東京第一原発事故が放出した放射性物質、特に放射性ヨウ素(ヨウ素132、ヨウ素135、ヨウ素133、ヨウ素131など)を呼吸で体内に取り入れたり、皮膚から吸収した場合に引き起こされるのは甲状腺がんだけではありません。

 ヤブロコフ、他『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店 2013年4年26日刊 には以下の記述があります。

 「今日までに得られた重要な知見の1つは、甲状腺がんの症例が1例あれば、他の種類の甲状腺疾患が1,000例存在することである。これにより、ベラルーシだけで150万人近い人びとが甲状腺疾患を発症する恐れがあると専門家は見積もっている(Gofman,1994;Lypyk,2004)」

 (引用)ヤブロコフ、他『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店 pp.81,82

 広河隆一著『暴走する原発ーチェルノブイリから福島へ これから起きる本当のこと』(小学館 2011年)には以下のような記載があります。ちなみに、1993年とはチェルノブイリ原発事故から6年後にあたります。

――――以下、転載 広河隆一著『暴走する原発』 p.154~162――――

 甲状腺がんと被曝との関係については、阪南中央病院の村田三郎医師がレジュメを作っているので参考になる。

「甲状腺癌は被曝後3~5年後から増加し始め、15~25年後に最大出現率をとると言われている。広島、長崎の原爆被爆者では、非被爆者に比べ甲状腺癌の発生率が、被爆者で有意に高い。女性に有意に多い。被爆時の年齢が20歳未満の人に発生率が有意に多い。

 マーシャル諸島での核実験(※注を参照)による放射性降下物による被害は、ロンゲラップ環礁の住民の33%に、結節性甲状腺腫が発生。被曝時に10歳以下の子どもの63%に、甲状腺結節が発生。マーシャル群島では1954年に被曝して後に243人の内で、22年後の時点で7名(2.9%)に甲状腺癌が発生」ー村田三郎『放射線による甲状腺障害』

 被曝者の中でも小さな子どもは、大量の放射線を受けると、甲状腺の機能障害を起こして、記憶力の低下を招き、知的障害になることもある。そしてこれらの子どもは、自分で自分の命を支えることができなくなってしまう。分泌腺がホルモンを作らないため、死ぬまでホルモン剤の投与を続けなければならないのだ。

 (ベラルーシのゴメリ州)ホイニキ、ナロブリャ、ブラーギン地区の子どもたちの20%が、10シーベルト以上被曝したと言う。

 この地域の研究したベラルーシ放射線医学センターのワレンチーナ・ドロズド教授は、1992年の時点で、小児甲状腺がんは、ベラルーシせ世界平均の20倍、ゴメリ州だと118倍になると述べていたが、そのゴメリ州の中でもホイニキ地区が異常な発生を見せた。発症者の60%はゴメリ州に集中しており、されにそのほとんどが、ホイニキ、ブラーギンなど、ベラルーシ南部のヨウ素131の大量被曝地帯に集中している。ホイニキ地区とブラーギン地区には、ヨウ素131の汚染が1平方キロメートルあたり500キュリー(1850万ベクレル/m2)にもなるところがあったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(編者 補足)福島県大熊町 東平 はヨウ素131で65万3000ベクレル/m2染されています。ただし、これは2011年5月25日段階での測定です。ヨウ素131の半減期は8日間ですから、約2ヶ月前(64日前)は8半減期に相当。つまり、2×2×2×2×2×2×2×2=256倍あったはずです。2011年3月20日ごろには大熊町 東平は、ヨウ素131だけで16,716万ベクレル/m2あった可能性があります。これはホイニキ地区、ブラーギン地区を超えます。

