行検査12人 2巡目検査10人)

二本松市 避難指示なし 小児甲状腺がん 6人

            (先行検査5人 2巡目検査1人)

福島市 避難指示なし 小児甲状腺がん 22人

                                     (先行検査12人 2巡目検査10人)

伊達市 避難指示なし 小児甲状腺がん 9人

                                   (先行検査2人 2巡目検査7人)

郡山市 避難指示なし 小児甲状腺がん 43人

                                   (先行検査25人 2巡目検査18人)

相馬市 避難指示なし 小児甲状腺がん 1人

                                   (先行検査0人 2巡目検査1人)

田村市 都路地区のみ避難指示 
    2014年4月都路地区避難指示解除 
    小児甲状腺がん 5人

                                    (先行検査3人  2巡目検査2人)

南相馬市 市の北部は避難指示なし 
       小児甲状腺がん 6人

                                    (先行検査2人  2巡目検査4人)

いわき市 避難指示なし 
       小児甲状腺がん 33人

                                     (先行検査24人 2巡目検査9人)

会津若松市 避難指示なし

      小児甲状腺がん 8人
                                     (先行検査7人 2巡目検査1人)

(注5) 東京新聞の記事によれば(最後に全文を掲載)、別の福島県中通りの当時中学3年生の少女は、被ばくから4年後、甲状腺がんと診断されています。この女の子がこの中通り(郡山市・田村市など)の人数に含まれているかは、明らかではありません。B判定(結節5mm以上または嚢胞20mm以上)となり、「経過観察」になった場合、次の検査は2年後です。また、3巡目検査からは20歳超えは5年置きになります。「経過観察」でも、彼女のように福島県立医大から呼ばれて、検査を受けます。県民健康調査の検査から、次の2年後の検査または5年後の検査の間に見つかった小児甲状腺がんの患者はたとえ福島県立医大で見つかった患者でも、県民健康調査の統計には載らない、のです。これが、小児甲状腺がんの患者数を低く見せるトリックとなっています。

(注6) 川俣町でも線量計の針は振り切れた。2011年3月14日

「私たちが(2011年3月12日夕方)たどり着いた建物は、川俣町合宿所『とれんぴあ』と言う場所で、川俣町が用意してくれました。その夜は三千数百人のおにぎりを川俣町の町民の皆さんが炊き出してくれました。」「この先どうなるだろうと不安で仕方がなかった。その時も線量計を窓際に置いていました。そしたら14日に3号機が爆発して、また針が振り切れた。その後雪が降ったので放射性物質が相当落ちていたと思います。」井戸川克隆『なぜわたしは町民を埼玉に避難させたか』駒草出版2015年 pp.46~47

川俣町でも3号機の爆発があった時には、その計器の針が通常のレベルから1レンジ上げないと測れなかったんです。川俣町は双葉町から50km以上離れているのに、こんなに高いのでは、だめだと。ここも危ない。そこで遠くへ行こうと判断したわけです。」同書 pp.55~56(追記:2019年1月25日)

  (3)川根は、この間、福島県民健康調査検討委員会が、「3巡目検査からは20歳超えは5年置きの節目検査とする」とした決定を批判してきました。残念ながら、新聞もインターネットでもこの問題を取り上げる論調は川根が知る限りありませんでした。「福島で見つかっている小児甲状腺がんの事故当時の年齢はチェルノブイリ原発事故後の小児甲状腺がんの多発の事故当時0~6歳とは違う。だから、原発事故による放射線の影響ではない。」という、福島県立医大などの見解を新聞はただ報道してきただけです。

 なぜ、福島県の小児甲状腺がんの患者の年齢層がチェルノブイリ原発事故と違うのか?を考えないのでしょうか?それは判断停止に過ぎません。それは、この当時中学3年生(14歳か15歳)だった少女が語っているように、2011年3月16日(と思われる)に福島県の避難指示の出ていなかった地域で、福島県立高校の合格発表と手続きが行われたからです。つまり、中学3年生、事故当時14歳~15歳が原発事故があったにもかかわらず、高校の合格発表があったために1日外にいて被ばくした可能性があるのです。先行検査の小児甲状腺がんの患者の平均年齢(事故当時)が14.9歳。これはすべてを語っているのではないですか?原発事故から早8年が経とうとしています。この世代は22.9歳になります。しかし、25歳の「節目検査」までは、甲状腺超音波検査は受ける機会がないのです。

 福島県の市民のみなさん、甲状腺超音波検査をせめて2年置きにもどす取り組みをして下さい。大手の全国新聞は、東京新聞以外はほとんど、福島県の小児甲状腺がんの患者のことを報道しません。福島県の市民のみなさんが声を上げないで、誰が声を上げるのでしょう。そして、放射能が、福島県と他の県境で止まることがないのは、みなさんもご存じのはずです。ことは、福島県だけではなく、少なくとも、東日本全域の問題です。民間団体「3.11甲状腺子ども基金」は、甲状腺がんの患者に、10万円の手のひらサポートを支給しています。また、甲状腺がんの手術のため、RI治療を受けた方に更に10万円。さらに、再手術をされた方に10万円を支給しています。このサポートを受けた方は、

岩手1名、宮城3名、福島69名(うち8名は県民健康調査検討委以外で見つかった方)、群馬1名、千葉2名、埼玉4名、神奈川4名、東京4名、長野2名、山梨1名、静岡1名、新潟1名、茨城2名、秋田1名(2017年8月2日公表現在)
ほか24名の方(都県名不公表)に給付。