大熊町の土壌汚染はチェルノブイリを超えている

(編者 補足)川俣町立山木屋小学校はヨウ素131で195万ベクレル/m2汚染されていました。2011年4月5日または6日測定。

福島県内の学校の校庭はどのくらい放射能汚染されていたか?文科省2011年4月14日調査より

 ーーーー 以下、転載 広河隆一著『暴走する原発』 p.160~161----

 ドロズド教授たちが1993年3月28日から4月8日まで、ホイニキ地区の3歳から15歳までの352人を調べた結果、次のような結果が出た。

  結節性甲状腺腫         27人

  自己免疫性甲状腺炎      7人

  甲状腺発展異常          4人

  甲状腺肥大           156人

  甲状腺縮小                7人

  他の内分泌病理変化    123人

 約10%の子どもは、すぐに病院に収容すべきだと診断された。ホイニキ病院のコルツォフ副院長によると、放射線の直接的影響と考えられるのは、まず結節性甲状腺腫、甲状腺炎様の変化、甲状腺縮小だという。

 1990年まで甲状腺肥大の子どもの数は増えた。1985年では検査した人数の2.8%だけだったのに、1991年には35%だ。

 ところが、1991年から甲状腺縮小のケースが増加した。以前はそういうケース全くなかった。1992年はホイニキ地区の子どもほぼ全員を調べた結果は、5056人中3人(0.06%)が見つかったが、1993年は今のところ、352人中7人(2%)でおよそ33倍になっている。

 「放射性ヨウ素の被曝の結果です」とコルツォフ副院長は言う。甲状腺の細胞が、放射性ヨウ素の影響で壊れて再生できず、縮小するのだという。

 また自己免疫性甲状腺炎と診断された子どもも7人いた。甲状腺の組織が放射能の影響で変化し、免疫システムが異常となり、自らの甲状腺を攻撃する恐ろしい病気だ。この病気は発見者の名前をとって橋本病と名付けられているが、甲状腺機能低下症である。

 このような子は、1992年は5056人中9人(0.2%)、1993年は352人のうち7人(2%)と、10倍になっている。

 ウクライナのキエフにある第3病院の甲状腺専門医のデュミデュク医師によると、この橋本病は、ウクライナでも1994年に12%弱まで上がった。彼は、第3病院で甲状腺を手術したうちの11.7%が橋本病だったという。これは今まではほとんど子どもには見られなかった病気である。

 同病院のステパネンコ医師によると、「この橋本病は甲状腺の病気の中では、とても恐ろしい病気の1つです。この病気にかかっている子どもたちの中には重症な患者がいます」と言う。

 しかし、橋本病の増加とともに恐ろしいのは、1993年の検査で352人中27人が結節性甲状腺腫と診断されたことである。

 ドロズド教授によると、ベラルーシ、ホイニキ地区の1992年の発症率は10万人あたり59人だった。

 その後、1993年いっぱいかかって、ホイニキ地区の5164人の子どもの調査が行われた。そして、甲状腺がんの子どもが8人見つかった。

「これは1993年に見つかった新しいがんの患者です。私たちはホイニキ地区の子どもたち5164人全員を一年間かけて調べて、298人に甲状腺の結節などの異常を見つけ、その子たちの腫瘍が悪性か良性かを調べるために病院に送って、検査したのです。そして検査の結果、悪性の腫瘍、つまりがんだと分かったのが8人だったのです。」と、コルツォフ副院長は言う。

 1994年の調査では、子どもの13.44%に甲状腺肥大、5%に甲状腺縮小、39.7%にそのほかの甲状腺異常が認められた。そして33%が緊急入院を必要とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(※注)マーシャル諸島での核実験

 アメリカが太平洋マーシャル諸島で行った一連の核実験。1946年から1958年にかけて、23回もの核実験を行った。

  1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦)では、広島型原子爆弾約1000個分の爆発力の水素爆弾(コード名ブラボー)が炸裂。海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ856隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。

(編集) 広河隆一著『暴走する原発』 p.160~161の文章の一部を追加。ヤブロコフ、他『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店 pp.81,82を追加。2014年6月28日。