RI治療の方に追加10万円給付、15名

再発・転移されて再手術された方に追加10万円を給付、8名

ー2018年5月16日発表 3.11甲状腺がん子ども基金

です。東日本全域の事故当時0~18歳の子ども・青年全員に甲状腺超音波検査を行うべきです。「チェルノブイリ原発事故後の小児甲状腺がんと違う」などと寝ぼけたことを言っている時ではありません。原発事故から10年前後が発症のピークになると考えられます。東京パラリンピック、オリンピックの2020年前後です。問題を隠すことで儲けようとしている人々が多い日本。お金より命の政治に換えなければ、子どもたちと子どもたちの未来は救えません。

 福島県の市民だけでなく、日本の市民が立ち上げることを切に切に望みます。

こちら特報部 背信の果て(1)(上) 線量測定わずか1080人

東京新聞 2019年1月21日 朝刊28面

 東京電力福島第一原発事故後、福島県は子どもの甲状腺がんを調べる検査を始めた。対象者は約四十万人。通常より多く見つかり、疑いを含め二百六人に上る。国や県は、がんの原因となり得る被ばくの線量が少ないことを主な理由にして事故の影響を否定する。しかし国が被ばく線量を測った子どもは千八十人のみ。今回判明した「一〇〇ミリシーベルトの少女」は漏れた公算が大きい。被害の全体像から目を背けた裏に何があったのか。情報開示請求で入手した文書で「背信」の数々を明らかにする。(榊原崇仁)

 「被害を隠したいのバレバレ」

 チェルノブイリ 30万人超調査

 「一〇〇ミリシーベルトの少女」が福島県双葉町にいたとされる事故発生時、同県中通り地方で暮らす中学三年生だった女性。大学進学後、甲状腺がんが見つかった。二十代の今、「私の家系で甲状腺がんになった人はいない。被ばく以外に原因が考えられない」と憤る。

 甲状腺は新陳代謝に関わるホルモンを分泌する器官。事故で放出された放射性ヨウ素は呼吸などで体に入ると甲状腺に集まり、がんの原因となる内部被ばくをもたらす。一九八六年のチェルノブイリ原発事故で、特に子どもの甲状腺がんが多発した原因とされる。がんの検査を行う県の資料にも、同事故で「一〇〇ミリシーベルト以上でがん発症」とある。

 二〇一一年三月、原発が次々と爆発し、大量の放射性物質が放出された。両親は「家の中にいて」と娘の身を案じた。それでも、進学する高校の手続きなどで外に出て、雨にも濡れた。

 四年後、大学生の時に福島県の超音波検査を受けた。その後、県立医科大に呼ばれ、詳しい検査の後、「甲状腺がんです」と宣告を受けた。「私は覚悟してたけど、母の泣きそうな顔を見るとつらかった」

 医大の患者対応に信頼が持てず、手術は別の病院で受けた。転移はなく、今は東京都内の会社で働く。時々、再発しないか不安になる。そしてもう一つ、消えない思いがある。「事故のせいでは」

 国、県はその思いを認めない。被災した人たちはそれほど被ばくしていないから、関連性は「考えにくい」という理屈だ。

 根拠の一つとなる甲状腺の被ばく測定は、国が一一年三月下旬に行った。対象は、避難や屋内退避の指示が出なかった原発から三十キロ以上離れた地域。福島県いわき市と川俣町、飯舘村で十五歳以下の千八十人を調べて打ち切った。この結果などを基に「線量が少ない」としている。

 だが、この数はチェルノブイリ事故の被災三カ国で測定した計三十万人以上と比べて少なすぎる。福島県が甲状腺がんの検査対象とした事故当時十八歳以下の県民約四十万人に占める割合も0・3%でしかない。

 実は、事故時、すでにあった国の指針類や福島県のマニュアルでは、放射性ヨウ素による内部被ばくを想定し、対応を示していた。チェルノブイリ事故後、子どもの甲状腺がんが多発したことも含め、国は当然、甲状腺被ばくの危うさを知っていた。それなのに、国は大多数の被災者の被ばく線量を測定しなかった。放射性ヨウ素の半減期は八日と短く、二、三カ月で消えてしまうため、今から測定し直すこともできない。

 女性も測定を受けておらず、憤りを隠さない。「もうバレバレですよね。被害を隠したいっていう意図が。世界的に起きたことがないような事故だから、いろんなデータを取らないと何も分からないのに。結局、補償を払いたくないんでしょうね」

(注4)安定ヨウ素剤の「予防服用」

 現在、安定ヨウ素剤が原発再稼働のために事前配布されていますが、原子力規制委員会は空間線量で500マイクロシーベルト/時が観測される、あるいは、1週間で100ミリシーベルトの被ばくが予想される場合に服用指示を出す、としています。これは被ばくしてからの服用であり、「結果服用」と言います。本来、被ばくしてから8時間も経てば、安定ヨウ素剤の効果は40%になります。甲状腺がんですら防げません。もし、甲状腺ブロックと言われる、放射性ヨウ素を甲状腺に取り込まないようにするためには、被ばく24時間前に服用しなくてはなりません。しかし、日本政府が原発が爆発する24時間前に、「原発が危ない。24時後には爆発するかもしれない」と教えてくれるでしょうか。

 以下に、原発事故までは、40歳以上は安定ヨウ素剤の服用の効果はない、と言っていた放射線医学総合研究所が、原発事故後2012年に出した「甲状腺疾患」という書籍に掲載された論文です。ここにははっきりと、被ばく24前の服用でしか100%近いの甲状腺ブロックの効果はない、と書かれています(正確には93%、100%ではない)。最新医学別冊 新しい診断と治療のABC『甲状腺疾患』改訂第2版 編集森昌朗 最新医学社pp.252~261 2012年10月25日刊。

『原発事故 安定ヨウ素剤服用のもっとも効果的なのは被ばく24時間前と被ばく後2時間後』

写真6:2011年3月17日(木)スクリーニング実施場所 ラジオ福島